【第三章:輪戻の光】二節

 病院に到着した私は、そのまま理葩ちゃんの病室へ向かった。

 車いすを押す看護師さんや、世間話をする入院患者のおばさんたち。カルテとにらめっこしながら早足ですれ違う医師。過去に戻るという非日常的な体験をしたにしては、院内の様子は輪戻の前と変わっていないように感じる。

 でも、理葩ちゃんの病室が見えてきたと同時に、私の足はぴたっと止まってしまった。がらがらと病室の扉が開かれ、中から見慣れない女性が現れたからだ。

 真っ黒で長いロングストレートに、ブレザーの制服を着たその人は、どうやら私と同い年くらいの女の人みたいだ。でも、その人が着ている制服はウチの学校のものとは違う。

 もしかして遠方から訪ねてきた理葩ちゃんのお友達かもしれない。面識がないから少し気まずいけど、ご挨拶くらいしておこうかな。

 そう思って声をかけようと近づいた時だった。女の人が私に気付いて顔を上げた瞬間――私は息を呑んだ。

 綺麗な人だった。目鼻立ちは整い、雪のように白い肌と漆黒のように黒い髪の対比が、彼女の魅力を引き立てている。

 ――でも、その瞳は刃のように鋭かった。まるで、視線だけで相手を刺し殺してしまうような、鋭利な刃物を連想させるほどに。

 その目で真っすぐ射貫かれた私は、身体が硬直してしまった。悪寒が背筋を這い、額に汗が浮かぶ。……蛇に睨まれたカエルの心境とは、こんな状態を言うのだろうか。

 彼女から、敵意にも似た拒絶の意志をはっきりと感じた。それは、あと一歩近づいた瞬間、咬みつかれるのではないかと思うほどに。

 数秒の沈黙の後、女の人がこちらに向かってくると、そのまま私の横を通り過ぎていった。すれ違う一瞬、彼女がこちらを見ていることに気付いたけど、私は目を合わせることが出来ず固まったままだった。

 やがて彼女の足音が聞こえなくなった頃、耳に病院の活気が戻ってくるのを感じて、私はふぅと大きく息を吐きだすことができた。

 恐る恐る後ろを振り返って、あの女の人が去ったことを確認し、ほっと胸をなでおろす。

「なんなの……あの人」

 理葩ちゃんにだって私の知らない友達がいる……。そう思うことで自分を納得させようとしたけれど、あの人は本当に理葩ちゃんの友達なのだろうか?

 とてもじゃないけど、あの人が理葩ちゃんの関係者とは思えなかった。あんなに冷たい目をしている人が、理葩ちゃんの隣に立つ姿がどうしても想像できない。それともあの目は、私を警戒していただけなのだろうか。

 また彼女の視線を思い出して身震いする。私は無意識に自身の身体を抱きしめていた。他人からあれほどの敵意を向けられるのは初めてだった。

「――いけない。あの人のことを何も知らないのに、勝手にあれこれ想像しちゃ駄目だよね」

 ぶんぶんと頭を大きく振って悪い印象を振り払おうとする。だって私にはきつい態度を取っただけで、理葩ちゃんにはとっても優しい笑顔を見せる人かもしれないのだから。それなのに、私の主観だけで物事を見るのはよくないことだ。

「よしっ、とりあえず理葩ちゃんに会おう」

 そう……、私がここへ足を運んだ目的は、輪戻後の理葩ちゃんの様子を見ることだ。理葩ちゃんにどんな友達がいても関係ないんだから。

 私は気持ちを切り替えると、理葩ちゃんの病室をノックした。


◆◇◆◇◆◇


 病室をノックしてから数秒待ってみたけど、何も返事が返ってこなかった。

「あれ、誰もいないのかな?」

 もう一度ノックをしてみる。でもやっぱり返事はない。

 私はそっと扉を開けて顔を覗かせてみる。すると、そこには理葩ちゃん以外の人はいなかった。

「連……いないんだ」

 ずっと理葩ちゃんの傍にいると思っていたから、ちょっと意外だった。でもまあそういう事もあるかと、私は特に気にせずに部屋に入って理葩ちゃんの傍へ向かう。

 ベッドに横たわる理葩ちゃんの姿は、何度見ても痛痛しかった。

 全身に巻かれた包帯。細い腕を這うチューブ。その顔は半分が包帯で覆われていて、胸が締め付けられそうになる。でも静かな病室に響く機械音が、理葩ちゃんが生きている証を刻み続けている。

