悪女、状況を整理する
「なんとか落ち着けそうね」
私とレクイエスはあれから近くの街に降り、冒険者ギルドに登録して何件か依頼をこなし、報酬を受け取ることで生計を立てていた。レクイエスのおかげでどんな依頼も苦になることはない。目立ちすぎないように新人冒険者に合っているであろう難易度の依頼を選ぶ時間の方が苦だったりする。
「アル」
「何? レクイエス」
宿屋で借りた部屋の片隅でずっと何か作業をしていたレクイエスが顔を上げ、私を呼んだ。ちょいちょい、と私を手招きしたので、素直に彼の側へ移動する。
「これからどうするか決めるためにも、今の俺たちが置かれている状況を把握すべきではないか?」
レクイエスは私に紙とペンを渡してきた。なるほど、これを用意していたのね。合点がいった私は頷き、彼がくれた紙を広げた。どうやら地図のようだ。
「まず、この世界は私たちが生きていた世界とはまるで違う。その認識は相違ないわね?」
レクイエスが頷いたのを見て、私は地図に丸をつけた。私たちが今いるであろう国──ハルジオン公国の辺りに。
「そもそも俺たちがいた世界は人間でも魔法が使えた。この世界では契約獣と契約を交わさねば使えぬがな」
そう、それが一番の違いだ。
この世界では人ならざるものたちと契約を交わし、魔導士と呼ばれる存在にならないと魔法が使えない。この契約は遅くても十五歳までに交わされるのがこの世界の掟らしい。
けれどアルストロメリアは十五歳になっても誰とも契約を交わせなかった。それもあってあの子は”無能令嬢”なんて烙印を押されたみたい。
「レクイエスが顕現する前に契約を結んでおいて良かったわ。……そういえば、貴方はどうやって顕現したの? 神にも近しい貴方がそう簡単に顕現できるとは思えないけど」
「なに、簡単なことよ。アルストロメリアの魂を喰らうことで贄としたまでだ」
「あぁ、どうりであの子の魂を感じないと思ったら」
「念の為言っておくが。合意の上で俺は魂を喰らったことは覚えておけ。あいつはもう傷つくのは御免だと言っていたからな」
私はそう、とだけ返した。私ではあの子の悲しみも苦しみもわからない。たしかに私はあの子の中にいたけれど、私は見ているだけだったから何も思わなかったもの。
それに、何一つ与えられない子だったから。悲しみも苦しみもあの子だけのものである方が良いと思うわ。
「それで、これからどうする? お前のことだ、大人しく身銭を稼いで終わるはずがない」
「レクイエスは私のことよくわかってるわね。さすがは私の相棒だわ。もちろん、このままで終わらないわよ?」
レクイエスに微笑みかけて、私は地図を畳んだ。
「ひとまず当面の目標は飢え死にしないことだけれど。無能令嬢なんて不名誉すぎる呼び名の撤回が最終的な目標かしら。アルストロメリアには感謝してるのよ? あの子のおかげで私は健康な肉体を得てレクイエスとの再会も果たせた。だからあの子の不名誉くらいは払拭してあげないとね」
「明確なビジョンは決まっているのか?」
「そうね、この国に留まるか否かで変わってくると思うわ。ハルジオンに留まり続けてマイナスから名誉を築き上げるか、それとも国を出てゼロから始めるか。正直国を出た方が楽ではあるわ。今の私を見てアルストロメリアと一瞬で気づく人は少ないでしょうけど、この子の家は有名すぎる。きっとこの国にいるかぎり無能令嬢という呼び名は付きまとうわ。なら、この国を出て名を馳せる方が楽よ」
アルストロメリア・フィガートは数多の有力な魔導士を輩出してきたフィガート家の長女ながら何とも契約ができなかった。そんな彼女が無能令嬢の烙印を押され、後ろ指差される存在になるまで時間はかからなかった。いつも優秀な妹と比較され、周囲の人間に味方はおらず、馬鹿にされ続ける日々。そんな扱いを受け続けてあの子の心がもつはずもなく。自ら魂を喰われることを選ぶくらいには追い詰められていった。
肉体を譲り受けてからは服装も髪型も私の好きなようにさせてもらってるから、アルストロメリアの時とだいぶ雰囲気は違う。けれど、顔はどうしても変えられない。きっとアルストロメリアだと呼ばれる日は近々来るでしょう。そして無条件に無能令嬢という呼び名もついてくるに決まってる。
でも。
「私はこの国に留まるわ」
「……それは、なぜだ?」
「忘れたの? 私は壊すことに何よりの楽しみを覚える女よ。だから、私はこの逆境を壊すことにしたの。きっとそう簡単に無能令嬢なんて呼び名は変えられないわ。だからこそ、燃えるのよ。前世で簡単に壊れてしまうものばかり壊していたら飽きちゃうってことに気づいたもの」
「……」
「なら、そう簡単には壊れないものを壊そうとあがく方がよっぽど楽しそうだもの! ふふ、今からワクワクしちゃうわ! 私がすべてをひっくり返した時、あの子を馬鹿にし続けた人たちがどんな顔をするのか──見ものね?」
すべてをひっくり返した日を夢見てうっとりと頬を紅潮させる私を、レクイエスはじっと見ている。しばらく見つめ合っていたかと思うと、レクイエスは急に跪いた。
「ならば、誓いを。──アルバローズ・メルクリア。お前の望みが叶うその日まで、俺はお前の側でお前を守り続けることを誓う。俺を、好きに使え。お前にはそれが許されている。……俺の誓いを、お前は信じるか?」
「もちろんよ。私のために神の座すら捨てて堕ちてきた子の言葉を誰が戯言と切り捨てられるかしら? 少なくとも、この場には存在しないわ」
「……そうか」
レクイエスは安心したかのようにふっと笑ってみせた。今さらこの子の手を放すわけがないのに、心配性ね。私は椅子にかけてあった上着を羽織った。
「そろそろ出かけましょ。今日も何件か依頼をこなしたいもの」
「あぁ」
レクイエスが短くもしっかりとした返事を返したのを確認してから、私は宿屋の部屋を出た。
※
「おはようございます、アルさん! 今日もお仕事ですか? 精が出ますね~」
冒険者ギルドに足を踏み入れた私を、受付嬢のミアが出迎えた。人に好かれる笑みを浮かべて仕事をこなす彼女に挨拶を返し、いつものように依頼が貼られたボードへ向かおうとすると。
「あ、そういえばアルさんにご用事があるって人が来てるんです!」
「私に?」
……嫌な予感しかしない。私がミアの指し示す方を見ると。
「よう、無能! 冒険者になるとか、お前も落ちぶれたもんだよなぁ?」
元婚約者のエリオット・イリンピアスが、従者を連れて座っていた。
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