第5章─── メイドの視点と隠された意図

リリスは、手にした空のトレイを静かに見つめていた。コーヒーの香りは、まだ微かにトレイに残っている。彼女の心の中で、二人の議論は、まるで複雑な数式のように展開されていた。啓介の「本物」と「リアリティ」への探求。ミカの「伝統」と「現代」の融合。どちらも、現代社会が抱える根源的な問いを内包している。


彼女の「ユートピアの庭」というカフェは、単なる喫茶店ではなかった。それは、彼女が構想する壮大な社会実験の第一歩だった。企画のコンセプトは、「五感の再起動」。情報過多の現代において麻痺しがちな人間の五感を、あえてアナログな体験で刺激し、思考を活性化させる。それが、リリスの目指す「ユートピア」への道筋だった。


彼女は、コンピュータサイエンスの分野で博士号を取得した、知られざる天才だった。専門は、人間拡張(Human Augmentation)と仮想現実(Virtual Reality)における認知科学。しかし、彼女は、その知識を「現実」と「人間性」の喪失に利用されることに疑問を抱き、アカデミアの世界を離れた。そして、自らの手で、真の意味での「人間の可能性」を追求する場所を作ろうとしたのだ。


リリスの「計画」とは、まさに、啓介とミカのような、異なる価値観を持つ人々を「偶発的に」出会わせ、議論を促すことだった。彼女は、デジタルツールを一切使わず、アナログな方法で、人々の行動パターンや心理状態を分析していた。彼女にとって、この丸の内のビジネス街は、巨大な実験場であり、行き交う人々は、貴重なデータだった。


「人間は、データだけでは動かない。論理だけでは納得しない。彼らの感情、感覚、そして何よりも『物語』が必要なのよ」


リリスは、心の中で呟いた。彼女は、カフェの従業員たちに、あえて最新のAI技術やデータ分析ツールを使わせず、客との対話を通じて、彼らの「心の声」を聞き取るよう指導していた。それは、彼女が提唱する「ヒューマン・センシング・アルゴリズム」の基礎だった。膨大な「生の声」のデータは、彼女の脳内で、精緻な物語のプロットへと変換されていく。


啓介の「馬での通勤」という行為は、リリスにとって、まさに「非日常的なリアリティ」の象徴だった。そして、ミカの「甲冑姿でのパフォーマンス」は、「伝統と革新のパラドクス」を視覚的に表現していた。彼らは、リリスの計画にとって、まさに理想的な「駒」だった。


彼女の次の行動は、既に脳内でシミュレーションされていた。彼女は、この議論を、より多くの人々に「体験」させることで、彼らの五感を刺激し、思考を揺さぶる機会にしようと考えていた。それは、単なる「イベント」ではない。人々の「意識」を変革する、壮大な「インスタレーション」だ。


リリスは、再び啓介とミカに視線を戻した。二人の議論は、さらに白熱している。啓介は、企業における「効率」という名の「非人間性」を訴え、ミカは、エンターテインメント業界における「本物」と「偽物」の境界線を語っていた。彼らの言葉の応酬は、まるで現代社会が抱える葛藤そのものを映し出しているかのようだった。


「本物とは何か、偽物とは何か。それは、あなたが何を『感じるか』によって決まる。あなたの心で『本物』だと感じれば、それは本物になる」


ミカが、甲冑の兜の中で、額に汗を滲ませながら言った。その言葉は、彼女自身の「コンセプト」への揺るぎない信念から発せられたものだった。


「しかし、その『感覚』は、果たして本当にあなたのものですか? 情報操作や、アルゴリズムによって誘導されたものではないですか?」


啓介が、鋭く反論した。彼の言葉は、現代社会における「自由意志」の存在そのものに疑問を投げかけていた。


リリスは、その問いかけに、静かに微笑んだ。彼女の計画の核心は、まさにそこにあった。人々が、自らの「感覚」と「自由意志」を取り戻すこと。それが、真の「ユートピア」の始まりなのだから。







この物語はフィクションです

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【小説】都市のパラドクス 文人 画人【人の心の「穴」を埋める】 @yamadahideo

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