【第八章:冴華の狂気】二節

 カーテンの隙間から差し込む陽の光が眩しく、私はうっすらと目を開けた後に大きな欠伸をした。

 横になったまま両手両足をめいっぱい伸ばしたあと、一気に力を抜いた。いつもこの脱力の瞬間が気持ちよくて、私は自然と胸いっぱいに空気を吸い込んでから吐き出した。本当ならこの気持ちよさを残したまま二度寝をしたいんだけど、それをすれば連と理葩ちゃんを待たせてしまう。

「なんか……物凄い濃い夢を見たような」

 そう言いながら、だんだんと意識が覚醒していくにしたがって、様々な記憶が蘇ってきた。

 そうだ! あれは生々しい夢なんかじゃなくて、本当にあった出来事だ!

 居ても立っても居られなくて、私はベッドから飛び起きると、スマホの画面をかじりつく勢いで確認した。

「十月九日! 私の誕生日だ!」

 ついに……戻ることが出来た。

 今まで数えきれないほどの輪戻を繰り返してきた。その度に痛い思いをして、それでも求める過去に戻ることはできなかった。

 目頭が熱くなり、視界が涙でぼやける。……でもまだだ。まだ、泣くには早い。

 頬を両手で張って気合を入れなおす。

「しっかりしろ、私っ! まだ何も解決してないんだからっ!」

 すると突如、スマホから電話の着信音が鳴り響いた。相手は連からだ。

「もしもし? 連?」

『翼っ! 凄いっ! 帰ってこれたよ!!』

 あの落ち着いた声色の連からは、想像もつかないような大声が聞こえてきた。

「もしかして、連も輪戻前の記憶を持ってるの?」

『しっかり覚えているよっ! 今度は何一つ、欠けたりしてないわっ! ついでに、理葩もちゃんと記憶しているわよ』

 背後から「ついでってなによー!」という声が聞こえる。

『でも翼。御影冴華と話し合うっていう目的は、変わってないんだよね?』

「うん、変わってないよ」

『……今日は、このまま理葩と一緒に遠くへ逃げない?』

「遠くって……どこへ?」

『旅行に行くのはどう? 場所はまだわかんないけど、一週間くらい離れれば、御影冴華から逃げれるわよ』

 その提案は、連らしいと思った。 きっと彼女は、私がまだ危険な道を行こうとしているのを、やめさせたいんだと思う。

 だってもしかしたら、冴華さんはまともに話し合ってくれないかもしれないから。なんならその場で、私達を殺しにくるかもしれないから。

「……連、ありがとう。私を心配してくれてるんだよね? でも、逃げることはできない」

『なんでっ!? どうしてなのっ!?』

「だって連と理葩ちゃんが大切だから。冴華さんをこのままにしていたら、必ず二人は不幸になっちゃう。私はそんな未来を、許せないの」

『……それでもし御影冴華に殺されても、輪戻があるから大丈夫って思ってるんでしょ?』

「ううん、たとえ輪戻の力がなかったとしても、私がやることは変わらないよ。まあ、せっかく能力があるのなら、最大限使うつもりだけどね」

 私にとって、輪戻石の継承者となれたのは幸運なことだったと思う。そしてこうも思う。


 私が輪戻石の継承者になれたのは、きっとこの時のためだったんだと。


『……わかった。こうなったら私も最後まで付き合うよ。私、全力で翼を守るからっ!』

「それだと連も危ないから、冴華さんとは私一人で話すよ」

『――絶対に翼を守るからねっ! ここだけは譲らないからっ! だから……一人で全部抱え込もうとしないで』

「……わかった。ありがとう、連」

 連の気持ちが、素直に嬉しかった。それに背後から「私もいるからねー!」という理葩ちゃんの声も聞こえてくる。

 その時、部屋の外から懐かしい声が聞こえてくる。

「翼ー! いつまで寝てるの!? 学校に遅れるわよー!!」

「ご、ごめんお母さん! すぐ支度するー! 連、お母さんに学校行けって怒られちゃったから、一旦切るね。また後で」

『じゃあ、途中で合流しよ。それで学校で、御影冴華とどうするか、作戦会議をしよっ!』

「わかった、それじゃあね」

 短く返事を返して、私は部屋から飛び出た。


◇◆◇◆◇◆


 障子を開けると縁側の冷たい風が頬をかすめ、私は思わず肩をすくめる。

「うぅ……さぶ」

 靴下越しでも木の板から冷たさを感じる。縁側から覗く庭には数羽の雀が、淡い陽の光を浴びて気持ちよさそうにチュンチュンと鳴いている。

 私は寒さに耐えつつ早足で居間へ向かうと、障子越しに台所の音が聞こえてきた。

 トントンと包丁がまな板をリズム良く叩く音と共に、ほのかに味噌汁の香りが鼻先をくすぐる。

 障子を開けると、焼き魚の香ばしい香りと白米の香りが私を出迎えてくれた。

 テーブルには焼き魚のほかに人参とかぼちゃの煮物、ほうれん草のお浸し、卵焼きが用意されている。そして私のお皿にだけ、昨晩の残り物である唐揚げが二個追加されていた。

 

 この匂いが、音が、光景が……、あの頃の日常に帰ってきたんだと実感すると、途端に涙が溢れてきた。


 座布団に座っていたお婆ちゃんが、泣いている私を見て驚いた顔をした。

「おやおや、翼。どうしたんだい? 大丈夫かい?」

「ううん……大丈夫。なんでもないよっ!」

 袖で涙を拭って笑顔を作る。

「おはようお婆ちゃん、お母さん」

「おはよう、翼」

 私が挨拶をすると、台所から、お母さんの元気のいい声が聞こえてきた。

 お母さんがお味噌汁を配り終え、台所へ戻る。

 私はいつもの場所に座ると、すぅーっと鼻から息を吸って、出来たての料理の匂いを堪能する。途端に、お腹が空腹を思い出したかのようにぐぅと鳴った。

 少ししてお母さんが私の隣に座る。

「さ、食べましょう」

 各々が「いただきます」と唱えてから食事を始める。

 私はちらっと時計を確認する。まだ時間に余裕はあるけど、連と理葩はもうこちらへ向かっている頃だろう。私は少しだけ急いで朝食にありついた。


 冴華さんの出方では、またことになるかもしれない。でも今だけは、お母さんの朝食をしっかりと味わおうと思った。

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