琥珀色の時間(とき)

 レンガ色の壁を蔦の緑が這う、どこか懐かしい雰囲気の喫茶店「古 clock」。


 店名の通り、店内のあちこちには様々なデザインの古時計が飾られている。時を重ねた飴色の木のテーブルに、湯気を立てる二つのコーヒーカップが置かれている。窓の外から差し込む午後の柔らかな光が、店内に穏やかな影を落としていた。チクタク、と壁の大きな振り子時計が、二人の会話の合間に静かなリズムを刻む。


「それでね、この主人公は過去のトラウマを抱えているんだけど、それを乗り越えるきっかけが、意外な日常の中に隠されているの」


 向かいに座る彼女、香織は、頬杖をつきながら熱心に語る。その瞳は、いつも物語への情熱でキラキラと輝いている。彼の鼻腔をくすぐるのは、深煎りの豆を挽いたばかりの、香ばしいコーヒーのアロマ。時折、厨房から漂ってくる、焼きたてのパンにバターがじゅわりと染み込む甘い香りが、会話の合間にふわりと混ざり合う。それはまるで、モノクロの風景にそっと色を添える絵筆のようだった。直樹は、香織の指先が温かいカップの縁をなぞるのを見た。


「面白い!どんな日常なの?」


 彼、直樹は、香織の言葉に落ち着いた様子でしかし優しい顔で尋ねる。温かいコーヒーカップを両手で包み込みながら、まだ見ぬ物語の断片を想像する。レンガの壁に飾られた古びた絵画や、窓辺で静かに揺れる観葉植物。この喫茶店そのものが、まるで一つの物語を紡いでいるようだ。


「例えば、いつもの帰り道の風景の中に、ふと目に留まった小さな花とか……その花を見た瞬間、忘れかけていた大切な記憶が蘇る、みたいな」


 香織は、空中で小さな円を描くように手を動かす。その仕草さえも、彼女の豊かな想像力を物語っているようだった。彼女は嬉しそうに遠い目をしていた。


「ああ、わかる気がする。何気ない瞬間に、物語の種(たね)って隠れてるんだよね。香織は、いつもそうやって僕に新しい世界を見せてくれるから」


 直樹は深く頷いた。窓の外を通り過ぎる人々のざわめきも、この空間では遠いBGMのように聞こえる。二人を包むのは、コーヒーとパンの優しい香り、そして互いの言葉が織りなす穏やかな時間だけだった。


「次は、どんな種を見つけようか」


 直樹が微笑む。その笑顔は、春の陽だまりのように温かい。香織もまた、未来への期待を込めて微笑み返した。古 clockの静かな午後、二人の心は、まだ見ぬ物語の世界へとゆっくりと羽ばたき始めていた――。

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