第4話 高久先輩

ベッドから飛び起きた。


「夢なの……」


寝汗が酷い。

息が荒い。

家族はまだ寝ているようだ。

祖母の歩く足音だけが襖越しに聞こえてくる。


「お婆ちゃん。シャワー浴びてもいい」

「ええよ。先に御先祖様に挨拶してな」


仏間に入り、手を合わせる。この夢と水神祭は関係があるのだろうか、なぜか、大叔父の顔がわたしを見つめているような気がしてならない。


「貴方がわたし達を呼んでいるのですか?」


応えるはずもない。

シャワーを浴びて汗を流す。

なぜだろう。

何も考えたくない。

夢のことを思い出したくない。

部屋でぼうっとしていると部屋をノックする音が聞こえた。


「朋美、林先生には、きちんと挨拶したの?」


わたしは母に先生が亡くなったことを話した。

「冗談でしょう。そんなことがあるのね、物騒ね」

「うん。でも、文芸部には入部した」

「そうね、それがいい」

本当にいいのだろうか、わたしはあれ以来、小説を書いていない。


「週末にでもお墓参りに行きましょう。その先輩か、学校の先生に、お墓の場所、聞いておいてね」

そう言って、母は一足先に車で出かけた。

 他人事である。

 母は話した瞬間は驚いていたが、所詮他人事なのだ。


「朋美ちゃーん。ご飯お食べー」


学校へ行く時間が近づいてきたので着替えてから、リビングに移動する。

焼き魚の匂いに、祖母が生卵に醤油を垂らしかき混ぜてくれている。

和歌山の祖父母の家に引っ越して二日目。

既に、パンの朝ごはんが恋しくなってきた。



「今夜は水神祭の準備をするから早く帰って来てぇね」



 今年から復活する水神祭は、船戸家にとっても一大行事である。

一人で学校への道のりを歩いていく。

途中、「おはよう」と挨拶をしてくれた生徒がいた。

おそらく、同じクラスの子だと思うが誰か分からない。


「勘崎さん、さっきの家に住んどるのね」


と話しかけられるが「うん」と返事を返すのがやっとで、相変わらずの人見知りは変わらない。

水神祭の事を色々楽しそうに話してくる。


「屋台の夜店も沢山でるみたい、花火もあがるらしいし、クラスの女子皆で見に行こう言ってるの、勘崎さんも来るでしょう」


 わたしは愛想笑いを浮かべた。

「そいでね、フィナーレは和船とマラソン、うちの学校の陸上部とバスケ部からも出る人がいるみたいよ、クラスの中村くんも出るんよ」


「ボート部の高久先輩と来栖先輩も出るって……」


 口下手なわたしが、なぜか、二人の事を話したがっている。

「へぇ、え、勘崎さんってボート部なの?」


「ち、違う。ぶ、文芸部……」


「えぇー。文芸部ぅー。マジで、止めときなよ、あそこの部長変人だよ。いい噂聞かないし」

言い返したいが、何を言い返したらいいのか分からない。


「他の部員に色々部活動の縛りを強くしたせいで、皆辞めていったらしいわよ。それに、亡くなった先生のこと、色々と調べているみたいで、怖いって」


「御園部長は、そんなんじゃない!」


 わたしが頑張って発した言葉に、彼女は立ち止まった。

この場合、話を合わせればよかったのだろうか、わたしはそんなのは嫌だった。

 また一人になって坂道を上る。

海岸沿いから通う学生は、この坂上の校門を皆が通る。

校門が見えて来た。

坂道もそろそろ終わる。

二人の男女が校門前で、わたしを指差した。

 女子生徒と大柄な眼鏡を掛けた男子生徒。

気づいた瞬間、こちらに走って来た。

わたしは思わず声をあげた。


「京子先輩、来栖先輩」


二人がわたしの両脇まで来て立ち止まる。来栖の顔に似合わない眼鏡があるのが少々可笑しい。


「勘崎だ。勘崎だ。本当にいたとは驚きや」


「いますよ。来栖先輩と高久先輩は昨日、大口入り江で練習しているのを見ました」


「へぇ、そうやったんや」


「初めまして勘崎さん、昨夜依頼ね」


 制服を着ている京子先輩は薄っすら化粧をしている気がする。更に凄く美人に見え気後れする。

 再会を喜んでいた二人だったが、すぐに真面目な顔つきになった。


「それはそうとや、マーティに連絡がとれへん。理由はわかるやろう」

「理由――?」

分からない振りをした。


「今朝、高久くんの自宅に救急車が来た」

 来栖は本当だと京子の言葉に首を縦に振る。

「わたしの家は高久くんの家に近いの。心配になって駆け付けたんだけど、彼が病院へ向かったのは間違いない。様子を見に行くから、一緒に来て。放課後に教室に迎えに行くから」


