対決
薄暗い中には、天眼瞳子の白い衣装は浮き上がって見えた。なるほど、いくらかの信心と魔術的無知がある人間ならば、天眼瞳子の姿に聖なる霊性を感じてもおかしくないと思える姿である。
「これはクロードどの、おかえりなさい」
コルドロンが蓄える元素の霊的な光が、規則的なパターンを天眼瞳子の顔に投射していた。そして、その横には彼が持ち込んだと思えるランプが置かれている。皿の上に細い芯を置いただけの原始的なオイルランプは、不安定な明かりを天眼瞳子へとコルドロンの逆側から投げかけており、彼の浅い顔の陰影を過剰なほどに際立たせていた。これも天眼瞳子の『演出』に違いない。それと看破した俺は、コルドロンを挟んだ向かい側に勢いよく腰を下ろした。
「天眼瞳子どの、これはまたどういった御用向きで」
彼の『魔術』の種はすでに割れていたが、俺が気がついたということを感づかれたくなかったので、心がけて慇懃に語りかける。天眼瞳子はそれに答えず、土の瓶からウルシ塗りの皿に液体をあけてチビリと口に含んだ。そして、土瓶をこちらに傾けて「飲むか?」と言いたげな仕草をする。その頃には酒精の香りが遅れて俺の鼻に届いていたので、是非もなくと答えようとしたが、一度立ち止まった。ペテン師のこの男のことだ。なにか混ぜものでもして、俺に術でもかけようとしているのではないだろうか。しかし、ここまで手間を掛けて『聖人』ぶっている男が取る手としては悪手にも思えた。
俺がどうと答えるでもなく黙っていると、横で物音がする。視線をやれば、陽童女が小さな木製のテーブルの上に焼いた茸の乗った焼き物と、天眼瞳子の手にある小皿と土瓶に同じものを載せて運んできたところだった。テーブルの上から土瓶を取り上げ、皿へと注ごうとする陽童女。俺はそれを制しようと思ったが、やめた。天眼瞳子が堂に入ったペテン師であることに賭けることにしたのだ。皿の持ち方には少し苦労させられたが、天眼瞳子の持ち方の見様見真似で中身の酒を煽る。濁った色のその酒はアクが強かったが、野の趣があって悪くない。
「昼は私のことを随分と調べていたようですね」
俺がほぅと息をついたタイミングで天眼瞳子が声をかけてきた。シキ・サーヴァントか村人かどちらの目かは判らぬが、俺の動きは天眼瞳子に筒抜けだったようである。探られて痛い腹などないという風の顔に、俺は苛立ち、後ろ手に拳を握りしめた。天眼瞳子は続ける。
「私のことが知りたいのならば、直接聞いてくださればよかったものを」
穏やかに発されたその言葉が、俺には嘲りか哀れみのように聞こえた。
「ええ、随分と様々な魔術をお使いになったようで。これは明後日の術くらべがなにやら恐ろしくなってきましたよ」
声が固くなるのを自覚しながら、俺は努めて平静を装った。天眼瞳子を欺くためにこのような猿芝居をしなくてはならぬ不自由さが、俺の背筋を炎のように焼く。
——打ち殺してしまえ
猛った男の声が囁く。
——褒め殺しておけば良いさ
高ぶる獣の声が囁く。
——耐えてこその快楽よ
火照った女の声が囁く。
ああ、煩い。静かにしてくれ。俺だってそうしたいのだ。思わず眉間にシワが寄る。この暗さだ、見えはしなかっただろうがと危ぶみながら、俺はごまかすように茸を頬張った。天眼瞳子は薄く笑うと、自分も手中の皿から酒をぐいと煽る。そして、涼しげに言った。
「その術くらべですがね。なにか良い案などありませぬかな」
俺は耳を疑った。神聖派のように術くらべをことさら特別視しているつもりはなかったが、俺にも術くらべは真剣にやるものという認識はあった。それをこうもふざけた態度をされれば気分も悪くなるというものだ。天眼瞳子の横で陽童女が小さくため息を吐いたのを見て、これが彼のやり口なのだと理解した。平静さを失わせるという意味では実に効果的である。
