第二話
1
くぁ、とあくびを噛み殺して、六町らいかは机に肘をついた。
昼下がり。窓辺から麗らかな陽気が差して、瞼が重くなる。それでも眠るわけにはいかず、彼女はシパシパと瞬きを繰り返す。
あるいは普段の彼女であれば、眠気覚ましに煙草の一服でもと懐を探るところだが、今はしない。というより、できない。つまり、彼女は今、普段ではない。正確には彼女が、というよりも、彼女の服装と、いる場所が。
六町らいかは制服を着ていた。
深い青のプリーツスカートに、白の格子柄が浮かんでいる。それが何を囚えるために刻まれたものなのか、らいかは知らない。少なくとも、向こう側に虎は見えなかった。
首元のタイは暗い赤。煙管を隠す懐もない、薄っぺらなブラウスの白と合わせると、どうにも縁起でもない気がして、らいかはこの服が嫌いだった。
それでもその服を着なければいけないのは、つまり彼女の立場ゆえだ。
六町らいか。十七歳。未だ春の色は青に閉じたままの、花をも恥じらう女子高生である。
あるいは、現実を客観的に、つまり当人である六町らいかの主観的な認識を全く除外してみれば、その制服姿がこそ、本来、彼女のあるべき『普段の姿』だろう。
法に定められた義務教育こそ終えてはいるが、しかしまだまだ、彼女は学ぶべき事柄多き年頃である。
京都は北。大徳寺と上賀茂神社のちょうど間に、彼女の学舎――私立
小中高一貫のマンモス校。エスカレーター式だが中高からの編入も多く、生徒数は年々増加しているとの噂である。それを納めるべくしてか、敷地内には初等部中等部高等部と、それぞれ巨大な校舎が身を寄せ合って建てられている。
川沿いなのに何故海に岬と並ぶのか、その真実は誰も知らない。知れるのは、グローバル化を志してかやたらと多用されるローマ字表記と、校章に刻まれる製作者に曰くして獅子であるらしい四つ足の前衛芸術に曰くして、通称猫耳学園なんてあだ名されていることくらいのものだ。
兎にも角にも――その猫耳学園、もとい新神海岬学園。身を寄せ合って聳え立つ、三つの校舎の最東端。高等部校舎の、その最上階。3-11と題されながら、階層で言えば四階にあるその教室に、彼女は籍を置いている。
通っている、という表現をしない理由は、彼女の制服姿が『普段』と呼べないのと同じ理由になる。つまりそれだけ、袖を通す機会が少ない、という意味。具体的には、月に半分、と言ったところか。檻の虎は、逃げ放題なのだ。
留年していないのは一つの奇跡である、と六町らいかは現状を正しく理解している。彼女のタチの悪いところは、そこだった。わかっていて、それを無視することができる。そのような強かさは、このような場ではあからさまに出過ぎた杭なのだけれど、叩けば金槌の方が潰れる石頭だから、誰もどうすることもできない。
六町らいかは、もう一度あくびをした。今度は、噛み殺すこともできない。
どうにも体がだるかった。
頭痛がする、吐き気もだ。あとはこれで熱があれば、風邪の一つでも疑っただろうけど、自分に限ってそれはないと彼女はきちんと自覚していた。
原因はわかっている。二日酔いだ。
と言っても、ライブハウスで飲んだ分が原因というわけではない。たかだか二杯で酔うようなやわな肝臓をしていたならば、とっくに昔に死んでいる。
悪かったのは、その後の帰り道。夜が明けるまで営業を続けている立ち飲み屋を見つけてしまったことだった。
なまじ、仕事の報酬があったのも悪い。呆れるほど飲み明かし、帰宅する頃には日が上りきっていた。結局、二限目までをフケての重役出勤。それでもなおこの様なのだからどうしようもない。
当然、授業には全く身が入らない。寝不足と二日酔いのダブルパンチで、教師の講義は念仏のように意味不明な音の羅列となって耳の穴を素通りしていく。弔われているのはどこの誰だろう。あるいはそれは、らいかの脳細胞かもしれない。
三度目のあくびをする前に終鈴がなったのは救いだった。あるいはそれを救いと感じてしまっていることが、学生としては救われないことであるのかもしれないけれど。
もとより、不良生徒である。勉学に打ち込むたちでなし、進学の心算も別段ない。それでも卒業できない、というのは困る。三年を超えて、似合わぬブレザーを着るのはごめんだ。まあ、いざとなれば自主退学という手段もあるにはあるが。
