洗脳と気付き
蔵の扉に手をかけると、黒斗は短く唱えて護符を扉に貼り付けた。さらにその上に式神を何枚も貼り付ける。
逃亡を防ぐためと、防音、あと呪詛が花菱邸を汚染しないようになどが、護符と式神に何重もの結界を張り巡らさせた。一介の陰陽師では、せいぜい結界は二重までしか張れない。
黒斗は呪文を唱え終えると、今度は「ほのか」と短く言うと、ほのかは自分の仕込み剣を差し出した。そこに護符を貼り付けると、すぐ刀身に溶け込むようにして消えた。
「じゃあ、行くか」
「はあい……本当に、そこにいるのはなんなんだろう」
「……焦げ臭いな」
「そういえば。この蔵、大丈夫なのかな。貿易商やってるんでしょ、花菱さん家は」
「さすがにここに輸入品を置いているとは思えないが……どのみちここには変若水もあるのだから、それを回収しないことには、その異形も面倒くさいことになるだろうな」
「そうだね……」
ふたりは進んでいった先。
そこにはぽつん。ぽつんと火の玉が浮いていた。
「これは……鬼火?」
「違う、これは……!」
黒斗はすぐに式神を袖から出し、自分の指先を噛んで血を流すと、それで文字を書き込みはじめるが、だんだん火の玉の量は増えていった。
そして、この蔵に溜まっていた瘴気が、だんだんと濃くなってきた。術式を一切使えないほのかでも、その気配のまずさはわかる。彼女は仕込み剣を引き抜き、その刃をかざす。
「誰! いったいなんのために変若水を飲んだの!?」
「失礼なことを言う。我のものを飲んで、どうして悪いと言うのか
その声は低いが妙に艶のある女の声であった。
その炎を浮かべた先には、乱れた着物を着た女の異形がいた。今まで見た異形の中で一番人の姿に近いものの、彼女のつるりとした顔といい、豊満な体躯といい、明らかに人間離れした姿をしていた。
なによりも彼女を異形だと認めさせるのは、額を割って生えている角に、全てを見抜くような爛々とした金色の目だった。
「……鬼!?」
「違う。鬼だったらそもそも俺たち五行の一族一斉にかからなかったら手に負えないが……あれは戦う力がない」
「だったら……この鬼火はなに?」
「これも鬼火ではない。これは燐火……墓場で幻覚を見せるための火だ」
「あらぁ……この時代にも詳しい者はいるようで」
この鬼のようで鬼でない悩ましげな異形は、くつくつと笑っていた。
それを見ながら、ほのかは若干イラリとしたものを感じていた。なにがそう嫌なのかはわからなかったが、この異形を見た途端、「こいつは絶対に屠らないといけない」という想いが込み上げたのだ。
「大陸から来たと聞いたが」
「そうだな。元はエリクシールを手に入れるために船に乗ったら、そのまま出航してしまってな。このままここに辿り着いてしまったのだから、ここで暮らそうとしていたところだよ」
「迷惑な……そもそも貴様は大陸の異形だろうが」
「ああ……大陸では既に陰陽師もおらず、我が同胞が生まれる余地もなくなってしまってなあ。ならば、同胞の暮らす場所に移動しようとしたら、風の噂で海の向こう側にはまだ存在すると聞いて。なら手土産でも持って行こうかと思ってな」
世間話のひとつひとつに、殺意はない。ただほのかはずっと肌で違和感を覚えている。
(この火は幻覚を見せるものだって黒斗は言っていたけど、この落ち着き払った様子で、ちっとも陰陽師を怖がってないってどういうこと? いくら大陸とは理論が違うと言っても、出自が陰陽師からならば知らない訳ないのに……)
その肌を纏う違和感で気付いた。
(……黒斗、普段だったらもっと容赦なく話をぶった切って札貼り付けて終わってない? なんで会話してるの……まさかと思うけど、洗脳は男にしか利かない?)
座学な苦手なほのかだが、自分のこの異形を屠らないといけないと判断した直感と、男にしか利かない洗脳で、だんだんとこの異形の正体が読めてきた。
「……なるほどね、あんた。
「ほう……我のことを特定したか」
「あんたの話、江戸時代の奇談集からだったと思うけど」
飛縁魔。ほのかの読み通り、江戸時代の奇談集から名前を知られる妖怪である。その特徴は男をたぶらかせて堕落させる、夜叉のような存在だということ。
その男をたぶらかせた末の破滅は、時には夏の妹喜、殷の妲己、周の褒姒に例えられている。その飛縁魔と特定された異形は満足げに言う。
「さあな、この国の昔話に我と似たようなのがいたのであろうな」
「あんたね……この家を乗っ取る気だったの!?」
「ただの隠れ蓑よ。変若水を回収したらそのまま去る気だったが、面白い男がいたからからかったまでよ」
「……あんたね」
ほのかはイラリとしながら仕込み剣を構えるものの、内心考えが進んでいた。
(つまりは……まだ変若水は飲んでないってことね。既に陰陽師がいなくなった大陸から来た異形が、他の異形と合流させる訳にはいかないし、ここでこいつを屠れば……黒斗は助かる)
「つまり、あんたの首を取ればいいわけね?」
「怖い女よの。そこの男にそこまで惚れていたか?」
「うるさいな、普通に逢い引きしてたところを呼び出されたと思ったら、あんたを始末しろって言われたのよ。仕事で渋々来て、相方いいように使われたら普通に怒るわ」
ほのかは首を狙う。蔵は狭いが、そのまま大きく突けば飛縁魔を屠れる。ワンピースのまま、一気に距離を詰めて首を貫こうとしたとき。ほのかの腕にぺたんと札が貼られた。途端に彼女の全身に雷がほとばしる。
「あああああああああ……!」
「我を屠ろうなどと、一千年早かったな、小娘」
「……黒斗」
黒斗は燐火の粉を浴び、視線はうつろに落ちくぼんでしまっていた。自覚して想いを通わせ合ったところで、洗脳してくるとは、あまりにも醜悪だ。
「ほら、殺し合え。そちらは繋がりを感じる。五行的には相性がよろしくないみたいだが不思議だな。そのように強い結びつきのある者同士が殺し合うのを見るのが、我の好みぞ」
「サイテー。趣味悪い」
「なんとでも言え」
飛縁魔がケタケタと笑う中、ほのかは黒斗に札を貼られ続けていた。一枚、二枚はどうにか彼女の霊剣で貫き破ることができたが、彼女の視界を遮るように、何度も式神が飛んでくる。
ほのかはその黒斗に腹を立てていた。
「あんたは、あたしのこと好きとか言っておいて、よその女にいいようにされて……あたしのこと好き勝手しておいて、あたしを襲ってきて……あんた、いい加減にしなさいよ」
ほのかは仕込み剣を黒斗に向ける。黒斗は落ちくぼんだ目でじっとほのかを見ると、札をほのかに向けてきた。それを彼女は打ち抜き、その返し刃で黒斗の脳天を狙う。だがその刃を受けたのは、黒斗の式神であった。
式神を貫いたところで、彼女に何枚目かの札が迫ってくる。
それを満足げに飛縁魔が眺めていたところで、彼女があちこちに飛ばしていた燐火が消えた。
「む……?」
「……あたしは術式使えないんだから、黒斗から力をもらわなかったら、火を消すことなんてできる訳ないでしょう?」
「こうでもしなけりゃ、変若水を探し出すこともできなかったからな」
黒斗ははっきりとした口調で飛縁魔を見た。落ちくぼんだ目は、もうどこにもない。
「な……っ! 人間が、それもまだ二桁しか生きてない人間が、我の洗脳を解いただと!?」
「勘違いするな。俺はそもそも洗脳にかかっていない」
黒斗は着流しの下に、何枚も札を用意し、自身に貼り付けていた。それで燐火を受け、火の粉を被ってはいなかったのだ。
「そもそもお前の目を盗んで変若水を見つけ出すのは至難の業だからな。だから洗脳にかかったふりをして探させてもらった」
「なっ……だが、その女を雷で打って!」
「あたし、これでも武闘派家系だから、あれくらい痛いに入らない。さすがに緩い雷に打たれたら、これは黒斗正気だなと気付く。あとは黒斗が投げてくるものは理由があるんだろうと思ってそれを受け止めてただけ」
「その間に式神を何枚か飛ばして探させてもらった」
式神が持っていた小瓶を、黒斗はしっかりと受け取っていた。それに飛縁魔は喉を鳴らす。
「おのれ……おのれ……」
「変若水を飲んでないんだからな、ほのか」
「わかってますってば」
ほのかが剣を向ける。燐火はほのかの剣に水を付与することで消し、もう飛縁魔を守るものはなにもない。彼女はそのまま飛縁魔の首を貫こうとした。
そのときだった。
「困るな、せっかくの変若水を持ち込んできてくれた同胞だ。死んでもらっては困る」
その声を聞いた途端、黒斗だけでなく、そもそも術式にも弱いほのかすら、その圧力で膝を突きそうになった。
これは、千年生きているはずの飛縁魔の持つ禍々しさでは足りない。
この気配は……正真正銘鬼のものだった。
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