【第六章:理葩の怒り】二節
ピンポーンと、再びインターホンが鳴らされた。
きっと配達の人か近所の人が来ただけだ。だから何もおかしい事じゃない。そう自分に言い聞かせているにも関わらず、私の鼓動はどんどん速くなる。だんだんと胸が苦しくなってきて、私は無意識に唾を飲み込んだ。
耳を済ませていると、やがて足音が聞こえ、お母さんが玄関でしゃべる声が聞こえてきた。流石に話している内容まではわからないけど、しばらく話を続けているみたい。
そして、玄関の扉が閉まる音が聞こえる。……やっぱり、近所の人が訪ねてきただけなのかな。
「翼、大丈夫? 顔が真っ青よ」
連が心配そうにのぞき込んでくる。とは言え連も、その瞳には怯えの色が滲んでいた。
「大丈夫。……ただのインターホンなのに、二人して怖がっちゃったね」
「う、うん。そうね」
私が感じていた不安を、連も感じていたのだろうか。
一体何に不安を感じていたかと言うと、理葩ちゃんの存在だった。
連の話に登場した理葩ちゃんは、私の持っている輪戻石を手に入れるために手段を選ばない。たとえ私を殺してでも、輪戻石を奪おうとしてくる。
だから、もしかして理葩ちゃんがウチに来たのかと思ってしまったのだ。
でもそんなはずはない。だって理葩ちゃんはまだ病院にいて、目を覚ましていないはずなんだから。
ひとまず、ほっと胸をなでおろす。連とこれからの事を話し合わなければならない。
と、その時だった。コンコンと、部屋の扉がノックされた。
「……?」
……やっぱりおかしい。お母さんやお婆ちゃんなら、ノックと一緒に声をかけてくれるはず。でもいつまで待っても、二人の声は聞こえてこない。
再び、コンコンというノックの音が部屋に響く。
連と顔を見合わせる。彼女も何か違和感を感じているのか、口元をきゅっと閉じている。
どう対応していいかわからず、沈黙が降りる。その時、ついに扉の向こう側から声がした。
「つ~ばさっ。私、理葩だよ。いるんでしょ?」
「り、理葩ちゃんっ!?」
ど、どうして理葩ちゃんがここに!? だってあの子はまだ、病院のベッドで眠っているはずなのに。思わず連の顔を見ると、彼女も信じられないという表情で首を左右に振っている。
やがてドアノブが捻る音が聞こえ、ギィ……と扉が開き始めた。
現れた理葩ちゃんの姿を見て、その異様さを前に絶句した。
ベッドから起きてそのまま来たのだろうか、理葩ちゃんは病院の服を着たままだった。その服には赤い斑点が飛び散り、理葩ちゃんの右手には、赤く濡れた果物ナイフが握られている。
ここに来るまでに、人を刺している。理葩ちゃんの佇まいから一瞬でそう直感させられた。
私は、一気に血の気が引いた。もし理葩ちゃんが誰かを手にかけたのだとしたら、思い当たる人は一人しかいなかった。
「う、嘘よ!」
背後で連が叫ぶ。
「だって、ちゃんと確認したのよ! 翼の家に行く前に、理葩が目覚めてないことを!」
でも理葩ちゃんがくすくすと笑う。
「うん、お姉ちゃんが来たのは知ってたよ。だからちゃんと寝たふりをしてごまかしたんだ」
「ね……寝たふり? じゃあ……最初から意識があったってこと?」
「うん、しっかり覚えてるよ。翼のおかげだね。お姉ちゃんが輪戻をしちゃうと、また元に戻っちゃうから」
「――っ!?」
……ちょっと待って。今、連が輪戻をすると元に戻るって言った!? それってつまり、理葩ちゃんも輪戻の規則を知っているってこと!?
それじゃあ理葩ちゃんは、いったいどれくらい前のことまで覚えているの? もしかして、これまで連が理葩ちゃんを殺してきたことまで?
