【第四章:歪み】四節
目を開けてられないほどの眩い光に包まれ、私は真っ白な空間に揺蕩う。
音も、匂いも、何もかも無となった私は、流れに身を任せている。でも不思議とこの空間は心地がよく、私はふわふわと微睡んでいた。
ふと、遠くに何かが光っているのを見つけた。あれも世界を内包した光の一つなのだろうか。
でもよく目を凝らしてみると、その光は青白く、私が見てきた光とは色が違うことがわかる。
「なんだろう……あれ」
気になった私は、青白く輝く光へ手を伸ばしてみる。到底届かないとわかっていながらも、きっとこの手はその光に触れることができる。何の根拠もないのに、私はそう信じて疑わなかった。
でも私の意識はそこで遠のいてしまう。
……ああ、目覚めが来るんだ。
まるで眠りにつくように、私の意識はぷつんと途切れてしまった。
◆◇◆◇◆◇
次に私が感じたのは音だった。静寂が覆い、部屋の外で鳴く小鳥の声が、心を落ち着かせてくれる。
そして匂い。自分で自分の匂いは感じずらいとよく言うけど、息を吸った時に、ここが私の部屋であることを教えてくれた。
ゆっくりと瞼を開いた私は思う。初めての輪戻をしたにしては、不思議と落ち着いていると。
そして確信する。……間違いなく、私はどこかで輪戻を経験したことがあると。
今は十月十日の午後一時。この時の私は、理葩ちゃんの容態を目の当たりにして、絶望に打ちひしがれていた。何も考えることが出来ず、ベッドに籠ってただ涙を流しているだけだった。
でも、それは輪戻前の私の話だ。
ベッドから跳ねるように立ち上がった私は、視界の中に姿見を見つける。
鏡に映る私の表情は決意が漲り、無力な自分を嘆いていた時とは別人のようだった。そして胸元には、真っ白な輪戻石が花開いている。
「……そうだ。理葩ちゃんの所に行く前に、あれをやっておこう」
それは思いつきだった。でも多分、活かせる場面がきっと来るはず。
私はそれした後、理葩ちゃんが入院している病院へ向かった。
もちろん、理葩ちゃんが目覚めているか、そして連がそこで何をするか、確認するために。
◆◇◆◇◆◇
ベッドに横たわる理葩ちゃんの様子は、輪戻前と変化がない。静かに寝息を立てる彼女は、まるで眠り姫のようで、その空間だけ切り取られたよう。
でも私の頭の中では、この後に訪れるであろう光景が、何度も繰り返されていた。
理葩ちゃんが目覚め、包丁を持った連が病室の入口で立ちすくむ光景が。
そして私は連の真意を確かめることが出来ず、刃を受けて死んでしまうだろう。
……正直、ちょっと怖い。でもそれは死への恐怖ではない。
だって、もし連が私を刺してきた理由が「私のことが嫌いだから」だったら? 信頼を寄せていたのは私だけで、連はそんな私に対して密かに嫌悪感を抱いていたとしたら?
誰かに危害を加えるという行為は、思いつきで実行できるような気軽なものじゃない。強い負の感情が原動力となると思う。
別に痛い思いをするのは……いい。きっと耐えられる。でも実は「連は私のことが嫌いでした」という結末になった方が、よっぽど痛い。
そんな結末になるなら、死んでしまった方がマシだと思えるほどに。
だから連からその理由を聞きだすことが、怖くないわけがなかった。
ふと、理葩ちゃんの寝顔に視線を落とす。私は彼女の病的なほどに青白い柔肌に、そっと指先を触れてみた。
「お願い理葩ちゃん。私に……勇気をちょうだい」
この後に起こるであろう出来事を想像して、つい心が弱気になってしまった。気づけば、未だ目を覚ます気配のない理葩ちゃんに、その救いを求めている自分がいる。
触れている指先を通して彼女の熱が伝わってくる。今はまだか弱い
私の指が理葩ちゃんの頬を撫でていると、彼女の瞼がぴくぴくと痙攣した。そして理葩ちゃんが目を覚ました。
「理葩ちゃん! 目が覚めたのね!」
寝起きの彼女は朧げな瞳を私に向ける。
「つば……さ?」
「うん、私だよっ!」
状況が呑み込めていないのか、理葩ちゃんの目がぐるりと病室を見渡す。……そっか、理葩ちゃんは事件に遭ってからずっと意識を失っていたことになる。だから彼女からすれば、いつの間にか入院していたってことになるのか。それなら、混乱するのも無理はない。
「つばさ……。ここ、どこ?」
「ここは病院だよ。理葩ちゃんは、酷い怪我をして入院したの」
「酷い……怪我」
思い出してきたのか、理葩ちゃんの意識がだんだんと覚醒してきているのがわかる。目に力が戻り始めている。
「今は……いつなの。――いった!」
体を起こそうとする理葩ちゃんが痛みで顔を歪ませる。私は慌てて彼女の身体を支えてあげた。
「無理しちゃだめだよ! まだ身体の怪我が治ってないんだから!」
「そんなの……どうでもいいの。それより翼、今日は何月何日!?」
理葩ちゃんが肩を掴んで迫る。とても切羽詰まった表情だ。日付がそんなに大切なのだろうか?
