第7話 とうとう、四日目。

結論が出ないまま夢に舞い戻った。

潮騒が騒がしく、波に船が揺れ、体が傾く。

何も変わらない。



今夜を含めあと二晩で謎を解かないといけない。

芦田先生の行方、林先生の死、高久の怪我、何も解決していない。

ボート部の二人と文芸部の御園と話ばかりしていて、結局、祖父が何か知っている素振りを見せたことに呆然とする。

その祖父に貰ったリュックを手に寝床についたわけだ。

明らかにこのリュックは新品で新しい。祖父が購入してきたことは間違いない。

中身を確認する。

縄梯子に懐中電灯、フック付きの縄に、寝袋、救急箱、菓子類にゴミ袋が入っている。

完璧だと思った。

どうして、祖父はこれをわたしに渡したのだろう。明らかに島の事を知っているとしか思えない。



周りを見渡し、二人に声を掛けようとしたが、何かが違った。

目を凝らし、船全体を見渡す。何だろう。小さくないか?

いや、間違いなく船が小さい。

いや、それどころじゃない。

来栖の体を揺すって起こした。


「来栖先輩! 起きてください!」


 揺すっても起きない。どうして、なんで。

 私は力強く揺すったが、全く起きる素振りがない。

周りを見渡す京子はやはりいない。というか、前に来栖、後ろにわたし、船は一回り小さいのはそのせいだ。


「ちょっと、起きてくださいよ! 京子先輩が居ないんですよ!」


 来栖はやっと眠そうに体を起こした。


「あぁ、勘崎か……、で、出発はまだだな」

「そんな場合じゃないんです。京子先輩が居ないんですよ。何とかしてください」

「なんとかって言っても……」

辺りを見渡し、来栖がやっと気づく。



「そうか、京子、もしかしたら謎を解いて脱出できたんと違うか……」



確かにそうかもしれないが、違ったらどうするのだ。来栖は大きな溜息を吐いた。


「よし! これでもう大丈夫って奴や。明日その方法を聞いて、俺らも脱出しよう。それで終わりだ」


ホッとする来栖に、わたしは首を振る。

「それならいいのですが、夢に居ないということは何か京子先輩の身に起きた可能性もあります」

「おいおい、縁起でもないこと言うな!」


 喜んでばかりもいられない。


「考えても始まりません。目が覚めてから京子先輩は家に確認に行きましょう。それより、今晩を含めあと二日です。万が一を考え、謎を解かないといけません。島に行きましょう!」


 来栖は唇を噛み締め目を細めた。



「そりゃ無理だ」



「無理って、諦めたら駄目でしょう」


来栖は拳を握り締め片手で、船底を拳で殴った。


「そやけど、無理だ。俺とおまえでどうやって島に行くねん……。おまえ、船漕げへんやろ?」


高久や京子のように漕ぐことは出来ないが、三晩近くでそれを見てきた。思うようにはできなくても、多少なりとも自信はある。

来栖の隣に無理矢理に座ると来栖に舌打ちされた。


「本当に漕ぐきか?」


「当たり前でしょう。島に行かないで、どうするの!」



わたしはオールを握る。手に余る大きさだ。正直この時点で上手く漕げる気がしない。来栖も隣でオールを握る。肩と肩が触れ合う。そんなことを気にしている場合ではない。



漕ぎ手を大きく振って、準備する。

「3・2・1・オー、キャッチ、ロー、キャッチ……」



オールは予想以上に重かった。

体重をかけてオールをてこの原理で持ち上げたはいいが、それをコントロールして水面に刺し入れるには、オールを立てて着水させなければならない。

だが、水面に向けた漕ぎ手はいとも簡単に波に弾かれた。

弾かれたオールは手から離れていく。

再度、チャレンジ、押し込んだ後、上にあげるが、その時の新入角度を確認する。

パドルの向きを真直ぐにするのがいいとすぐ分かる。パドルの水面へおn着数最適と思われてもl・張力が最悪なところを刺し込みが成功しても粘土に刺した棒切れを動かそうとしてもビクともしない。


