第四章 ~『アストレアとの対談』~


 応接室の空気は、どこか冷たく張り詰めていた。装飾の行き届いた重厚なソファに、クラウスとアストレアは向かい合って座っている。


「二人で話すのはいつ以来であろうな」


 アストレアの声音は、抑揚を抑えた穏やかなものだった。だがその奥にある感情は読み取れない。


 クラウスは静かに頷き、厳しい言葉を返す。


「久しいというほど、親しい仲だった記憶はないな。なにせ君は私のことを醜いからと見下していたからな」


 声は静かだが、その言葉には棘が含まれていた。


 アストレアの口元がわずかに歪む。


「貴様が醜いのが悪い」


 その言葉は、躊躇も容赦もない。


「それに私の身にもなってみろ。親戚にこんな化け物がいるのだぞ。当時の私が貴様の存在を恥じだと感じても仕方あるまい?」

「まるで今は違うとでも言いたげだな」

「ふん、私も成長したからな。貴様が容姿以外で優れた面を持つことは素直に認めている」


 賞賛を交えた侮辱にクラウスは目を細めながらも、わずかに肩をすくめた。


「そうだな。子供というのは未熟なものだ。だから私も今さら責めたりはしない」

「随分と寛容だな」

「君が変わったのなら、私も過去に縛られる気はない。お互い、血の繋がった者同士だ。仲良くできるなら、それに越したことはない」

「仲良くか……」


 その声には笑みも、受け入れの色もない。場が沈黙に包まれていく中、クラウスは会話を前に進めようと、話を切り出す。


「それで、私にしたい大切な話とはなんだ?」

「王位継承の件だ。貴様、誘いを受けているな」

「どこからそれを……」

「私は第二王子だぞ。情報はいくらでも手に入る。それでどうなのだ?」

「ああ。大臣や商会の経営者、知り合いの貴族たちから声がかかった。だがそのすべてを私は断っている」

「ふん、だが奴らは諦めないだろう。なにせ貴様を国王にすれば、新たな勢力が誕生する。そうなれば得られる利権は計り知れないからな」

「だとしてもだ。私は国王になるつもりはない。故に結論も変わらない」


 それは本心だった。クラウスにとって大切なものは、軍の部下たちを守ることと、辺境領を発展させること、そしてエリスを幸せにすることだけ。それこそが務めであり、誇りだと考えていた。


 だがアストレアは首をゆっくりと横に振る。


「私はな、安心が欲しいのだ。なにせ貴様は、民に慕われ、軍を掌握し、領地運営においても結果を出している。実績があることが最大の問題なのだ」

「……私にどうしろと?」

「軍を去ってくれ。そうすれば、ライバルが減り、尚且つ、私が筆頭将軍の地位に付ける」

「ヴェルスタンにも伝えたが、私は軍を辞めるつもりはない」

「つまり交渉は決裂というわけだな?」

「交渉など最初からするつもりもないくせに……」


 アストレアは一方的に理不尽な要求を突き付けているだけだ。クラウスがそう伝えると、彼は椅子からゆっくりと立ち上がる。わずかに軋む音が、応接室の静けさに妙に響いた。


 彼はそのまま何も言わずに、室内をゆっくりと歩き始める。テーブルの端に手を添え、窓辺に向かって数歩進み、そのまま佇む。背中越しにクラウスを見ようともしない。


(不自然だ……)


 クラウスは椅子に腰かけたまま、じっとアストレアの背を見据える。先ほどまでの会話は、交渉とは呼べない、ただの通告だった。


(アストレアは私が軍を辞めないと分かっていたはずだ。それなのに、なぜわざわざ王都から辺境領にまで足を運んだのだ?)


 あの程度の通告なら手紙で済む話だ。合理主義者の彼が、わざわざ時間を無駄にするとは考えにくい。


(最初から交渉が目的でなかったとしたら……)


 クラウスの眉がわずかに動く。冷静な瞳が窓の外を見つめるアストレアの背に注がれる。


(生産性のない会話、中身の伴わぬ交渉……)


 まるで時間を潰しているかのような振る舞いに違和感を覚え、クラウスは椅子から立ち上がる。微かな警戒が、背筋に走る。


「失礼。エリスの様子を見てくる」


 その言葉に、アストレアがようやく、顔を向ける。その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


「心配性だな、クラウス」

「エリスは私にとってかけがえのない存在だからな」


 そう言い残して、クラウスが応接室を去ろうとした時、聞き馴染んだ声が彼の耳に届く。


「……エリス?」


 クラウスの目が鋭くなる。すぐさま窓際へ駆け寄ると、視界の先に屋敷の門を勢いよく駆け出す馬車が見えた。


「エリスは庭にいたはずだ!」


 だが視線を巡らせても彼女の姿はない。血の気が引くのを感じながら、クラウスはアストレアを振り返る。


「まさか、君の仕業か?」

「仮に私の仕業だとして、素直に認めるとでも?」

「……分かった。君が犯人でないと仮定しよう。そうすると容疑者は絞れる。ギルベルトだな?」

「ああ、その通りだ」

「それを知っている理由は?」

「私が彼の親友だからだ。事前に相談を受けていたのだが、まさか実行に移すとはな」

「心にもないことを……」


 エリスをなぜ誘拐したのか。その目的は聞くまでもない。


「私が軍を辞めることがエリスを無事に帰す条件というわけか……」

「さすがに察しが良いな」

「だが、なぜギルベルトがこんな真似を?」


 アストレアにとっては利がある要求だが、ギルベルトからすれば、クラウスが軍を辞職したところで旨味はない。


「あの男は貴様のことを恨んでいる。復讐には相手から大切なものを奪うのが一番だからな」


 その説明を聞き、クラウスは口を閉ざす。言葉を呑み込み、息を整えながらも、視線の奥には葛藤が渦巻いていた。


(私が将軍を降りれば、軍はアストレアに支配される。部下たちにも大きな負担になるだろう……だが、それよりも……)


 脳裏に浮かぶのはエリスの顔だ。拳が震え、唇を噛む。そのせいか口内に血の苦味が広がった。


「要求は理解した。だがエリスの無事を確認することが先決だ。なにせ、ギルベルトの動機が復讐にあるのなら、人質をそのまま返さないこともあり得るからな」


 クラウスにとって最も避けたいのは、エリスを奪われ、そのまま命を奪われることだ。そのためにも、この条件だけは譲れなかった。


「ふん、まぁ、仕方あるまい。だがくれぐれも救い出そうとはしないことだな。ギルベルトは交渉が決裂するくらいなら、エリスを始末する。少なくとも私はそう聞いている。それを肝に命じておけ」


 脅しとも取れる言葉を受け、クラウスは睨み返す。だがアストレアはそれさえも嬉しそうに笑顔で受け入れるのだった。


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