ダッチマン

第1話

俺は、物心ついたときから二重人格だった。

もう一人の人格が、自分の中にいることに気づいていた。


これから別の人格のことを「あいつ」と呼ぶ。

あいつは優しくて、誠実だった。

……それが、時に弱さにもなる。


だからこそ、俺が助けなければならなかった。


あいつが喧嘩に巻き込まれれば、俺が出て殴ってやった。

あいつが緊張して立ちすくめば、俺が出て発表をこなしてやった。

あいつが眠るときは、俺が代わりに目を覚まし、身の安全を守った。


――それなのに、あいつは俺のことを「怖い」と言った。

守ってきたのに。

あいつは、俺を「消したい」とさえ……言っていた。



僕は、ある日からたまに「僕じゃない時間」があることに気づいた。


最初は、いつものように親から虐待されていたときだった。

気づけば、親は怯えた目で僕を見ていた。


近づこうとすると、親が叫んだ。


「こっちに来るな! バケモノ!」


……それが、始まりだった。


その日から、時々、意識が飛ぶようになった。

最初は、それでよかった。


学校でいじめられても――気づけば、いじめっ子はいなくなっていた。

緊張で声が出なくても――気づけば、発表は終わっていた。

運動が苦手でも――気づけば、運動会は過ぎ去っていた。


ある日、学校の先生のつてで、病院の先生に診てもらった。

そこで僕は、「解離性同一性障害」と診断された。


――もう一人の人格がいる。


彼は僕よりもずっと強くて、度胸があって、運動もできるらしい。


でも、それは僕が望んだタイミングで現れるわけじゃない。

僕には、彼をコントロールすることができない。


それに、彼は僕のことを知っている。

僕は彼のことを、何も知らないのに。


数年後、僕は、好きな人ができた。

彼女と話したり、一緒に遊ぶ時間がとても楽しかった。

不思議なことに、彼女といる時は、「彼」は一度も現れなかった。


だから僕は、思いきって告白しようと決めた。

緊張で、心臓の音がうるさいくらいだった。


……気づけば、僕は振られていた。

何が起きたのか、分からなかった。

彼女の友達にまで嫌われていて、周りの視線も冷たくなっていた。


僕の知らない「僕」のせいで――

僕の大切な場所が、失われていった。


――彼さえいなければ。



俺は――あの女が、あいつに好意なんて持ってないこと、最初から知ってた。

なんなら、あいつを使って遊んでた。おもしろ半分で、まるでオモチャみたいに。


だから言ってやったんだ。


「これ以上、俺で遊ぶな。このブスが」


……そして、突き飛ばした。


すると、あの女は鼻で笑って、こう言った。


「へぇ〜。気づいてたの。

いつも頭お花畑だから、このまま告白されるかと思ったわ」


そのまま、取り巻きの女たちと笑いながら去っていった。


俺は、あいつを守った。

……ちゃんと、守ったつもりだった。


それなのに、あいつは今でも――

俺のことを、「消したい」って言うんだ。



僕はあれ以来、カウンセリングを受け、人格を統一しようとした。

敵意を向けられない、穏やかな場所に引っ越して、

「彼」が生まれた原因そのものを、取り除こうとした。


そのおかげで、意識が飛ぶことはほとんどなくなった。


ある夜、僕は不思議な夢を見た。

知らない男が、優しい目で僕を見つめていた。


近づくと、彼は微笑んで言った。


「俺は、おまえを助けてたんだ。けど……完全に嫌われたなら、仕方ない」

「おまえを守るために――消えてやるよ」


そう言って、彼は静かに消えた。

目が覚めた時、涙が頬を伝っていた。


それからというもの、「彼」は二度と現れなかった。

僕は人格が統一され、平穏な日々を送るようになった。


数年後――同窓会が開かれた。

本当は行きたくなかったけれど、当時、隣のクラスで唯一話せた友達に誘われて、参加した。


会場の奥に、彼女がいた。

僕は気まずさと罪悪感で、近づけずにいた。


すると友達が、隣でぽつりと言った。


「久しぶり。……なあ、おまえ、まだあの子のこと引きずってるのか?

やめとけよ。悪行バレて、フッたんだろ? あの子、性格も変わってないらしいし」


……悪行?


「えっ……悪行って、何のこと?」


そう尋ねると、友達は静かに語り出した。


僕のことを「キモい」と笑っていたこと。

弄んでいたことを武勇伝のように話していたこと。

彼女の親が権力を持っていて、学校では誰も逆らえなかったこと――


僕は、何も知らなかった。

あのとき、全てを背負ってくれていたのは――彼だったんだ。


僕は彼を拒んだのに、

彼は僕を――なんの見返りもなく、ずっと助けてくれていた。


……僕は、それに気づくことさえ、できなかった。


終わった後、家に帰り、鏡を見てこう言った。


「……ありがとう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダッチマン @trystophan_7k15d

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