単純にただ漕ぐことの難しさを理解した。


「来栖先輩……、これって……、できない。ごめんなさい」


「当然や。素人に直ぐ漕ぐのは無理や、ただ、こうなることも想定出来たのに、俺はお前に漕ぐ練習をさせなかった。全く俺は馬鹿だ。阿呆うだ。くそっ、ごめんな、勘崎……すまん」

 来栖はオールを放り投げた。



 わたしを責めずに自分を責めた。そして悔しそうにしている。この人、こんなだったっけ。


「ねぇ、練習します。だから、今から教えて下さい!」


 一層苦虫を噛みつぶしたような、微妙は表情を見せる。

「あのなぁ、漕ぐ筋肉が今日明日やそこらでつくわけないやろ。まず絶対に言えるのは筋力不足や……、どうにもならん」

 わたしは諦めきれずにオールを何度も海面に突き刺す。滑るような速度、美しさと力強さを得るには相当な練習が必要だと打ちのめされた。

 絶望し肩で息を吐く。


来栖は、もうオールさえ手にしていない。



「もうええやろ。諦めろ」

「嫌です」

来栖は頭を掻いた。




「考えても、よく分からんな。何でこんなことになったんだろう。俺が悪いんだろうな。俺が林先生に頼んだから、こんなことになって、多分、俺が悪いんや。勘崎、謝らせてくれ」


「何ですか、それ、止めてください。気持ち悪いので……、来栖先輩が謝るとかやめてください」


 少し言いにくそうにした来栖だったが、意を決したように話し出す。

「多分、勘崎は関係ない。どういう訳か知らんが巻き込まれたんだと思う」

「なぜ、そんな事言うんですか」


「これは、俺たち三人のことだった。俺と高久は共に京子が好きやったんや。京子が林先生に小説を貰ったと聞いて同じ小説を二人で先生に言って譲ってもらった。それがお前の《幻岩島の謎》やったんや。俺は読んで話のネタにしようと思うてた。当然、マーティも同じやと思う。俺たち、同時に告白して京子に選んでもらうつもりやったんや」



「同時に告白ですか?」


 男子の考えることはよく分からない。そんなので選べるわけないのに――。


「それまでに色々あったけどな、結局、マーティは、ヘタレで俺だけ告白した形になってしもた。あいつが言うまで返事もらわんように逃げてな、だって嫌やろう。京子見てたら分かるしな」



 もしかしたら本当に京子の言った通り、これは来栖の夢なのだろうか。


「彼女の本心は分かってるつもりや。京子はマーティが好きやった。だから、奴にもきちんと告白させたかった……、それで目の前で選んでもらえばあきらめもついた」



 来栖は既に京子を諦めていたのか――。

そうであるなら、この世界は京子の言う来栖の夢ではない気がする。

来栖自身の夢なら彼は脱出せずにずっと一緒にいることを選ぶのではないだろうか、現実が彼にとって残酷なら、少なくとも夢の中だけでも幸せになろうとしないだろうか。嫌、来栖が夢に三人を誘って高久に告白の場を与えたかったのだろうか。男同士の友情?


 何なのだろう。もう訳が分からない。


「謝りたいのはお前の小説を読みたい訳やないのに読み始めたことだ」



えっ――。



この人何を言ってるの、まただ。



「読む動機が不純だってことや。京子が読んだ本、同じ本を読んだことで、彼女と同じ会話ができることを喜んだ。でもな、京子と話すために全部読んだわけじゃない。読む手が止まらなかったんだ。俺は部活で時間がとられるから、あんまり小説とかは読まない。小さいころに図書館で借りた本も最後まで読んだことは一度もない。それがお前の小説だ。ひいき目に見ても面白かったぞ」



