第10話 温泉への情熱
それから、母は魔法で温泉の噴き出るところを作った。事前に俺が絵で描いて見せたとおりだ。
「オオカミの顔からお湯が出てる。すごいよ。二つの首のオオカミがお湯を出してるんだよ。」
マルティンが喜びジャンプしながら叫んだ。
そうなのだ。オオカミの顔だよ。みんな、マーライオンはわからないだろうし、ライオンも身近ではないので、オオカミにしたのだよ。
双方の浴場に向けて二首のオオカミがお湯を吐き出している。どんどんお湯がたまっていく。みんなはそれを期待を込めた目で見ていた。
「…今日はまだ入れませんよ。」
「どうして!」
「体に害が入っているものがないか、どのような効果があるのか、まずは検査です。それに見てください。まだ、土が混じって汚れていますよね。それがきれいになるまで待ちます。浴槽も洗わなければいけません。
湯温も快適に入れる温度で、しかも一定にしなければなりません。お母様には温度の調整のため、さらに力を発揮いただくかもしれません。よろしかったでしょうか。」
母が満面の笑みを浮かべながら答える。
「もちろん。」
5日後、何度も清掃した浴場はきれいな状態になった。その間、魔法で「何か悪いもの」はないか確認してもらい、体に害のある成分はないことがわかった。
次は効能だ。皮膚への魔法が使える魔法使いのマッツォに調べてもらうと、自分が使える「肌をきれいにする魔法」と同じものが、それも何倍もの効能で感じられるとのこと。
彼は今まで魔力を振り絞って女性たちにこき使われてきた。それを解放される。これからは薄毛に悩む男性の頭に魔力を集中できると喜んでいた。男性からの熱い要望がありながら、これまでは『男性の薄毛<女性の肌』という力関係で、男性たちの要望に答えることができず心苦しく思っていたらしい。
「みなさま、この温泉は肌をきれいにしてくれます。マッツォが言うには、彼の魔法より何倍もの効能を感じられるとのことです。」
女性たちから悲鳴にも似た声が上がった。
「すぐに、すぐに入りましょう。」
「どれくらいの時間、入るのがいいかしら。」
「お湯は飲んでいいの? 飲んだ方がいいの?」
「着替えを持ってきてないわ。タオル、タオルも用意しなくては。」
女性たちの姦しい声が交差する。
「みんな、落ち着きなさい。グスタフと話をしたのですけど、温泉に入る前の決まりを定めました。まずはそれをしっかりと頭に入れなさい。
第一に、自分の館や家の浴場ではありません。基本、自分でできることは自分でやること。
第二に、温泉に入る前に汚れをしっかり落とすこと。特に汚れが目立つ場合、体と頭を洗ってお湯できれいに流してから入りなさい。
第三に、浴場のなかでは騒がないこと。温泉を楽しみなさい。
第四に、長時間入らないこと。これは独占するなということではなく、入りすぎると体調を崩したり、効能が逆の反応を示したりするから。
温泉に入った後、リラックスルームでゆっくりするのが一番です。石鹸も用意してあります。入るときに担当の者からケースごと借りて、上がったらすぐに返しなさい。
石鹸は身体用と髪用は別ですので気を付けること。髪用はそのまま使わずお湯に溶かして使います。そして、きれいに洗い流すことが必要です。くわしいことは担当のものから説明があります。
以上のこと、わかりましたか。」
「「「「はいっ。」」」」
石鹸はもともとあったのだが、獣脂を使ったりして臭みがあった。原料をパーム油に変え、香料を入れることで劇的に変化させた。
パーム油、そうパーム油が手に入るようになったのだ。アフリのギニアアブラヤシの産地は人間の勢力範囲ではないため手に入らない。でも、アメリカアブラヤシによるパーム油がロロ大陸との交易の中で入ってきたのだ。パーム油が手に入っただけで、木の名前は伝わってない。まあ、ロロアブラヤシという名ではないだろうなぁ。
3か月前のことだ。ある商人が1隻まるまるパーム油を積んで、水の都ベネーチャに帰ってきた。
その商人のロロ大陸への護衛の中にマッケンゼン領出身の傭兵がいた。ベネーチャに着いた日に彼の仕事は完了し、その日のうちに東へ向かう船に乗った。彼は領主の息子が珍しいものは何でも欲しがることを覚えていて瓶1つ分、持って帰っていった。
傭兵は港から一直線に傭兵団本部へ向かい帰還の報告をした。定期的に傭兵団本部に顔を出すグスタフとそこで顔を合わせた傭兵は土産を渡し、1年ぶりの実家へと戻って行った。
グスタフ視点