「案と言われましても。よくあるのは当て物やくらまし合いでしょうな」
「しかし、それでは面白くないでしょう。第一決着がつくかどうか」
天眼瞳子がおじけたかとの考えが頭をよぎったが、彼の顔を見てなんの裏もなく言っているであろうことが解った。天眼瞳子の浮世離れした様に一時の憧れを感じたが、すぐにこの男がペテン師であったことを思い出す。頭で理解していても、驚くほどに自然に心へと滑り込んでくる姿に、俺はどこか蛇を思い起こした。しかしそれと意識してしまえば、却って怒りも激しくなるものである。
「そうおっしゃるならば、瞳子どのの好きになさるがよろしいでしょう」
苛立ち紛れに俺が吐き捨てると、天眼瞳子は困り顔になった。
「しかし、あまり派手なものにすると村に迷惑がかかりますからね。内々で段取りを決めておきたいのです」
この男はどこまで人を愚弄すれば気が済むのだろうか。おれは腹に据えかねて、衝動任せに吐きつけた。
「どうとでもなさるが良い。どうあろうと、私はペテンを暴いてみせますからな」
あからさまに行った宣戦布告が、俺の底にあった迷いをにじり潰した。まずいことをしたという理性は残っていたが、腹が決まったことの爽快感が俺の気分を上向かせる。
一方の天眼瞳子は驚いた顔をしたが、すぐに悲しげな調子で呟いた。
「魔術師も私をペテンと呼ぶのですね」
そして、すぐに大げさに嘆いて見せる。
「確かに今の世の知識では荒唐無稽な術にお見えでしょう。しかし、魔術ですら二百年前は存在すら信じられていなかったように、そこに在るものは在るのです」
天眼瞳子の言葉を俺は鼻で笑った。もはや、遠慮することはないと思った。
「多少は勉強してきたみたいですがな。無知な者を口先で惑わして弄ぶのは、なんとも趣味が悪いと言わざるを得ませんね」
俺の正面からの敵意を受けた天眼瞳子は悲しげに二度頭を振る。そしてコルドロンの腹に触れるか触れないかの所を手で擦りながら悲しげに溢す。
「このようなものに頼るから。魔術師であるというのに」
そのもの言いは、母猿が死んだ子猿をそうとわからずに背に乗せているかのごとく見えた。不吉な想像を打ち消した俺はますます腹が立って、戸口を手で示す。
「もう夜も深まる頃。早めに戻られませ。あるいはあなたほどの術者ならば恐れるものもないのかもしれませぬが」
それを聞いた天眼瞳子は口を開いたが、悲しげな目で俺を見ると何も声に出さず立ち上がり「それではまた二日後に」と肩越しに呟いて夜の闇に消えていった。その後ろを小走りで追う陽童女の影を見送ってから部屋に視線を戻すと、いつの間にか天眼瞳子の持ち込んだ品々が消えている。これも手妻の手腕の一部かと、俺は心の底に浮かんだ不安を鎮めるように感心してみせた。
しかし、一度目に止まった不安はそう消えるものではない。俺は次の一日をまるごとかけてコルドロンの調整をおこなった。
術くらべの当日。俺は村入口の広場で天眼瞳子が座り込んでいるのを遠見の術で確認すると、コルドロンの中の元素を全て銀の塊に変えて『錨』を上げた。欲を言えば鉛か、せめて金にしたかったところだったが、俺の腕と時間の都合が付く中では十分な基礎材料となってくれるはずである。俺は一抱えほどの銀の塊を適当な袋に詰め込むと、黒い姿に遷移したコルドロンを縮めて中に放り込む。そのままコルドロンを背負うと腰に重みを感じたが、腹の奥の重みに比べれば気にならなかった。
夜の山猫の速度で天眼瞳子が待つ広場へとたどり着くと、遠見で見たときよりも更に多くの観客が集まっていた。
「これも予見ですかな?」
「いいえ、私は何も。この村の人はあなたが思うよりも耳聡い」
俺が挑むように尋ねると、天眼瞳子は足を折りたたむ独特な座り方のまま、静かに答えた。
「それで、どのような題と?」
「クロードどののお好きに。私からはなにもしません」
