騙す力は記憶に宿る――嘘と策略で異世界の頂点を目指す

ただただ生きたくて

第1話 : 死刑台の少年と微笑む神


 雨の音が、鉄と石でできたこの空間に鈍く響いていた。


 榊透夜(さかき とうや)は、硬い独房の床に腰を下ろし、手元のチェスの駒を弄んでいた。刑務官が趣味で持ち込んだセットを、彼があっという間に制覇してしまって以来、もはや何の刺激もない。全ての勝ち筋が見えたゲームほど、退屈なものはない。


 彼の罪状は詐欺と殺人未遂、そして国家転覆未遂。


 実際には何一つやっていない。完璧に構築された冤罪だった。


 だが、証拠は全て「本物」であり、証言も完璧に揃っていた。どれも、かつて彼が手がけた詐欺のスキルによく似た手口で構成されていたという皮肉つきだ。


 嘘で人を動かす技術。それが透夜のすべてだった。


 子どもの頃から彼は「本当らしさ」の構造を理解していた。正しさよりも納得感、真実よりも信憑性。人が「信じたい」と思うものを巧みに編み込み、現実を捻じ曲げる天才。それが彼だった。


 だからこそ皮肉だった。嘘の技術で世界を欺いた彼が、今度は世界に欺かれ、死刑台に立つ。


「これが……オチってやつか」


 乾いた笑いが喉から漏れる。こんな冗談みたいな結末は、彼自身でも思いつかなかった。


 そのときだった。


 突然、視界が白く染まった。音も、重力も、すべてが失われる。


 次に目を開けたとき、彼はまったく別の場所に立っていた。


 空は星空よりも澄み渡り、地平線はなぜか逆巻く海のように揺れていた。ありえない物理と色彩。夢とも現実ともつかぬ空間――。


「ようこそ、透夜くん!」


 その声は陽気で、どこか愉快そうだった。


 振り返ると、そこには軽装の若い男がいた。シャツにジーンズ、手には缶コーヒー。神々しさなど微塵もない。


「……誰だ?」


「うん、それ聞くよね。うんうん、そういう反応が一番多い。正解。俺、神。神です」


「神、ねぇ。……冗談は嫌いじゃない」


「でしょ? 君、ほんといい性格してる」


 神と名乗る男はニコニコと笑い、透夜の肩をぽんと叩いた。


「でもさ、君がここに来たのは偶然じゃない。だって俺、ずっと君のこと見てたんだよ。地球での詐欺と心理戦。面白かったよ~! 無駄に緻密で、無駄に演技力高くて」


「……監視趣味の神か」


「うん、オタク神と言ってもらってもいいよ。でさ、君にひとつ提案がある」


「提案?」


「異世界に行かない?」


 その言葉に、透夜は眉をひそめた。


「異世界転生って……そっちの都合で勝手に転生させるアレじゃないのか」


「そうでもないよ。俺は選ぶけど、ちゃんと交渉もする。無理やり押しつけたりはしない。君みたいなタイプは、むしろ説得して喜ばせた方が面白いから」


「……へぇ」


 透夜は腕を組み、わざとじっと神を見つめた。


「じゃあ、交渉とやらをしてみようか」


 神の目が輝いた。


「やっぱ来た! こうでなくっちゃ!」


 交渉が始まった。透夜はすぐさま、相手の言葉の綻びを探り、対価の条件を交渉しようとする。が――。


 ことごとく、神に読まれていた。


「その条件、今頭に浮かんだでしょ? 駄目。やり直し」


「そんなストーリー展開、俺でも読めるって」


「うーん、惜しい! けど甘いなー。はい、却下」


 数分で、透夜は黙った。


「……完敗だ」


「認めるんだ? 潔いね」


「いや、もう分かったよ。お前、俺がどんな嘘をつこうが、先に全部知ってる。そういうタイプだ」


「うん、君の人生、最後まで追ってたからね。感情のクセも、話すスピードも全部。俺の脳内に“君シミュレーター”がある感じ」


「最悪の性格してるな……」


「ほめ言葉として受け取っとく!」


 神はケラケラと笑いながら、指を鳴らした。


「それじゃあ、条件の話ね。異世界に転生して、また“騙す人生”をやりたい? やりたいでしょ?」


「……ああ。やり残したことが山ほどある」


「じゃあ、ひとつだけチート的なのあげよう。君のやり方に合うものを」


「それは?」


「《記憶再現》。君が見たもの、聞いたこと、読んだこと――全部、一字一句、完全に覚えていられる。超高精度な再現力。メモリの暴力ってやつだね」


「……いいな、それ」


「うん、偽造、詐術、取引、心理戦。君のやること全部にマッチするでしょ? でも身体能力や魔法は凡人のまま。どうする?」


「面白そうだ」


「じゃあ決まりだね!」


 神が最後に言った。


「君があの世界で、どこまで這い上がっていくか、俺は興味しかない。どうせなら俺の創った世界、君の嘘でめちゃくちゃにしてごらん」


 そして――視界がまた白く染まった。


 次に透夜が目を覚ましたのは、草の匂いと青空、そして人の喧騒に満ちた、まるでゲームのような世界だった。


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