第27話 孤独の中に求めたものは
「リーズ!何やってるんだ!」
ジェラルドと、あれはローランか。
雨風が強まる中、私はエグモントに石碑に押さえつけられ身体を暴かれようとしていた中、走ってこちらに近付いてきたジェラルドとローランによって引き離された。
二人の手はエグモントをすり抜け、すぐに私はジェラルドの胸の中に収まった。
ジェラルドもローランもびしょ濡れだったけれども、ほっと安堵したような表情を浮かべた。
「雨が降ると言っていただろう!なぜいつまでも帰ってこない?!」
「ベアトリスからリーズが石碑に行ったと聞いて、殿下が飛び出ていったから大変だったんだぞ。少し反省しろ!」
ジェラルドとローランに怒鳴られるが、何が起こったのか私は頭の整理がつかないでいた。
ジェラルドの胸からパッと振り返ると、エグモントがそこに立ち竦んでいた。
フワフワと足元は宙に浮き、向こう側が透けて見える。
石碑から離れると、やはりこんな風にしかエグモントに会えない。
「エグモント様……」
ジェラルドの眉がピクリと上がる。
「エグモント、いたのか。リーズをこんな雨の中ここに留まらせていたのはエグモントなのか?」
ジェラルドの声が少し怒っているのが分かる。
ジェラルドは、私をローランに渡し、そして石碑の方を向く。
そこにはエグモントが立っていて、じっと私達を見つめていた。
その瞳からは光が消え、感情が見えない。
「エグモント。俺はどうしたらお前に償える?俺への怒りをお願いだからリーズに向けないでくれ。あの時、俺が無理やり外出しなければあいつらに目をつけられることもなかった。あの事件の発端は俺の身勝手な行動のせいだったのは分かっている。本当にすまなかった。エグモントにもリーズにも、キルシュネライト家にもどう償っていいのか未だによく分からない。だけれど、リーズをお前のいいように使うのだけは止めてくれ。リーズは関係ないだろう?」
ジェラルドが悲壮な声でエグモントに語りかけた。
エグモントの事件。
王城に忍び込んだ輩に刺され、エグモントが命を落としたその事件。
ことの発端は、ジェラルドがお忍びで出ていた王都でその犯人たちに絡まれたことだった。
確かに発端はジェラルドの外出だったのかもしれない。
だからといって、王城に忍び込もうなんて普通は思わないし、エグモントはジェラルドの護衛なのだから当然の仕事をしただけだった。
もしかすると、ジェラルドはずっと自責の念と戦ってきていたのか。
「エグモントとリーズが婚約して、リーズがすごく嬉しそうで、俺はずっとその相手だったお前に苛立っていた。それなのにエグモントはいつでも俺に優しくて、俺のわがままにも他の誰よりも向き合ってくれていた。俺は自分勝手なことばかりして手に負えないと言われているような子供だったのに、エグモントだけは俺のことをずっと慈しんでくれるような、誰よりも出来た人間だった。それなのに、今はリーズを縛り付けるだけの存在になっていないか?もう、リーズを解放してやってくれ。このままだと、リーズもエグモントも先に進めない」
ジェラルドの声は震えていた。
我儘を言う以外でこんなに感情的なジェラルドは初めてだった。
エグモントは、下を向いてじっと佇んでいる。
雨風はどんどん強まっていき、エグモントを消し去ってしまいそうだった。
『僕は……ただリーズが好きなだけで!』
エグモントが、突然叫ぶように声を絞り出した。
この声は私にしか聞こえていないけれども、ジェラルドはまるでそれを直接聞いているかのようにずっとエグモントが立っている石碑の方を見つめていた。
『リーズと結ばれれば、リーズの巫女の加護の力も強まっていつまでも僕を留めてくれるのではないかとか、あわよくば他の人達とも触れ合えるようになるのではないかとか、色々な可能性を考えていて。そもそもリーズは僕の婚約者だし、そういう関係になっても問題ないだろうと。僕がリーズを好きじゃおかしいのかな。僕がリーズと結ばれるのはおかしいことなのかな。でもそんなことはやっぱり出来なくて。結果としてリーズを僕に縛り付けているだけになっているかもしれないなんてことは分かっている。けれど、可能性に望みを託したら駄目だったのかなぁ?!』
私にしかこの叫びはもちろん聞こえない。
聞こえないけれども。静寂の中に響き渡るその叫び声が、ジェラルドやローランにも届いているような、そんな気がした。
そして、その言葉を聞いて、私という存在が逆にエグモントをこの世に縛り付けてしまっていることに気が付かされた。
私がエグモントを欲すれば欲するほど、エグモントを次の生に向かっていけなくしていたことに気が付いてしまった。
生前のエグモントの言葉が思い出される。
―――現の死者にとって、心残りがあり続けてこの世を彷徨い続けることが最も不幸なことだからね。
私はずっと何を考えていたのだろう。
他の現の死者に対しては、きちんと対応できていたことなのに。
どうしてエグモントには、ずっとここにいればいいなんて思っていたのだろう。
「リーズ。殿下はずっと心配していた。エグモントとリーズが繋がり続けていることは、エグモントにとってもリーズにとっても不幸なことなのだと。だから早くエグモントに次の生に向かって行ってもらわなければならないのだといって、殿下は必死で未来の王となるべく向き合ってきた。リーズがこのままでは巫女でいられなくなってしまうのも苦慮していた。だから殿下は自分がリーズと結婚し、一夜だけ共にしたらもう終わりにするつもりだったんだ。リーズに嫌われてもいいから、リーズのアイデンティティとなる巫女の力だけは守って、そこからは王家としてリーズを絶対に守り抜くと言っていた。リーズが望まないのであれば、夜を共にせず巫女の力が消えても仕方ないとも言っている。それでもずっと守り抜くから、と。殿下がリーズと結婚しても、子をなさなければここでお受けの直径の血筋も途絶えてしまう。けれども、それでも構わないから、そうするのが自分の償いだと言っていたんだ。分かってやってくれ」
私を抱きしめながら、ローランが私にだけ聞こえるように言った。
エグモントとジェラルドは、まだ向き合っている。
そうしている間にも、雨風がどんどん強まって、私達を体の芯から冷やしていく。
「エグモントが現の死者としてこの世にいるという報告をリーズから受け、エグモントの心残りは俺とキルシュネライト家とリーズのことだと聞いた。俺は、もう大丈夫だ。エグモントの死を無駄には絶対にしない。国民のために、平和を護りながらきちんと向き合っていく。けれども、多分次代には繋げられない。だから、ジョシュに王家の権限は譲るつもりだ。あいつならしっかりやってくれる。ベアトリスもきっと次代をきちんと育ててくれるはずだ。
キルシュネライト家ももう安泰だろう。弟は立派に成長している。キルシュネライト侯からも、もう大丈夫だからエグモントには次に向かって行って欲しいと思っていると聞いている。
リーズに関しては……王家で必ず守る」
エグモントは俯いていた。
そして、ジェラルドの言葉を噛みしめるように聞くと、空を見上げた。
エグモントの視線の先には、分厚い雨雲が大雨を降らし、その雨はだんだん横殴りの強いものに変化していく。
「殿下!これ以上ここに居たら皆体を壊します。もう戻りましょう!」
ローランが叫ぶ。
それに合わせてエグモントが私の方にフワッと近付いてきた。
エグモントの方を見やると、エグモントは、憂いを帯びた優しい目で私を見ていた。
「エグモント様……」
私の目線の先が変わったのにジェラルドとローランが気が付き、私が声を向けた先を見た。
ローランは、すぐ側に来たエグモントを感じたようだった。
「エグモント、ここにいるな?」
『ローラン。僕は、君と親友で良かった。君が居てくれたから、僕は頑張れた。君と会えたことが僕の何よりの宝物だ』
ローランに向かってエグモントが微笑みながら言う。
エグモントとローランは、ずっと親友でありライバルであり戦友だった。
学生時代からずっと切磋琢磨して競い合ってきた一番近しい友人だった。
きっと、どんなことも言い合う素敵な関係だったのだろう。
『リーズ。思い出したよ。僕がリーズと婚約する前の僕の願い』
エグモントがニコリと微笑んだ。
昔の、兄のような柔らかな優しい眼差しで。
『殿下とリーズが結婚すれば、我が国は安泰だと、そう思っていた』