曲がりなりにも進学校であるこの私立新神海岬学園高等部であるが、その校風は自由主義の一言に過ぎる。毎年、一定数は留年者が出るし、自主退学者も決して珍しくはない。高校でありながら、正式な卒業者が七割を切ると言えば、その凄まじさも伝わるだろう。
そして何より凄いのは、そんな有様でありながらも、自主的なそれでない退学者は一人も出していない、というところだ。それは不良生徒を更生させるのが趣味の素晴らしい教師がいる、という話ではなく、単純に放任主義なのである。どれほどの不良生徒であろうとも、罰の限度は停学であり、退学を喰らった人物はいまだかつて一人もいない。噂によれば、在学中に逮捕された生徒でさえもその扱いは『休学』であり、刑期が明けるまで、席が残されていたという話である。
そのような学園であるから、別段、やめるとなれば不都合はない。「やめます」「はいよ」で終わるだろう。だがそれは、なんとなく嫌だ。なぜって、負けた気がする。学校に、というより、勉強嫌いの自分自身に。らいかの負けず嫌いは、筋金入りだった。
「……それに、昨日のこともあるしな」
どうせ自分には縁がない、と切り捨ててきたが、案外そうでもないらしいということを思い知ったばかりだ。三日坊主で終わるそれかもしれないが、やる気が出たことは悪いことではないだろう。本来ならばまるまる休んでいたかったところを、午後だけとは言え出席したのも、それがあったからだ。そうでもなければ、ふらつく体を押してまで念仏もどきを聞きにはこない。
「さて」
呟いて、次の授業の準備を始める。午前最後の授業は現代文だった。これくらいは、真面目に聞こう。から元気でしかないが、気合を入れれば眠気だって無視できる。バッドコンディションを引きずったままパフォーマンスを十全に引き上げるメンタルコントロールは得意技だ。この辺りの切り替えは、つまり彼女の普段の顔が築き上げさせた技能だった。
そうして気持ちを切り替えた刹那、ばしり、と机に手のひらが二つ叩きつけられた。
驚いて見上げれば、そこには一人のクラスメイトが立っている。
「あの」
小さいが、強い声だった。それが故に、しんと静まり返った教室によく響く。さて、なぜこうも教室は静かなのだろう。授業に備えてというわけではあるまい。教師が訪れる寸前、いやさ寸後までおしゃべりをやめないのが高校生という生き物だ。
「話があるんだけど」
――死んだわあいつ、という声がどこかから聞こえてきた。
……どうしよう、私、殺されるんだろうか。
らいかのそんな思いは、実のところ全くの見当違いもいいところなのだけれど、その内心に指摘を与えてくれるテレパシストはこの場には存在しなかった。
「なんだ?」
勤めて毅然として答えたつもりだった。クラスメイトの反応からして、どうやら相手はただならぬ相手であるようだ。こちらも相応の態度で返さねばなるまいだろう。それは人間社会のというよりも野生動物の理だということに、悲しいかな彼女は気付いていない。
見上げる先に立つのは、陰気そうな女だった。野暮ったく分厚い眼鏡と前髪の二重帷に覆われて、視線が合わぬのが主な原因だろう。彼女はらいかの威嚇に応じてか、一瞬ぐっと黙り込む。前髪が邪魔で見えないが、おそらく、自分を睨みつけているに違いない、とらいかは判断した。これがメンチを切られる、というやつか。高校では、初体験である。
「――ひ、昼休み、校舎裏に来なさい」
おお、とらいかは感動していた。これは俗に言う、果し合いの申し込みというやつではないだろうか? この学園にも、今時硬派な不良がいたものだ。
「いいだろう、受けて立つ」
言えば、周囲の瞳が一気に哀愁を帯びたのが見て取れる。まるで養豚場の豚を見るような冷たい目だ。どうやら眼前の女は相当な強者であるらしい。さて、私は肉屋に並べられてしまうのだろうか。ワクワクして、思わず笑みが漏れた。
「ひっ……」
引き攣った声が漏れる。笑い声か。なるほど、相手も思いは同じらしい。気合いは十分。戦衣装を置いてきたのが、少し惜しい。
「また、昼休みに」
言えば、相手は頷いて自らの席に戻って行った。
妙に素早い動きだったが、直後に教師が入ってきたことを思えばなるほど、そのためだったのだろう。気配察知に優れているらしい。感心しながらその背を見つめて――ふと気づく。
彼女が座ったその席は――吠巻黒歌の席ではないか?
