2 noon
僕たちはその後もただのクラスメイトだった。だからあの朝のできごとは、まるで夢みたいだった。
だけど津野田は宣言通り中間・期末と満点を取って、東京の学校に転校した。急に津野田がいなくなってみんなびっくりしていたけれど、僕は驚かなかった。そして僕は、あの朝のできごとは夢じゃなかったのだと改めて知った。
津野田がいなくなった次の日の朝、僕はあのショッピングモールに行った。馬鹿みたいに大きな駐車場と馬鹿みたいに大きな赤い建物が僕を待っていた。だけどそこには津野田はいない。だってあいつは東京へ行ったから。
それから何度もショッピングモールに行った。当たり前だけれど、何度行っても津野田に会うことはできなかった。
それから数年経って、俺の上京が決まった。
東京の大学に合格したのだ。第二志望の、平凡な私立校。親の仕送りに頼りながらではあるものの、念願の一人暮らしをすることになった。
親は、俺が東京に行くことに反対しなかった。あまりにあっさりと念願が叶って、俺は拍子抜けする気分だった。
夜行バスで東京へ向かう。普通に眠れた。俺が住む二十三区内の内見済みの1Kの部屋。まだ荷物も届いていないそこにたどり着いた俺は、あの日のように猛烈に叫びたい衝動に駆られた。でも、壁が薄いから我慢する。いきなりご近所トラブルは御免だった。
大学生活が始まって、履修登録だとか、サークルへの勧誘だとか、なれないままに慌ただしく四月は過ぎて行った。それでも、俺の頭の片隅にはずっと津野田の名前があった。
連絡したかったけれど、何となくできなかった。
上京前、津野田の名前をネットで検索したら、有名国立大学の首席合格者として名前が載っていた。
僕は気が引けてしまって、なんだか連絡できないでいた。
あんな約束、きっと津野田は忘れてる。
もし覚えていたとしても――きっと、どうでも良いと思っているだろう。
加入したラクロスサークルの飲み会(といっても未成年はソフトドリンク飲み放題)が終わって、新しくできた友人の家で二次会をして、朝帰り。
初めて乗った始発電車は、それでもいっぱい人がいて、みんななんだかくたびれた顔をしていて、きっと東京はいつでもどこでも人が溢れていてもうあの景色はここでは見られないんだなと思う。
電車の向こうの空が明らんで、朝がこれからやってこようとしていた。俺は鼻歌をうたいながら自宅までの道を歩いて、家に着くと泥のように眠った。
起きると、スマホに通知が届いていた。SMSだ。連絡はほとんどメッセージアプリでしているから、こんな通知は滅多に届かない。来るのは、何かの詐欺メッセージくらいだ。
見ると、見慣れない番号からだった。
一言。
『飯行かないの?』
時間が止まったみたいだった。俺は実際しばらく固まってスマホの画面を見ていたと思う。
誰だろうと思わなかった。
津野田に違いないと思った。確信していた。
俺はスマホにかじりついて返信を打った。
『行く。いつにする』
すぐに返事が来た。
『今日とか暇?』
待ち合わせは12時。原宿。
そこに来たのは本当に津野田だった。
「よう」
津野田が俺に手を振った。俺はなんだか気恥ずかしかった。津野田は自然な感じで高そうな服を着こなしていた。
「そんなことないよ。これ、ファストファッション」
ひらひらとシャツを振りながら言う。
聞けば俺でも知っているどこにでもある格安ブランドだった。俺も今同じブランドを着ているはずなんだけれど、この違いはなんだろう。たぶん俺の着ているこのカラシ色のパーカーがダメなんだろうっていうのは、なんとなくわかる。
「いいじゃん、大学生って感じで」
津野田はそう言って笑った。あの日みたいな笑顔で、それを見れたからまあいいやと思う。
「こっち」
慣れた足取りで津野田は表参道を歩いた。人が多い。
「返事来ないかと思った」
前を向いた津野田がぽつりと言った。かき消されそうなくらい小さな声だったから、俺はなんとなく聞こえなかったふりをしてしまった。
「大学、どう」
しばらくの空白をおいて俺は問いかける。
「ああ、ぼちぼち」
「ちゃんとやってるってことね」
「うるせぇよ」
津野田が面白そうに笑う。
何年もの空白があって、そもそもそんなに話したこともないのに、俺たちは自然に会話ができていた。
