【第七章:枝葉理葩】

【第七章:枝葉理葩】一節

「やったよ連! 理葩ちゃんが目覚めたよ!」

 意識が曖昧な中、翼の嬉しそうな声が頭の中に響く。でも靄がかかっているみたいに、思考がはっきりせず、私の身体はふわふわと浮かんでいるみたいだった。

 真っ白な天井に温かいベッド。ゆっくりと視線を左右に振ると、腕には何本ものチューブが繋がれていて思わずぎょっとする。

 私は頭の中で、今の自分の様子を思い描いてみた。……浮かび上がったのは、アニメとかでよくある、人体実験をされる人がベッドに拘束されている姿だった。

 拘束具に固定された、実験体……みたいな?

「理葩! 私のことわかる!? 身体は大丈夫!?」

 急に視界に、お姉ちゃんが飛び込んでくる。その目は私を本気で心配していて、今にも泣きだしそうに潤んでいる。

 そんなに慌てなくても、私がのことを忘れるわけがないのに、何をそんなに慌てているんだか。昔から、ちょっと予想外のことがあると、テンパってしまう癖があるのは変わらないなぁ。

 大丈夫だよ、と言おうとしたところで、思ったように声が出ないことに気付く。だから代わりに手を伸ばして合図をしようとしたけど、力が入らずそれすらも精一杯だった。

 ……なんだか私の身体じゃないみたい。意識ははっきりしてるけど、寝ていることしかできない。

 手を伸ばそうとする私に気づいて、翼が手を握ってくれた。細い指は温かく、それでいて力強さも感じて、翼らしい感触だった。少しだけ、動揺していた私の心が安らぐ。

「理葩ちゃん、無理しないで」

 翼の声が耳に心地いい。不思議な魅力を持つこの声を、ずっと聞いていたくなる。

 笑顔で返そうとしたけど、ちゃんと笑えているだろうか?

「翼、私はお医者さんを呼んでくる!」

「うん、お願い!」

 慌ただしくお姉ちゃんが病室を出ていく。その後ろ姿を目で追いかけながら、徐々に私は、自身が置かれた状況を理解し始める。

 簡潔に言えば、私は大怪我をして入院したんだろう。腕に繋がれた何本ものチューブを見るに、かなり危なかったんだと思う。そんな私が目覚めたから、翼とお姉ちゃんが騒いでいるんだろう。


 ――じゃあ入院のきっかけは何なのか。一体私に何があったのか。……それがどうしても思い出せなかった。


 私が覚えている最後の記憶は、夕闇に染まる道にポツンと佇む黒い影。でも、その影の正体を思い出そうとすると、腹の底から、憎悪と恐怖が湧き上がってきた。もう捨てたはずの過去。ころの、真っ暗な感情だ。何もかもすべてが敵に見えて、世界には私一人しかいないという寂しい感情が、私の身体を冷たくしていく。

 もう二度と思い出したくないのに、一度呼び起こされた記憶は連鎖して、次から次へと暗い感情を積もらせ始める。そんな時――

「理葩ちゃん……大丈夫?」

 翼がぎゅっと、ひと際強く手を握ってくれた。……ちょっと痛い。

 でもそのおかげで真っ暗になりかけた視界に、パッ光が差し込んできた。翼の存在はいつも私を優しく照らしてくれる。……だから好きだ。

 相変わらず声が出せないから、感謝を伝えるために翼の手を握り返してみた。弱すぎて翼には伝わらないかもしれないけど。

 でも翼は何も言わず、にこっと笑顔を見せてくれた。その笑みが見れただけで、私は安心してしまう。

 それからしばらくして病室は沢山の人で賑やかになる。医者が看護師と共にやってきて、私の容態を確認し、その後にお父さんとお母さんもやってきた。

  皆の想いが暖かく、私の心を癒してくれる。……だからだんだんと眠気が襲ってきて、私は瞼をそっと閉じた。


◇◆◇◆◇◆


 目覚めた後は目まぐるしかった。検査に次ぐ検査で、病院内のあちこちをたらい回しにされた後、やっと病室で一息つくことができた。

 医者からは、目が覚めたのは奇跡だと言われた。どうやらあの人の予想では、数年経っても私が目覚めないと思っていたらしい。

 そんなこと言われても……と思いつつ、続けて医者は後遺症の説明を始める。

 まず右目。これが完全に潰れているらしい。なんか平衡感覚がおかしくなったとは思っていたけど、潰れてなくなっているとは思わなかった。

 次に右脚。こっちは麻痺して動かない。リハビリで回復する可能性があるから、頑張りましょうと看護師に言われた。

 あとは全身に打撲の跡があるけれど、そっちは時間経過で元通りに治るらしい。傷跡が消えるのはいいんだけど、失ってしまった右目は戻ってこないし、右脚だって歩けるようになるかわからないから、……正直どうでもよかった。

 自分の状態を知れば知るほど、まるで次々とおもりを付けられていくみたいで、気分が沈み込んでいった。


 ……どうしてこんなことになったんだろう。


 まだ続いている医者の説明をぼんやり受け流しつつ、私は机の上にあるカレンダーに視線を流す。

(……明日は翼の誕生日を祝う日だったはずなのに)

 去年と同じように、今年も翼を家に招いて誕生日会をするはずだった。翼が喜ぶようなプレゼントやサプライズを考えていたのに、私が怪我をして、入院したせいで、全部水の泡になってしまった。ずっと楽しみにしていた分、後遺症よりその喪失感の方が辛い。

 医者の説明の後、お父さんとお母さんの質問タイムが始まった。どうやら、まだまだ騒がしい雰囲気は終わりそうにない。

 繊細な気持ちになっていた私は、早く静かにしてほしいな……と思いつつ、窓の外に覗く枯れ枝を見つめる。

 枝には一枚の葉っぱが、風に煽られ揺れていた。まるで、必死に枝にしがみついているみたいで、少し滑稽に見えた。

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