甲子園を描きたくて

大地ノコ

エピソードタイトルを入力…

 宣伝が足りず、カクヨムコンの結果は散々なものに終わった。

 自信作のPV数が一桁台で絶望したこともあった。

 小説を書くことを嫌い、絶望し、小説家という夢を捨ててしまおうかとも考えた。


「さて、今日もいっちょ書いたりますか!」


 自分の作品を読み直した時の、あの、胸が痛む感触。プロと自分との間にある大きな溝を眼前に突き付けられたような、何とも言えない焦燥感。


「うーん、ここの表現が気に食わんなぁ……」


 それを受け入れるしかない現実に、また、胸を痛めた。


「こんなんじゃ……」

 でも、中学3年生の私は知った。来年の私には、高校生となった私には……。


「甲子園で何の成果も出せないよぉ」


 カクヨム甲子園という場が設けられているんだ、と。


 ♦


「……って美佳みか、何やってんの?」

「ん? 見ての通り、執筆作業中」

「いや、だから聞いてるの。今、昼休憩だよ?」


 私が心から信頼する友達、三塔 美月みとう みづきは今、珍しいものでも見るかのように私を見つめている。私はカタカタとノートパソコンの鍵盤をたたいている。心地良い音に夢中になっていたというのに。まったく、邪魔をしないでいただきたい。


「私にとって、執筆とはこれ以上ない娯楽なのだよ。自分をさらけ出すかのように文章を書いている瞬間こそが、最たる至高の瞬間で……」

「わかった、もう充分、おなか一杯。というかなんなの、その語調」

「気にしないで、ちょっと中二病の血が走っただけだから……」


 はぁ、と一つ溜息をついてから、再びカタカタと鍵盤をたたき始める。

「あんたも頑張るよね……将来の夢、だったっけ?」


 美月は私に興味をなくしたのか、また弁当箱に目線を落とした。

 どこからか聞こえるスマホの音。音質が悪くてまるで聞き取れないお昼の放送。美月の箸と弁当箱が当たる、こつんという音。そして、カタカタと鳴るキーボード。

 静かで、騒がしい、そんな昼休憩が、今日も刻一刻と流れていた。


 ふと、おかずを探っていた箸の動きを止めて、美月が私の頭頂部を見つめた。

「ねぇ美佳、いつもよりタイピングのスピード遅くない? 行き詰ってたりする?」


 その言葉と同時に、ノートパソコンを閉じて、ぐだぁっと机にのしかかる私。カタカタと表現していたキーボードの音だが、正確には『カタ     カタ』ぐらいの印象。

 ごまかすこともできず、大きなため息をついて、話し始める。


「ぐへぇ、ばれたぁ? そうなんだよ、いい表現を模索すればするほど、いい作品からどんどん離れていくんだよ……」

「ねぇ、いつもの美佳って、『なんとかなれー!』って言いながら、後先考えずおりゃぁって一気に書ききっちゃうタイプじゃなかった?」

 その通り。私は深夜に一気に小説を書ききって、そのまま深夜テンションに促されるがままにネットの海に小説を放り投げ、翌朝後悔する、そんな向こう見ずな人間なのです! まったく誇れない、執筆者はこうなってはいけません、の代表例のような存在なのです。泣きそう。


 だけれど、今回だけは事情が違う。


「ねぇ。美月、カクヨム甲子園って知ってる?」

「へ? 甲子園?」

「私は今、本気でカクヨム甲子園に打ち込んでるんだよ」

「へ、へぇ。あんまり興味ないけど、詳しく聞かれたがってる顔してるから、詳しく聞いておこうか?」

「よくぞ聞いてくれました!」


 こほん、とひとつ咳をしてから、概要を説明し始める。


「説明しよう! カクヨム甲子園とは! 高校生のみが参加を許される小説コンテストのことなのだ! 部門はショート部門とロング部門に分かれていて、私はそのどちらにも応募するつもりなのだ!」


 声高々にそう言い切って、椅子に着く。どうやら知らない間に立っていたらしい。恥ずかしい。

「へぇ、名前から想像したものと全く同じ説明がされたから、少し驚き」

「うるさいなぁ、シンプルで素敵な名前って言ってよ」

 私はそう言いながらノートパソコンを開きなおす。それと同時に雲が去り、日差しが画面を照らす。文章で表すと劇的で美しいけれど、実際のところ眩しすぎてたまったものじゃなかったので、普通にパソコンを閉じた。


