第6話「家族の愛」

「ありがと、羽澤さん」


 バスに乗っている間、苦しいほどの焦燥感に襲われた。


「こういうのって、ドラマとかでは観たことあるけど……」

「河原くん、無理に喋らなくて大丈夫ですよ」


 こんなときまで話し相手を気遣おうとする彼の負担にならないように、彼の厚意を拒むことも大切だと思った。


「……うん、ごめん。ありがと」


 手を繋ぐ。

 どちらから手を握ったとか、そういうのは覚えていない。

 ただ、手を繋ぐことで、河原くんの不安な気持ちを分けてもらえたらと思う。


「ありがと……羽澤さん……」


 車窓から見える景色を記憶する余裕すらなく、バスは目的の場所へと向かっていく。


「病院です、河原くん」

「うん……」


 病院の名前が書かれた看板が目に入ったとき、ようやくまともに呼吸ができた気がする。

 足がもつれそうになりながらも、河原くんは病院の玄関へと飛び込んでいった。


「ごめん、行ってくる」


 私は家族ではないため、最後まで彼に寄り添うことはできない。

 河原くんのおばあさんの無事を願うことしかできない状況のため、私は朝方まで仕事で帰ってこないお母さんに連絡を入れながら彼の帰りを待った。


(私がちっちゃかった頃、お母さんはたった一人で不安を抱えていたのかな……)


 自分の鞄と彼の鞄を抱えながら、ただただ過ぎ去る時間に祈りを込めた。


「羽澤さん」


 何時間経過したのか分からないくらい病院の香りに鼻が慣れてくる頃、おじいさんに連れられた河原くんが私に声をかけてくれた。


「羽澤さん、梓那に付き添ってくれてありがとうございました」


 私は勝手に待っていただけに過ぎないのに、河原くんのおじいさんは深く頭を下げた。

 ぎゅっと力を込めていた両手から、やっと力を抜く。


「どうでしたか……」

「乗り切ったよ……今回は、大丈夫だった」


 河原くんの声はまだ少し震えていたけれど、彼の言葉に嘘はないことをおじいさんが証明してくれた。

 胸の奥に溜まっていた緊張が抜け、やっと深く息を吐き出すことができた。


「こんな遅い時間まで、申し訳なかったね。ご両親には……」

「もちろん連絡は入れています」


 待つことしかできなかったけど、河原くんのおばあさんの無事を確認できたことにようやく安堵する。


「羽澤さん、少しだけ梓那のことをお願いできますか。今度の話もあって……」

「大丈夫です。家族の理解も得られていますので」


 正直に告白するなら、家族の理解は得られていない。

 けど、同じ経験をしたことがあるお母さんなら帰りが遅くなることも許してくれるという確信があった。

 お母さんだったら、河原くんの傍にいなさいって言ってくれる自信があった。


「こういうのって初めてだから、どうしたらいいか分かんなくて」


 昼間の病院も静かな雰囲気かもしれないけど、夜の病院はより一層、静寂という言葉が身に染みる。

 かすかに響く機械の音くらいしか聞こえてこず、薄暗い廊下は不安しか煽らない。


「羽澤さんが落ち着いてたおかげで、病院まで無事に来れた……」


 疲労と安堵が混じった表情を見て、ようやく彼も落ち着きを見せ始めたのを感じる。


「ほんと、ありがと」


 彼は両手で顔を覆っていたけど、すぐにその手は取り払われた。

 涙の跡すら残すことなく、河原くんは私を真っすぐ見つめてくる。


「気づいていると思うけど、俺、両親がいなくて……」


 河原くんは、ゆっくりした口調で話し始めた。

 現代の国語の授業のような睡魔を誘うような喋り方ではなく、これから話しづらいことを話すっていう弱さが垣間見えるような喋り方が印象的だった。


「怖かった。だって、じいちゃんもばあちゃんもいなくなったら……俺、本当に独りぼっちで……」


 怖い。

 独りぼっち。

 そんな不安を煽るような言葉が溢れ出してくるのに、彼が涙を流すことはない。


「世間は、両親のいない子どものための施設を用意してくれてるけど……」


 児童養護施設。

 保護者と暮らすことができない子どもを養護する施設。

 そんな施設があるのは知識として知ってはいるけど、いざ自分がそこに行きますよと案内されたら混乱してしまうと思う。


「家族といたい……」


 私はただ彼の言葉を聞くことしかできなくて、自分には何もできることがないと改めて痛感する。


「そんな気持ちを抱えた子どもも、いるんだって……」


 冷たい電灯の光。

 無機質な壁。

 すっかり太陽が沈んでしまった世界は、真っ暗な闇で覆われていた。

 どれもが不安を煽る材料になるけど、それらすべてを排除する力は自分にはない。


「その望みが叶わないから、児童養護施設っていうのも分かる。分かるけど……」


 何も言葉を返すことなく、彼の背中を優しく擦る。


「俺は……家族とずっといたい……」


 人は、いつか亡くなってしまう。

 誰しも必ず死を迎えると理解していても、頭の中では駄々をこねたい。

 彼の肩が震えているのが分かって、彼の背中を撫でる手にほんの少しの力を込める。


「ずっと……ずっと……じいちゃんとばあちゃんと……」


 河原くんがどんなに願いを込めても、高齢の祖父母との時間には限りがある。

 胸の奥が、ちくりと痛みを感じる。

 でも、自分には何もできない。

 ただ、彼の言葉を否定せずに受け止めることしかできない。


「もう、独りになりたくない……」


 つい数日前までは、顔見知りという関係でしかなかった。

 赤の他人同士であることに変化は生まれないのに、もっと話をしてみたいと思ってしまう。


「羽澤さん」

「はい」


 河原梓那くんの、話を聞きたい。


「俺、家族の愛が欲しい」


 家族の愛は、当たり前に与えられるものではないと知る。

 家族だから、見返りのない愛を注いでもらえるわけではないと知らされる。

 同級生の河原梓那くんは、家族の愛が欲しいという気持ちを溢れさせた。

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