 輪戻の影響でもしかしたら何か状況が変わっているかも……と期待したんだけど、やっぱり駄目みたい。私はただ過去に戻ってきただけで、過去をしたわけじゃない……。

「翼……? 来てくれたんだ」

 唐突に背後から聞きなれた声が聞こえてきて、私は振り返った。

 そこには嬉しそうにする連の姿があった。でも彼女の髪はぼさぼさで、わずかにほほ笑む表情には、疲れが見え隠れしていた。

「うん、理葩ちゃんのことがどうしても気になっちゃって」

 そう言ってベッドに横たわる理葩ちゃんに視線を落とすと、隣に連がやってくる。

「来てくれてありがとう。……翼に会いたかった」

 と語る連だけど、やっぱり声に元気がない。私は輪戻前に見た連の様子を思い出しつつ、そっと隣にいる彼女の顔を覗き込む。

「……?」

 連は不思議そうな表情をしているけど、私は目を凝らして彼女の表情の隅々まで確認した。泣きはらした後の目には少し赤みが残り、唇もカサカサになって潤いを失っている。改めて確認してわかったけど、やっぱり連は理葩ちゃんが入院してからまともに寝ていないみたい。

 本来なら、この場で無理やりにでも連を家に帰すべきだと思う。でも、私の頭には一つの解決策しかなかった。そう……、輪戻石の能力を使えば、そもそもこんな状況になるのを回避することができるかもしれないのだから。

 私は胸にある輪戻石を優しく握る。私が未来から戻ってきたと言っても、連は信じてもらえないかもしれない。でも、どうしてもこの可能性について知ってほしかった。

 だから私は意を決して、口を開いた。

「ねえ連。……もしかしたら、理葩ちゃんを助けることができるかもしれないって言ったら、信じてくれる?」

「え? 何言ってるの?」

 連が困惑する。当然だ。

「理葩を助けるって……。お医者様でもない翼に何ができるの?」

 いつになく冷たい連の語りに、それでも私は言葉を続けた。

「……私、過去に戻ることができるの。それで理葩ちゃんが事件に遭う前に戻れば、こんなことにならずに済むはずなの」

「は? 過去に戻るって」

「――見てっ!」

 私は連の言葉を遮って、花開いた輪戻石を見せた。

「前に輪戻石を見せたとき、蕾みたいに閉じていたのを憶えてるでしょ? でも今は開いている。この石は、花が開くと主を過去に戻すことができる特別な能力を持っているの。それは輪戻って言うらしいんだけど、今の私はその能力を使って1週間先から戻ってきた後なの。でも本当なら理葩ちゃんが事件に遭う前に戻りたかったんだけど、……失敗しちゃったみたい。だからもう一度能力を使って、理葩ちゃんが事件に遭う前に戻ることができれば」

「――ちょっと待って!」

 今まで聞いたことがない大きな声が、病室に響き渡る。

「輪戻? 過去に戻る? 翼……どうしちゃったの? 急に変なこと言わないで! 意味がわからないよ!」

「でも本当なのっ! 私も最初は信じられなかったけど、未来から来たのは本当なの! だから今度は、もっと過去に」

「――もうやめてっ!!」

 耳をつんざくような金切声が響く。連が瞳に涙を浮かべながら、私を睨みつけてくる。……初めて見る、私を拒絶する表情に、頭の中が真っ白になった。

「お願いだから気休めはやめて! そりゃ私だって、過去に戻れるならそうしたいよ! 戻ってやり直したいよ! でもそんなこと……できるわけないじゃない! もう過ぎたことをとやかく言ったって、理葩が目覚めるわけじゃない。そんなことに、何の意味もないのよっ!」

 頭を振りながら、連は縋るように私の胸に顔を埋めてきた。その顔は涙で濡れ、必死の形相で私に語り掛ける。

「お願いだから……もうそんなことを言わないで。私の傍にいてよ。翼まで…………」

 その訴えは、私の心に重く響いた。

 こんなにも顔をくしゃくしゃにして懇願する連は初めて見た。それは、永遠に彼女の傍に居続けようと思わせるほどに。私が思っていたよりもずっと、連の心はボロボロになっていたんだ。

 ……でも、理葩ちゃんが事件に遭わなければ、連にこんな顔をさせることもなくなる。そうだ、理葩ちゃんを救うことが、連を救うことにも繋がるんだ。

 だから私は連の訴えに答えることができず、ただ彼女を優しく抱きしめることしかできなかった。なぜなら、もう私の心は決まっていたから。

 もう一度、輪戻をする。今度こそ、幸せだったあの日々に戻るんだ。

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