「で? 両部門に出すってことは、最低2作品は書くわけでしょ? 進捗、どうなのさ?」

 美月は、少しだけにやけた表情で、閉ざされたノートパソコンと私の目とを交互に見やる。


「……ロング部門が0字、ショート部門が500字です」


「うんうん、そっか。じゃ、書かないとね」

 そう言って美月が私のノートパソコンを開こうとするのを、私は体を使って全力で阻止する。


「さっきまで執筆する私のことを奇異な目で見てたの、誰だっけ!?」

「思ったより美佳が書いてなかったからさぁ! もう夏休み入るんだよ!?」

「舐めないでいただきたい! 私、別に書いてなかったわけじゃないんだから! 実際、カクヨム甲子園のために書いた文字数ならだいぶあるから!」

 胸を張りながら、美月の弁当に入っていたブドウを一口ほおばる。


「つまり、気に入らずに全部消しちゃった、ってこと?」

 途端、あたりが気まずい空気に包まれる。


「白状するか、ブドウを吐くか」

「……はい、消しました」


 またまた沈黙が流れたかと思うと、美月は本日何度目かの溜息をついた。

「はぁ、美佳の作品だから私がどうこう言う権利はないけどさぁ。やばいんだったら、妥協とかも必要なんじゃないの……?」

「それはダメ」


 考えるより先に、その言葉が漏れた。

 今まで向こう見ず人間だった私が何を言っても詭弁ではあるが、それでもカクヨム甲子園だけは特別だった。


「私は、この大会に全青春をかけるの」

「そんな大切なもんなのかな……これ」


 納得してくれない美月に少しばかりの苛立ちを覚えながら、窓のカーテンを閉め、また執筆を始める私。

 ブルーライトがちかちかと私の目を焼く。カーテンがあってもなくても、案外変わらなかったのかもしれない。


『妥協』。それだけは、絶対にダメ。だけど、それをしないといけないかもしれないという[if]は、だんだんと現実に迫ってきていた。


 ♦


「で? 現在の進捗は?」

「ロングが0字、ショートが200字です……」

「なんで先週より減ってるのさぁ!?」


 さてさて時は過ぎ去り7月中旬。来週には終業式が行われる。

 夏休みも執筆が可能ではあるが、その時期の執筆はすべてロングにささげたい。つまり、終業式までにショート部門を完成させる必要があるのだ。


「だって、ストーリー展開に納得いかなくて……」

「めんどくさいなぁ、やっぱり妥協とかが必要なんだよ」

「やだよぉ! 導入はうまくいったから、その勢いを最後までもっていきたいんだよぉ!」


 はぁ、と今週何度目か、おそらく二ケタ台目の溜息を吐きながら、美佳はつぶやく。

「なんでそんなに一つの大会にこだわるのさ? 運動部じゃないんだから、もっといろいろな大会とかあるんじゃないの?」


 それは、と、反論を考えてみた。でも、冷静に考えれば、確かにそうなのかもしれない。

 新人賞なんて探せばいくらでもある。個人が行っているものも含めれば、それこそ無限にあるのではないかと錯覚してしまうような、そんな数が。


 つまり、いくらでもチャンスがあるということ。


 甲子園でよく言われる「来年、また頑張ろう」。私はこの言葉が嫌いだ。1年という時間は、高校生にとって、痛いほど大切な期間なのだ。それに、3年生は引退してしまう。

 でも、同じ甲子園を名乗る小説の世界では「また次の大会で頑張ろう」とか、そんな言い方ができてしまう。ありとあらゆる大会に注力し、数撃ちゃ当たる戦法だって通用してしまう。それに、年齢という壁はあれど、どの年代でもいくつかのコンテストに応募することは可能なのだ。


「それは……」

「大丈夫だって。それにほら、一冊だけに注力するとかしてもいいだろうし。今年はショート部門をあきらめる、とかさ」


 いろいろと思考を続けながらも、タイピングをする指はいまだ動き続けている。

 頭の中に住んでいるキャラクター達は、現世のことなどなんのその、常に動き続けているのだ。


 ……。キャラクターたちの人生を、「私は気に入らない」という理由で消してしまっていたのだろうか。


「……それも、そうなのかな?」

 気が付けば、そんな言葉が流れていた。


「ほらほら、じゃあ、ちゃっちゃと書ききるよぉ!」

 気づけば美月は、私の後ろに回っていた。私の肩を持って、ぐわんぐわん前後に揺らして

「私、なんだかんだ言って美佳の小説好きだからさ。多少の設定の齟齬とか、普通はこんな行動しないでしょって思ったりとかはあるけど。まぁでも大丈夫だって。美佳なら大丈夫!」