 初めて、同年代の人間に喜んでもらった事が嬉しかった。面白かったと言ってくれたことに感激だった。


わたしは、来栖に向き直った。こんな場で違う気もするが、星の海を見上げながら二人で夜中を通して小説の話をするのも楽しいかもしれない。


「あのなぁ勘崎」


来栖が呟いた瞬間だった。

突然に海に何かが落ちた。

大きな音をたて、波を掻き必死にもがく人影が見えた。

同時に女性の叫び声が聞こえる。



「助けてぇ―」


「京子か!」


 来栖はすぐに反応した。器用に片側のオールだけを使って、彼女にボートを寄せた。手を伸ばして体を仰け反るように外に放り出し腕を伸ばし、京子の腕を絡み取った。ひっぱり、次に彼女の体を船に引き揚げた。


 びしょ濡れで船に転がったのは間違いなく美馬京子であった。塩水を吐いて、ぜえぜえと船上で震えながら餌付いている。


「大丈夫ですか?」


 わたしが京子に近づく。完全に海に使ってびしょ濡れである。


「なんで、どうやったんや、どうなってるんや?」


 船上にタオルはない。体を拭いたり温めたりするものもない。ただじっと彼女が落ち着くのを待つしかなかった。

まだ、肩で息を続けているが、しばらくして彼女が口をゆっくりと開いた。


「眠るのが怖かった。お姉ちゃんに理由は言わず、一緒に居てもらったんだ」


顔は沈んで青白い。彼女はもう全てを捨てているような諦め顔をしていた。下を向いている姿は泣いているようにも見える。

「手、どうしたの手、」

 両手は赤く腫れていて、血も滲んでいる。彼女は手を引っ込めた。

 顔を赤らめる。

恥ずかしいからじゃない。情けない顔だ。



「眠りそうになったら揺すったり抓ったりしてと頼んだ……。眠らなかったら、悪夢を見なくて済むかも……、ここに来なくて済むかも……、そう思って、もしかしたら、ここから脱出できるかもって……、何度も死にたくなるくらい恐ろしい睡魔に襲われ、寝てしまいそうになったら、お姉ちゃんに助けてって叫んで、叩き起こしてもらって、それを繰り返して……でも駄目だった……。気づいたら海の中に落ちた……」