2
結論から言えば、彼女は吠巻黒歌だった。
「あの、マジで勘違いして欲しくないんだけどね、これ、果し状とかそういうのじゃないから」
第一声に早口で捲し立てた彼女は、額にししどに汗をかいていた。暑がりなのだろうか?
「それじゃあ、呼んだのは昨日の話か?」
「ああ、やっぱり気づいてるわよね……」
天を仰いで彼女は言う。
「やはり、あれはお前だったのか」
「それはこっちのセリフよ……あんた、よく落ち着いて喋れるものね。堂々と酒飲んでたくせに」
「ああ」
そう言えばそうだった。
「
だとするなら、少し困る。なぜかって、もしも停学になると、期間によっては出席日数が足りなくなる。自主的に休むのと休まねばならないのでは勝手が違う。
未成年飲酒は、社会的には罪だ。いくら自由と自主責任の二枚看板を掲げるこの学園であっても、通達されれば刑が降る。証拠はないから警察沙汰にはならないだろうが――ああいや、写真の一枚でも撮られていればそれで終わりか。
すると金を払うことになるのだが、困ったことに昨日の飲みで仕事の報酬の大半を吐き出したあとだった。後に残るのは雀の涙のような端金である。差し出しても惜しくはないが、逆に言えばその程度の金額だ。満足してもらえる公算は低い。
となると、もとより蓄えなどないらいかである。支払える持ち合わせは暴力くらいだ。気に入った歌手、それも女に振る舞うのは、できれば勘弁願いたいものだった。
「違うわよ!!」
だから彼女がそう叫んだ時、六町らいかは心底ほっとしたものである。女を殴ると三日は気分が悪くなる。
「よかった、暴力くらいしか持ち合わせがなかったから……」
「え、何、あんた世紀末出身?」
「ん? 私たちの世代はみんなそうだろ?」
ああ、早生まれならそうでもないか……なんて真面目に呟くらいかに、クロカはため息を吐いた。らいかは首を傾げる。
「それで、なんのようだ?」
果たし合いでも強請りでもないとしたら、さて。あとは愛の告白くらいしか思いつかないが。
「少なくともそれだけは絶対無いわ」
前二つよりない。ときっぱり言われて、らいかは悲しくなった。
「じゃあ?」
「取引よ」
と、クロカは指を立てる。
「あんたが酒を飲むことを黙っててあげるから……」
「奴隷になれ、と?」
「んな恐ろしいこと言えるわけないでしょ」
善人だ、とらいかは思った。その真意を読み取れなかったからであるが、仮にそれを知ったとしてもそう思っただろう。彼女からすれば、大抵の人間はそう見える。そういう意味で、ドブの底というのも案外住み良い場所だった。
「私がバンドやってたこと、黙ってて欲しいのよね」
「ああ、ライカーズな」
「……まあ、それ」
言えば、クロカはなぜだか不機嫌になった。
「あのね、勘違いしないで欲しいんだけどね、ライカーズの由来は――」
「わかってるよ、新居昭乃だろ?」
「え?」
「え?」
お互いに顔を見合わせて、天使が通った。
……あれ。
違ったのだろうか。
らいかは首を傾げる。
クロカは何やら納得がいかない顔で、渋々答えた。
「……
……うわ、恥ずかし。
独合点を理解して、らいかは顔を伏せた。
何が『わかってるよ』、だ。何もわかってないじゃないか。
その仏頂面が隠したけれど、らいかは顔から火が出そうな気分だった。
「……すまん」
「いや、別に」
微妙な空気が流れて、しばしの沈黙。
「しかし、そのライカーズは」
「あんま連呼しないで、それ」
……意味を取り違えていたような女には口にして欲しくない、ということだろうか。らいかは気分が落ち込んだ。
「まあ、とにかく……なぜバンドのことを黙っていて欲しいんだ?」
「なぜって……あのね、んなもん広まったら恥ずかしくって学校通えなくなるでしょうが」
「なぜ恥ずかしい。あんなにいい歌を歌うのに」
むしろ、自慢してやれば良いだろう。
思って言えば、クロカは動揺したようにのけぞった。
「……あんたも、お世辞とか言うのね」
「いや、言わない。世辞は嫌いだ。虫唾が走る。口が裂けても言いたくない。言わせる分には気分が良いが」
「俗物……」
