出待ち

龍神まこと

出待ち


もう15年くらい前の話。

当時、俺はヴィジュアル系のバンドをやってて、レーベルにも属さず、自由気ままに細々と活動してた。

全然売れてなかったけど、それでも出待ちで話しかけてくれる子が、ほんの少しずつ増えてきて。

なんていうか、手応えってほどじゃないけど、「俺たち、無駄じゃないんだな」って感じられるようになってきた頃のこと。


今ではもう音楽もやめて、真面目に仕事をしてる。

たまに思い出す、あの頃のこと。

ライブの興奮とか、メンバーとの喧嘩とか、バンギャたちの濃すぎる会話とか。

今だったら完全にアウトなこととかも、結構あったな……って、笑っちゃうような記憶も多い。


でも、一つだけ。 今でも正直、思い出すたびに背筋がゾッとする出来事があって。これは、俺が実際に体験した話。

もしかしたら、誰にも話さずにいた方がよかったのかもしれない。

でも最近ふと、「語っておかないといけない気がする」って思った。

俺みたいな思いを、これ以上する人が出てこないように……そんな気がして。


当時、俺がやってたバンドの名前は「ZABEL」 濁音が入ってるバンド名は売れるっていう謎のジンクスを、当時のメンバー全員が本気で信じてて。 名前の由来も、たしかゲームのキャラかなんかだったはず。 レーベルも事務所もなし、自分たちだけでCD焼いて、物販を袋詰めして、機材車で地方を回る――完全セルフの活動。


ライブハウスはどこもだいたい似たようなもんで、雑居ビルの中の暗い一室。 天井は低いし、照明も基本まっ白。 楽屋なんて言っても畳一枚くらいのスペースに楽器と人がギュウギュウで、リハも照明チェックも「まあ大丈夫っしょ」で済ませるような、そんな環境。 でも、それが逆に心地よかった。 「今日ノルマ出たな」「ご当地グルメ楽しみだな」とか、そんなのをメンバーで笑いながら、ギリギリで回してた。


出待ちにファンが出るようになったのは、ほんとに少しずつ。

最初は物販に寄ってくれる子が一人、二人。 それが何度かライブに来てくれるようになって、終演後に入り口の前で話しかけられたりして。

顔を覚える頃には、逆にこっちの方が「今日は来てるかな」って気にするようになってた。


そんな中に、一人、異様に浮いてる子がいた。 地方の、しかもライブハウスの裏口だ。

建物の陰にゴミ袋が山積みで、壁は湿気で黒ずんでるような場所に――まるで童話から抜け出してきたみたいな子が立ってた。


全身BABY。 BABY, THE STARS SHINE BRIGHTっていうロリィタブランドで統一された、真っ白のワンピース。 襟も袖口もレースだらけで、スカートは膝下までふわっと広がってる。

ぱっつんの前髪、縦ロールのツインテール、でっかいリボンに日傘まで持ってて、足元はVivienneWestwoodのROCKING HORSE BALLERINA。

色はくすんだピンクで、つま先にちょっとだけ土がついてるのが逆に妙に印象に残った。


最初は正直、怖かった。 ああいう格好の子って、いきなり距離詰めてきたり、逆に目も合わさず去ってったり…… 警戒心が先に立って、なるべく話さないようにしてた。


でも、ある日、興奮した様子で話しかけてきた。


コツコツと靴音を鳴らして颯爽と駆け寄ってきて早口で捲し立てる。

「今日、セットリスト違いましたよね? 2曲目に“May”が来るの、前より良かったです」って。


“May”っていうのは俺たちZABELの未音源曲で、ライブでしかやってなかったし、 セトリも毎回ちょっとずつ変えてたから、よほど通ってないと気づかない。

その瞬間に「あ、ちゃんと聴いてくれてるんだな」って、ぐっと距離が縮まった感じがした。


それからは、ちょっとした会話が増えていった。 彼女の喋り方は独特で、早口で、一人称が"あちゃぴ"で、語尾に無理に“ぴ”をつけたりして。

正直、最初は無理してるんじゃないかって思ったけど、話の中身は普通というか、 学校の話、バイトの愚痴、家族のこと、そんなのもぽろぽろ出てくるようになった。 俺の母校に通ってるんだって事で盛り上がった事は鮮明に覚えてる。

見た目はバリバリだけど、中身は案外しっかりしてるんだなって思い始めてた頃――


ある夜、大阪・梅田でのライブのあと。 物販を片付けて外に出たとき、例の子が待っていて。 ああ、今日も来てくれてたんだ、って思いながら、なんとなく足元に目がいった。


