シン・死人の誘い
L0K1
第1話
風のない夏の夜、真っ暗な空間にぽつりぽつりと橙色の明かりが浮かび、静けさの中で二人分の足音だけが響く。
時折、わずかに吹く風が肌にまとわりつく汗を冷やし、全身に走る悪寒にも似た気持ち悪さによって、より一層二人の足取りが重くなってゆく。
「ごめんな。やっぱり、ファミレスでだらだらせずにさっさと帰ればよかったな」
彼は申し訳なさそうに、それでいて笑顔のままでそう呟いた。
「ううん、私がゆっくりしたかったんだもん。気にしないでよ! 私だって、祝日の終電が普段より早いだなんて知らなかったもの」
「ごめん、俺も大事なことすっかり忘れていたなんて……終電に間に合うと思ってて結果これ、だものな」
彼は私を励まそうと笑っているけれど、その表情はとても苦さを堪えているといったものだった。
終電――平日より早くて、電車に乗り遅れた私たち。
月明かりもない、むしむしとした深夜のアスファルトが、私たちの行く手を阻むように足取りを重くさせていた。
慣れない道をただひたすらに、見知った道への方角に進むだけ。
もう、何時間歩いたのだろう? アスファルトと緑草、肥料が混ざり合った香りにはもう飽き飽きしていたころ――ついに、恐れていた事態が起こってしまったのだ。
スマートフォンのバッテリー切れ。
「ねえ、ねえ! 大変、バッテリー切れちゃった! マップ、出せる?」
「うん、待って――」
私は、彼の袖を引っ張りながら、出来るだけ小さな声で、それでもきちんと大きな声で、慌てながらもそれを隠すかのように伝えた。
――彼がスマートフォンの電源ボタンを押すと、画面が青白く光り、その右上に表示された電池マークに二人の視線が合わさると。
「やば!」
「ないじゃん!」
見事に二人の声も合わさるのだった。
バッテリー残量は残り僅か、おそらく、マップを開いて位置を確認して、進む方角と大通りと、出来るだけ安全で明かりのある道を――なんてしていたらバッテリー切れだ。
「とりあえず、マップを開いて確認してみるよ――ええと……あれ、違う」
焦り、からなのだろうか? 彼が少しだけ操作を間違えたり、戻したりしているうちに、みるみるうちにバッテリーが減っていき――案の定、肝心なところで画面に赤いバッテリーマークが表示され、直後に深淵だけが虚しく残っていた。
「ごめんな、操作遅くて」
彼は、少しだけ潤んだ瞳をしながら、下唇を軽く噛み、こちらを子犬のようにちらちらと見ている。
「仕方ないよ。方角はわかったし、大通りもわかったから平気。迷ったらコンビニで道聞こ?」
「うん、頼りなくて、本当にごめん」
「もう、ごめんばっかり! 普段は私の方が頼ってるから、時々頼られるのも悪くないよ?」
それは私の強がり、ではなく、本音だったのだ。
近道のつもりで入った田舎道も、今ではただの後悔でしかなかった。
うっすらとした街灯の明かりが等間隔で続き、畑や草木の匂いが、むしろ街から離れていっているのではないかという不安を掻き立てる。
先ほどのむしむしとした暑さは消え、ひんやりとした空気に包まれているようにさえ思える。
ひっそりと佇む電話ボックスが、まるで私たちを冥界へと
そんな風に考えていた私は、胸が締め付けられるような感覚に陥り、喉に強い渇きを覚えた。
「待って、少し、休憩! 水分補給にしよ」
「うん、そうだね。この通りを抜ければ、大通りに――」
そう言葉を濁した彼だったが、この時、路地から抜けて右折してくる大型のダンプカーに視線も気持ちも全身全霊が固定されていたのだろう。
ダンプカーのエンジン音にかき消されて、彼の言葉は聞こえなかったけれど、私の目の前に黒く大きな物体が迫っているのだけは、その一瞬の出来事の中で強く記憶に残っている。
――逆に、それしか覚えていない。
次の瞬間、私は、彼に右肩を掴まれ、思い切り投げ飛ばされていた。
宙を舞うかの如く、私の視線は黒い塊から地面に、そして空にと一回転――吹っ飛んだ私は、気付いた時にはすでに薄汚れたアスファルトに叩きつけられていた。
それと同時に、近くで聞こえる異様なまでの
水風船は、赤と白の真っ赤な液体を辺り一面にぶちまけ、その周りに白い破片が散らばっていた。
そこには、もう、私の知る彼の姿はなかった――
あれから、どれほどの月日が経ったのだろう? 今ではもう、時間の感覚すらままならない。
どうしてだろう? ここは、いつもの私の部屋のはずなのに、そこはなんだかがらんどう。
風がない、と思えば、窓もなく、匂いもない、と思えば、無機質な机に、ベッドだけ。
人の心は簡単に壊れちゃうって聞いた。
――きっと私は、壊れている。
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