 わたしは声を荒げた。


「大丈夫……、京子先輩……」


 大声で泣き叫ぶ。


「なんで、あんたは平気なのよ! こんな馬鹿げた世界に来てるっていうのに、有り得ないでしょう。なんでなの!」


「わたしだって、困ってる。でも逃げてもどうにもならない」


「私は逃げたいの」


「違う。京子さんは逃げてない! そうやって脱出しようって戦った。わたしも戦ってる。一緒!」


 わたしは京子に抱きついた。

「一人で戦わないで、一緒に戦いましょう! 京子先輩! 一緒に」

 そう、京子先輩は戦っている。戦っていないのはわたしのほう、わたしも京子先輩も大声で泣いた。


 来栖は腕をぐるりと回して骨を鳴らす。


「とにかく、助けられて良かった。悪いんだが、時間がない。泣き止んで貰えないかな。色々考えたいことがある。少し変なことが起きているから」


 京子が泣き止んだので、わたしは顔をあげて来栖を見た。

一点を見つめている。

そこに船が一艘浮かんでいた。

今起きたことを言葉にしてみる必要がある。

京子さんは来た。けれどだ――。


「来栖先輩、京子先輩、聞いてください」


来栖が首を傾げた。



「新たなルール……」



京子もわたしを見て、呆然としている。

「だって、そうでしょう。これって新ルール。夢に来る時間は多少なら抗える。変えようと思えば変えられるってことでしょ。ね」


「時間ね、そうみたいやな。でも、それって何の足しになるっていうんや。眠る時間は変えられても船は一艘だから海に落ちてしまうぞ」

「船」



わたしは指差した。



オールの先にぶつかったのが船であることに、来栖と京子が気付いた。すぐに来栖が、船から身を乗り出し、ぶつかった船を手繰り寄せた。月明りに照らされた船は輝いている。

京子も、わたしも、そのゆったりと近づく船の姿に目を見開く。来栖は何とか掴んだ船を引っ張って引き寄せた。


「でも……、小さいな。同じ船じゃなさそうや」


そこには手狭な一艘のボートがあった。


「一人漕ぎボートや……」


「見て分かった。隣通しに座って左右でオールを持って漕ぐ、今までの船と違い、そこにあるのは、一人で左右のオールを手にもつ船、一人漕ぎの船」

 来栖と京子は頷きあう。


「私、夢にやって来る時間と人数でボートは変化するんだって思うんです」


「そうだな。でも、それって何の足しになるっていうんや。眠る時間を変えれば船の形が変わるってことやろう。何も意味がない」

 来栖は京子に近づく。京子はピクリと反応する。

「行けるか?」

 京子は顔をあげた。

「焦げそうか? 無理ならあっちに乗り移って俺が一人で漕ぐ手もある。詰めたら、三人乗れるかな……」

 京子は首を振る。


「一人より、わたしと漕ぐ方が絶対早い」

「いけるんか?」

 京子は濡れた髪を頭になでつけ震えていたが、立ち上がる。


 濡れた髪が頬に張り付き、水を含んだジャージは絞れば海水を、まだ沢山絞り出せそうだ。吹っ切れた顔をしていた。来栖をじっと見つめた後、スッと隣に座る。



「勘崎さん、カウント、お願い」

 京子が見つめてくる。来栖も見つめる。

 わたしがカウントを――。

 二人が頷く。

「3,2,1、」

「キャッチ、ロー、キャッチ、ロー」

京子が必死に漕ぐ。来栖があわせる。

二人が漕ぐボートは美しく滑るように海原を走り出した。


速い。


オールを一まわしも出来ないわたしとは大違い。


御園が言った。


京子、来栖、二人のどちらかが犯人かもしれないという疑心が愚かに思えた。


間違いなく二人は夢から出たがっている。

彼らが犯人の訳がない。

御園が言ったからじゃない。

わたしがそれを信じて、二人を疑った。

必死な二人に報いることがわたしには出来るだろうか。



一生懸命な二人、わたしは、この四日間、彼らが居なければ何も出来ていない。船を漕げないし、島へ皆を連れて行ったり、ランプをつけたり、暗く入り組んだ洞穴の出口を探し出したり、友達を探す為に縄梯子で降りたり、本当に友達の事を心配したり、何も出来てない。


わたしが出来ることなんて、何もない。


島の入口が見える。



《剩下二天》



悪夢を見たように恐ろしい文字。洞穴を抜け、やっと桟橋に到着した。船が一艘停泊している。

木の階段を上り、懐中電灯のスイッチを入れる。見取り図の部屋で来栖が立ち止まる。また、再びランプを手に取った。

「また、ランプ? 懐中電灯のほうがいいでしょう」京子が声をかける。「先を急ぎましょう」

来栖は名残惜しそうにランプを地面に置いた。

岩の通路を抜け地上に出る。葦の広場にゆっくり街を取り囲む城壁のような壁に進み出る。


「鍵縄、とりにいくか……」


 わたしは、リュックから縄梯子をとりだしてみせた。

「マジか、あるんか。もう一つ。よっしゃ、まかしときや」

来栖が手を伸ばす。

「用意がいいわね」

祖父のことを話そうと思ったが、すぐに来栖が縄を鷲掴みにした。

「俺も、この鍵縄をさがしたんやけど、家にも店にも売ってへんかった。ネットには売ってたけどな。昨日使った奴は、例の場所に置いたっきりやから、もう一つ持ってきたってことやな。ようやった!」

わたしは頷く。



京子とわたしは少し離れた。彼が勢いをつけ振り回し、縄を壁に向かって投げる。壁の向こうに先端が落ちた。ゆっくり引っ張ると先が壁の上で引っかかったように見えたが、こちら側に落ちる。

「もう一回!」

四度目で、やっとフックが壁の上に引っかかる。縄がピンと張った。「お先に」と、来栖はするすると縄を登り壁の上に到着すると、わたしのリュックにある別の縄梯子を手を伸ばして受け取った。

京子、わたしの順で縄梯子を上る。二人が一言も言葉を発せずに街を見ている。

そんな二人に追いついて壁の上に到達した。街が見える。

直ぐに、壁の上から街を見て血の気が引いた。


分かってはいたが人など全くいない廃墟であった。外周を一周進んだあたりにこの街に入る門が見える。そこから真っ直ぐに大通りが伸びており、中央に、城のような建物がそびえ立っている。


「とにかく、中へ降りよう」


内側の壁は背丈ぐらいの高さであり、飛び降りることは可能である。建物に近づくと、壁が崩れた建物が半数、まともそうな建物が半数を占めるひと気のない城下街といえる。



京子が鼻を抑えた。酷い不快な腐臭がする。

「どこかに腐った死体があるんやろう」

来栖が指さす先にも遺体はあった。

思わず目を覆う。目の前に衣服を着た人間の姿が転がっているのだ。

京子は一歩下がる。

「京子、時間があらへん。行くぞ」

来栖の言葉でわたし達は石畳の街を走った。

目の前に転がっている遺体とは別に、服を着た白骨遺体もある。


「ねぇ、どこに行くの」


 京子の質問に来栖は先を指差す。来栖は待たない。時計をチラリと見て走っている。向かっているのは、中央を割る大通りである。


 先に到着した来栖は膝に手を置き、わたしたちを待っている。また、時計を見た。



「今……、時刻は二時前や五時まで時間は二時間半しかない。そして、俺らには今夜と明日しか時間は残されていない。この街に秘密があると思わないか、街を三つに分けて調べるんや。そして、四時にここに一旦集合する。どうや」



「そうね。それがいい。そうしましょう」

京子は素早く賛成した。

わたしも頷いた。


来栖が周りをぐるりと見渡して、「勝手に決めていいか! 勘崎は通路が分断する右側、京子は左側、俺は向いの大きな城を調べる」

「わかった」

 京子、わたしが頷くのを見て、来栖は頷く。

一目散に中央の大通りを走って建物へと向かった。



 わたしと京子が残された。


「京子先輩、一緒に夢から脱出しましょう」

未だ濡れた髪と服で俯いていた彼女は、わたしを見て、笑顔で頷いた。

彼女を少し見つめてから、わたしは自分の受け持った右側を回遊することにした。

建物を一つずつ見て行く。まず、一番近くの平屋に近づいた。コンクリの打ちっぱなしのような建物、扉は壊れて地面に転がっている。室内には砂ぼこりが入っており土があがっている。靴のまま中に入る。生活感はあるが、住まなくなって幾十年も経ったような様子である。

全てに埃が積もっていた。

こんな場所に何か脱出の秘密などあるのだろうか。懐中電灯で室内を照らし確認していく。

入り口に古いながら、見たことのある鞄が壁に掛かっているのを見つけた。


わたしの学校の鞄。


思わず手を伸ばして掴んで手繰り寄せ、中を覗く。見たことの無い教科書とノート、首を傾げる。食べ物? 黄色の携帯栄養食品があった。

手に取って見るよくある健康食品のように思えた。文字と数字が思わず目に飛び込んだ。



――消費期限 1973.3.23――



一瞬意味が分からなかったが、五十年前に夢に迷い込んだ人がいて、その人が持ち込んだ物だと気づいた。五十年前から、この島があることを物語っている。


リュックに健康食品を直し込んだ。後で、皆に見てもらおう。鞄の中をもう一度確認する。まだ何か入っている。今一度、入っているものを近くの棚に出していった。そして、鞄の脇に小さい手帳が入っていることに気づく。