「放課後……ですか……」


「そうや。気にならへんか? あの高さから落ちたんやぞ」


確かにその通りである。


愚かなことに、この時点でわたしは初めて夢の全貌を思い出した。

思い出さないようにしていたのだ。

昨晩の夢、高久は道なき道を進み、滑落した。

信じられない。

どうせ、夢だと自分に言い聞かせていた。

あの時、足が震えた。

数十メートル下の岩と岩の透き間に横たわっていたのは、間違いなく高久自身であった。

京子の叫び声、来栖の身を挺し助けに行こうとする姿を目の当たりにしていた。


「わかったな。放課後、迎えに行く」

「わたし、文芸部にいます……」

「了解した」

 京子たちは、わたしと会えたことで少しほっとしたような顔をして先に門を潜り校舎へ消えた。



 放課後まで、出来るだけ夢のことは考えないようにした。

授業についていけるか心配。

本来の学生の本分に集中した。

そっちの方は杞憂に終わりそうだった。

何とかなりそう。

それよりも頭の中は考えないようにすればするほど、夢のことや、林先生のことでわちゃわちゃしてくる。


 芦田先生を捜していた林先生が亡くなった。そして、芦田先生はあの島にいた。


 これは非常に不味い展開だ。

このことをなるべく早く、御園に伝えないといけない。

そう思い、放課後直ぐに部室へと向かった。

 扉に鍵は掛かってなかった。

しかし、室内に御園はいない。

 部屋を確認するが、一度部室に来たが用事か何か出て行ったと思われた。

急いだのか戸締りも忘れて――。

 部屋で待つ間、部室内を見つめた。

机の脇に部員と林先生が一緒に映った写真がある。部員が去り、先生が亡くなって、彼女はこれをみて何を思うのだろう。胸が痛い。

本棚には沢山の小説があり、幾つかは持っているが、買おうとして買えなかったものや、いつかは読みたいと思っていた名作もある。

本当なら胸が躍るはずなのに、今は苦しい。

 わたしが受賞した小説は、正直言って半分インチキだ。なにせ、祖父が話した昔話に尾ひれをつけただけなのだから、初めて応募したコンテストで運よく受賞しただけ。そんな偶然の産物に、林先生も御園先輩も褒めてくれる。



