第4話 呪われた泉の浄化

「お掃除、スキル……?」


マリアさんは呆然と私の言葉を繰り返すと、次の瞬間、ハッと我に返ったように私の腕を掴んだ。その力強さに、私は小さく悲鳴を上げる。


「こっちへ来な!」

「きゃっ!? ま、マリアさん!?」


有無を言わさず、私はマリアさんに腕を引かれ、ギルドの奥にある彼女の私室へと連れ込まれた。乱雑に書類が積まれた執務机を挟んで、私たちは向かい合う。彼女の真剣な眼差しが、まっすぐに私を射抜いていた。


「エリーナ、あんたのスキルについて、もっと詳しく聞かせな。ただの掃除じゃないことは、この私が見て分かってる。あれは、Sランクの神官が使う浄化魔法に匹敵する……いや、それ以上の現象だった」

マリアさんの剣幕に押されながらも、私は正直に話すしかなかった。

神様から授かったのは【空間整頓】という名前のスキルであること。これまで、パーティでは武具の汚れを落としたり、野営地を綺麗にしたりするのに使っていたこと。仲間からは、戦闘に役立たない地味なスキルだと、ずっと馬鹿にされてきたこと。そして、呪いのような穢れまで浄化できるなんて、さっきの倉庫で初めて知ったこと。


私の話を聞き終えたマリアさんは、しばらく腕を組んで何かを考えていたが、やがて顔を上げ、決意を秘めた目で私に言った。


「……エリーナ。あんたに、もう一つ『お掃除』を頼みたい」

「え……?」

「この街全体を覆っている、元凶の『お掃除』だ。報酬は、そうだな……金貨5枚。いや、10枚だ。どうだい?」


金貨10枚。

平民が一生かかっても手にできないような大金だ。私は自分の耳を疑った。


「そ、そんな大金……。いったい、何を……」

「宿屋の主人から聞いただろ。この街が寂れた原因――『呪われた泉』だよ」


マリアさんの口から、あの泉の名前が出た。

街の西にあるという、黒く濁ってしまった奇跡の泉。

「あの泉の呪いを、あんたのスキルで浄化してほしいんだ。倉庫の呪いがあんたに『お片付け』できたんなら、泉だってできるはずだ。もちろん、危険なのは分かってる。だが、この街を救うには、もうあんたに頼るしか……」


「やります」

私は、マリアさんの言葉を遮るように、即答していた。

自分でも驚くほど、迷いはなかった。

私を役立たずだと捨てたアレス様たち。彼らを見返したい、という気持ちがなかったと言えば嘘になる。でも、それ以上に、マリアさんが私の力を信じてくれたこと、必要としてくれたことが嬉しかった。そして、このスキルで、本当に人を、街を救えるのなら……。


「……いいのかい? 失敗すれば、命の保証はないんだよ」

「はい。私、やってみたいです」

私の目に宿る決意を見て、マリアさんは「……そうかい」と短く呟くと、力強く頷いた。


マリアさんに案内され、私たちは街の外れにある森の奥深くへと向かった。

泉に近づくにつれて、空気はどんどん重く、冷たくなっていく。植物は黒く枯れ果て、地面には気味の悪い苔がこびりついている。倉庫の比ではない、濃密な呪いの気配が、私の呼吸を浅くさせた。

そして、私たちはついに泉のほとりに辿り着いた。

そこにあったのは、もはや泉と呼べるような代物ではなかった。黒いヘドロのような液体が、不気味な泡を立てながらよどんでいる。腐った卵のような異臭が、あたりに立ち込めていた。


「これが……」

あまりの光景に、私は言葉を失う。呪いの中心である泉は、想像を絶するほどの邪悪なエネルギーを放っていた。これに触れたら、私の精神まで汚染されてしまいそうだ。

恐怖で足がすくむ私に、マリアさんが静かに言った。

「無理しなさんな。いつもの『お掃除』の要領でいいんだ」


その言葉に、私はハッとする。

そうだ。これは討伐じゃない。私の「お片付け」だ。


私は覚悟を決め、泉のほとりに膝をつくと、意を決して、その黒いヘドロの中に両手をゆっくりと沈めた。

ゾッとするような冷たさと、魂を蝕むようなおぞましい感触。

私は悲鳴を上げそうになるのを奥歯でこらえ、意識を集中させる。そして、ありったけの力を込めて、スキルを発動した。


「――【空間整頓】ッ!!」

次の瞬間、私の両手を中心に、眩いばかりの光の奔流が巻き起こった!

泉全体が巨大な光の柱となり、天を突く。黒いヘドロも、異臭も、呪いの瘴気も、すべてがその光の中へと猛烈な勢いで吸い込まれていく。

ゴオオオオオッ、と世界が鳴動するような轟音。

まるで、この地に溜まり続けた数年分の穢れが、一気に洗い流されていくようだった。

やがて、光がゆっくりと収まっていく。


私の目に映ったのは、信じられない光景だった。

あれほどおぞましかった黒いヘドロは跡形もなく消え去り、泉の底から清らかな水がコンコンと湧き出している。水面は太陽の光を浴びて、ダイヤモンドダストのようにキラキラと輝いていた。

重く垂れ込めていた呪いの気配は完全に消え去り、森には鳥のさえずりが戻ってきている。

あまりの出来事に呆然とする私の肩を、後ろからマリアさんが強く掴んだ。


「……あんた……本当に……」

彼女は言葉を失い、ただただ、生まれ変わった泉と私の顔を交互に見つめている。

私は、自分の両手を見下ろした。


アレス様たちに、役立たずだと蔑まれた手。地味なお掃除しかできないと、自分でも諦めていたスキル。

でも、その力で、私はこの泉を、この街を救うきっかけを作れたのかもしれない。


じわり、と胸の奥から温かいものが込み上げてくる。

それは、私が生まれて初めて感じた、確かな「自信」という光だった。

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