城山高校の生徒手帳に似ている。触るとボロボロと表紙の青い色が崩れ落ちた。名前は読めないが黒染みで風化した写真の少年の笑顔には、なぜか見覚えがある気がする。

それ以上、何もないと分かると次の建物へと移った。同じように室内を懐中電灯で捜す。素早く、それでも見落としないように調べて行く。

十軒目の室内で足が止まった。丸テーブルに座る四人の人の姿が見えたのだ。

声を掛けようとして戸惑った。テーブルに座っていたのは四体の白骨死体だった。死後かなり経っているのか骨も大部分が欠損している。


骨か石か室内を歩くとザクザクと靴音が鳴る。唾を飲みこみ、一体ずつ遺体を確認していく。一番奥に座る男の衣服の胸ポケットに遺書を見つけた。



【 俺たちは地方新聞の現場記者だ。少年の言うことを信じていれば、取材をきちんとしていれば、それが俺たちの心残りだ。この遺書を読むものなら分かっているだろう。俺たち四人は船で漂っていた。この島を見つけ逃げ込んだはいいが、夢からの脱出方法が分からないでこうなっている。五日を過ぎてからは、向こうの世界に戻ることも出来なくなった。もう一か月経つ。何度もここで話し合うが夢から抜け出せる方法がなく、絶望した。一人が持ち込んでいた自害するための薬、今日は、それを皆で飲むことを決めた。 】



ハッと気づいた。毒薬を持ち込んで飲んだのだ。おもわず、両手を合わせた。

「わたしも一緒、脱出する方法を見つけないと、同じ目にあう。考えないといけない」


白骨遺体は他の建物にもあった。調査も慣れ次第に普通の神経で無くなっていく。遺体を見慣れるなんてあり得ない。

次の建物へ、壁に手を添えながら建物に入る。壁のひび割れから砕けて落ちてくる。おもわず、外に飛び出した。予想通り、建物の天井が崩れ落ち、砂があたりに煙のように吹きだした。器官に入って咳が止まない。

少し道路まで戻り建物を眺めるが完全に建物が更地になるほど崩れ落ちている。もし、逃げるのがもう少し遅かったら下敷きになっていた。

息が荒くなる。これは、半壊している危険な建物は調査を省かざるを得ない。

時計を見ながら、建物の調査速度をあげる。危ない建物は諦めたことで、結構調査は進んだ。

だが、進んでも何も見つけられなければ意味がない。

ずっと気になっていた高さだけなら、大通りの突き当りにある大きな城に匹敵する四階建ての建物があった。鉄筋コンクリの建物で、他の建築物と少し違う。倒れると今度こそ命はないだろう。

外壁を確認するが大丈夫のようだ。しっかりしている。まるで、物見やぐらのようにも見える。建物の窓が一番上階にしかない。

個々の建物も扉が壊れ地面に落ちている。建物が建てられたのは、結構前のようだ。扉のあった入り口をゴミのような建材を踏み越えて室内に入る。懐中電灯を照らすが、全く何もない室内だ。

あるのは、中央にある二階に続く木の階段だけである。近づいて階段に足を掛けるが、骨組みがしっかりしているようで上ることはできそうだ。

慎重に、足を運ぶ。二階も、三階も何もない。部屋の隅々まで調べたが、落書きや残されたものも一つもない。ただ、上階へ伸びる階段があるだけだ。何もなく四階、最上階に到達する。四辺に四つ、大きな窓枠があった。硝子があったのだろうか、木枠だけで外から吹き込んでくる海風が冷たい。


窓枠を眺めながら、綿密に調べて行くと、文字を見つけた。

「あった……」

見取り図の部屋と同じ筆跡だ。鉛筆で書かれた文字である。



《二日目、現実みたいな夢だ。街に人がいるか探すが誰もいない。あの島の外側の道を辿ろう。辿っていくと何かがあるんじゃないか》



釈然としない。なんだろう。この何か頭にひっかかる感じはない。不意に視界の端、ガラスのない大きな窓の先で何かが動いた気がした。

窓際により外をみる。星空が瞬く、見える景色は夜空と果てしなく広がる海原だけだ。気のせいか? 神経が昂って何かを見た気がしたのだろうか。


少し肌寒い風が吹いた。暗いが、ここからだと島の全容が見える。芦田先生、会ったことはないけど、親近感を覚える。そう、先ほどの文字は芦田先生の書いたものに違いない。この高い建物に昇り街に人がいないか、島がどうなっているのか、確認したに違いない。

