【第四章:歪み】

【第四章:歪み】一節

 ……誰かが泣いている。

 ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も何度も謝っている。

 誰に謝っているのか、どうして謝っているのか、私にはわからない。ただ涙を流しながら、はひたすらに許しを請う。

 ――瞬間、私のお腹に鋭い痛みが走る。私が視線を落とすと、真っ赤な血が傷口からどくどくと溢れてきた。

 どうして? 私は、私を刺した人の顔を見上げて疑問を抱く。

 その人は――連は、涙で頬を濡らしていた。まるでそうしなければ、心が壊れてしまうような、そんな悲しい表情だ。

 ……泣かないで。そう語り掛け、私は連を優しく抱きしめた。お腹の痛みより、彼女の悲しい顔を見ている方がよっぽど痛かった。

 でも、突如として力が抜け落ちる。全身の感覚が鈍くなり、私はずるっと地面に倒れてしまった。

 生温かな赤い水が頬に触れ、血の海がゆっくりと広がっていく。意識が遠のく中、私はその光景をただボーっと見つめていた。

 気づけば、血の海の中に輪戻石が転がっている。

 でも石はどんどん色褪せていき、灰色の花へと変貌を遂げていく。そしてその輪戻石を連が拾い上げた。

 ――直後、真っ赤な血が雨のように降り注いだ


◆◇◆◇◆◇


 ズキ、ズキと頭が締め付けられるような痛みと共に、私の意識が覚醒した。

 瞼が鉛のように重たく、ぎゅっと眉間にしわが寄る。身体の節々を動かすことすら億劫に感じる。

「うぅぁ……。なんか、悪夢を見ていたような気がする」

 それも、とても長いやつだった。思い出せるのは焦り、痛み、そして疑問。それらの感情が何に対してのものなのか、思い出すことができない。

 私は重たい身体を何とか動かして、半目でスマホの画面を眺める。

 《やっぱり連から連絡は来ていない》。

 ――瞬間、ズキンと頭が痛んだ。

「いったぁ……。流石に薬を飲もうかな」

 痛みが強いせいで、焦点が定まらない。私は壁にもたれ掛かって、ベッドに倒れ込みそうになるのを支える。すると、ふと視界に白い箱が映りこんだ。

 そうだ、《昨日》は私の誕生日を祝ってもらったんだった。あの箱はお母さんから貰った誕生日プレゼントだ。

 蓋を外すと現れたリボン。私はそれを撫でながら、昨日の誕生日会を思い返す。

 お母さんとお婆ちゃんと過ごしたあの時間は、とても暖かくて、私は幸せを感じていた。今ではそれも、懐かしい思い出みたいだ。

 ……《懐かしい》? 昨日のことなのに、どうして?

 ――ズキンと、また頭が締め付けられる。

「きっつ……」

 今日はもう学校を休もうかな……、と思って時計をチラ見した時だった。

「やばっ! もうこんな時間なの!?」

 自分が寝坊寸前の時刻に起きたと気づく。とっくに連と理葩ちゃんが向かってくる時間だ!

 私は急いで部屋を飛び出した。


 勢いよく障子を開けると、私の顔を見たお母さんが眉間にキュッとしわを寄せた。

「寝過ぎよ翼! もうご飯できてるから、早く食べなさい!」

「ごめんなさいっ!」

 私は急いで朝ごはんを食べようとしたけど、激しい頭痛でよろめいてしまった。

 異変に気付いたのか、お母さんが心配した顔で私を支えてくれた。

「ごめんなさい、お母さん。朝起きてからずっと頭が痛いの」

「そうだったのね。頭痛薬があるから飲む?」

「うん……」

 お母さんが私を席に座らせてくれると、隣のおばあちゃんが心配そうに肩に手を置いてくれた。

「翼、大丈夫かい?」

「うん……、大丈夫。たぶん薬を飲めば、よくなるから」

 部屋から駆け足で来たせいで血流が良くなり、余計頭が痛い。なんなら吐き気まで感じてきて、一切の思考が停止する。

 そうして私がうなだれていると、お母さんが水と一緒に薬を持ってきてくれた。

「お母さん、ありがとう」

「いいのよ。今日、学校休む?」

「ううん、薬飲んだら良くなると思うから。それに連と理葩ちゃんにも会いたいし」

 本音を言うと学校を休みたかったけど、連と理葩ちゃんに、昨日のお誕生日に貰ったリボンのことを自慢したかった。

「そう……。無理しちゃだめよ?」

 そう言いつつ、お母さんが私の朝食を運んでくれる。私は薬を飲み込むと、「いただきます」と唱えて、朝食にありつく。

 薬を飲んだし、これでちょっとはよくなればいいんだけど……。

 そう思って箸を進めていると……。


 ――プルルル、プルルル


  突然、家の電話が鳴り始めた。お母さんもお婆ちゃんも、お互いに顔を見合わせている。こんな朝早くから一体誰が電話をかけてきたのだろうか?

 いぶかしみながら、お母さんが受話器を手に取った。電話の内容が気になる私は、無言で食事を続けながら聞き耳を立てた。

「羽並です。……ああ、枝葉さんですか」

 枝葉という事は、電話の相手は連や理葩ちゃんのご両親だろうか。お母さんも少し付き合いがあるから、電話の相手が知り合いだと知って声が和らいでいる。

 でも、すぐにお母さんの声色が固くなる。

「え!? ……はい、そうですか。それで……?」

 何かあったのか、お母さんは一瞬私の方を見てから、近くに置いてあったメモ用紙に何か走り書きをしている。

「ええ……それでは」

 お母さんは静かに受話器を置くと、困ったように口をつぐみ、俯いてしまった。

 少しの沈黙が、居間の空気を重くする。胸騒ぎが止まらない。

「何かあったの?」

 我慢できず問いかける。さっき、電話中のお母さんは私をちらっと見た。なら私に関係がある内容だったに違いない。

 鼓動が早くなる。

 やがて意を決したかのように、お母さんが私の目を真っすぐ見つめる。

「翼、落ち着いて聞いて。昨晩、理葩ちゃんが入院したって」


 ――違和感。そして突如、私の脳内にとある光景が映し出される。


 細い身体を覆う包帯。腕を這う点滴のチューブ。右目は潰れ、顔の半分も包帯に包まれている彼女は、呼吸器が取り付けられている。そんな死に瀕している理葩ちゃんの様子と、その隣で俯き、暗い顔をしている連の姿。


 ――そして彼女の右手には、銀色に光る刃物が握られている。


「なに? ……これ」

「翼? 大丈夫?」

 お母さんに肩を揺すられて、私の意識が現実に戻ってくる。

 見ると、私を心配したお母さんが顔を覗き込んでいた。

「ごめんお母さん。ちょっと、ぼーっとしてた」

「……無理もないわね。お母さんも、ちょっと信じられないわ」

 お母さんが胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。

 そう、。でもこの感情は、お母さんが感じているものとは違う。……でも、何が違うか思い出せない。

 私は何に対して信じられなかったの? 胸を強く締め付ける、この疑問の正体はなんなの?

「翼、理葩ちゃんが入院した病院の場所は聞いているわ。すぐに行く?」

「うん、行ってくるっ!」

 お母さんが書いてくれたメモを握りしめ、私は理葩ちゃんが入院している病院へ駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る