津野田の足はどうやら青山に向かっていて、俺はこのパーカーで青山を歩くのはちょっと――いやかなり嫌だったんだけど、まあ、青山にいるような人たちは誰も俺のことなんて気にしていないだろうと考えて誤魔化す。
「ここ」
連れて行かれたのは俺も見たことのある洋菓子メーカーのカフェだった。綺麗な青い外壁が磨かれて光っている。地元でもこの菓子は何度か見たことがあるが、こんなとこでカフェをやっているのは知らなかった。
奥の窓際の席に案内された。
値段は大学生の俺にはもちろん高いが、ランチということもありそこまででもない。
目の前でメニューに目を落としている津野田を見ながら考える。
――こいつ、デートでこういうとこ来るのかな。
そう考えるとなんだかもやっとした気分になる。なんだこのもやっとは。
「ガレットがおいしいらしい」
メニューを見たまま津野田が言った。
「ガレット」
繰り返しながらメニューを見る。へえ。知らない食べ物だ。これが一番値段的にも手頃だった。ずいぶん慎ましいメニューにも見えるので、腹が一杯になるのかちょっと不安だったが、せっかくだ。
津野田と俺とで同じものを注文する。ウェイターがグラスに水を注ぐ。この水無料だよな。
「じゃあ、乾杯」
津野田が言った。俺もグラスを持って、かつん、と合わせた。
「嬉しいよ、その――津野田が、約束覚えててくれて」
忘れてると思ってた、とは言わなかった。
津野田はしばらく黙っていて、やがて話した。
「俺はあのとき、実は結構孤独だった」
津野田は窓の外に視線を向けた。俺も外を見た。青山の綺麗に整備された道に、おしゃれな服を着た人々が楽しそうに歩いている姿が見える。
「誰かに相談したかったけど、誰にもできなかった」
みんな買い物の紙袋を下げていて、そこにはハイブランドのロゴが誇らしげにプリントされている。でも、俺の気持ちはあのショッピングモールにあった。誰でも知ってる安いブランドのビニール袋を下げて、フードコートで食事をする、そんな風景。
津野田は続けた。
「だってそれって、なんだか裏切りみたいじゃないか。俺はここは居心地悪いんだって言ってるのと同じだろう?」
考えすぎだ、そう言おうと思って、そういうものかもしれないと思う。
ウェイターが静かに席に来て、注文したガレットの大きく四角い皿を俺たちの前に並べた。
津野田はフォークもナイフも持たなかった。俺もただ、話を聞いていた。
「だからあの日、あのショッピングモールで馬鹿みたいに暴れるお前を見たとき、ああ仲間がいたんだなって思った」
僕は思い出して恥ずかしかった。
「俺はあのとき、朝焼けの中で叫んでるお前を見て――」
俺は視線をあげた。津野田は鼻を人差し指でかいて、
「冷めちゃうな、食べようか」
そう言った。
ガレットは美味かった。上品な味、ってきっとこういうことなのだろう。
俺たちはとりとめのない会話をした。さっきの続きのことは訊かなかった。
それから原宿エリアをショッピングした。津野田はいろんな店を知っていた。安くておしゃれな服が買えるセレクトショップとか、あんまり混んでないけどちゃんと美味しい喫茶店とか。こいつはすっかり東京のひとなんだなと改めて思った。
「なんだそりゃ」
それを言うと津野田は呆れていた。
「東京なんて、ほとんど部外者ばっかりなんだから。もともと東京に住んでるやつなんて一握りしかいない。堂々としてればいいんだよ。そのうちわかってくる」
いつの間にか俺の手には大きなショッパー(紙袋とは言わないらしい)がいくつもぶら下がっている。
改築したという原宿駅。俺は前の駅舎をテレビの中でしか見たことがない。
「じゃあ、今日はありがとな」
津野田が言った。
「こっちこそ。ありがとう」
「……じゃ」
そう言って、津野田は振り返って改札へ歩いていく。
俺は思い出していた。あのあと何度もあのショッピングモールに行って、津野田に会えなかった日々のことを。でも今、津野田は目の前にいて、だけど俺の前からまたいなくなろうとしている。この馬鹿みたいに人が溢れている東京で、もう一度会うことなんてできるんだろうか。
ぴっ。
津野田が改札にスマホを当てて通り抜ける。
「津野田!」
俺は思わず呼びかけた。津野田が振り返る。
「今度は、新宿案内してよ。約束な!」
津野田は笑って、親指を上に突き出した。
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