 美月に促されるまま、私はいつも通りの、えいやぁっと書ききる向こう見ず人間と化した。200字だった小説は十倍の文字数に成長。ショート部門の作品は完成したのだ。


「いいじゃん! 完璧完璧! いつも以上にしっかりした作品に仕上がってるよ!」

「はは、そうなの、かな? なんか、そんな気がしてきたかも」

 出来上がったものを軽く読み直す。ありとあらゆるところに『ここ嫌い』があふれる作品だが、一定のクオリティがしっかりと保たれているのもまた事実だった。


「はい、じゃあこれで一作完成! おめでとー!」

 美月は得に物言わせぬ勢いとともにそうまくしたてた。

「ありがと、これでロング部門に専念できるよ」

「設定って浮かんでるの?」

 正直、ショート部門に集中しすぎて、全く考えていなかった。そもそも、もともとロング部門用のネタをショート部門に転用していたのだから。


「……まぁ、のちのち」

 この『のちのち』がいつなのかは、あまり考えたくなかった。

 自分はイップスなどではない、そう言い聞かせながら、出来上がった作品に目を落とす。


『私に任せて! ほら、ちょちょいのちょいっ!』というセリフが目につく。でも、このキャラクターは絶対に、自ら魔法を使おうとはしないはずだった。

 もやもやとした感情に言い訳をして、ノートパソコンを静かに閉じた。


 ♦


「1ヶ月、長いようでとても短い夏休み、是非『自分だけの面白い』を探す時間にしてみてください。3年生の皆さんも、勉強の中に隠れている面白いを探す、そんな時間を作ってみてはいかがですか?」


 夏の体育館の暑さに負けない熱量とともに、校長先生はかれこれ10分近く喋り続けている。よくもまぁ飽きないものだ、ノルマとかあるのかな?だったらそのノルマは今すぐにでも撤廃してもらいたいなぁ、だなんていうどうでもいいことを頭の中で次々に浮かべながら、ただ時が過ぎるのを待つ。


 夏休み、自分だけの面白い。私はもう、これをとっくのとうに見つけている。1年前から見つけていたんだ。


「自分が好きなこと、面白いと思えることには本気になれます。自分の話にはなりますが、先生は学生時代、本気になるという経験を行えなかったのです。何もかも、中途半端だったんです。だから、私の高校生活は最高のものだったということはできません。失敗した私だからこそ、皆さんに最高の高校生活を送って欲しいと思うのです!」


 校長先生はどんどんヒートアップしていく。どうやら、ノルマなどはなく、ただただ話すのが好きなだけらしい。手を握ったり開いたりしながら、耳だけを校長先生の言葉に向ける。


『好きなこと、面白いと思えることには本気になれる』


 私は作品を書くことが好き。心から面白いと思える。でも、私が今回の作品に本気を注げただなんて、口が裂けても言えなかった。


「ねぇ、美佳さん……大丈夫?」

 ふと、隣に座っていたクラスメイトが私の肩を叩いた。


「え? 大丈夫だけど、どうかしたの?」

「だって美佳さん、泣いてるから」


 え、と指を目の下に持ってくる。確かに、目元から水が伝っている。明らかに汗とは違う、サラサラとしたものだった。


「あれ、ほんとだ。なんでなんだろ」

「多分疲れてるんだよ。悩みとかあったら、いつでも相談してね」

 それだけ言うと、彼は目線を校長の元へ向け直した。真面目に、一語一語を丁寧に拾っている、そんな眼差しだった。きっと、校長の言葉に刺さるものがあるのだろう。


 そうか。私は、本気になれなくて涙を流せる程に、小説に本気になっていたんだ。


 少しずつ乾いていく涙の跡から指を離せないまま、ただただ時間は過ぎていく。空気の中に逃げ消えた私の涙は、水蒸気となって、体育館の空気を少しだけ温める。

 その熱は、知らぬ間に私の心から消えてしまった、小説に対する思いなのかもしれない。


 目を瞑って、小説の構想を練ってみる。ロングの、一万字程度になれる小説を……。


 考えをロングに移そうとすればするほど、頭の中ではショート部門のキャラクターが騒ぎ出す。楽しそうに、生き生きと、本当に生きているのではと錯覚してしまうほど自然に言葉を紡ぎ続ける。