静かに吐き捨てられた。
「ただ、ひとつ言うことがあるとすれば、あの場所で歌うのはやめたほうがいい。良い歌にはふさわしい場所というものがある。酒や薬に酔っ払った連中ばかりに聞かせてやるのは勿体無い」
言えば、クロカは拗ねたように口を尖らせる。
「……しょうがないでしょ。借りれないのよ、あんな場所しかね」
驚くのはらいかだった。
「なぜだ? お前たちならどこでだって歌えるだろう?」
「冗談よしてよね。私たち、知名度とかまるでゼロだし。まともなとこじゃ門前払いよ」
ハコ借りれるほどのお金もないしね。と肩をすくめられて、らいかは眉尻を下げた。
「どうして。あれほど人気だったじゃないか」
「そりゃあ、あの場所だからよ。歌より酒、酒よりクスリの連中だから、たまにマシなのが来ると騒ぐわけね。メジャーな場所じゃ通用しないわ」
そうだろうか? らいかにはとても信じられない。
「私だって信じたかないわよ。でも、数字は嘘をつかない、ってね。需要ないのよ、私たちの音楽は」
どうして、そんなことがわかるだろう? 片眉を上げれば、眼前にスマートフォンの画面が突きつけられた。
「これ、私たちのチャンネル」
昨日歌ったそれも含まれているのだろうか? 歌のタイトルが刻まれた簡素なサムネイルがずらりと並ぶ。らいかはほとんど利用しないが、それでも知っている有名な動画投稿サイトだ。あれほどの歌ならば、さぞや人気だろう――と。
思ったのだが。
「……なあ、この再生数八十三って、これ単位は万か?」
「ならどんなによかったでしょうね。あいにくと、後には何もつかないわ」
百も千もケルビンも、と彼女は肩をすくめる。
ずらりと並ぶ二桁の再生数。ごく稀に三桁が混じるそれは、ユーザー数が億を超えるサイトにおいて、お世辞にも人気があるとは言えない数字だった。
「いや、嘘だろう? なんでこんなに人気ないんだ」
「さぁね。ボーカルのビジュアル差かしら?」
へっ、と自嘲気味に笑って、クロカは画面を翻した。見ていたくもない、とばかりに乱暴に電源ボタンを押して、スマートフォンをポケットに放り込む。
「ま、そういうわけでね。崖っぷちどころかその下にいるわけ、ライカーズってのは。残念ながらね、腐った卵よ。羽ばたくどころか生まれる目もないわ」
「そこまで言うことはないだろう」
少なくともらいかには、そこまで貶められるべきものだとは思えなかった。
「演奏だって、良いものだった。プロと比べてもなんの遜色もない」
「……ま、あいつらはね。技術はあるの。見てくれも私よりはマシだしね。でもダメ。
「! あの曲はやはりお前が作っていたのか!?」
「何よ、悪い?」
何かがカンに触ったのか、彼女は牙を剥き出しにした。
「あー、あんた、褒めてたもんね、曲のこと。私みたいなのが作者で失望した?」
「いや――」
「でもね、芸術ってのはそんなもんよ。この世で唯一、善人には作れないものだから」
口を開きかけたらいかを無視して、クロカは畳み掛けるように言葉を連ねる。
「本当の意味で、無から創れるものなんてこの世には無いわ。形而上のものでさえ、材料がなきゃ作れないのが宇宙の法則。一を作るには一が、十を作るには十が、どんなに節約しようとしたって絶対いるのがこの世の中よ」
だけど――
「その中で唯一、芸術だけは例外なの。零から一を生み出すことは、絶対にできない。けれど、芸術だけは、この世で唯一、マイナスを原料にプラスを作ることができる。作品を生み出すってのはね、つまりは方程式の移項みたいなもんよ。現実の鬱屈を、理不尽を、傷を、醜さを、愚かしさを、制約を、悪徳を、重圧を、絶望を、この頭ん中の脳みそで、イコールの向こう側に追いやってやるわけ。そうして、マイナスをプラスに、鬱屈を爽快に、理不尽を正義に、傷を宝石に、醜さを美しさに、愚かしさを賢さに、誓約を自由に、悪徳を美徳に、重圧を解放に、絶望を希望に。変形して、変換して、変態して、変身して、編纂して、この世に生み出す。それが芸術ってものなのよ」
へんっ、と。
不敵に不遜に太々しく、彼女は笑った。