だとすると今ここにいる理葩ちゃんは、私から輪戻石を奪うために来たってことになるはず。
私の視線は再び果物ナイフに注がれる。赤く濡れた刃から、一滴の雫が落ちた。
「理葩ちゃん……。お母さんはどうしたの?」
恐る恐る、私は理葩ちゃんに尋ねた。玄関で対応をしていたのはお母さんのはずだ。もし既に理葩ちゃんがこの状態だったのなら、騒ぎになっていないはずがない。
私の問いかけを聞いた理葩ちゃんの表情から……笑みが消えた。それと同時に重く冷たい空気が、部屋に充満していく。彼女の氷のように冷たい瞳が、私の疑問に対する答えだった。
ギシッと、彼女が私の部屋に一歩踏み入れる。その瞬間、咄嗟に連が私を庇うように前へ躍り出た。
「どいてよお姉ちゃん。また、私の邪魔をするの?」
「翼に手は出させない……!」
「どうせ翼を殺すのに?」
「そ、それは――」
「私のことも翼のことも、何度も何度も殺してきたくせに。今さら翼を庇って、罪滅ぼしのつもりなの? 都合良すぎない?」
理葩ちゃんの言葉は鋭利な刃となって突き刺さる。事実だけをくみ取れば、連の行いはそう捉えられても仕方がない。……でも、今なら連がどうしてそうしたのか私は理解している。
「わ、私は……。わたしは――」
「連はもう、私を殺さないよ」
だから私は、言いよどむ連の言葉を遮って断言した。私は連と和解した。彼女の想いを知った。だから、もう大丈夫だと信じることができる。
でも理葩ちゃんはそれが気に入らなかったみたい。私と連を交互に見た後、舌打ちをした。
「あぁ……そう。まあ翼ならそうなるよね。連がどれだけ酷いことしても、全部許しちゃうんでしょ? 自分を殺してきた人を許すなんて……頭おかしいでしょ」
凍りつくような言葉の数々が、棘となって私と連を突き刺してくる。私の記憶にある理葩ちゃんとは正反対の、私が知らない理葩ちゃんの姿だ。
「理葩ちゃんに何て言われようと、私の連に対する想いは変わらないよ。だって連とは話し合うことができたから。でも理葩ちゃんとは、まだ理解しあえてないと思うの」
「そんなの意味ないよ。翼は私のこと、理解できないと思うし」
「でも理葩ちゃんがここに来た理由はわかってる。目的はこれでしょ?」
私は理葩ちゃんに輪戻石を見せた。蕾が閉じた状態の石を。
その石を見て理葩ちゃんの動きがピタッと止まる。
「この輪戻石は私の血を吸って、私を主として認めている。そして蕾が閉じているという事は、私が死ねば私の輪戻が発動する。今ここで理葩ちゃんが私を殺しても、もう理葩ちゃんの輪戻はできないよ」
じつは理葩ちゃんと連が話している隙に、こっそり輪戻に血を与えて、蕾の状態にしていたのだ。これで理葩ちゃんは私に手を出すことが出来ないから、拮抗状態を作れるはず。
……でも予想に反して、理葩ちゃんはにやっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「いいよ、翼が輪戻しても! 私、諦めないから! それにほら……忘れてないよね?」
理葩ちゃんが血に濡れた果物ナイフを見せつけてくる。
「翼のお母さんは私が殺しちゃった」
「――ッ!」
頭に血が上る。なんとなくそうだと予感していたけど、改めて口に出されると、腹の底から怒りが湧いてくる。狙いは私のはずなのに、どうしてお母さんを殺す必要があるの……!
「憎いでしょ!? いいよ、私を殺してよ! どうせ過去に戻れば、全部なかった事にできるもんね!」
無かったことにできる。それは……甘い言葉だった。
「それができないなら、翼は一生私と同じ場所には立てない。……違う立場から、一方的に理解できるなんて、そんな思い上がりはやめて!」
理葩ちゃんが、殺してみろと言わんばかりに両腕を広げる。彼女の細い首は、絞め上げれば簡単に折れそうなほど、華奢に見えた。
……でも。
「できない。それだけは……絶対に」
はっきりと拒絶の意志を見せる。例え理葩ちゃんがお母さんの仇だとしても、私は理葩ちゃんを殺す気にはならなかった。
すると、彼女がつまらなそうに溜息をつく。
「だと思った。でもちょっと安心した。翼はこっち側に来ちゃダメだから」
そういうと、理葩ちゃんが果物ナイフを逆手に握り直す。
――そしておもむろに、自らの腹部へ、ナイフを突き刺した!
「り、理葩ちゃん!?」
「理葩っ!?」
理葩ちゃんの口から大量の血が溢れ出る。グラグラとよろめきながらナイフを抜いた理葩ちゃんが、笑いながら口を開いた。
「こ、これで、翼は過去に、戻るしかない……でしょっ!」
理葩ちゃんの言葉に水音が混ざる。口から血を吐きながら笑うその姿は、狂気に呑まれていた。
「次の世界で……また、会いに行くから。輪戻石を……かならず……」
ドサッと、理葩ちゃんが力尽きてしまった。
突然訪れた急展開に、私と連は何も言えず、ただ茫然とするだけだった。
まさか……私に輪戻を強制させるために、自ら死んで見せるなんて! そんなことをしなくても、お母さんを生き返らせるために、輪戻をするつもりだったのに。
もしかして理葩ちゃんが自殺したのは、他の意図が……?
……わからない! 一体なにが、理葩ちゃんを突き動かしているの!? 理葩ちゃんが過去に戻りたい理由はなんなの!?
それを知らない限り、これからはずっと、理葩ちゃんに命を狙われ続ける事になる。やっぱり、連と同じように、どこかで理葩ちゃんの凶行を止めないと!
「つ……翼。過去に戻ろう」
「いいの? 連は私に輪戻してほしくなかったんでしょ?」
「うん。でもいいの。理葩を、妹をこのままにしておきたくない。本当なら私が代わりたいけど、もう輪戻石は蕾になっちゃったから」
連が胸の前で手を握る。彼女の瞳は、一人血の海の中、うずくまって死んでいる理葩ちゃんの姿を映す。
本当はまた、三人で一緒に笑う日常に帰りたかっただけなのに。それ以外は何もいらないのに。どうしてそんな小さな幸せすら、叶えることが出来ないんだろう。
私は床に落ちていた果物ナイフを拾う。もう、わざわざ儀式をする必要も感じられなかった。
連が後ろから優しく抱きしめてくれる。彼女の想いが、私から恐怖心を拭い去ってくれた。
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