 この情景を完璧に描くことができたら、私がこの作品に全力を注げていれば。認められなかったとしても、私は満足だったに違いない。


 私は、自分にすら認めてもらえない作品を書いたのだ。


「それでは、3年から移動を開始してください」

 気が付けば、校長の話も終わっていた。

 声と声とが混ざり合い、目をふさいでも人混みを感じられる。ここにいる人それぞれが、何かしら自分で本気になれるものを持っているのかもしれない。そう考えたら、私がここにいるのは場違いなような気がしてきて、たまらなくなった。


 今すぐに叫んでしまいたい。こんなに悩み苦しんでしまうような執筆なんて、もうやめてしまいたい。

 それでも、執筆が楽しいという事実は変わらなかった。小説に対する嫌悪を募らせていく今でさえ、私の頭の中ではキャラクター達が生活を営んでいるのだ。


「ダメダメ。今はロングを書かなきゃなんだから」

 口の中で呟いて、頬を軽く両掌で叩いて、それから、ネタの構想を始めた。

 夏休みは始まってしまったのだ。


 ♦


「で? ロング部門の進捗は?」

「ゼロです……」

「みーかー?」

「だってだって!!!」


 某ファストフード店にて、編集者こと美月に詰められている、作家こと私です。

 長期休暇なことも相まって、人の密度が尋常でなかった。エアコンの冷気は感じる程度の室温の中、冷や汗だけが止まらない。


「ネタが浮かばないんだよ!? しょうがなくない!?」

 ポテトをつまみながら言い訳のようにしゃべる私を冷ややかな目で見つめる美月。


「そっかそっか。つまり君はそんなやつなんだな」

「懐かしいネタで刺してくるのやめてよ。だったら困難は分割して、美月もネタ出し手伝ってよ」

「懐かしいネタで助け求めちゃだめだよ。というか、本来の用法と違うから、それ」

 え、とあっけにとられたように声が出る。今日、美月を呼び出したのは、ネタ出しを手伝ってもらうためだったのに、なんと断られてしまったのだ。


「じゃあ、えっと、またね?」

「おーい美佳、逃げようとしちゃだめだぞー!」


 美月の静止に応えて、向き直る。

 普段だったら、このまま茶化して、冗談とか言って、普段通りのバカげた会話を繰り広げるのだろう。でも、今はそんな気分になれなかった。

 考える暇もなく、頭の中は言葉で埋め尽くされた。


「大体、ショート部門に本気になれなかったから、今こうなってるんだよ! 半分くらい、美月のせいでこうなってるんだよ!」


 思ったより大きな声が喉を通った。肌に感じる冷気がエアコンのものだけでないことを感じる。軽い恐怖を覚えながらも、私は言葉を紡ぎ続ける。


「他責思考だって思うかもだけど、それでも、美月が強制して書かせようとしなければ、もしかしたらもっといい作品になってたかもって、それくらい考えるのはよくない? そしたらもっといい結果になってたかもって、そう思っちゃうのも当然じゃない!?」


 どんどん話が変な方向に向かっている自覚はあった。でも、ずっとずっと感じていたものの一端を吐き出したら、呼応するようにして、ため込んでいたものがすべて流れ出てしまったのだ。


「私だって、このままじゃ妥協が必要かもなぁとか考えてたけど、それとこれとは話が別なの!」


 今ここで何も言わないほうが、すべてにおいて良い方向に向くことなんて、わかっている。けれど、叫ばずにはいられなかった。無茶苦茶な八つ当たりだってわかっているのに。


「だって! いけないのは私なんだから!」


 気づけばまた、私の目からは涙がこぼれていた。

 美月の後押しがなければ、確かに小説に本気を注げたかもしれない。納得なんて少しもできていない。でも、美月が後押ししなければいけない状況を作り出したのは、ほかでもない私自身だ。

 それを認めたくなくて、心のどこかで気づきそうだったそれを隠したくて、美月に責任を押し付けた。


「ごめん……。ちょっと、頭冷やさせて」

 それだけ残して席を後にする。


 少しだけ、期待していた自分がいた。またさっきみたいに『逃げるな』って言って、何事もなかったみたいに笑ってほしかった。でも、それを望む資格が私にはないということが、美月によって証明されてしまった。


