【第九章:輪戻の果て】二節
輪戻石継承の儀式。それが、私の始まりだった。
静寂が満ちる儀式部屋の中央で、私は膝を折って、色褪せた輪戻石を眺めていた。
初めて見た輪戻石は灰色で、その表面には薄く、神秘的な文様が浮かんでいたことを、よく覚えている。
そして私は、落ちる流星と紫陽花を象った儀礼刀の刃を握る。流れ落ちる血が石を浸す光景は、とても綺麗だった。
最後に、輪戻石が私の血を吸収して、真っ白な花へと姿を変貌したとき、私は石の主として認められた。
きっと全ては、今、この輪戻のために。
◆◇◆◇◆◇
秋の冷たい風が頬を優しく撫でる。
紅葉した木々の隙間から、真っ青な空が覗き、私達は陽射しを浴びながら、ただ目的もなく歩いていた。
道行く先に人の姿はなく、道路を走る車の音も、鳥たちのさえずりすらも聞こえてこない。この世界そのものが、二人だけの静寂を作り出している。
「風が気持ちいいね」
「……うん」
連から返ってきた声には元気がない。それはきっと、彼女が予感しているからだ。
だからこそ、私は次に繋がる言葉を探る。でも浮かんできたどの言葉も、ただ他愛のない、その場しのぎにしかならない。
そんな私を見かねてか、連の方から話しかけてくれた。
「どうして……翼なんだろうね」
「……私じゃなければ、良かった?」
「わかんないよ。でも翼だから、ここまで来れたんだと思う」
私が羽並の家に生まれなければ。
私が輪戻石の継承者にならなければ。
私が連たちと出会わなければ。
可能性の話をすれば際限がない。だって今ここにいる私達は、そのどれも辿らなかった道を歩んできたのだから。
すると、連が先回りして私の前に立った。緊張と覚悟の眼差しが、私の視線を真っ直ぐ貫いてくる。
「この輪戻のあと、翼は、どうなっちゃうの?」
「それは……私にもわからない。ていうか、誰もわからないんじゃないかな」
「それでも、わかっている事が……あるんでしょ?」
「うん。……きっと私の道は、ここで終わり」
連の足元には、この先の道が、ずっと遠くまで続いている。
そして彼女の背後に漂う光の粒子には、私のいない未来の光景が、いくつも広がっていた。
でも私の足元は、ただ真っ暗なだけだった。そこに道はなく、私は連と同じ場所へ立つことはできない。
「私は、輪戻を自在に扱えるようになった。でも過去を廻る能力には、何かしらの代償が必要だったんだよ。きっとその代償が、私という存在そのものだった」
今ならわかる。輪戻石は、最初から主を求めていたんだ。
それはただ血を欲していただけじゃなく、血を媒介に繋がりを欲していたんだと思う。そして繋がりをより強固にするために、主が死ぬ瞬間、その運命を吸い上げて、やり直しをしていた。
そうして何度もやり直しを繰り返す度、輪戻石は主と結びついていく。それは母と赤子を繋ぐ"へその緒"のようなもの。
「でも私みたいに、何度も何度も輪戻をした人は、歴代で一人もいなかったんじゃないかな。だって私が輪戻石を継承したとき、この石に過去へ戻る力があるなんて、教えられなかったからね」
羽並家が輪戻を推奨するように引き継がれていたのなら、きっと私の元まで継承されることはなかった。
だから輪戻石は、孤独なまま、この日まで受け継がれてきた。
「輪戻石は主を欲していた。だってこの子は、この真っ暗な世界で独りぼっちだったから。誰にも気づかれず、ただ一人寂しく、闇の中を漂うだけ……。そんなの……可哀想だよ」
「だから……翼が寄り添うって言うの?」
「うん。どっちにしろ、私はもう、現実世界に存在することはできない。……でも死ぬわけじゃないよ。輪戻石と一緒に、この場所から、皆を見守っているから」
「そんなの、死ぬことと一緒じゃないっ!」
連の声が私の胸を打つ。彼女の瞳から、涙が溢れ、流れ落ちた。
「それってもう、翼とは会えないって事でしょ!? 一緒にご飯を食べたり、お喋りしたり、買い物したり、そういう当たり前のことが、出来なくなるんでしょ!?」
「……そうだね。ごめんね」
「なら戻って来てよ! こっちに来て!」
連が私の手を掴もうとする。でも、彼女の手は私の身体をすり抜けるだけで、虚空を掴むだけだった。
その事実が、私の存在が消える前兆だとわかると、連は虚空を掴んだ手で顔を覆った。嗚咽を漏らし、声を上げて連は泣いてくれた。
連の想いは素直に嬉しかった。それほどまでに、私を想ってくれる人がいる。それだけで、私が生きていた価値はあったんだと、実感させてくれたから。
輪戻が終われば、きっと連は私の存在そのものを忘れてしまう。でもだからと言って、このまま突き放すようにお別れするのは、ちょっと寂しすぎる気がする。
だからせめて、私の想いを渡してもいいかな?
「ねえ連。顔をあげて」
連が、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
私は、誕生日プレゼントにお母さんから貰った髪飾りのリボンを解いた。
上品なクリーム色のリボン、さらさらとした生地が心地いい。
リボンの端に小さく『Tsubasa』と刺繍されているけど、輪戻後の世界ではこの名前も消えてしまうのだろうか。
私はそのリボンを、連の手に渡した。
「それ、あげるね。良かったら大切にしてくれると、嬉しいな」
連はリボンを受け取ってくれると、それを胸に抱きしめる。
「うん、大切にする。絶対……大切にするっ! 世界が翼の事を忘れても、私は絶対に、翼の事を、忘れないからっ!」
「ありがとう。私、とっても嬉しいよ」
どこからともなく、輪戻石が降りてきた。その花弁が私を誘うように、ひらひらと揺れている。
もう行かなきゃ。
私は連を置いて、どこまでも続く、暗闇の中へと吸い込まれていく。
「つ……翼っ! 行かないでっ! お願いだからっ!」
「バイバイっ! 大丈夫っ! 私、ずっと連の事、見守ってるからっ!」
せめて、最後のお別れは笑顔で。
彼女の鳴き声が、私の胸を締め付ける。でも私は、遠ざかっていく連が見えなくなるまで、手を振り続けた。
◆◇◆◇◆◇
そして私は輪戻石に導かれ、暗闇の中を進んでいく。どことなく、白い花は嬉しそうに、私の周りをくるくると動き回っている。
「ふふ……待たせてごめんね。どこに連れて行ってくれるの?」
もちろん花は答えることはない。でもその代り、一筋の光が、まるで私を待っていたかのように闇を静かに照らした。
それは私が今まで見てきた中で、一番明るく、そして暖かい光だった。
無意識に、光の中へと身を委ねる。不思議と恐怖心はなく、むしろ安心感さえある。ここが私の、新しい場所なのかもしれない。
――そして私は輪戻石と共に、優しく温かい光に包まれ、消えていった。
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