学園編 1年生

第4話 海に浮かぶ都市

 船がゆっくりと接岸していく。

 甲板には、海風とともに静かな緊張感が漂っていた。


 ユウは金属製の手すりにそっと手を添え、前を見つめる。

 体の奥に、まだ微かな痛みが残っていた。眠りから覚めて一日が経ったはずなのに、感覚はどこか夢の中にいるような気分だった。


(……本当に、俺があんな力を?)


 白いシャチの姿。ルイン・セレナスのビームを跳ね返した光景。

 すべてが現実だったとは、まだ実感できなかった。


「ユウ、行くぞ」


 カイトの声に振り返る。

 タラップがゆっくりと降り、乗船口には白と紺の制服を着た案内員たちが整列していた。


 その背後に広がるのは、海に浮かぶ巨大な都市──ノア。


 ユウは一歩、船を降りる。

 靴底が鋼鉄の床を叩く乾いた音が、やけに大きく響いた。


「浮いてる構造物とは、思えないね」


 足元には陸はなく、広大な海が広がっている。

 それでも、都市はまるで大地のようにどっしりと存在していた。


 ノアの内部へと続く通路は、壁も天井も一面ガラス張りだった。

 朝の光が揺れる水面を透かし、天井には影が群れをなして漂っている。


 ユウは立ち止まり、淡い光に満ちた通路を見上げ、そして足元にも目を向けた。

 右手の砂底では、白く細長い生き物が首を伸ばし、流れに合わせて群れごと傾いている。


「……あれ、チンアナゴかな?」


 カイトが横で呟く。

 ユウが答えようとした瞬間、凜とした声が届いた。


「それはゼブラアナゴです」


 振り向くと、一人の女性案内役がこちらを見ていた。

 制服は白と紺を基調にしたものだが、肩章には銀の線が一本通っており、他の案内員とは明らかに違っていた。


「チンアナゴは白地に黒の水玉。ゼブラアナゴは白と黒の帯状縞。よく似ていますが、別種です。

 生き物を見分ける力は、この学園においては極めて重要です」


「あっ、はい……」


 カイトはやや圧倒されながらも返事を返した。

 そのやり取りにユウは小さく笑う。

 案内役の女性は名前を名乗らないまま、列の先頭へと戻っていった。




 左手のガラス越しには、巨大なアーチ状の水槽が広がっていた。

 その中を、カマイルカが滑るように泳いでいく。

 ひれがガラス面をかすめた瞬間、虹色の光が跳ねた。


「……すごいな」


 そう口にしながら、ユウはふと考える。


(これ……昔、誰かと一緒に見たことがあるような──)


 だが、思い出そうとした途端、映像が霧のようにかすんだ。

 その誰かの姿も、声も、すり抜けていく。


(……ああ、まただ)


 ユウはそっとまぶたを閉じた。

 美しさは確かに心に残るのに──

 それに重なるはずの思い出だけが、どうしても出てこない。




 通路を抜け、最後の段差を超えると、視界が一気に開けた。


 巨大なドーム状の空間。

 天井には金属フレームが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、中心からは光が降り注いでいた。


 だが、何よりも目を奪われたのは足元だった。


「すげぇ……」


 カイトが小さくつぶやく。


 床は透明な強化ガラスで、その下には、無数のフロアが階段状に連なっていた。

 中央を一本の巨大な支柱が貫いている。

 まるで巨大な逆円錐の中を覗き込んでいるかのよう。


「これがノアの中心か……」


「その通りです」


 またしても、あの案内役の女性が静かに現れた。

 床の端に立ち、指を差し下ろす。


「上層──居住と商業エリア。寮もこちらにあります」

「中層──学園エリア。講義や訓練はすべてここで行います」

「下層──最深部。深層門アビス直上に位置し、最重要施設が集中しています」


 最後の言葉に、周囲の空気が変わった。

 “アビス”という言葉の重みは、それだけで人の心を静かにする。


 女性はそれ以上多くを語らず、端末に手を添え、短く通信を終えると姿を消した。


(あの人、ただの案内係じゃないな……)


 ユウはそんなことを思いながら、進み始めた。


 ガラス床を抜け、側壁に沿ったスロープを降りる。


 手すりには銀の導線が編み込まれており、軽く触れると微かな振動が指先に伝わる。


「都市の電力と情報が通ってるらしいぜ」


 カイトが興味深そうに言う。ユウも試すように手を当てた。


 遠くでは、チューブの中を無人輸送ポッドが滑っていく。

 その動きはとても静かで、生活の音さえ排除された都市の設計を感じさせた。


 スロープの先で帯状のホバーロードに乗る。

 足元がふわりと浮いた感覚があるが、揺れはない。


 湾曲した壁面には浮遊ディスプレイが並び、生徒一人ひとりに合わせた入寮案内や健康状態が映し出されていた。


「なんか、全部に“監視されてる”みたいだな」


 カイトが冗談めかして言うが、声はわずかに硬かった。


 ユウは首を横に振る。


「監視っていうより、たぶん……管理だよ。

 脈拍と表情からストレス値が表示されてた。かなり高精度だと思う」


「お前、そういうとこ気づくよな」


「昔からの癖だよ」


 自然に出た言葉だったが、“昔”という単語に、自分の心が僅かにざわついたことにユウは気づいた。




 ホバーロードの先には、水晶柱のような構造体が立ち並ぶ大ホールがあった。

 柱の中には光の粒が浮かび、まるで呼吸をするように上下している。


「これからエレベーターに乗って、学園ホールへ向かいます」


 案内役の女性がそう告げた。


 その声を背に、ユウはふと天井を見上げる。

 高所に設けられた排気口から、細い霧が白く流れ出ては、やがて消えていく。


(ノアって……なんか、生き物みたいだ)


 鼓動して、呼吸して。

 その奥で、何かがひそやかに目覚めを待っているような気がした。


「行こうぜ、ユウ」


 カイトの声に振り返り、ユウは小さく頷いた。

 そして、エレベーターの中へと足を踏み入れる──新しい日々の始まりへと。






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【 登場生物図鑑 】

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 ◆ チンアナゴ ─ Heteroconger hassi

 ・分類 :ウナギ目 アナゴ科 チンアナゴ属

 ・全長 :約30 cm

 ・特徴 :体側に2つずつ+腹部に1つの黒斑。

      模様が日本犬 “チン” に似ることが和名の由来。


 ◆ ゼブラアナゴ ─ Heteroconger polyzona

 ・分類 :ウナギ目 アナゴ科 チンアナゴ属

 ・全長 :約20 cm

 ・特徴 :白と黒の帯状縞。

      個体数が少なく、〈絶滅危惧ⅠA類〉に指定。


 ◆ カマイルカ ─ Lagenorhynchus obliquidens

 ・分類 :偶蹄目 ハクジラ亜目 マイルカ科 カマイルカ属

 ・全長 :約2~3 m

 ・特徴 :体表は白と黒と灰色の3色から成る。

      背びれの形が鎌に似ていること和名の由来。

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