悪女、元婚約者と対峙する

「……何をしに来たの?」

 

 ニタニタと下品な笑みを浮かべてこっちを見ているエリオットと対照的に、私の心は冷めきっていた。

 

 エリオット・イリンピアス。この子──アルストロメリアの婚約者にあたる男だ。ハルジオン公国有数の貴族イリンピアス家の次男で、アルストロメリアとは俗に言う政略結婚の一環で婚約者となった。

 つまり、お互い愛なんてものはない。むしろこいつは何かにつけてアルストロメリアを馬鹿にしてきたり、家柄を盾にして横柄な態度をとり周囲を不快にしてきたような男なので私も嫌いだったりする。

 

「つれねぇなぁ。わざわざこのオレが来てやったっていうのにさぁ」

「ならわざわざ来てくれなくて良かったのに。もう貴方と私は無関係でしょう? なにせ私はあの家を出たんだもの。貴方との婚約だって取り消しになったはずよ」

「あぁ、もちろん聞いたぜ。だからお前に提案しに来てやったんだよ」

「……提案?」

 

 つくづく上から目線で腹が立つけれど、穏やかに済ませようと表面上は冷静を繕う。周囲から好奇の目が向けられているのは嫌でもわかるもの。貴族がギルドに来て、まだ名も知られていない冒険者に用事がある。これだけで人の興味なんて簡単に引けるものね。

 

「お前、オレの情婦になれよ」

「……はぁ?」

「そしたらこんなところで落ちぶれなくて良いんだぜ? 冒険者なんてしみったれた仕事しなくても稼げるんだ、良い話だろ?」

 

 途端に敵意のこもった視線が好奇の中に混じり始める。……それも当然ね。よくもまぁ冒険者たちの本拠地に土足であがって仕事を馬鹿にできるものだわ。

 けれどそれに気づいていない目の前の阿呆は口を閉じない。

 

「お前なにげに良いカラダしてるしさぁ。オレの情婦になるだけじゃなくて色んなヤツの相手しても稼げんじゃねぇの? そしたら取り分やるよ、オレが紹介してやるからさぁ」

「黙れ、下衆が」

 

 私より先に口を開いたのは、もちろん私の側に立つレクイエスだ。レクイエスは真顔でエリオットを見下ろしている。

 

「これ以上アルを侮辱するようなことを口にするならば、私が貴様の首をはねる」

「いや誰だよお前。え、もしかしてもう股開いてたとか? うーわ軽い女だなおま──ガッ!?」

 

 レクイエスは一気にエリオットとの距離を詰め、躊躇いなく彼の首を絞め始めた。これには周りも騒然とし始める。

 

「許さぬ許さぬ許さぬ──! 貴様など我が手で殺してやる、光栄に思え下衆が──!」

「ちょ、ちょっとストップ! ストップです! アルさんも止めてください!」

「止める必要あるかしら? 全部こいつの自業自得じゃない。正直、レクイエスが動かなかったら私がこいつを殺してたわ」

「そ、そうかもしれませんけど! でも止めてください! 報酬減額しますよ!?」

 

 はぁ、と私はあからさまにため息を吐いてレクイエスを止めに入る。

 

「レクイエス、止まりなさい。今その男を殺されたら私が不利になるだけよ」

「……そうか。お前がそう言うのなら」

 

 レクイエスは私が止めるとあっさり首から手を離した。エリオットはゲホゲホと咳き込んでいるけれど、しばらくしたら落ち着いたのかこっちをキッと睨みつけた。

 

「何すんだ無能! こっちが下手に出りゃ調子乗りやがって……!」

「どこが下手に出てたのよ。少しは自分の言動省みなさいな。それと、貴方に私をどうこうできる権利なんてものは無いのよ」

「はぁ? なにお前ごときがオレに口ごたえしてんだよ。良いか、お前みたいに何もできない無能のことをこのオレが目にかけてやってる時点ですげぇありがたいことなんだぞ? そのことがわかんねぇのかよ!」

「えぇ、わかろうとも思わないわね。第一、私のことを何もできない無能と思ってる時点で貴方と話す価値なんて何一つ無いわ。それと、もう帰ってくれる? 私これから試験があるのよ」

「試験? ハッ、どうせ落ちるのに受けて意味があんのかよ?」

「──そこまでだ、小物風情が」

 

 私たちの会話に割って入ったのは、ここのギルド長カリス・ダイナードだった。カリスさんは歴戦の勇士を思わせる風貌をしてるだけあって、一睨みするだけでこの阿呆は簡単に黙った。

 

「アルに試験を宛てがったのは我々だ。我々は冒険者の力量を鑑みて試験を受ける機会を与えている。つまり今のお前の発言は我々を侮辱したのに等しい。命が惜しくば今すぐ出ていけ。それくらいの温情はかけてやる」

「冒険者風情がなにいきがってんだよ。こっちは貴族だぞ、貴族。お前らとは立場が違うんだよ」

「……とんだ阿呆だな。よほど現実を見ることができていないようだ。良いか、よく聞け。我々の縄張りに土足で踏み込んできたのはお前だ。ここではお前の家柄など関係ない。我々がルールだ。つまり──お前をここで内密に消すことだって我々には可能だ」

 

 ここでようやくエリオットは事の重大さに気づいたらしい。わかりやすく顔が青ざめていってる。……というか、ここまで言われないと気づけないのね。こんなのと結婚させられることにならなくて良かったわ。

 

「い、言われなくてもこっちから出てってやるよ! こんな野蛮な人間の集まりにいつまでもいられないからな!」

 

 そんな捨て台詞を吐いてエリオットは従者を連れて去っていった。とことん小物臭のする男だこと。

 

「哀れな男だな。家柄しか誇るものが無いのか?」

「同意しますわ、カリスさん。それと、お手を煩わせてしまって申し訳ありません。私一人で追い払えたら良かったのだけど」

「良い、気にするな。ギルドの冒険者を守るのが俺の役目だからな。新人とはいえ、お前の働きには期待しているんだ。またあいつが来たら遠慮なく俺を呼べ。すぐにでも追い払うさ」

「助かりますわ」

 

 見ていて気持ちの良い豪快な笑みを浮かべてカリスさんはまた奥に引っ込んだ。……エリオットの相手をした後だとカリスさんが本物の聖人に見えるわ。これが人徳の差、というやつかしら。

 

「アル。行かなくて良いのか?」

「そうね、今は試験が大事だもの。行きましょうか」

 

 レクイエスに急かされ、私たちは試験会場に向かうことにした。

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