島を一望できる場所で、自分たちが通ってきたルートを指でなぞってみる。

ここからだと見えないけど、多分、洞穴の入口は向こうかな、岩島の内部をぐるっと右回りに回って桟橋に到着。階段を上って見取り図のある部屋へ、そのまま指を右回りに回す。闇の洞窟、地上にでる。あの辺りが葦の林ね、そこから鎖の外周、あそこの道が崩れている。高久が落ちた場所。でも、道が続いていたら、ぐるっと右回りに、暗闇に大きく聳える街に入る大きな門がある。


やっぱり、道が崩れてさえいなければ、外周は右回りに門に通じていて無難に街へ入れたのだ。となれば島に入って大きく時計まわりに二周する一本道となる。道が崩れたのは偶然か? 誰かの仕業か? 


ぽう、と再び灯りが見えた。

「えっ、灯り……」

街の外側だ。

外周で灯りが灯っている。視線を向け注意深く観察する。あの場所は何処だろう。



 目を凝らしてじっと見る。おそらく、断崖絶壁の狭い階段が続いていた箇所だ。

岩場を反射する月明りで杭が途切れているのが分かる。降りていけるはずなどない場所に灯りが見えた。

絶対に見間違いではない。ランプの灯りに思えるが、まだ赤白く光っている。眼を擦って再びしっかり見ようとしたら、光が消えていた。しばらく見つめていたが二度と灯りが瞬くことはなかった。



「まさか、いや、その通りだ。わたしたち以外に誰かいる――」

 


高久が落ちた場所からいなくなったのも、誰かが運び出したからかもしれない。

御園の言葉が頭に今になって再びこだまする。どちらかが犯人なのか、来栖か京子が街を調べずにあそこへ行ったのか? あそこに何があるんだろう。もう一人、見つかっていない人物がいることにも気づいた。


芦田先生? 


心臓の鼓動が早鐘を打ち続ける。何か分かりかけていたことも灯りのせいで分からなくなった。

 突然に建物が崩れる音がした。また半壊の建物が崩れたに違いない。よく見ると、この四階建ての建物の壁には亀裂はあちこちに入っている。ここも絶対安全とは言い切れない。直ぐに建物を出ることにした。


四階建ての建物をぐるりと回りを確認しようとして、街に降りた時に嗅いだ死臭が強くした。瓦礫を踏み、既に倒壊している建物の屋根上を捜索した。


オレンジのユニフォームを着た首の折れ曲がった死体を発見する。


良からぬ想像が一瞬頭を駆け巡る。当たって欲しくないと思いながら、左腕で鼻を抑えながら、右手の人差し指で小柄な遺体の服を持ち上げた。腹部辺りのポケットに財布を見つけ丁寧に抜き取り中身を確認する。


免許証がある。


「林徳子……、林先生、やっぱり……」


悔しくて涙が流れた。


先ほどの上った四階建ての建物を見上げる。あの窓から落ちれば丁度ここに落下するだろう。夢の世界で先生の遺体を見つけたことに唇を噛み締めた。あそこから落ちて運悪く首の骨を折ったのだ。夢で負った怪我は現実にも起きる。だから、先生はあそこから落ちて死んだ。現実世界では、密室で落下したような跡が残り死んだのだ。


わたしを呼んで待っていた先生が、自分から死ぬだろうか、誰かに突き落とされた――。その可能性があることに、心が戦慄いた。

感傷に慕っている場合でもない。わたしは脱出する方法を捜さないといけないのだ。時間がない。免許証を懐に入れ次の建物へと向かう。

時間配分はしていた。だから、とうとう最後の建物になった時には達成感もあった。だが、明確な脱出に関する糸口はつかめていない。


建物の中へそっと入る。ここは崩れないだろうか、狭い小さい八畳間程度の部屋で壁はコンクリで出来ている。窓は二か所、中央に大きなテーブルがある。近づくと埃を払った後があった。