あの当時の周囲の人達と同じように、私とジェラルドが結ばれる未来を期待していたのは、エグモントもやはり同じだった。
エグモントと婚約をしたから、エグモントはそう思っていなかったと自分自身に言い聞かせていたけれど、エグモントも本当は周りと同様そういう思いを持っていたということだったか。
「お兄様。今エグモント様が、私と婚約を結ぶ前は私と殿下が結婚することを望んでいたと言っているのですが本当ですか?」
私は、エグモントからそんな話を聞いたこともなかったので、ローランに尋ねた。
ローランは、わたしの方を見てふぅと一息つく。
「本当だよ。エグモントはずっと言っていた。殿下とリーズが結ばれることが、この国にとって最もいい未来だと。今だから言えるけれど、王命でリーズとエグモントの婚約話が出た時には、エグモントは一度拒否している。殿下と結婚すべきだと言ってね。それでもエグモントが選ばれてからしばらくは、ひとまずは婚約者として頑張るけれども、最終的には殿下を選んだ方がいいとまで言っていた。ごめん、黙ってて」
やはりそうだったのか。
私はエグモントを見やる。
『ごめんね、リーズ。僕はリーズのことは好きだったけれど、やっぱり当時は妹のような存在にしか思えなかった。君が僕に好意を向けてくれるのは嬉しかったけれど、本来ならば殿下に向けてほしいと常に思っていた』
……そんなことは、本当は分かっていた。
私のことなど親友の幼い妹という風にしか思っていないだろうと。
だからこそ、いつかエグモントに似合うご令嬢になれるように、より一層努力していこうと強く思っていたのだ。
『歳を重ねて、リーズがどんどんきれいになっていくから、僕の中での感情は明らかに変化したけれどね。リーズのことが好きな気持ちはもちろんあるよ。けれど、もしかすると、リーズしかコミュニケーションが取れないから、こういう特殊な状況だからそう思ってしまったのかもしれないね』
エグモントが少し寂しそうな目線で私の方を見た。
今エグモントが言っていたことは、私が見ないようにしていた現実。
心の奥底で、もしかしたらそうなのかもしれないなんていう気持ちは燻っていた。
けれどもそれを事実だと認めたくなかった。
だから、そんな疑念は心の蓋の内側に閉じ込めていた。
けれど今。
エグモントにこうしてはっきり言われたことで、その事実に向き合わなければならない時がやってきてしまった。
エグモントが、私としか出来ない対話のおかげで私に依存しているというこの事実。
これは、現の死者と向き合う中では一番してはいけないことなのだろう。
この世への未練を断ち切るどころか、新たな未練を作ってしまっているのだから。
私はきちんと現の死者であるエグモントに向き合わなければならない。
「エグモント様。私はもう大丈夫です。巫女としても、リーズ・バシュラールとしても、もうエグモント様に頼らずともやっていけます。寂しいけれども、やっていかなければなりません。だから、エグモント様は安心して次の生に向かっていってください」
『リーズ……』
「いつかまた、エグモント様に会えることを祈っています。私はあなたを尊敬しています」
雨と涙できっとぐちゃぐちゃになっていたに違いないその顔を必死で取り繕いながら言葉を紡いだ。
にこりとエグモントが微笑んだ。
けれども表情は少しだけ憂いを帯びていて、だらりと垂らした腕の先では、両手がギュッと握られている。
そして、雨のせいだろうか。
エグモントは笑顔なのにもかかわらず、泣いているように見えた。
現の死者は涙など流すことはないのに。
『先に進むよ。リーズの気持ちも、僕を超えていけそうで良かった』
ふわりとエグモントが雨の中、空に舞う。
「……エグモント様が逝くようです」
ジェラルドとローランも上の方を見やる。
その一瞬だけ、雨風が弱まったような気がした。
エグモントの身体が少しずつ雨と一体化していく。
『殿下と仲良くするんだよ』
最後、一言残すと、エグモントはキラリと煌く光となって、雨の中に溶け込んでいき、消えた。
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