「恵まれた人間に、芸術は作れないわ。なぜって、原料がない。美しい人間に、素晴らしい人間に、満たされた人間に、創れる芸術なんて何一つとして存在しない。美人に良歌が歌えるもんですか。醜い人間が、クソったれた人間が、クズ以下の畜生だけが、本物の歌を歌う権利があんのよ」
ふん、と鼻を鳴らして腕を組む。
「私はそりゃあ、あんたみたいな美人じゃないわよ。十人並み以下の顔。目もちっちゃいし丸顔だし。体型だってスレンダーでさえない寸胴。足も短いしそのくせ背だけは半端に高い。勉強はできるけど要領は悪い。プライドばっかり百人前で能力は四分の一人前も良いところ。クソも売れてないくせに、自分が世界で一番の音楽家だって思い上がりを捨てる気さえない。流行りの曲なんて全部ゴミ以下って思ってるくせに、その才能と人気には嫉妬する。他人を敬する気持ちなんてかけらもないくせに、蔑ろにされたら一生恨む。そんなだから人には嫌われるし、その原因を自分にあるだなんて死んでも認められないくらい器も小さい。真面目でもなけりゃ不良になれる度胸もない。周りの全てを見下して生きてるくせに、その周りから認められたくて仕方がない。なのにそのための努力は何もしないししたくもない。そんなどうしようもないクズが私よ」
でもね。
「そんなドブカス以下の人間だけが、本当に美しい歌を作れんのよ!!!!」
両の中指を天へと向けて突き立てながら、クロカは吠えた。名の通り。
「反感が! 反骨が! 叛逆が! 唯一このクソったれた世界に花を描く! 顔もいい、スタイルもいい。この世の全てに興味ないみたいな顔で生きてるくせに、周りの誰もを惹きつける。学校なんか滅多に来ないくせしてクラスの誰より人気者。授業だってまともに聞いてりゃしないくせにテストじゃきっちり平均キープして、私みたいに猛勉強してやっと上位に掠れるくらいなのにそれを隠して「いや別に、勉強なんかしなくても余裕っすけどね(笑)」みたいなマウントを周りの馬鹿どもに取ることだけが唯一の楽しみの人間を惨めにさせる。あんたみたいな恵まれ倒した人間にはね! 一生曲なんか作れやしないわよ! 私は必死に化粧してもブス! あんたはすっぴんのくせに美人! 私が何も喋んなかったら根暗! あんたが仏頂面で黙ってたらミステリアス! 私が意見言ったら空気読め! あんたが我を通したら芯が強い! 私がテストでいい点取ったらガリ勉! あんたがテストでいい点取ったら完璧超人! あんたが学校サボったら自主自立! 私が学校休んだら不真面目! 私がマラソンで頑張って走ったら「あのデブ何必死になっちゃってんの?(笑)」! あんたがバスケでダンク決めたら「キャー、サイコー、コッチミテー♡」! へんっ。へんっ! へんっ!!!!! いいわね美人は! 得ね! なんだって思い通りで! 楽しそうね! 全っ! 然! 羨ましくなんてないけどね!!! だってあんたみたいな恵まれた人間に、私みたいに良い曲は作れないものね!!!!!」
「うん」
捲し立てられて耳が痛かったけれど、少なくとも最後の一文に関してはその通りだった。
「私には、お前みたいに人の心を震わせる素晴らしい曲は作れない。凄いと思うし、羨ましい」
「死ね!!!!」
褒めたのに、怒られた。なぜだろう。
「あー! ね! これだからね! 美人はね! 何? 見た目が綺麗だと心も綺麗って? ふざけんじゃないわよんなの当たり前でしょ。だって濁る要素がないもん! 私なんかね! 濁りっぱなしよ! ブスだもん!」
「そうかな。私は君のこと、可愛いと思うけれど」
言えば、彼女はへんっ、と半目で笑った。
「あのね、知ってんのよ私だって。女が女に言う可愛いってのはね、見下してる時にしか出ないセリフなのよ。本気で可愛いと思ってる相手にゃ死んでも言わないセリフなの。美人はみんな、どうしようもないブスを可愛い可愛いって言いながら、私はそれより遥かに可愛いけどね(笑)って心ん中で嘲笑ってんの。ブスが知らないと思ったら大間違いよ!!」
「いや、私は君のことを本気で可愛いと思っている」