 しばらく経って、二つの影が扉越しに見えた。


「こんにちわー」


 来栖が引き戸を開けて入って来た。京子もすぐ後ろに続く。

「あっ、勘崎一人か気兼ねせんでよかったな」

「例の部長はいないみたいね、ややこしくなくていいわ」


 御園は余り良い噂はないようだ。


「マーティは市内の病院に入院したそうや、見舞いに行くと先生に行ったら、高久総合病院にいると教えてくれたわ」

「駅前でタクシーを拾っていこうと思うの」

「そやれ、ほな行くれ」


 わたしは

「ちょっと待ってもらっていいですか」

と、御園に書置きを残すことにした。



『ボート部の来栖先輩と美馬先輩と一緒に高久先輩の見舞いに行きます。今日は部活に戻れそうにありません。 勘崎朋美』



 これでよし。

三人は駅前でお見舞い品を買い、タクシーに乗った。

やってきたのは高久総合病院である。

「あれ、もしかして高久って……」

「あぁ、マーティの親父さんが医院長をしている病院や」


受付カウンターで面会を申し出る。しばらくして、呼び出され病室へ行けるものと思っていたら、「面会謝絶」と申し渡された。

「何があったのか知りたい」と熱心に伝えると、少し待つように言われ、高久に目鼻がそっくりな白髪交じりの医師がやって来た。


「父親の高久正輝です。ラウンジでお話しましょう」


病院医院長の父親であった。

彼は、飲み物を奢ってくれて、見舞に来てくれたことに感謝した。

「本人はまだ眠っているんだ。何が何だか分からない。けれど、心配してお友達が来てくれたと聞いたので説明だけと思った」

そう丁寧に切り出した。

高久が朝、叫び声をあげた。

何事かと寝室に飛び込んだ母親が、布団の中で擦り傷だらけになっている正輝を確認したと言う。

意識がなく、直ぐに救急車で病院へ搬送した。京子の言う通りだった。


検査をしたところ、腕と足首が骨折、肋骨にヒビが見られるらしい。

全身打撲で打ち身の症状、青い痣があちこちにあったと告げられた。

まるで、高い所から落ちたようだったと言われる。

何処かで聞いたような症状だった。

絶対安静のため、面会は遠慮いただきたいと断られた。

わたし達は高久本人に会えないまま、病院からタクシーで再び学校へ舞い戻った。

高久と親交の深い二人は悲壮感に打ちひしがれている。

わたしでさえ悲しいのだから二人の気持は推し量ることが出来ない。

ただ、このまま解散する雰囲気になるのは嫌だった。


「ぜ、絶対、ゆ、夢が原因ですよね……」


 わたしが口火を切ったことで、二人が難しい顔を更に歪ませた。

肘の痣をわざと摩って見せ、「この肘と同じだとおもいますか」と問うと、二人の視線が答えを出すまいと宙を泳いだ。


 細い銀縁の眼鏡をかけた来栖は夢の中と違い、少しだけ賢く見える。


「ただ同じ夢を見てるのとは訳がちゃう。俺たちに何が起こっているんか、さっぱり見当もつかん。俺が落ちればよかった。こんな大変な訳が分からんことが起きている時、俺やなく、マーティがおったほうが、適格な判断が色々できたはずやのになぁ」

 京子は多くを語らないが、一言、「違う」とだけ言い放った。

「先輩がた……、出来れば、今夜の対策を考えませんか……、もし、高久先輩がいたなら、そういうと思います……」

出過ぎた真似に想えたが、京子は青ざめた表情のまま頷いた。

来栖も賛成するしかないだろうという顔で頷いた。



学校近くの駅周りには洒落た喫茶店が沢山あった。

京子は、内容を他生徒に聞かれたくないといことで、一番人気のない喫茶店を選んだ。

海岸沿いを見下ろす喫茶店で、店舗外にテラス席がある。

見た目はいいのだが学校から一番遠いのと、ドリンクが高いのが玉に瑕らしい。

学校帰りに喫茶店に寄り道するという最高のシチュエーションだったが、わたしの頭の中も、二人も、それどころではなかったはずだ。

誰も座らないテラス席の隅に顔を隠し密談するように話しはじめた。


「勘崎の右肘の怪我に、今回のマーティの滑落事故、夢で怪我すると現実にも起こる。そういうことやな」

 改めて真実を口にされ、心が重くなる。

「ねぇ、もしかしたら、これって林先生と同じ状況なんじゃない。高久くんと林先生の症状って似てない?」

 京子も感じていたようだ。

そう、林先生は、少なくともボート部の顧問を務めていたのだから、あの事件も二人はよく知っているのだ。

「確かに似てるな」

「今夜、また夢をみたらと思うと寝むれそうにない。それに、高久くんのこともあるし、心配。いったいどうしたらいいの」

「わからん。何をしたらいいんや、芦田のこととか、林のこととかも、あるよな。回避する方法があるんかな」

「いっそ、何もしない。何も考えたくない。怖いだけ、考えても無駄みたいな」

 京子は呟き俯いた。

来栖は頭を掻きむしって、「もう!」と唸りだす。

注文した飲み物にさえ手をつけていない。

そして、話は一向に前にすすまない。



 わたしは我慢していた口を開いてみた。

「あ、あのぉ……、先輩、ひとつひとつ紐解いて、出来るだけ詳しく、考えてみませんか?」

 二人が見つめる中、ノートを取り出し、シャーペンを握った。

「高久先輩も心配なんですが、このままだとおそらく、今夜も夢に入ると思います。実は、わたし、林先生が亡くなられていたことを知らなくて、二学期になって初めて知りました。林先生は、芦田先生の行方不明事件を調べていたって聞いて……だから、少しだけ冷静に考えられるんです。夢でみた、あの見取り図が書いてあった近くに芦田先生の残した文章がありました。あれって結構重要だと思うんです」