最近、誰かが、ここに来ている。

更に近づきテーブルを覗き込む。何か書いてある。机に黒の油性ペンで書いた文字があった。

油性ペンは初めてだ。芦田は全て鉛筆で書いていたから、別の人間が書いた気がする。

文字を読む。



《逃げ出せるのは一人だけ早い者勝ち》



一人――。


そんな――。


京子と一緒に脱出しようと誓ったのに、一人だけとか、そんなのありだろうか、もう一人の人物が自分の名前を消したのは、一人だけしか脱出できない事を知っていて、それを成し遂げた裏切り者だったから、その名を消したのか。


新たな六つ目のルールが発見されたことになる。出口さえ見つければ皆が脱出できると思っていた自分が浅はかに思えた。


芦田は、島に散らばる情報を集め、ルールを纏めて記載したはず、このルール。あの見取り図の部屋に書いてあっただろうか?

そう言えば、芦田が書いたルール表を見つけたと言っていた。それを見たのは来栖だった。


そもそも五つのルールは来栖が見取り図の間でテーブルに書かれた芦田の文字を見つけたもの、六つ目のルールを敢えて皆に伝えなかった可能性はある。

暗い部屋で二人が秘密を見ることができないのをいいことに自分だけ知って話さなかったとしたら、わたしと京子は島に置き去りにされる。



待ち合わせの場所に戻る。



そろそろ四時になるが二人はまだ戻っていない。

わたしは一人待ち続けたが、とうとう四時半になる。さすがにおかしい。来栖は一人で脱出したんじゃないだろうか。目の前にある大きな城を見る。どう考えても、この建物がゴールな気がする。やはり、先ほどの灯りは来栖なのか、疑いたくない。


ひとまず京子を捜すことにした。大通りの左側の建物を覗き込みながら声を上げて探す。


 一軒一軒、京子の名前を呼び建物の中に懐中電灯の光を向ける。誰もいない、時間がない。


少し小走りで捜すことにする。行き過ぎた場所が気になり戻って来た。そこは建物が崩れた場所だった。


耳を澄ますと微かに呻き声が聞こえた。


空耳ではない。

懐中電灯で瓦礫の山を四方から照らして探してみる。

崩れた瓦礫の下に人の手を見つけた。走り寄る。



細い綺麗だった京子の手だ。



調べている間に建物が崩れたに違いない。瓦礫の下敷きになっているのだ。

「京子先輩! 聞こえますか、今、助けます!」


崩れた壁を動かそうとするが重すぎてびくともしない。一緒に夢から脱出しようと言ったのに、高久に続き京子まで、もう嫌だ。

「こんなの嫌です。京子先輩、返事してください。嫌ですよ。もう、こんな夢、もう沢山だ」

京子の手はぴくりとも動かない。

街にある物言わない死体の歌声か、新たな仲間入りを歓迎して、ひゅーひゅーと海風が唸る。

必死のわたしをあざ笑うようだ。

「嫌だ。絶対に助ける!」


 誰の思惑でこんな変な夢に連れて来られているか、絶対に思い通りにさせない。


爪で瓦礫の下の土を掘った。


壁を退かせないなら下に空間を作って京子を引っ張るしかない。


指で土を掻きむしる。


柔らかい土の層だけでは京子は救い出せない。


堅い土も掻きだすため、爪で土を抉るようにする。


指の感覚が無くなってきた。


爪が割れて砂が入り込む。


血が滲んで痛さで涙が出て来る。



痛いけど、それよりも悲しさが溢れだす。

名前を呼び続けるが反応しない京子に、心が折れてしまいそうになる。

手を止めてはいけない。

救出を断念してしまいそうな自分と戦う。

なぜこんな目にあわないといけないのだろう。

虚しさがこみ上げる。



「京子先輩、絶対助けます! 絶対に助けます!」



涙と嗚咽を繰り返し必死で土を掻きだすが、遠くで、海カモメが羽ばたく音がした。



おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ



「駄目、まだ駄目、助けてないから!」

無常にも泣き岩の音がこだました。

駄目――。

次第に眠くなり意識が消えた。

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