第7話 メアリーの恋愛相談所 ~元男爵令嬢はかく語りき~


平民街では比較的高級な部類のアパルトマンの一室に、もうずいぶん前、数年、いや十数年か、とにかく以前からなかなか予約の取れないと有名な相談所がひっそりと置かれていた。




そこは平民街にあるというのに、貴族、下位貴族は元より、上位貴族やはたまた王族のだれそれも通ったことがあるとか、他国の王妃様がお忍びで通われたとか、何かと話題の、しかし大っぴらには語ることの出来ない、そんな場所である。






その日も、侯爵夫人に伴われてさる令嬢がそっとアパルトマンの裏口からやって来た。


その服装は、一見して裕福な商家の母と娘と言った風貌であるが、その所作の美しさからは隠しきれない気品のようなものがチラチラと見え隠れしていた。






古い従業員用の階段から2階へと上がり、一番奥の部屋の前で息を整えてから、母親と思わしき人物がドアノッカーを三度、トントントン、と叩いた。




すると暫くして、頭頂部が薄くなった金髪の髪を撫で付けた、背の高い青白い顔で目付きの悪い男がドアを開けた。




「合言葉は?」


「三頭の鹿」


「入れ」




そして二人が入ると途端に、ガチャリと鍵をして




「ついてこい」


そう言うが早いかどんどんと廊下を進んでしまう。


母娘は急ぎ足でその後を追いかける。




二人が追い付く手前で一番奥の部屋のドアをドンドンドンと叩き、返事も待たずにドアを開けた。


「入れ」


たいそうぶっきらぼうで失礼な態度のその男は、二人が入ったかどうか確認もしないで、バンっと音をたててドアを閉めてどこかへと行ってしまった。




その部屋は奥に細長い造りで、全体的に薄暗く、天井から長さの様々な薄い布が垂れ下がり、甘いバニラのような香りが漂っていた。




その一番奥から声がかかった。




「どうぞ、布を気にせず奥までお進みください。」


その声は、どう聞いても老年の女性のもののようだったが、奥に進んで小さなティテーブルと小さな4人がけのソファから立ち上がって母娘を見ている女は、老年と呼ぶには些か申し訳ないくらいの可愛らしい見目で、ピンクブロンドの髪を肩くらいで切り揃えて、毛先をゆるくふんわりカールしてた。


「本日はお待ちしておりました、三頭の鹿の奥様とお嬢様。どうぞ、お掛けください。」


そう言って、二人に席を進めた。




「混んでいるところを、割り込むような形でお願いしてしまって申し訳ありませんでしたわ。本日はどうぞよろしくお願いします。」


そう夫人が答えて、席についた。


「どうぞ、よろしくお願いします。」


蚊の鳴くような小さな声で、娘も母の横に腰を下ろした。






「さて、ここでのことは他言無用でお願いします。それがお互いの為ですからね。私はメアリーと申します。今・は・平民ですから姓はございません、只のメアリーです、フフ」


やっぱりちょっとしゃがれた更けた声で、そう如何にも訳・有・り・そ・う・なことを口にして皮肉げに小さく笑った。




「こちらこそ、どうぞ今回のことはご内密に。」


夫人は前のめりでそう言うと、チラリと、娘の顔をみて、ハァーと深いため息を吐いた。


娘は娘で、座った後、テーブルの年輪でも数えているのか、一向に顔もあげず表情が見えない。




「ええ、ではまず確認から。奥様の予約時のお手紙にあったように、お嬢様の身分違いの恋人についてで間違いないでしょうか。その差というのもお嬢様の方が上、お相手が下、で宜しかったかしら。」


夫人の顔をみながらメアリーがゆっくりとした口調で聞く。




「ええ、そうです。」


夫人は眉間に深い溝を掘り、眉を上げて答えた。




「では、その差ですけれど、小麦粉で出来た食べ物に例えましょうか、甘いクッキーかふわふわの白いパン、固めのパンかしっかり焼き固められた日持ちのする黒パンのどれでしょう。」


メアリーは比喩を使って相手の身分を探ろうと質問をした、甘いクッキーやふわふわの白パンは上流階級王家や高位貴族を表し、固めのパンは下位貴族か富裕商人、焼き固められた日持ちのする黒パンは農民や平民を表していた。




