人狼は伝説を志して

蒼春

序章

プロローグ



 ひたすら剣を振るう。銃を撃ち続ける。戦斧で敵を薙ぎ払い、短剣で喉を掻き切っていく。

 この戦場で、返り血で血塗れになりながらも武器をふるい戦い続けるのは、まるで銀狼のような容姿をもつ少年兵だった。 この血みどろの戦場に不釣り合いな白銀に輝く髪。 海よりも淡く、空よりは深い『蒼』を閉じ込めた瞳は、在るのがたとえ右眼のみでも見据えられただけで心を奪われてしまいそうだ。 美術品のような顔の造形は、思わず見惚れてしまうほど整っていて美しく、男性のような女性のような風貌をしている。


  だが、少年兵は、その美しさとはかけ離れた呼称で呼ばれていた。 『殺戮人狼』。少年兵―――いや彼女は、人の皮を被った人食い狼だと、敵味方から囁かれていた。




      ✡      ✡      ✡




 ここはどこだろう。······地獄だろうか。 ベッドの上で、リアンはぼんやりと思った。 戦場では『殺戮人狼』と呼ばれ恐れられていた少年兵の名はリアン。まだたった15歳である。

 美しい蒼色の瞳は右眼しかなく、左眼は包帯で丁寧に処置されている。 かつて幾多の敵を葬ってきた左腕には生肌ではない、金属の義手が装着されていた。


「目が覚めましたか?」


 その看護師の呼びかけに応じようと声を発したが、出たのは「あ゛·····っ」という掠れ声だけだった。


「無理して話さなくていいんですよ。なんせ2週間も眠っていましたからね。」

「···········ここ、はどこですか。戦争は、終わったのですか」

「ここは負傷兵の治療をする病院です。あなたも負傷した兵士として運ばれてきたんですよ。 戦争には私たちラヴィーア国が勝ちました。あなたたち兵士のおかげですよ。ありがとうございました」


  看護師は優しく教えてくれた。 その答えにリアンは、安堵したようにふっと息を吐いた。 そして、また声を漏らした。 が、その声は、先ほどのような安堵ではなく、苦痛に耐えているような苦しげな声で、美しく整った顔は今は生きづらさといった感情に歪んでいた。 戦場で数多の骸を見ても、ラヴィーアの勝利のために数え切れないほど敵を葬ってきても、苦渋の表情なんて見せなかったのに。

 大怪我で眠っている間、葛藤のどん底で生きていた記憶を。


  思い出したのだ。あの、葛藤と息苦しさに塗れた人生を。


 思い出したのだ。矛盾ばかりの自分と、矛盾ばかりの世界の中で、足掻きながら生きたことを。


  思い出したのだ。もしも生まれ変わることができるのからば、伝説になると。歴史に名を残してみせると、誓ったあの夜を。




      ✡      ✡      ✡




  前世。名は莉杏であった。一般家庭に生まれ、父と母と莉杏の三人家族。


  だが、そこに家庭など存在しなかった。


  いつも家に居ない父。たまに帰ってきたかと思えば、母と莉杏を怒鳴り散らす。

 そんな父への愚痴を、莉杏に零す母。母はひとしきり不満を吐き出すと、莉杏をぶち、体の上にのしかかって「あなたが生まれてこなければ」と罵る。そしてごめんね、ごめんね、と涙を流して謝り、莉杏のことを抱きしめた。


 小さい頃は、我が家はおかしいなんて感じていなかった。これが普通なのだと思っていた。 疑問を抱いたのは小学生のとき。


  なんであの子はお父さんを怖がらない?


 なんでこの子のお母さんはこんなにも優しくこの子に接する?


 なんであの子は家族といて笑っている?


  子供だった莉杏の心は、「なんで」で埋め尽くされた。 その「なんで?」はコンプレックスとなり、莉杏を縛り付けた。


なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――。


 いつしか自分の家族そのものが恐くなり、父の怒鳴り声から、母の不満の声から、徹底的に逃げた。 そんな生活を続けていたら、同じ建物に住んでいるだけの他人になってしまった。 どこで間違ってしまったのか。何がいけなかったのか。



――――なんで、生きてるんだっけ?



      ✡      ✡      ✡




  自分は何故、女の子として生まれたのだろう。 何故、望むように生きていけないのだろう。

  多様性だとか個性の尊重だとか、世界はそう言っていた。理解してあげようと、言っていた。


 違う。分かってない。分かってないのだ。


  少数だから特別とか、そういうことじゃない。 世界中のみんな、「ただの自分」として生きているはずだ。何も特別じゃないし、何も普通じゃない。


 嗚呼、息苦しい。そんな風に見ないでくれ。誰か、「トランスジェンダーの莉杏」ではなく、「ただの莉杏」として愛してくれ。そう、何度も願った。



――――誰か。


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