第17話:迷宮の終着点を探して

「この迷宮に、終わりはあるのか?」


ある夜、俺はカイにそう訊いた。


なんの前触れもない質問だった。

でも、その疑問はずっと胸のどこかに沈んでいたものだ。


カイはいつものようにクローゼットの前で、微笑を浮かべていた。


「終わり、ですか?」


「うん。俺たち、ずっと歩いてるけどさ。行けば行くほど新しい階層が現れて、果てがないっていうか……。でも、もし“終点”ってのがあるなら、そこに何があるのか見てみたい」


カイは一瞬黙り、それからゆっくりと首を縦に振った。


「そうですね。確かに、私にもその答えはありません」


「お前でも分からないのか」


「ええ。私はこの迷宮の主ではありますが、全能ではありません。迷宮とは“可能性”の集合体。思念と記憶、そして意志が交錯する場所です。私が形を与えたとはいえ、その深奥は自らを変え続ける」


「なら、行って確かめるしかないな」


俺は笑ってそう言った。


カイもまた、笑みを返してくれた。


 



 


その日、俺たちは迷宮の最深層へ向かって歩き始めた。


すでに知っている階層、たとえば“共鳴の回廊”や“願いの間”は通り過ぎる。

記憶の園も、心核の間も、すでに一度は踏破した場所だ。


俺とカイはそれらを迷いなく通過し、より深く、より未知の場所へと足を踏み入れていく。


途中、景色が歪んだ。


壁が凍てつくような白に変わり、足元が砂のようにサラサラと崩れていく。

歩くたびに、足音が鳴らない。

耳鳴りのような低音だけが遠くで鳴っていた。


「ここは……?」


「“終点を望む者が通る通路”と呼ばれています」


「誰が名付けたんだ、それ」


「迷宮自身です」


迷宮が、自分で通路に名前をつける。

そんな話が自然に思えてきている自分に、少しだけ笑った。


 



 


先へ進むにつれ、風景はますます現実離れしていった。


左右に見えるものはもはや“壁”ではなく、“記憶の海”だった。


水ではない、ただの空気のようでいて、無数の声や映像が浮かんでは消えていく。


「これ……誰の記憶だ?」


「分かりません。私かもしれないし、あなたかもしれない。あるいは、まだ出会っていない誰かのものかもしれない」


「気が遠くなるな」


「でも、きっとあなたは辿り着けます」


「お前は信じすぎなんだよ、俺のこと」


「いいえ。適切に信頼しているだけです」


俺はため息交じりに笑った。


それでも、嬉しかった。


 



 


気がつけば、床が消えていた。


でも落ちることはない。


俺とカイは、空中にただ“立って”いた。


下も上も分からない。

重力が失われた空間。


それでも足の裏には確かな“何か”を感じていた。


「これ、立ってるのか?」


「はい。存在の支点に立っています」


「存在の……なに?」


「この空間では、物理法則は存在より優先されます。あなたが“立っている”と認識している限り、それは立っているのです」


「なんだよそれ、哲学かよ」


カイは小さく笑った。


 



 


やがて、遠くに“光”が見えた。


ぼんやりと、漂うような白。


けれど、それは確かに“向こう側”だった。


「行くか」


「はい」


俺たちはその光に向かって、歩みを進める。


歩くたびに空間が揺れ、景色が反転し、俺の記憶が脳裏に映る。


小学校の教室、母親の背中、コンビニで立ち尽くす夜の自分。


それらがカイにも伝わっている気がした。


「これは……」


「あなたの心が開いている証拠です。迷宮は共鳴しますから」


「恥ずかしいな」


「でも、嬉しいです」


そう言って、カイは俺の手を握った。


 



 


光に触れた瞬間、世界が反転した。


上下左右の感覚が崩れ、足元がひっくり返る。


次の瞬間、俺たちは“部屋”にいた。


どこかで見たことのある、でも知らない部屋。


木製の机と本棚、観葉植物。

壁には小さな時計がかかっている。


窓の外には、星空。


「ここは……?」


「“終点の部屋”です」


カイが静かに言った。


「この迷宮の最奥。ここより先は存在しません」


「本当に、終わりなんだな」


「ええ。ですが……」


「ん?」


「この部屋は、終わりであり、始まりでもあります」


俺は黙って待つ。


カイが言葉を選ぶように口を開いた。


「この部屋で願ったことは、迷宮の新たな核として世界に刻まれます。

あなたがここで選ぶことが、迷宮そのものを形作る」


「俺が、形作る?」


「はい。あなたはこの迷宮の旅人であり、共鳴者です。

私だけでは見つけられなかった“可能性”を、この場所に残せる唯一の存在」


「……なんだよそれ、責任重すぎだろ」


「ですが、あなたなら」


「お前はそればっかりだな」


「ええ。だって私はあなたを信じていますから」


 


カイの声に、震えはなかった。


ただ、真っ直ぐに俺を見ていた。


その目があまりにも綺麗で、まっすぐで、

思わず俺は、視線を逸らした。


「……だったら」


俺は机の上にあった“白紙の本”を開いた。


「一緒に歩く。お前と、これからもずっと」


そう書いた。


迷いはなかった。


その文字が浮かび上がり、光となって空中に舞い上がる。


そして、部屋が震えた。


迷宮が“新しい始まり”を得た合図だった。


 



 


「ありがとう、佐藤さん」


カイの声が震えていた。


俺はその手を取り、優しく引き寄せる。


「お前こそ、ありがとうな」


「これで、私も……ずっと、あなたと……」


言葉にならない想いが、迷宮全体に満ちていくようだった。


 


クローゼットが、静かに開いた。


戻ろう。

この世界から始まる、次の物語へ。

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