ちなみにその日使わせてもらったライブハウスは、ちょっと特別な場所だった。

ステージには、大阪出身で有名なV系バンドの置きっぱなしになったベースアンプがあって、 型番やテープ跡で「あの人たちのやつだ」ってすぐわかるような代物。

俺たちみたいな底辺バンドでも、そういうの見るとテンション上がるんだよね。 なんとなく、「今日はやれる気がする」って、そんな浮ついた気持ちで本番に挑んでた。


……その上がりきったテンションのまま、あちゃぴと話した。


ロッキンホースバレリーナ。 その日はやけに印象的に見えた。 うまく言えないけど、光の加減なのか、あるいは――なんとなく、いやな予感というか。


でも、その違和感を言葉にしようとして、なぜか出たのはこんな言葉。


「その靴、いいね」


そう言った瞬間、彼女がこっちを見て、ほんの一瞬だけ間をおいて―― にこっと、笑った。 いつもみたいな甲高い声もなく、ほんのり静かに。


その笑顔が、やけに記憶に残ってる。 なんでかわからないけど、あの時のことを思い出すと、今でも喉の奥がざわつく。 ……あれが、全部の始まりだった。


あの夜から、変なことが起きるようになってさ。

最初はただの疲れかなと思ってたんだよ。


梅田でのライブ終わって、そのまま機材車で帰ったんだけど、

メンバーで交代しながら運転してて、俺はほぼ寝れなかったんだ。

機材の積み下ろしもして、ようやく布団に入れたと思ったら、あの感じが始まった。


寝てたら、ふっと目が覚める。でも、体が動かない。

金縛りってやつか。俺、人生で初めてだったよ。

胸の上に重しが乗ってるみたいで、息もしづらくて……じっとり汗が出るんだ。


でね、そのとき決まって――見えるんだよ。

視界の端っこ、そっちに何かが“動いてる”。

最初は暗くてわからなかった。けど、何度も何度も同じような夜が続いて、だんだんはっきりしてきた。


足だった。

あの、ロッキンホースバレリーナ。

あちゃぴがいつも履いてた、くすんだピンクのやつ。


それが、音もなく、俺の部屋の中を歩き回ってる。

というか、すべるように、ぐるぐる俺のまわりを回ってるんだ。

踏み音もない。床の軋みもない。けど――間違いなく、そこにいる。


最初はもちろん、めちゃくちゃ怖かったよ。

だけど、何日もそういう夜が続くと……慣れてきちまうんだよな、不思議と。

むしろ、どこか懐かしいような、安心してるような……いや、おかしいんだけどさ、ほんと。


で、ある夜。

金縛りの最中に、足だけじゃなくて――姿が見えたんだ。


足元からゆっくり上に視線が行って、スカート、上着……

あれ? って思った。フリルでもBABYでもない。

もっと地味な、制服みたいな服。


茶色っぽいカーディガンに、グレーのプリーツスカート。

それが、ドアのとこに立ってる。

顔は見えない。うつむいてて。でも、こっちを見てる気がした。


……あれ、あの制服。

あちゃぴが出待ちのときに言ってた、俺の母校の制服じゃないか?


「毎日、無視されて、机にゴミ入れられて、バイ菌みたいな扱いされるの……」

あの時の会話が耳元でリフレインし、脳をじわじわと染めていく。


目が合った気がしたんだけど、その瞬間、ふっと消えた。

なんの音もなく、すぅっと。

でも、空気が変わってた。冷たいというか、澄みすぎてるというか。


次の朝、起きたとき、枕のあたりにあちゃぴの香水の匂いが残ってた。

甘くて、ちょっと重いやつ。本人がいるときと、まったく同じ匂い。


……そのあとだった。DMが届いたの。


「最近、わたし変な夢見るんですぅ」って。

文章は、いつもの感じっぽいんだけど――

語尾に、“ぴ”がついてないんだよ。


しかも、なんていうか……妙に丁寧で、敬語が多くて、句読点もやたらきっちりしてる。

読んでて、なんか落ち着きすぎてるというか……

あちゃぴっぽくない。別の誰かが打ってるみたいな文章。


それを読んだとき、ふと思ったんだ。

あれって――

“もう一人のあちゃぴ”なんじゃないか、って。


ある日、気づいたら、あちゃぴがライブに来なくなった。

いつものように物販を終えて、裏口のとこに出て、見渡して――あれ? いないな、って。

まあ、たまたま予定でも入ったのかなって、そのときは気にも留めなかった。


でも、それが二回、三回と続いて。

DMも来ない。Twitterも更新止まってる。

あちゃぴって、こっちがちょっと既読スルーしただけで「あれぇ~?💦」みたいなスタンプ送ってくるような子だったのに、ピタリと何も言ってこなくなった。


最初は、こっちから連絡するのもなんか違うかなって様子見してたけど、

だんだん、不安が増してきた。

「何かあったんじゃないか」って。


そういえば、あちゃぴが最後に出待ちに来た日のこと――今でも覚えてる。


その日、あの子は、いつも通りの格好でした。

全身BABYに、でかいリボン、ロッキンホースバレリーナ。

でも、何かが違った。話し方が……すごく静かで、落ち着いてて。


「あの……今日は、話せてよかったです」


いつもの“ぴ”もない。笑顔もなかった。

ただ、まっすぐ目を見て、言葉を選んでるような喋り方。


その最後に、こう言ったんです。


「……あなたは、信用できる人ですね」


そのまま、ぺこっとお辞儀して、帰っていった。

それが――俺が最後に見た、あちゃぴだ。



それからしばらくして。

怖いくらい、何も起こらなくなった。


金縛りも止んだし、香水の匂いも、足音もしない。

寝ても起きても、ただ静かで、普通の日々。

……それが逆に怖かった。

何かが“終わった”って感じがして。


ある夜のこと。

その日はなぜか寝つけなくて、夜中の2時過ぎに目が覚めた。

部屋は真っ暗で、カーテンの向こうだけが、うっすらと街灯の明かりでぼんやりしてた。


「コツ……コツ……」


窓をノックするような音がした。

最初、風かなと思ったけど、間が不自然だった。二回、ぴたりと止まって、また――


「コツ……コツ……」


胸の奥がギュッと締めつけられるような感覚。

なにか見てはいけないものが、そこにある気がした。

でも、目を逸らせなかった。


カーテンを、そっとめくって、外を見た。


そこに――あちゃぴの足が、ぶら下がってた。


ロッキンホースバレリーナ。くすんだピンクの、VivienneWestwood。

あの子が履いていた靴。

それが、俺のベランダの外の、手すりに引っかかる形で垂れ下がってる。


足首には、細いストラップが食い込んでいて。

つま先は、風に揺れて、ゆっくりと左右に振れてた。

風に揺れる度に窓を叩く。


上半身は、見えない。

でも、見えなくて充分だった。

あれは――完全に、首を吊った人間の“足”の位置だった。


太ももの筋肉が落ちたみたいに、だらんとしてて。

靴の中の足の形が、妙にリアルで。

それが揺れるたびに、生々しい重みを感じた。


喉がカラカラに乾いて、声も出なくて。

俺はただ、窓の向こうでぶら下がっている“それ”を、じっと見てた。

何分見てたのか、覚えてない。

気づいたら、朝だった。

靴も、足も、もう何もなかった。


夢だったんじゃないかって、思いたかった。

でも――その夜、俺はあちゃぴの匂いを、はっきり嗅いでる。


あの香水。あの、甘ったるいやつ。

誰もいない部屋の中に、ずっと残ってたんだ。



震える手で、昔のTwitterのDMを開いた。

生きてるなら、返事がくるはずだって思って。


「元気ですか?」

「大丈夫?」

「……生きてる?」


そんなメッセージを何通も送った。

数分後、通知が鳴った。


「あれぇ~!どうしたんですかぁ~💦」

「わたし、ちゃんと生きてますよぉ~っ✌️」

「びっくりしたぁ~!笑」


絵文字だらけの、軽い、あちゃぴそのもののテンションだった。


生きてる。

たしかに、生きてる。


でも――

あのベランダで揺れてたのは、じゃあ……誰だったんだ?



……それから、また少しして。

DMの文体が、また変わった。


「最近、昔のことを思い出すと、涙が出るんです」

「高校の時のこと、夢に見るようになって」

「でも、今はなんだか、不思議と平気なんです」


それは、あの夜ぶら下がっていた“足”の主が、

もういなくなった、という証だったのかもしれない。


あの夜、ベランダで見た“あちゃぴの足”。

あれからしばらく、俺はまともに眠れなくなった。

寝ようとすると、あの足が頭の中にぶら下がってくる。

ゆっくり、ゆっくり揺れてる。

生きてるわけがない、でもDMは返ってくる。

何がなんだかわからないまま、時間だけが過ぎていって。


それでも――あちゃぴは、ほんとうに生きてた。


DMは変わらず届いてて、「最近あったかくなりましたね~」とか、「この前みた夢がやばかったですw」とか、他愛のない話ばかり。

最初のうちは、怖くてまともに返せなかったけど、

だんだんそのやりとりが、妙に安心できるものに変わっていった。


数ヶ月して、あちゃぴが久しぶりにライブに来た。

前に比べたら、ずっと大人しくなってた。

笑顔もあるし、喋り方も普通。例の“ぴ”もない。


「お薬、もう飲んでないんです」

そう言われたとき、一瞬どう返せばいいかわからなかった。


「心療内科、卒業したばかりで。

ずっと、通ってたんですけどね」

って、あちゃぴはちょっと照れくさそうに笑った。


その日から、俺とあちゃぴは、ゆっくりと距離を縮めてった。

ライブのあと、たまにごはんを食べに行ったり、映画を見たり。

最初は甘ロリそのままだった服も、だんだん地味になっていって。

真っ白なフリルが、淡いベージュに変わって、リボンも小さくなって――

ある日ふと、日傘を持ってこなくなったとき、「あ、変わったな」って思った。


LINEでのやりとりも普通になって、

あちゃぴはたまに、自分のことをぽつぽつ話すようになった。


「わたしね、実は昔……中にもうひとりいたんですよ」

ある日、ふとそんなことを言い出した。


「その子が、勝手にDMとか送ってたり、ライブ行くの止めようとか言ってきたりしてて」

「でも、ある日“もう大丈夫だね”って言ってくれて……それっきり、出てこなくなったの」

「辛い記憶全部持って消えちゃった」


そのとき俺は、何も言えなかった。

ただ、うなずくだけで精一杯だった。


あの夜の足。ベランダで揺れてたもう一人あちゃぴの足を、思い浮かべた。



それから、金縛りも、香水の匂いも、一切起きなくなった。

夜はちゃんと眠れるようになったし、部屋に“何かがいる感じ”も消えた。


でも、それが「全部解決したから」っていう感じじゃなかった。

もっとこう……供養が済んだみたいな、静けさ。

なにかが、もう戻ってこないんだってわかるような空気だった。



ある日、あちゃぴと公園のベンチに座ってたときのこと。

昼下がりで、周りは子どもたちが遊んでて、風が気持ちよくて。

あちゃぴが、ぽつんと、言った。


「……あの子、あなたにだけは会いたかったんだと思う」


俺が何も言わずにいると、少し悲しそうにあちゃぴは続けた。


「だから、安心して、消えていったんだよ」


誰のことを言ってるのか、聞くまでもなかった。

目の前にいるこの子と、ベランダで揺れてた“足”と、DMで会話してた誰かと。

もう、どれが誰だったのか――わからない。


でも、なんとなく、全部ひっくるめて、

“あちゃぴ”なんだろうなと思ってた。


そんなあちゃぴが大好きになってた。


今の俺は、もう音楽なんかやってない。

会社勤めして、毎日スーツ着て、真面目な顔して働いてる。

嫁さんと子どもがいて、見た目にはちゃんとした家庭。


……あちゃぴとは、あのあと結婚しました。


いろんなことがあったけど、俺たちは乗り越えたんだって、そう思ってた。


あの足のことも、DMの違和感も、全部“昔の話”。

金縛りも、香水の匂いも、もう何年も起きてなかった。


でも、ある晩――


「コツ……コツ……」


窓を叩く音が、聞こえてきた。

久しぶりに、あの、低くて、間のあいた音。


その瞬間、心臓がギュッと縮む感じがして、思わずカーテンの方を見た。

でも、何もいない。

ただ音だけが、耳に焼きついて離れなかった。


最初は気のせいかと思った。

でも、何日かしてまた聞こえてきた。

そして――靴箱を開けたとき、見つけた。


ロッキンホースバレリーナ。

くすんだピンクの、あちゃぴが昔履いてたやつ。

それのつま先に、泥がついてた。


あの靴、ずっと靴箱の奥にしまってあった。

誰も履いてないはずなのに、泥。乾いた土が、こびりついてた。


そのとき、ようやく思った。

ああ、バレたんだなって。


俺、実はちょっとだけ。

いや、ほんのちょっと。出来心ってやつで。

一回だけだよ?会社の女性と食事に行ってしまった。

でも、わかってた。

もし“あの子”がまだどこかにいるなら、こんなこと、絶対に許さないだろうなって。


たぶん、いま家にいるあちゃぴにはバレてない。

でも、“もう一人のあちゃぴ”にはバレてる。


だからまた、来たんだと思う。

夜な夜な、窓を叩くあの音と、泥のついた靴と一緒に。



……まあ、いまさらビビっても仕方ない。

俺はこの家で、家族と生きていくしかない。

そのうえで言えるのは、これだけだ。


バンドマンとは、絶対に付き合うな。

メンヘラとは、ほんとに、絶対に付き合うな。


俺を見下ろす慈愛に充ちた表情を受け止められる自信がないのなら。

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