「へんっ! 口ではなんとでも言えんのよ!」
「じゃあ唇で証明しよう」
「はぁ?」
結論から言えば、そうして口を開けたのがクロカの失敗だった。
開いた口に、喰らいつくように。
らいかはクロカに口付けをした。
しかも、舌を入れるやつ。
「……? ……!? ……!?!?!?!?!」
ぶちゅー。
と、そんな音が聞こえてきそうな、濃厚な接吻。身長差故、覆い被さるような姿勢で。あるいはキスシーンというよりも、野生動物の捕食映像に近い光景だった。
「――っぷは」
一分か、一時間か、一瞬か。
それさえ定かではないほどの、目まぐるしくすぎる時間が終わり、ようやく唇が離れる。
酸欠寸前に追い込まれて、クロカは肩で息を繰り返した。
「……え? ……は? ――は!? はぁ!?!?」
ようやく息が整って、なおも事態が飲み込めないクロカは、目を白黒させながら口元を抑えた。遅れて、頬どころか顔全体が、爆発するように真っ赤に染まる。
それを眺めながら、らいかは平然とのたまった。
「私はクロカを可愛いと思ってる。よりはっきり言えば、付き合いたいと思っている。好きだ。私と付き合ってくれ」
「……へ、変態!!」
全く正しい形容だった。一ミリの反論も許されない正論だった。その通り、六町らいかは変態である。ノンケだって構わず喰っちまう、最低最悪の肉食系女子だ。しかもそれでいて致命的に口説くのが下手な、どうしようもない直結厨だった。
「変態! 変態! 変態! 変態!」
「もっと言ってくれ」
「変態!」
意外とノリがいい。バンドメンバーに言わせれば、それはクロカの良いところなのだが、今回ばかりは悪く働いている。
らいかはすでに、脳内で近場のホテルを検索し始めていた。
「冗っっっっ談じゃないわよ!!!!」
烈火の如く、クロカは吠えた。名の通り。
「へんっ! なるほどね! あっ……ね! あんたもね! ねっ! あるのね! 色々とね! そうよね! あるわよね! 人間ね!」
何をどうすればいいのかわからなくなって、クロカはとにかく大声を出していた。
「でもね! 絆されてなんてやらないわよ!」
顔を真っ赤に染めて、ぐるぐると目を回しながら、それでも彼女はエンジンを蒸す。冷静になってしまえば、その瞬間に恥じらいに飲まれ、何もできなくなるとわかっているからだ。
「ちょっと褒めたら落ちるとでも思った!? 残念! ブスはね! 警戒心が強いのよ! 好きとかね! 適当言ってね! 擦り寄ってくるのはね! 百ぱーせんと体目当て! もしくはお金! 知ってんのよ! 私みたいなのにね! 本気で惚れるやつなんてね! 居ないってね!」
胸を張って、物悲しくもクロカは吠えた。名の通り。
「あんたみたいなね! ヤリ、や、やり……や……とにかくね! そういう性欲やろ……あの……性欲っ……ビーストにね! 体なんてね! 許さないわよ! そういう目でしかいっ……どっ……他人をね! 見れないね! 相手にね! 抱かれるくらいならね! 一生処女でいた方がマシよ!!」
ひたすらに叫んで、クロカは踵を返した。
「ばーか! 死ね! 地獄に落ちなさい!」
走り去ったクロカの背を、らいかはぼんやりと見つめる。
「……うーん、フラれてしまった」
なんて、その所業を思えば当然過ぎるほどに当然なのだけれど。
同意もなしに婦女子の唇を奪い、それどころか陵辱し尽くして、悔いることもなければ改めるつもりもない。そんなどうしようもない恥知らずが、けれど六町らいかというろくでなしであるのだった。
「……あ、そうだ」
自らもまた教室に戻ろうかと一歩踏み出して、彼女は思い出す。
「サイン、もらい忘れたな」
そのために、色紙を持ってきたのに。なんて、教室に置いてきた鞄に思いを馳せる。
そう、彼女が二日酔いを押してまで登校した目的は、それだった。
六町らいか、十七歳。好きなアーティストが間近にいると知れば、サインのひとつも欲しくなる。意外にも割とミーハーな、俗心まみれの少女であった。
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