 ロング部門の構想は思考のより深い部分へ潜ってしまった。


 ♦


 夜の12:00を回っても、私はスマートフォンを手放せずにいた。美月から、何かメッセージが来るかもしれない。その可能性を信じて、きっと何か連絡してくれることを信じて、画面から目を離せずにいる。


 ふと、部屋の扉がコンコンと音を立てて鳴る。

「美佳、まだ起きてるの? もう寝なさい」

 その音で、一気に現実に引き戻された。スマホに注いでいた全ての意識が周囲にこぼれ、今まで忘れていたエアコンのゴオオっという音が部屋を支配した。


「はーい、すぐ寝るー」

 これだけ告げて、スマホのサイドボタンを押す。

 普段は、無意味に起こされないように通知を切っている。けれど、今日だけは切れなかった。


【もしかしたら】


 何度目かの妄想をしたのち、部屋の明かりを消した。

 部屋が途端に暗くなり、目を凝らさなければ何も見えなくなる。いつもどおりならこのまま意識ごと外界から遮断され、自然と眠りにつくはず。


 ……。

 けれどやはり、今日はいつもどおりではないらしい。

 視覚が奪われたことでより意識が通知音に向き、全神経が耳に集まっていくのをひしひしと感じた。


「もしかしてこれ、結構やばい……?」


 少しの危機感と多量の冷や汗で、熱帯夜の暑さはとっくのとうに吹き飛んでいた。


 こうなったら執筆をして、心を落ち着かせるしか……

「そういえば、小説のせいでこうなってるんだった」

 まずい、四面楚歌だ。ありとあらゆるものが私を悩ませる原因になっている。なんとか、なんとかしなければ。


 布団の中で足をバタバタさせながら考えていると、ふと、頭の中を稲妻のように考えがよぎった。


「あれ、そもそもこれ、ショートを書き直せば全部解決するんじゃない?」


 そうだ、自分で言ったじゃないか。自分がロングを書けないのはショート部門に本気を出せなかった未練が残っているから。だったら、ショート部門を一から書き直せば、悔いがなくなるじゃないか。

 このままロングを書けずに悩むよりも、ショート・ロングを一から書いたほうが短い時間で終わるはずなんだ。

 そうと決まれば、急いで執筆するほかない。もう夏休みも中盤だ。1か月近くかけても進展がなかったショートと半月かけて構想すら浮かばなかったロングを、残り半月、いや、推敲の時間を確保するためにさらに短い時間で書ききる必要があるのだ。


 数秒悩んでから、メモのデータをすべて消去した。それと同時に、私の中の悩みの種もすべて消去された。後は書くんだ。書いて、書いて、書ききるだけだ。


 そして、執筆を始めようとして……。


 ふと、メッセージアプリのアイコンに【1】という数字が付いていることに気が付いた。


 もしかして、美月が?

 恐る恐るその数字をタップすると、画面上に思いもよらない言葉の羅列が並んでいた。そこそこ仲が良くて、そこそこ一緒に遊ぶ、そこそこの友達から。


「そういえば美佳、夏休みの宿題、終わった? 一緒に勉強しようよ」


 気づけば水分不足に陥っていた。きっと、冷や汗のかきすぎだろう。深呼吸をして、水を飲んで、また深呼吸をして、布団もかぶらずに眠った。


 ♦


 8月25日。始業式。

 校長先生のあの長ったらしい演説が行われた忌々しき日から、夏休みが始まった幸ある日から、一か月が経過した。


 学生の本分は勉強。宿題に休み明け考査、それから全く理解できていなかった教科の勉強で、あの日からの時間はすべてが消えてしまった。


「あぁあぁあぁあぁあぁ」

 半分泣きながら、机に伏せる私。普段だったら、美月が『おいおい美佳、どうしのさ』って茶化しているところだろう。けれど今は、周りに誰もいない。


 作品の提出締め切りは、9月8日。まだ間に合う……なんて、そんなわけがなかった。

 2週間で、ネタ出し、執筆、推敲、すべて終わらせる?

 二か月あってもできなかったのに、今から終わるわけがない。


「くそぉ、どうしよぅ……」

 現状を理解して、冷静になろうとすればするほど、涙がこぼれそうになった。今、一粒でも涙をこぼしてしまえば、声を上げて泣き出すのは想像に難くない。


「どうしよう……まずなにより、今ここで黒歴史を作らないようにしないとぉ」


 いったん口を手で塞いでみた。

「む~。む~」

 声が漏れる。失敗。


 ならば、シャーペンを腕に突き刺して、痛みでなんとか……

「い、痛いぃぃ」

 よし、逆効果。


 どうしよう、本当にどうしよう。


 ただ、さすがにこれには同情もしていただきたい。一年前から楽しみにしていた甲子園に参加できなくなってしまったのだから。

 ショートのデータを消していなければ、最低限、提出する、という作業はできただろう。けれど、その【妥協案】すら消えてしまったのだ。


「どうしよう……ほんとにどうしよう……」

 どうしようかと悩む脳内とは裏腹に、腕は一か月前のことを反射のように繰り返していた。ノートパソコンを取り出し、メモアプリに執筆を行う、その繰り返し。

 こんなことしても、きっと何の意味もないのに。なんの意味も……


「……あれ? 案外、書ける?」


 思っていたものと違う展開が起こった。ショート部門は今まで何度も書き、何度も修正してきた。その文章が、脳内にこびりついていたのだろう。


 これは、もしかするといけるかもしれない。


「それなら書くぞ! 書くしかないんだ! せっかくなら、本気の一作を書ききるぞ!」


 気が付くと、目を少し腫らしたままで席を立っていたらしい。かなり前にも似たような経験をしたが、今はあの時と少し違う。希望しか抱かず、現実を見ようとしなかったあの頃と違い、絶望と希望とをすべて抱え、現実も理想も見据えて、それでも小説を書こうと決意している。


 あの時よりも、青春を強く感じた。


 ♦


「やっと、終わった……」

 現在、9月3日、放課後。ショート部門の執筆は終えて、いよいよ最後の推敲の段階まで到達したのだ。

 昼休みの時点で残り100文字程度というところまで書けた自分を誇らしく思うと同時に、終礼後にまで教室に残って執筆をするという判断を取った自分によくやったと賛辞を贈りたい。


「推敲……書きながら何回も読み直したな……一旦やらなくてもいいや!」


 完結ブーストがかかった私は、勢いに任せて、ノートパソコンをバタンっと閉めた。思ったより大きな音が鳴って、少しびくりとする。

 教室には何が楽しいのやら、残って勉強している人がいくらかいる。迷惑になっていないかと不安になってあたりを見回してみた。うわ、みんな私の方見てる、なんだか気まずいし、さっさと帰ってしまおう。


 と、そこで、思ったより残っているクラスメイトの中から、見知った存在を見つけた。


「美月……」


 久しぶりに、その名前を呼んだ。

 意図的に目を合わせないようにしていたであろう美月も、逃げられないと悟ってか、ばつが悪そうに目を合わせる。


「えっと、書けたよ、私。書き直したんだ、ショート部門」

「そうなんだ。やっぱり、私のアドバイスなんていらなかったかな」

 乾いた笑いをこぼしながら、美月は席を立つ。それに倣って、私も立ち上がり、そのまま廊下へと出る。


 下駄箱までの道のりがひどく長く感じる。8月ほどではない、けれど厳しい残暑の熱気に顔をしかめつつ、何を話すべきかとか、そもそも何かを話すべきなのかとか、そんなことを考える。


「美佳、ごめん。私、めんどくさかったよね」

 そんな思考を美月の一言が遮った。


 そんなことないよ、と言えたらよかったのだろう。でもあの日、美月に対してあれだけ言った私が何か言ったところで、嘘にしかなりえない。例え私が本音で語っていても、美月はきっとそう受け取る。


「私、あれからいっぱい迷ったんだ。ショート部門、書き直そうってアドバイスしようかなって思ったし、ネタ出し、手伝おうかなとかも思った。でも、今私が何か言ったら、また逆効果になる気がして、怖くなってさ」

「そんなことないよ!」


 気づけば、下駄箱までついていた。

 もう叫び声にも近しい状態だった。お互いがお互いのことを思いやるが故に、お互いのことを傷つけあっている。それでも、思いやることはやめられなかった。


「美月がいなくても私は結局ああいう作品を書いてた。私はただ、あの日、何か別のものの責任にしたかっただけなの!」

「それでも、美佳のあの日の言葉は、全部本音なんでしょ!? じゃあ言ってよ! きれいごとで埋めようとせずに、私は美月が嫌いだった、って、そう言ってよ!」


「いやだ!」


「なんで!?」


「だって、美月のおかげで、今日まで小説を書き続けられたんだから!」


「わけわかんない!!!」


 二人はもう、外に出ていた。

 夕焼けの橙色が校舎を淡く染め上げている。その光が眩しくて、でも、ブルーライトに目を焼かれた私にはもう、それをうっとうしく思うことはできなかった。


「わかんなくないよ! 美月が私の小説をほめてくれたから、私は頑張れたんだよ!」

「だから、それがわかんないの! 私は普通のことしか言ってない。悪口だって言ったのに、どうして美佳は、そんな私を尊敬のまなざしで見つめてくれるのさ!?」


 美月は、私から逃げるようにしてその場を去る。

 いつもなら、このまま自由に逃げさせるだろう。でも、私は納得ができなかった。


 私が心から信頼する唯一の友達の悪口を言うものは、たとえ本人であろうと許せない。


「待ってよ! 美月!」

 涙を流す暇もなく、私は全力で美月を追いかける。

「来ないでよ! 美佳が来てくれたら、私、いい存在だったんだ、っておもっちゃうから!」

 それでも美月は全力で逃げ続けた。走って走って、あたりが見えなくなるくらいに集中して走り続けた。


 あたりが、見えなくなるくらいに……


「美月! あぶない!」


 考えるより先に体が動いたのは、甲子園に向けて執筆を始めてから何度目のことだろう。耳をつんざくようなブレーキ音とともに、私は一瞬、宙を舞った。


 ♦


 車に轢かれたとは思えないほどの軽傷で済んだらしい。少し痛む左腕に顔をしかめながら、パソコンを眺める。画面には、事故に遭う数分前に完結した短編小説が映っていた。

 入院中でも、やってることは普段とそう変わらなかったのは、甲子園にまだ未練が残っている証拠だろう。


「推敲……ほんとにやらなくてもよかったじゃん」

 一縷の安心感と少しの不安に包まれて、そのまま寝てしまおうか、なんていうとりとめもないことを考えていた。


「タイピングは……できるわけないよね」

 当たり前のことだ。利き腕を封じられた状態で、両腕を使う必要があるタイピングが難しいということなど、考えなくてもわかるはずだった。

 事故に遭ったという事実で動揺していたのだろう。そんな当たり前の事実にすら気づけなくなっていたのだ。

 この状態では、自分がロングを提出することなど不可能だろう。ただでさえ【時間】という障壁があったのだ。ネタが完成したところで、書ききる見通しはない。


「まぁ、来年があるしね」

 自分が嫌っていたはずの『来年』という言葉を使うのも、今回ばかりは逃げではないと、そう信じたかった。この経験を糧にすれば、来年、より良い作品は作れるはずだから。


「うん、今日は寝よう。それで、早く治そう」

 そう言い聞かせて、部屋の電源を消した。デジタル時計の19:00という薄い光も、暗闇の中ではやけに映えて、アイマスクがなかったかと、自分の荷物を漁る。

 自分の荷物のガサゴソ、という音に、少しの安心感を覚えた。ここの部屋はきれいすぎる。もっと私の部屋と同じくらい汚くてもいいのに。


 そんな物音に交じって、ガラガラ、と、やけに異質な物音が響いた。

「あれ? 美佳、もう寝るつもりだったの?」

「そ、その声は……」


 アイマスクをつけて視界が封じられた私でも、さすがにわかる。私をこんなことにしてくれた、すべての元凶。そして、私の信頼する友。

 急いでマスクを外して、電気をつけて、そして確信する。


「美月じゃん! もっと早く見舞い来てよ!」


「仕方ないじゃん、警察の事情聴取とかあったんだし。というか、なんでこんな早く終わったの、聴取」

「知らないよ、私に聞かないでよ」


 こんなしょうもないやり取りが、なんだか懐かしく感じる。少し前までは当たり前だったはずなのに、今の今まで、忘れていた。


 そこらへんにおかれた小さな椅子に美月が小さく腰掛ける。

「あの、その……」

 おそらく美月は、いい感じに話ができる雰囲気をつくれたはいいけれど、ここからどうやって話を広げていこう、とか考えているんだろう。

 何年友達やってきたとおもっているんだ。私に任せなさい。


「いいよ別に。ムカついてるし腹立つし、あとムカついてるけど」

「全部一緒じゃん」

「でも、美月が無事なら、それでいいよ」


 これは本音だった。私のせいで美月に何かあったら、後味が悪いのはこっちなんだから。

 でもそれは、きっと美月も同じなんだって、それもわかっていた。


「ねぇ、私、ずっと美佳に迷惑かけてばっかりで、ほんとにごめん」

 一つ一つ、自分の感情に合った言葉を選んでいる、といった様子の美月。きっと、もっと話したいことはあったのだろう。でも、これで終わらせた。それは、自分が何も言う権利がないと思っているから。