「日持ちのする固い黒パンか、もしくはそれすらも無くジャガイモを食べるやもしれませんね。」


そう夫人は絞り出すような声で言い捨てると、自分の顔の半分を覆った。




「それはそれは、随分な身分差ではありますわね。つまりお嬢様は貴族の身分を捨てて愛に生きると、そう言うことかしら?」


下を向いて一向に顔を上げず会話にも入ってこない娘にメアリーが声をかけた。




「・・・・・・」


しばらく無言で動かない娘に、メアリーは辛抱強く黙って視線を向けていた。




「・・・いいえ、きっとパンくらいは食べれます。そんなに酷くないわ。」


娘はそう言って、キッと横の母を睨み付けて、自棄っぱちのように答えた。




「へえ、そうなんですね。では、今から私の独り言を聞いてくださいな。」




この話は、ここでは無いある国の貴族のお話です。


とある高位貴族のご令嬢とその国の王子が幼き時に婚約を結んでいたのですが、最近の流行りのように、その王子はその婚約者のご令嬢と婚約を破棄して、ある男爵家の庶子を新たな婚約者にしたのです。




ただ、その王子は王家の夜会で衆人環視の場で婚約破棄を告げた訳でも、貴族学校の卒業パーティで婚約破棄を告げた訳でもございません。


キチンとご令嬢とその親のご夫妻に自身の不出来を詫び、自分の親の国王と王妃にもその旨を告げました。




「お前は何を言っているのだ!一時の感情で婚姻を決めるなど、王族とも思えないその浮わついた心根、王家にふさわしくない。もし今ここで撤回するのなら、わしが相手の親に詫びてこの件を無かったことにしてやろう。」


そう怒りに震える国王を前に、王子はまっすぐに目をみて




「いいえ、父上、いや国王陛下。私は自分のこの恋心に嘘はつけない。それは婚約者の彼女にも失礼になる、胸に他所の女への恋慕を抱えた男など不実でしかない。私は婚約を継続することが出来ない。」


そう熱く熱く語ったのだった。




「ば、馬鹿者が!そんな一時の感情に流されるなど、お前には王家の資格は無い!王位継承権を剥奪し、王籍も抹消する。もうお前とは親子ではない、ここから即刻立ち去れ!もしも、お前の子が出来て王位を主張できぬよう断種処置もする、この者を引っ捕らえ、そしてそのように処せ!」




国王はそう告げてそこから立ち去り、この間一言も発声しなかった母の王妃はその顔を青ざめさせ、そして一言こう言った。




「三ヶ月。後悔するまでの日数だ、愚か者。」






ここまで一息で話したメアリーは、話を一区切りして、ほうっと小さくため息をついた。




「それで?三ヶ月でどうしたの?」


すると下を向いていた娘が顔を上げて、メアリーに話の先を促した。




「ちょっとお待ちになって、喉が乾いたわ。今お茶を淹れますから少し席を外しますね。」


そう言って、ドアから出て言ってしまった。




娘と夫人はお互い顔を見て、またお互いそっぽを向いていた。




10分ほどしてメアリーはお茶セットをワゴンで運んで来た。




「お待たせしました。この茶葉は頂き物なんですが、高級だそうでとても美味しいですよ。」


そう言って、慣れた手つきでお茶を注いで、二人にも出してくれた。


自分の分のお茶を注いだカップもテーブルに置いて、どうぞと勧めてから、カップに口を付けた。




「はあ~美味しい。」




母娘もお茶に口を付けると


「まあ、本当に香り高い。これは高級というだけありますわね。」


「フワーっと香りが鼻に抜けるよう。美味しい。」


そう言って、笑みを浮かべた。




「さて、続きですね。ここからは相手の男爵家の庶子の話になりますよ。」




王子が婚約者と別れ、自分をお嫁にしてくれると言われた男爵の娘は、《玉の輿に乗った》と思い、父の男爵にその話をした。




すると、父は烈火のごとく怒り出し、庶子の髪を持って引っ張り回し頬を叩いたあげく、


「もうこの国でやっていけない!お前など養子にするんじゃなかった!」


そう言って大いに嘆いた。




そして、屋敷や家財、馬車に衣類、やっていた商会をスゴい早さで売り捌いて、夫人を連れて夜逃げをしてしまった。


庶子の娘は自分の部屋に閉じ込められていたので知らなかったのだが、夜が明けるとガヤガヤとした男の野太い声が聞こえたかと思うと、部屋の扉を開けられて破楽戸の男たちに押さえつけられてしまった。