これは油? 何の油? それがパーム油!とわかったとたん、グスタフは最優先で石鹸をつくり、母に試してもらったのだ。母は湯あみが終わるとすぐに俺の部屋に来たのだろう。髪はまだ乾いていないし、肌も上気した感じのままだ。
「グスタフ、この石鹸はどうやって作ったの!」
「先日、傭兵のグリコフが土産に持ってきてくれた油から作りました。お母様、この石鹸ができる油が1隻分あるそうです。」
決断の速さは母の美徳だ。
「すぐに使いを送って、購入できるだけ購入しなさい。ただし、足元を見られぬよう、その油の売れ行きなどを確認してからになるから、御用商人のミハエルを送りましょう。」
ベネーチャから3週間かけて地中海、黒海を通り、海路で帰ってきた傭兵のグリコフは、わずか数日で再びベネーチャに向かうことになった。御用商人のミハエルは全ての仕事を放り出して一緒に行くことになった。
パーム油で一攫千金を狙ったのだが、ユングランドの人々には受け入れられなかった。オリーブ油にとってかわる優位性を誰も感じなかったからだ。
途方に暮れた商人は販路を求め各地にサンプルを送るがいい話は入ってこなかった、そんな時、商人のもとにミハエルがやってきた。
「本日はお会いいただき感謝申し上げます。私はロマーニャ王国の商人のミハエルと申します。ベネーチャにはロマーニャ王国で売る品を手に入れるため来ました。護衛に雇ったグリコフと道中、話をしておりましたら、何やら珍しい油があると聞き、本日は訪れた次第でございます。」
「ベネーチャ商人のベニートです。こちらこそ来ていただきありがとうございます。早速ですが、これがロロ大陸より運んできた油でございます。」
「味も匂いもほおんどしませんね。」
「向こうの住民はオリーブ油のように使っております。」
「う~ん、料理に使うにも、香油として使うにも、匂いが物足りませんね。この油をオリーブ油の3倍以上の金額で売ろうとされているとかお聞きしましたが。」
「これはとてもいいものなのです。しかも、ロロ大陸から運んできており、輸送に多額のお金がかかっております。」
「いやいや、ロロに運んだ物資の売り上げで十分利益は出ておりますよね。そうですね、平均的なオリーブ油の3分の2の金額で引き取りましょうか。」
「それはできません。まもなく、購入してくださる方から話が来ます。でも、わざわざ来てくださったので、そうですね、オリーブ油の2倍の金額で特別に売ってさしあげましょう。」
「う~ん、珍しい油を安ければ手に入れて帰ろうかなくらいにしか考えていませんでした。そこまでして欲しいわけではないので、しばらく滞在して何か他の品を探してみます。お忙しい中、お会いくださり、ありがとうございました。」
「ちょっとお待ちください。取引量次第ではもう少し金額を下げさせていただきますので。どれくらいをお考えですか。」
「いや、ここだけの話なんですが、この油を実際に見て頭に浮かんだのが、私の商会にやや癖のあるオリーブ油の在庫がありまして、それに混ぜて使えないかなと思っています。そうなると、オリーブ油よりも高いと利益が出ないのですよ。そうですね、半隻分の油があれば十分かと。」
「う~ん、1隻分を買っていただけるならオリーブ油の8割の価格で売りましょう。倉庫代などこれまでにかかった経費を考えるとこれ以上は無理です。」
「そうですね。私も在庫のオリーブ油がはけますし。そうだ、ロマーニャ王国まで運んでいただけるのなら、オリーブ油の7割で全部引き取りましょう。」
「ロマーニャ王国ですか。遠いですね。」
「私どもの船が護衛で付きます。ちょうど国へ帰る傭兵たちを乗せていきますのでロマーニャ王国の護衛は引き受けましょう。そして、こちらに帰られるときはマッケンゼン領の傭兵たちを半額で護衛として雇えるように図りましょう。私、これでもマッケンゼン領の御用商人でして。」
全く売れなかった油がオリーブ油の7割の金額で売れ、輸送の経費はかかるが、行きの護衛はタダ、帰りもユングランドで最も有名なマッケンゼン領の傭兵を半額で雇える。帰りはロマーニャ王国の品を運んで来たら大儲けだとベニートは頭の中で計算した。そして、心の中でミハエルのことを計算もできない田舎商人とバカにしたが、そんなことは表情に微塵も出さなかった。
「私もかなり痛いですが、マッケンゼン領とのお付き合いができる大きなチャンスですので仕方ありませんがオリーブ油の7割でお売りしましょう。」
この油がすぐに数百倍の金額に化けることをベネーチャ商人のベニートは知らない。
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