「今日は……十月十日だけど」
「十月十日……」
心なしか理葩ちゃんの表情が暗い。まるで、期待を裏切られたような顔だ。
でもそんな様子も一瞬で、次に理葩ちゃんは私の胸元へ視線を向けた。……その先には、首にかけた輪戻石が揺れている。
そして彼女は目を見開いた。
「翼! その石――」
理葩ちゃんが何か言いかけたところで、病室の扉が開かれ、私は反射的にそちらを振り返った。
……思った通り、そこには連がいた。病室の様子を瞬時に察知した彼女の顔は、とても深刻だ。
――ついにこの時が来た。
私は覚悟を決めて、連と向き合うように立ち上がった。
そんな私の雰囲気に疑問を抱いたのか、連は部屋の様子を伺いながら、病室の扉を静かに閉める。
「翼……来てたんだ?」
「うん、確かめたいことがあったから」
連の視界には、目を覚ました理葩ちゃんの姿が映っているはずだ。でも、理葩ちゃんが目覚めたというのに、彼女は笑みすら浮かべない。
「確かめたいこと? ……それって何?」
がちゃり……と、連が病室の扉の鍵を閉めた。私は理葩ちゃんの前に立ちふさがるように移動する。
「翼、なんだか様子がおかしいよ? どうしてそんなに怖い顔をするの?」
ぴんと張り詰めた空気が充満していく。緊張が高まり、頬を一粒の汗が流れていく。
そんな静寂を最初に破ったのは理葩ちゃんだった。
「翼! お姉ちゃんの目的は輪戻石だよ!」
「――え?」
――どうして理葩ちゃんが、輪戻石のことを知ってるの?
彼女の言葉に一瞬だけ思考が止まる。その隙を連は見逃さなかった。
彼女は、どこからか取り出した刃物を構えると私に向かってくる。
――ここだ! いつかの輪戻で、私は彼女の刃を避けていた。でも……、今回は違う!
受け入れるように、一歩前に踏み出す。何もかも投げ出すのではなく、未来へ進むために。
次の瞬間、連が勢いよく私の身体にぶつかり、お腹に刃物が突き刺さる感覚が襲う。避けようともしない私の行動に、連が困惑の声をあげた。
「つ、翼!? どうして避けないの!?」
「……っつう。やっぱり……すごく……痛い、ね」
お腹から激痛が全身を駆け巡る。身体の中に異物が入り込んでいるという不快感で、ぶわっと背中から汗が噴き出てきた。でも……覚悟していたから耐えられる!
刃物が突き刺さったまま、私は連を包み込むように抱きしめた。彼女の身体がビクッと揺れ、とっさに私から離れようとした。……でも、逃がさないように強く彼女の身体を抱きしめる。
「連……、聞いて。私ね……こうなることが、わかってたの。……理葩ちゃんが目覚めた後……、連が私を殺そうと、するのを」
「な、なにを言ってるの? ……まさか翼。輪戻前の記憶があるの!?」
やっぱり連は輪戻のことを知っていた。どこでどうやって知ったのかわからないけど、さっきの彼女の発言でわかったことがある。
連は輪戻を知っているだけじゃなく、輪戻をしたことがある!
それにしても、やっぱり痛いな……。
連を抱きしめていた腕の力が抜けていくのがわかる。足にも力が入らなくなってきて、私はずるずるとその場に座り込んでしまった。
気づけば、包丁が刺さったお腹からは真っ赤な血が溢れだし、私の身体を赤く染めていた。そんな私を見下ろす連の身体も、返り血で赤く染まっていた。
「連が、こんなことをする理由は……これでしょ?」
私は首にかけていた輪戻石を連に見せる。蕾のように閉じた輪戻石を。
「石が……閉じてる!?」
「やっぱり……。閉じてると、都合が……悪いんだ?」
だんだんと意識が薄れてきた。死が近づいてきた証拠かもしれない。
「ねぇ、連。……話を……聞かせて。次の、世界で」
視界が端から暗くなっていく。最後の力を振り絞って手を伸ばすと、連がその手を握ってくれた。
「翼……。翼っ! ご、ごめんなさい! 本当はこんなこと、したくなくて! だから、ごめんなさい! ごめんなさい!」
意識が薄れゆくなか、私が見た彼女の顔は涙があふれていた。その表情を見て少し安心する。連は私のことが嫌いだから、刺してきたんじゃないんだって。
もう……目を開ける余力もない。そうしてそっと瞼を閉じようとした時だった。
輪戻石が光を放つと同時に、私の脳裏に過去の断片が走馬灯のように流れた。連の笑顔、理葩ちゃんの声、そして――私が死ぬ瞬間。
――そう、私の輪戻が始まったのだ。
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