「この家に有るもの一切合切は俺が買った。お前もついてきたようだが、曰く付きらしいな。着の身着のままで出ていくのなら、見逃してやろう。」


そう脅されて、取るものも取らず逃げ出した。




父に捨てられた今、行く宛も無い。




王子には話がつくまで王宮には近寄ってはいけないと言われている。


とにかくこの窮状を伝えなければと、王子から貰った髪飾りを売って金にして紙とペンを買い、手紙を書いた。


いつになったら会えるのかもわからないので、貴族学校の門を隠れて見張り、王子の馬車が通ったら渡そうと毎日毎日貴族学校へと向かった。


宿屋に泊まる金も無いので、男爵家に引き取られる前に死んだ母と住んでいたあばら家に勝手に住み着いて、そこに置いてあった埃まみれの母のお古の服をきて過ごした。




数週間が過ぎた頃、貴族学校の門で不審者として通報されて憲兵に捕まり、取り調べを受けた。


そこで、『王子に手紙を渡したい』ということを告げると、初めは鼻で笑っていた兵だが、『あの王籍を剥奪された王子か!』となり、連れてきてくれると言う。




やっと助かると涙を流して、王子に会えるのを楽しみに待っていると、連れてこられたのは今までの光輝く美しい王子様ではなく、うす汚れた覇気の無い顔色の悪い青年だった。




相手も庶子に会えると喜んでやって来てみれば、そこには着古した埃っぽい平民服を着た小汚ない女が泣いて待っていた。




二人ともこんな相手の訳が無いと各々兵に言うが、間違いなくお互いの真実の愛の相手だと言う。


そして会えたのだからすぐに出ていけと追い出された。


この時はまだ庶子は気がついて無いが、これからが本当の地獄の始まりだったのだ。




手持ちの資金も無く住むところもない元王子は、庶子について来たのだったが、勝手に住み着いているあばら家に『こんな所人の住む場所じゃない』と言う。なら出ていけばいいのに、文句を言うだけ言って座り込み飯、お茶、風呂と矢継ぎ早に命令をした。




「ご飯を食べるにもお金が必要なのよ、あなたのお金が無いなら食べれないわ。お茶ってとっても高級なのそんなものあるわけ無いでしょ?風呂?風呂なんてどこにあると思うのこのあばら家に!」


そう言うと、なら風呂のある家に引っ越すと言う。




「ぜひそうして頂戴。そのお金はどこにあるの?銀行?」


ちょっと期待してそう言うと、


「王家からは無い。元婚約者に慰謝料として私の資産から払われてしまった。私は今お金などない。」


そう胸を張って答えた。


「え?じゃあ、これからどうするの?王様と話をつけるから待っていてくれと言ったじゃない。」


「そうだ、話した結果がこれだ。私はお前との愛を優先したのだ、これからの生活はお前が負担するべきだろう、私はお前の為に全てを失ったのだから!」




そう偉そうに言い張った。




あの、優しく蕩けるように甘かった王子様は、王族を辞めたらただの偉そうな穀潰しに変わってしまった。




それから毎日毎日、お互い罵り合いである。


しかし、腹は空く。


しょうがないので、庶子は町の外れの飯場の飯炊き女として雇われて働きだした。


そこは賄い付きだし、余りがあれば貰って帰れるから。




朝、日が出る前に家を出て、夜遅く帰宅する日々。


しかし、そこには寝っ転がって何もしないで文句ばかりを言う男が居るだけ。




そんな日々が続いて、さすがに腹が立って、


「あんたいい加減に働いてよ!文句ばっかり言って!何が王子よ、働くこともできないなんて!信じられないボンクラだったのね!」


そう怒鳴り付けた。


「言わせておけば、いい加減にしろ!」


そう言うと元王子は庶子の頬を殴った、そのはずみで庶子は目尻と口の中を切り血を垂らした。


「お、女に手を挙げるなんてサイテーよ!あんたなんて大っキラい!出てってよ。」


そう庶子が血を流しながら叫んだ。


「あ・・・」


元王子はその血を見て正気に戻り、庶子の言葉に怯んであばら家を飛び出した。




元王子も働き口を探して歩いていたのだ、庶子の女が飯場で働いている間に。


文字もかけるし、計算もできる。


だから商家に勤め口が無いかと聞いて歩いたのだが、そこで現実を知ることになる。




「あんた、元王子だろ。浮気で婚約破棄したって噂の。商売ってのは信用が第一なんだ。


結婚っていう将来を誓った家と家の契約を違えるヤツに金勘定させるヤツはいないよ。




この国中どこへ行ってもないだろうな。


あんたの元婚約者の家はこの国一番の資産家だ、どこの貴族もどこの商人も辿っていったらあの一族に辿り着く。そんなとこを敵に回してまであんたを雇いたいってヤツはいないだろう。




