第2話 白いシャチ

 ──光が、弾けた。


 ユウが青白い球体に触れた瞬間、空間そのものが揺らいだような感覚があった。

 周囲の音が消え、色が抜け落ちていく。


 何かが、目覚める。

 あるいは──ずっとそこにいた“何か”が、呼応した。


 ユウの視界に、白い影が浮かび上がった。


 シャチだった。

 けれど、普通のシャチとはまるで違っていた。


 その身体は雪のように白く、まだら模様も模様すらない。

 目元に色素がなく、うすいピンクの瞳孔がかすかに揺れていた。


(アルビノのシャチ……?)


 ユウの脳裏に、ふとその言葉が浮かぶ。


 輪郭が淡く揺れ、水の膜のようなものが全身を包んでいる。

 生き物なのに、どこかこの世界の理から外れているような──そんな不思議な存在感だった。

 だが、その瞳は確かにユウを見ていた。


(そうか、シャチの別名は逆戟さかまた……。

 じゃあ、こいつが……白の逆戟さかまたか?)


 そのとき、空が裂けるような咆哮が響く。


 ルイン・セレナスが、再び攻撃の構えを見せていた。

 額の発光器官が赤紫に染まり、空気が重くしなる。

 狙いは、ユウたちだ。


「来る──!」


 紫の閃光が、唸りを上げて放たれる。

 轟音が空間を裂いた。


 破壊の奔流がユウに向かって一直線に迫る──その瞬間、白いシャチが静かに前へ出た。


 空間に、水面のような歪みが生じる。

 ビームはその揺らぎに触れた途端、まるで水面に落ちたように波紋を広げ──


 跳ね返された。


「なっ……!?」


 紫の閃光が、弾かれたように反転し、放射元のルイン・セレナスへと向かう。

 その巨体を直撃し、爆光が宙に咲いた。


 ルイン・セレナスは苦悶の咆哮を上げてのたうち、上空へと逃れるように舞い上がった。

 その動きに追うように、白いシャチが静かに泳ぐ──空中なのに、まるで深海を泳ぐように。


「……これが、セレナスの……」


 ユウの瞼が重くなっていく。

 限界は、すぐそこだった。


 その向こう、空の彼方から無数の黒い影──学園都市ノアの救援部隊が、ようやく姿を現した。


「……助かった、か……」


 そこで、ユウの意識は途切れた。




 ~~~~~


 ──静かな、海の底。


 色も音もない世界に、光の粒がゆっくり漂っていた。


 ユウは、その中にふわりと浮かんでいた。


 ……いや、ひとりじゃない。

 白いシャチが、そばにいた。


 目の前には、ひとつの扉がある。

 小さくて、古びていて──けど、なぜか見覚えがあるような気がした。


 ユウは近づいて、扉に手を伸ばした。


 ……けど、開かない。

 鍵がかかっていた。


(ここに、俺の記憶がある……)


 ユウはそう感じた。

 自分の“何か大事なもの”が、この扉の向こうにある。

 それだけは、はっきりとわかる。


 でも、今は開けられない。


 背中のシャチが、そっと振り返り、目が合った。


 なぜかわからないけど、ユウは確信した。


(……無くなってはいない。……必ず取り戻す)


 そのとき、ゆっくりと世界がにじんで、視界が白く染まっていった。


 ~~~~~


 深い海のような眠りの中から、ゆっくりと意識が浮かびあがってくる。


 ユウは、白い天井を見つめながら、しばらく動けずにいた。


 (……ここは、どこだ?)


 体を起こそうとすると、すぐそばで機械音が鳴った。隣には医療機器のようなものがあり、数人の隊員が控えているのが見える。船内の医療室のようだった。


「目が覚めたか。神楽ユウ君、君は救援部隊の艦に収容されている。安心していい。いまは移動中だ」


 一人の中年の男性が、落ち着いた声でそう言った。肩には救援部隊のエンブレムが付いている。


「……あの、カイトは? 他の人たちは?」


「君以外の生徒は予定通り、学園都市ノアへ移動しているよ。君はあのセレナスとの共鳴が確認されたため、先にこちらで精密検査を受ける必要がある。すぐに追いつけるさ」


 ユウは言葉を失ったまま、胸に手を当てる。


 その奥で、まだ白いシャチの残響のようなものが、静かに波打っていた。


 共鳴。あれは本当に、自分の中のものだったのか。


「……あの、俺の中に……何が、入ったんですか」


 救援隊の男は、一拍だけ間を置いたあと、やや笑みを交えて答えた。


「それを含めて、すべてこれから調べる。我々も、君のようなケースは初めてなんだ。──だが心配するな。まだ、入学式はしていないが、君は正式な学園の学生だ。ノアは君を歓迎している」


 その言葉が、どこか遠くで響くように聞こえた。


 不安は消えない。

 それでも、自分が生きているという実感だけは、確かにあった。

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