二人は絶望したような顔で頷く。


「それで、中でも、一番怖いことが書いてあったのが、五日目に夢から覚めなくなったとあったことです」


 溜息を吐いた後、京子が「確か……」と少し落ち着いた風になる。

「島の入口に数字が入った看板があったわ。始めの夢では『五天』、昨夜は、『四天』になっていて……」

「カウントダウンしてるっちゅうんか。五日目に夢から覚めなくなるってことは、その、あれや、ゼロになったら夢から出られへんということか……」

「五日目に夢から覚めなくなったと芦田先生が書き記したのが事実なら、そう考えて間違いないでしょう。つまり、夢から五日で覚めなくなる。つまり、わたし達も芦田先生のように行方不明になる可能性があります」

「出られないって、あんな不気味な島にずっといるのは絶対に嫌よ!」

 わたしも嫌だ。


「そこで、芦田先生が、分かった事を纏めていました。先生が五日以上かけて、理解したこと、わたし達は今、それを一瞬で手に入れられるってことです。もう少し希望を持ってもいいんじゃないですか?」


「芦田が俺たちを助けてくれるってことか」

「どうかは分かりませんが、あの文章の前後を思い出してください。芦田先生は一人じゃなかった。だれかと夢に来ていたようなことを書いてました」

「えっ、そうだったけ。芦田先生は一人じゃなかったってこと?」


「林先生のことか?」

わたしは首を振る。

「林先生ではありません。それは文章の最後で林先生と会えればみたいなことが書かれていたので、会ってない状況で書かれたのは間違いありません。思い出してください。あの文章には黒く塗りつぶした箇所がありました」

わたしはノートに思い出せる範囲で芦田先生の文字を書き記してみた。

《一緒に迷い込んだ■■は脱出したのか? 出口は本当にあるのか?》

「この文章には、島を脱出する。出口というキーワードがあります。つまり、少なくとも芦田先生ともう一人は、脱出する出口を捜していたんだと思います」


 二人の目つきが変わった。

京子は突然に抱きついてきた。


「勘崎ちゃん、最高! 一緒だったのが勘崎ちゃんで良かった。少し希望が持てたよ!」


 来栖が感心する。


「確かに、そんな文句だった気がする。よく、内容をおぼえていたな……」


「一応、目が覚めた時にメモしたので、趣味なんです。思いついたりしたことをメモするのが……」

「大したものだ」

「それよりです。記載された事項が本当なら、あと三夜で脱出方法を探る必要があります。それに、高久先輩も放ってはおけません。ですから、夢の対策をこれから考えましょう。どうするか」

「そうだな。マーティは、夢の中で怪我を負って、現実でも大怪我ってことや。助けなあかん」

「そうね、でも、どうしたらいいんだろう」

わたしはノートに一文を書いて、それを見せて話しだす。


「そこで、一つ今日寝る前にお二人にお願いしたいことがあります」


 わたしは、二人にある提案をし、それを試すことにした。

駄目元、やれることはやったほうがいい。

 来栖が顎に手を持って来て、銅像のように思慮深く考えだした。眼鏡を掛けているだけで、別人のように感じる。

「そうや、芦田は残された情報を調べたいとか書いてへんかったか……、もしかしたら、あちこちに情報が隠されているかも、ロールプレイングゲームなら、情報を得ないといけないみたいに……」

「確かに、そういう記述がありました」

「あの壁以外にも、他に何か書いてあるんやないか」

「あの見取り図が印象的だったから、あそこしか見てなかった……、もし、夢から脱出する方法が書かれていたらってことね」

京子も同意する。

「これで、今夜やることは決まりましたね。本当に五日なら、あと、三夜です。有意義にしましょう」

 わたしは去勢を張っていた。

 本当は怖くてたまらなかった。

それから、日が暮れるまで話合い、互いの連絡先を交換して、家路についた。



 家に戻ると、母がわたしを見て、声を上げた。


「朋美、また遊びに行ってたの、ちゃんと連絡寄こしなさい。さっきまで御園という子が待っていたわよ」


母が言う。

「人を呼んだのなら、戻って来なさい!」

呼んだ覚えは無かったが、前後関係から来てもおかしくはなかった。

「戻ったら連絡が欲しいそうよ」

夕食を頂くために椅子に座ったから、「分かった。後で電話する」と返事を返した。

そういえば、連絡先を交わしていなかったと思い出す。

母からメモ帳に記された電話番号が渡された。御園の携帯電話番号である。

あまり食欲がなく、夕食の大半を食べ残したけど、腹は減ってはいない。

部屋に戻り御園に電話した。


「今日、ボート部の連中に事情聴取してたでしょう。林先生のこと何かわかった?」


 御園は三人との打ち合わせを事情聴取ととったようだ。

興味津々に問いかけてくる。


「……、えぇと、実は……、詳しい理由は分からないけど、林先生とボート部の高久先輩には、同じことが起きたんだと思う」

「高久って全国一位の高久よね」

わたしは電話口で頷いた。

「同じことってどういうこと?」

「詳しくは言えないけど、症状が同じなの……、寝ている間に瀕死の重傷を負ったという感じが」

「へぇ、良くは知らないけど、なるほど似てるわね」


 夢のことを話そうとしたが、逆に御園から話しがあった。


「私のほうは、今日、芦田先生の自宅へ行って来た」

「えっ、芦田先生の家?」

「うん。そうなんだけど、実は、放課後にちょっとした事件があって、実は行方不明の芦田先生が美術部に、現れたらしいの!」


「えっ」わたしは思わず大きな声をあげた。

「本当に、芦田先生が戻って来たの?」

「先生本人を見たって噂があって、美術部員は誰も見た訳じゃないんだけど、その後、先生の手帳が美術部で見つかった」

「先生の手帳?」

「うん。それがね、どうも先生が手帳を置いていったって話になって、手帳の内容は写して来たんだけど内容がすんごく意味不明なの」


興味がそそられる内容だ。


「朋美ちゃーん帰ってるの? 水神祭の準備手伝ってくれる?」

 祖母が声をあげた。


そういえば、祖母と、そんな約束もしていた。

電話相手の御園にも聞こえたようだ。

「ごめんなさい、後でもう一度電話してもいい?」

「水神祭の準備よね、忙しそう。明日でいいよ。明日は土曜日だから、朝から部室で会いましょう。それじゃあね」


御園は焦っていない。

いや、わたしは時間がない。

おそらく、二日の様子から言って、十一時には、夢に入ってしまう気がする。

皆に試したい事があると言った癖に、自分は何も準備できていない。

時計は既に十時半を廻っている。

祖母は提灯行灯を一つずつ、埃を払って形に組み立てる作業をしていた。

手伝いをする振りをしてお爺ちゃんを捜した。

祖父は、水神祭の提灯に火を灯し、自宅の松の木にぶら下げていた。

お爺ちゃんの作業を見て驚く。

「一緒だ。松の木に掛かってる」

 あぁ、古戦場から駅前に向かって、松の木が植えられているだろう。あそこの全てに掛けて廻るんだ。だから、納屋から出して一つ一つ問題がないかチェックしていると言う。

「お爺ちゃん、聞きたいんだけど、船戸龍之介って弟のこと、凄い人だったの」

 祖父は笑った。

「そりゃ、凄かったわぁ。和船を操らせたら右に出る者はいない……、なのに……。まぁな、その話は止めよう」

 なぜか、活躍話もせずに話は終わった。


 わたしは、提灯を並べるのを少しだけ手伝って、祖父に尋ねた。

「お爺ちゃん、懐中電灯と太いロープとかないかな、縄梯子みたいな奴とか……」

 祖父は不思議な顔をして、「待っとれ」と倉庫に行って、納屋から古い鞄を手に戻ってきた。

「これでええか?」

 祖父は鞄ごと手渡した。中を見ると懐中電灯とロープや、鎌のついた縄など、色んなものが入っていた。

「懐中電灯は点くか確認したほうがええ、なにせ、かなり古いもんやからな。それと、鎌付き縄は危ないから気をつけるんだぞ」

「有難う!」

 祖父の鞄を借りる。

「それは、弟の鞄やから、使ったら帰してくれ」

祖父の質問に空返事をし、部屋に戻り扉を閉めた。

きっと祖父に話しても信じてはもらえない。

 もう時間が無かった。

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