観衆から感嘆のざわめきが響く。俺は歯噛みした。すでに術くらべは始まっているのだ。
俺は片手でコルドロンを降ろすと、並みの大鍋ほどまで圧縮を解く。そしてともに持ち運んでいた銀塊をコルドロンの中へと流し込んだ。観客のそこかしこから唾を飲む音が聞こえる。俺はそれを聞き流し、コルドロンの縁を敵意を込めながらなぞった。
俺の意思に呼応してわずかに赤い光沢を帯びながらも白銀の姿へと励起するコルドロン。中には元素の渦が力強く流れている。村人の何人かが感嘆の声を上げたが、天眼瞳子は静かにこちらを眺めるだけである。
「いざ」
俺は声に出すと、あぐらをかいてコルドロンの前に座りこむ。丁度、広場の中心を挟んで門側と村側に俺と天眼瞳子が座る形だ。魔術的に好ましい立ち位置だったが、すでに誘導されている気がして苛立ちが募る。
まずは小手調べと、俺は即座に出せる中で最も強いくらましの術を全力で放った。この術は飛びながら赤色の光をばらまくので隠密性はないが、この場の流れを得るにはむしろ好都合である。村人の押し殺した悲鳴とともに術が天眼瞳子へと直撃した。これで術への抵抗がない者ならば、己の肌の下から虫が湧いて出る幻覚を見ることだろう。しかし、天眼瞳子は涼しい顔で袖の中で手を組むばかり。
もっとも、これは探りでしかない。次に俺はコルドロンの脇をさすり、強い目くらましの術を構成する。この術にかかれば、天眼瞳子には俺が負けを認める姿が見えるはずだった。そのタイミングで術を解いてやれば、大恥をかかせられるはずである。意識を心に半分沈め、天眼瞳子が望んでいるであろう俺の姿を見せてやる。こんな場所で聖人気取りをする男の望みなど、名誉と名声に違いなかった。しかし、天眼瞳子は凪いだ瞳でしっかりと俺の目を見つめ返すままである。
時にして数十秒、元素を一割ほど消費しても様子の変わらぬ天眼瞳子に、俺は別の方策を取ることにした。
コルドロンの上に手をかざすと、元素が立ち上り、姿として現れる。俺はその姿を風の姿と定めて、天眼瞳子へと連続して叩きつけた。東の民の術理は心に関するものは多いが、物理的な干渉の術は限られていることを昨日思い出していたからである。発動の後は制御できぬのが風の理。少なからぬ拡散の影響で、土埃が舞い、観客どもが迷惑そうに目を伏せる。天眼瞳子に吹き付ける風は大嵐のそれよりも勢いのついたものであるはずだった。いかに心を守ろうと、物理的な弱さを見せつければ、神聖性をはぎ取れようとの目論見である。しかし、風は天眼瞳子の手前でまたたくまに勢いを失い、当の本人はわずかに垂れ髪を揺らす風を涼しがっているほど。
村人の間から「流石だ」と褒める声や、「こうなると思った」と嘲る声が聞こえる。これはまずいと次の手を考えていると、俺は観衆の中に村娘の姿を見つけた。
「アーリューゼ、行くんだ」
俺が術を乗せて声を掛けると、アーリューゼは呆けたような顔になってから、半ば眠るような足取りで天眼瞳子へと歩き出す。周囲の男どもがアーリューゼを止めようとするが、俺のかけた逃げ水の術で止めることは叶わない。アーリューゼは天眼瞳子の下にたどり着くと彼にしなだれかかり、自分の胸元をはだけさせた。観客どもの中から男どもの歓喜の声と、次いでそれを咎める女どもの声が囁かれる。
俺はその声を聞き流しながら、風を止めることなくアーリューゼの夢を操り続けた。今の彼女には、自分が夜の寝室で理想の男と睦言をかわそうとしているように思えているだろう。アーリューゼの色香に、天眼瞳子の集中が少しでも揺らげば、そこから責め立てるつもりだった。
ところが、天眼瞳子は静かな声でアーリューゼに声を掛ける。
「アーリューゼ、あなたはこのような娘ではない」
術も乗っていないように聞えた言葉だったが、アーリューゼの意識が夢から乖離しようとするのを俺は感じた。
「アーリューゼ続けるんだ」