教えてやるだけ俺は優しいだろ、無駄足を踏むのも今日で終わりだからな。」




そう言われ、現実を知ったその日に、その後すぐに穀潰しと言われたのだ、愛するために全てを捨て去ったその女に!そして、力に任せて殴り付け、血を流すほど傷つけた。




飛び出しても行く宛も無い、気づけば王城についていた。


門番にすがって王妃に母に取り次ぐように願いでた。


門番はとても嫌そうに顔をしかめて、手を振ってあっちへ行けと怒鳴る。


それでも、もうすがる相手が母しかいないと何度も頼んですがり付いた。




足蹴にされて、地面に転がされ、擦り傷から血が滲んだ。




元王子の心情のように、空も泣いているような強い雨が無情にも降りだして、倒れた元王子を濡らした。




それから、どれくらい濡れながら門の側に座り込んでいたのだろう。


元王子に王妃からの伝言が伝えられた。




王妃付きのメイドは元王子に向かって、労りもせずに一言


「ね、三ヶ月だったでしょ、だそうです。早く立ち去ってください、そうしないと憲兵を呼びますよ。」




濡れて庶子の女のあばら家へ行くとそこには女の姿は無かった。




あの後、血の付いた服のまま飯場へと戻り、どこか別の国へと逃がしてくれと頼み込んだ。


顔が腫れたひどい有り様の女を不憫に思った親方が、隣国まで資材の買い付けの馬車に忍ばせてくれた。


そうして、一月かけて隣国の首都で新たに働き口を探して生活を始めたのだった。






「まあ、それじゃあその女性は逃げれたのですわね。」


そう夫人はホッとした声をあげた。




「いいえ、とんでもない。数年後、その庶子の女の元へとその元王子がやって来るのです、お前のせいで全てを失った責任を取れと言って。


そう言って現れたのを見た庶子の女は気絶して倒れてしまったんですよ、恐怖でね。




しかも国が変わっても、時間が経っても、相変わらず生活全般を女に依存して威張るだけ。




やっとドアマンの真似事が出来るようになったくらいかしら?寝っ転がっているのにお茶一つ淹れやしないんですよ、でも淹れさせても美味しく出来ないから、せっかくの茶葉が勿体ないのでね、やらせないのですよ。」




そう言うメアリーの目元には化粧で隠しきれない傷跡が残っていた。




「お嬢様、お嬢様は逆のパターンだと思いますけれど、例えば腕の良い庭師だったとしても、三頭の鹿と敵対した庭師を抱える貴族はいません。




ましてや平民は巻き込まれるのはゴメンと蜘蛛の子を散らすように居なくなります。そうして、お金が無いという現実が目の前に迫って来た時に、ある言葉が絶対お嬢様の脳裏を過りますよ。


《後悔先に立たず》ってね。




私が言えるのはそれだけですよ。」




そう言って、皮肉げに口許を歪ませた。




侯爵家の母娘はお互い静かに目を見合わせて、冷めたお茶を一口飲んだ。


母が目で娘に語りかける。


娘が小さく首を振る。




「今日はどうもありがとうございました。」


そう夫人が言葉をかけ、娘が小さく頭を下げた。




「お役に立てたら幸いです。ぜひ玄関を出るまで、ドアマンをじっくり見てやってください。お嬢様の恋の行方がこちら側に来ないことをお祈り申し上げます。」


メアリーはそう言うと、ベルをチリンと鳴らした。




すると、ドンドンドンと忙しないノックが3度されて、返事の前にドアが開けられる。


そうして早く帰れというような目で母娘をみて顎をしゃくった。




「ヒッ」


娘は息を飲んで怯えた顔をし、母に促されて立ち上がると、先をどんどん歩いて行ってしまうドアマンを母娘は小走りで追いかけた。




「毎度ありがとうございました。」


その後ろ姿に、メアリーは首を傾げてそう言ったのだった。

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