 私も、美月に八つ当たりしたあの日、美月が私に何かしてくれるはず、と願う権利がないと信じ切っていた。けれど、美月は私に何かするべきか何度も悩んで、何もしないほうが私のためになると結論付けて……。

 自分だけが深く思い詰めているんだ。相手の気持ちなんて、他人がはかり知れるはずもないのに。


 なら、私にできることは一つ。


「なら、私、ちょーっと美月にやってもらいたいことがあるんだよなぁ」

「え、な、なに」

 美月の座る椅子が、少しだけガコンと音を立てる。そんなに怖がらないでおくれ。


「いや、美月、贖罪したいって感じだったから。違った? まぁ、違っても強制で手伝ってもらうけどねぇ」

「は、腹立つ! 何が腹立つって、全く以って美佳の言う通りなのが腹立つ!」

「ふっ、私が美月と何年友達やってるとお思いで?」

「な、なにそれ!」


 美月は軽い怒りのともった表情で私を見つめ、そしてぷっと吹き出した。


「あはは! なんか美佳、変な顔してる!」

「何それ!? 悪口じゃん!」

 と、口では悪態をつきながらも、私は内心ですごくホッとしていた。美月が心から笑っている姿を見るのが久しぶりだったから。


「じゃあ、はい! 椅子に座りなさい! 今から、命令をいたします!」

「ははー! 美佳様ー!」

 すっかり調子の戻った様子の美月に、一つ咳をしてから命じた。


「そこのスマホから、私のショート作品をカクヨム甲子園に提出してちょうだいな!」


 え、それだけ? と言わんばかりの表情の美月に向かって言葉を続ける。

「さっきも言ったでしょ? 私が小説を書き続けられたのは、美月のおかげなんだから。だから、美月にも私の作品にかかわってほしくて」

「で、でも、せっかく美佳が何回も書き直した作品なんだから、美佳が提出したほうが、絶対にいいと思うんだけど」

「私の命令が聞けないって?」

「はい、すぐに提出させていただきます」


 いつもは私が美月にいじられてばかりだから、今日ばかりは愉悦を感じざるを得ない。


 ただ、実際にこれは私が提出してもよかったと言われればそうとしか言いようがない。私一人で行えてしまうから。わざわざ美月にやってもらう理由はそこまでない。

 もしかしたら、心変わりして来年以降、甲子園に作品を提出しなくなるかもしれない。あるいは、もう小説を書くことすらやめてしまうかもしれない。一生に一度かもしれない提出。私がやればよかったかも、そんな後悔がないといえばうそになる。


 けれど、二つ目のお願いだけは、違う。


「では、二つ目の命令です!」


 私だけじゃ、絶対にできないこと。


「美月には、今から私が話す言葉を一言一句逃さずに、メモってほしいんだよね」


 美月がいないとできないこと。タイピングができない私のアイデアと、正確に物事を判断できる、冷静な美月と、この二人だからできること。


「これが甲子園に出せるなんて、そんなことは思ってない。だってこれはただ、1年間の青春を棒に振った、むなしいだけの話だから」


 でも。


「でも、これは、物語として、残しておきたいから」


 事実は小説よりも奇なり。この世界が事実だという確証はないけれど、はたからみれば、ありふれた物語かもしれないけれど。

 私が作った物語よりも、私の周りが作ってくれた物語のほうが私は好きみたいだから。


「じゃあ、いくよ?」


 ありがとう、美月。ここまでお疲れ様。長かったよね。ほら、もう午後の2時だよ。でも、おかげでいい小説が書けたって、そんな気がする。

 じゃあ、あと最後一行。これだけ書けたら、この物語は一旦おしまい。

 これからもよろしくね、美月。


「『宣伝が足りず、カクヨムコンの結果は散々なものに終わった』 え? カクヨムコン? 全部カタカナ!」

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甲子園を描きたくて 大地ノコ @tsutinokodayo

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