俺は術を重ね、より深い夢へと彼女をいざなう。あまりに重ね過ぎればアーリューゼは現へと浮かび上がることもできなくなるかもしれないが、それで天眼瞳子に土をつけられるならば安いものだ。
「アーリューゼ、あなたは素朴な村娘、戻ってきなさい」
天眼瞳子の声には相変わらず術の気配を感じなかったが、アーリューゼの在り様を明確にしようとするその言葉に、彼女が正体を取り戻していく。
「アーリューゼ、お前は女だ」
俺は思わず、単純であるがゆえに強い在り様で彼女を縛った。まともな魔術師ならば恥ずかしくて使わないような手だったが、アーリューゼの目覚める速度があまりにも早かったのである。
「アーリューゼ、優しい娘。目覚めるのです」
「アーリューゼ、愛を紡げ」
天眼瞳子が声を重ねると、俺の言葉も虚しくアーリューゼの目が焦点を結んだ。アーリューゼはしばらくなぜ自分がここにいるのか理解しかねていたが、記憶を取り戻すと胸元を隠して俺を睨みつける。男たちの落胆の声にアーリューゼは涙目で観衆を睨みつけると村の奥、おそらく自分の家へと駆け足で戻っていった。
手駒を失った俺は、次の手を考えるうちに観客の俺を見る目が変わっているのに気がついた。その視線は、よく馴染んだ恐怖と嫌悪の視線である。一方で、天眼瞳子を見る視線は信仰の熱を一層帯びているように思えた。
ここで村人を全員ヒキガエルにしてしまえば、先のアーリューゼへの術を防げなかった天眼瞳子のことだ。俺の望みはすべて解決するに違いないだろう。しかし、それでは俺の憤りが治まらなかった。
面倒な気分になった俺は風を吹かせるのを止めると、コルドロンに七割ほど残った元素をすべて一つの術に費やすことに決めた。コルドロンを両手で支える俺に、村人どもの恐怖と好奇の視線が突き刺さる。しかし、俺を中心として地面がひび割れるのを見て、悲鳴とともに後ずさった。俺が使っているのは念動力の術である。本来このような地割れは起きないのだが、俺はこの術を苦手としていた。しかし物理的影響を与えられる術の中で、数少ない位置を指定して発動できる術でもある。俺は天眼瞳子を握りつぶそうとしていた。いかな者でも、死んでしまえば本人がそれ以上何かをすることは無いからだ。
何かを感じたのか地割れに怯えたのか、陽童女が身じろぎをする。しかし、天眼瞳子は陽童女を手で制した。その額には汗一つ浮かんでない。俺はますます躍起になって天眼瞳子を握りつぶそうと術に力を込めた。いや、もはや術の体裁すら成さなくとも良い。身を焦がす怒りが俺を支配しつつあるのを自覚し、俺はその衝動に身を委ねた。
——殺してしまえ
怒りの声。
——潰すんだ
嘲りの声。
——花が見たいわ
呆けた声。
ああ、声たちもこう言っているじゃないか。誰のものでもない声に味方を得た気分になって、俺は満身の力を術に込めた。地割れが四方八方へと広がり、俺の視界も赤く染まり始める。と、轟音とともに浮遊感を感じた。
意識を周りに散じてみれば、俺の体は宙に投げ出されてる。地割れがいよいよ深くなり、俺を飲み込んだようだった。集中を切らして呆ける俺の目に、真剣な顔の天眼瞳子が立ち上がり手を伸ばしているのが見える。すると再びの轟音。
刹那に地面に叩きつけられたかと思ったが、俺の体が浮かび上がっていくのを感じ、続いてひどく強い水の気配を感じる。正体を取り戻してみれば、勢いよく吹き出た水が俺の体を押し上げていたのだ。
勢いのまま、地面へと投げ出されるずぶ濡れの俺。その横に、元素の完全に流れきったコルドロンが転がってきた。呆然としながら騒がしい方角へ顔をぎこちなく動かすと、村人に囲まれた柔和な笑みの天眼瞳子が褒め称えられているのが見える。俺は孤独のあまり、ひどく寒い気分になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます