【第六章:理葩の怒り】四節

 御影みかげ冴華さえか。理葩ちゃんの本当のお姉さん。その言葉は裏を返せば、枝葉えだはれんは本当のお姉さんではない……ということになる。

 そんなはずはないと心が否定したがるけど、同時にとある景色が脳裏に浮かぶ。

 私が輪戻中に見た、二人の少女の記憶だ。

 雪で覆われた公園のベンチで「大丈夫?」と声をかける栗毛色の髪を持つ少女と、それを疑いの目で返す黒髪の少女。あれは幼少期の連と理葩ちゃんの、出会いの記憶だったという事だ。

 パズルのピースがはまっていく感覚がする。理葩ちゃんが抱える闇が何なのか、少しずつ解明されていくような、そんな感覚だ。

 本当は、理葩ちゃんが救われるなら死んでもいいと思っていた。でも彼女の目的がの殺害なら、私は協力することはできない。

 これ以上、理葩ちゃんに人殺しをしてほしくない。

「……やっぱりダメ。理葩ちゃんを、人殺しにさせたくない」

「じゃあ翼がもっとずっと過去に戻ってよ! できないんでしょ!? 出来てたら、とっくにしてるもんね!?」

 理葩ちゃんが頭を振り乱しながら声を荒げた。

「私を人殺しにさせたくないって言うなら、全部無かったことにしてよ! 何もかも0から始めてさせてよ! ……全部やり直させてよ」

 目に涙をためる理葩ちゃんの訴えは、私の心をギュッと締め付けた。

 でも理葩ちゃんの言う通り、今の私には彼女を救うことが出来ない。理葩ちゃんが事件に遭う前に戻れないからだ。

 でも……本当にそうだろうか? そういえば輪戻の目的を"理葩ちゃんを目覚めさせること"にしてから、一度もそれより過去へ戻ろうとしたことはなかった。

 あの頃は輪戻という未知の能力に対して理解も少なく、とにかく必死だった。でも、輪戻に対して理解が深まってきた今なら、もしかしたら……。

「り……りは。ごめんね……こんな、お姉ちゃんで」

「――ッ!?」

 連が理葩ちゃんの足に触れている。でもその声から力強さは失われつつあった。

「りはのこと……救えたって、おもってた。でも……ちがったんだね」

「そ、そうじゃない! そうじゃないの! 冴華が、あの女が生きているのが悪いの! アイツさえ死ねば、あとは全部元通りでいいの!」

「…………ごめんね、りは。もう、元通り……には……」

 連の瞳から生気が抜けていく。そんな彼女を、これ以上見ていられなかった。

 ――気づけば、駆け出していた。その手は理葩ちゃんの首に掛けられている輪戻石へ延びる。

 連に意識を向けていた理葩ちゃんが反応に遅れる。咄嗟に刃物を振り上げようとするけれど、それより先に私の手が輪戻石に届きそうになる。


 ――その瞬間、輪戻石から眩い光が溢れ出した。


「な、なに!?」

 輪戻石は強烈な光を放ちつつ、理葩ちゃん首元からゆっくりと空中へ浮かび上がっていく。何が起こっているのかわからない。こんな事は初めて。

 理葩ちゃんは光を直視してしまったのか、目を庇うように顔を隠している。

 やがて空高く浮かび上がった輪戻石が、独りでに、一枚づつ花弁を閉じ始める。

 まだ私の血を上げていないのに、まるで自らの意思で蕾になろうとしているみたいだ。

「待って! お願い、閉じないで! 私に輪戻させて!!」

 理葩ちゃんが輪戻石に、懇願するように叫ぶ。それは彼女の、魂がこもった祈りにも聞こえた。それほどまでに、理葩ちゃんは必死だった。

 でも石は祈りを聞き届けることはなく、花弁はすべて閉じ、蕾の姿へと変わってしまった。

「……くそッ!!」

 完全に変形が終わったことを悟ると、理葩ちゃんは膝から崩れ落ち、床を殴った。

「……理葩ちゃん」

 輪戻をすればすべて無かったことにできる。多分、理葩ちゃんはその一点だけを心の拠り所にしていたんだと思う。

 連が輪戻をしたとき、私が輪戻前の記憶を忘れてしまったように。きっと理葩ちゃんが輪戻をすれば、私も連も輪戻前の記憶を忘れる。それで終われば、あの温かい日々が帰ってくるだけだった。でも理葩ちゃんの目的は、彼女の血の繋がったお姉さんを殺すこと。でももし理葩ちゃんがそれを叶えてしまったら、きっとあの温かい日々には二度と戻れないと思う。

 部屋を包んでいた光が弱まる。蕾の姿になった輪戻石は、滞空しながら、淡い光に包まれている。

 私は理葩ちゃんの傍へ行き膝を折る。彼女は近づいてくる私に見向きもせず、ただ目を伏せているだけだった。でもその視線は、もう動かなくなった連に向いている気がする。

 理葩ちゃんが今、どんな心境なのか。とても想像できそうにない。

 私は理葩ちゃんの手から、優しく刃物を取り上げた。抵抗はなかった。

「理葩ちゃんがどうして過去に戻りたいのかは分かったよ。でも、その理由にたどり着くまでに何があったのか、教えて欲しいの」

「……いま、話すよ」

「それはダメ。だって、連にも聞いてもらわないと」

 もう動かない連の手は、まだ理葩ちゃんに向かって伸びている。私はその手をそっと握った。

「すべてを教えて欲しい。私が知らない事も全部。理葩ちゃんの事をちゃんと知りたいの」

 私は刃物を自身の首筋へ当てる。

「翼……」

 輪戻のために自殺しようとする人を、理葩ちゃんは初めて見たんだと思う。無意識なのか、彼女は震える手を私に伸ばし、でも恐れるようにその手を引っ込めた。

 その手は、私を止めたいのか、触れたいのか、理葩ちゃん自身にもわからないようだった

 ……さっき私を殺そうとした人とは思えない反応。多分あの時の理葩ちゃんは、目的を叶えるために自我を押し殺していたんだろう。我に返った今、自らの犯した罪を受け入れきれずにいるのかもしれない。


 ──でも、覚悟を決めたその瞬間、再び、輪戻石から光が溢れ出した。


「な、何!?」

 まだ自傷すらしていないのに、蕾の姿だった石の花弁が、さわさわと開きかかっている。

 輪戻石が花開くときは輪戻を発動したときだけ。それはつまり、石の主が死んだとき。そう思っていたのに、自ら花弁を開こうとしているなんて。

 さっきの事と言い、輪戻石に一体何が起こっているの!?

「つ、翼……、身体がっ!」

「え?」

 理葩ちゃんに指さされ、私は自身の身体を見下ろした。

「なにこれ!?」

 私の身体が、輪戻石と同じように、ぼんやりと発光していたのだ。

 身体から発生した小さな光の粒子が宙へ舞い、部屋が暖かな光でいっぱいになる。それはまるで、輪戻をする瞬間の光景とそっくりだった。

 それだけではない。私と連と理葩ちゃんが、光の粒子と同じように、宙へ浮かび始めたのだ。そしてフワフワと制御を失った身体は、無軌道に宙をゆっくり漂い始める。

 何が起きているのか理解する間もなく、事象だけが私達を置き去りにする。

 いつの間にか部屋の中心には輪戻石が浮かんでいた。そして開きかけていた花弁が、私の覚悟に応えたように、静かに花開いた。その瞬間、まばゆい光が私達を飲み込んでしまった。

 私の視界も、匂いも、音も、何もかも、光の一つになっていった。

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