第14話「夏祭りの両立」

 蝉の声が、空の向こうから降ってくるようだった。

 八月二日。照りつける夕陽の下、桜峰商店街では、のれんを揺らす風鈴の音が響いていた。アーケードの端から端まで、すでに赤提灯がずらりと並び、射的屋、ヨーヨー釣り、かき氷の列、焼きそばの香り──町じゅうが夏祭りの熱気に包まれていた。

「よし、ステージこっち! マイクチェック急ぐよ!」

 一翔の声が、本部テント前に響いた。白いポロシャツに身を包み、首にはタオル。スタッフ用の腕章が汗でしんなりしていた。

 今日、虹ヶ丘ランドのチームは、この納涼祭の運営スタッフを手伝いつつ、復活イベントの宣伝活動も一気にこなすという“二刀流”をやり遂げなければならない。

「チラシ、ここに積んどいていいかな?」

 実希が軽トラックの荷台に、段ボールを積み替えている。箱には、白地に虹色のイラストが描かれたチラシがぎっしり。

「これ全部で五千枚……印刷しすぎたかと思ったけど、今日しかないもんね」

 「五千」と聞いて洋輔が顔をしかめた。

「え、やばくない? 俺たち、寿司屋じゃないんだからさ、五千皿回せって言われてもムリゲーだよ」

「だから“配り方”で勝負するの。ね、見てて」

 実希が手元の紙袋から取り出したのは、透明ビニールに包まれた小さなアクセサリー──

「これ、全部わたしが昨日徹夜で作った。“チラシ一枚につき一個プレゼント”。小学生、釣れるよ?」

「……すげぇ、まじで職人だな」

 洋輔が呆れたように笑うと、実希はふふんと鼻を鳴らす。

「夏祭りで金欠の子でも、記念が手に入るって大事だよ。祭りは“思い出の残し方”で勝つの」

 一方、結衣は本部席にて運営側のスケジュール管理を行っていた。

「一翔、今から演奏ステージの転換時間五分押しだって。誘導係、余裕ある?」

「大丈夫、蘭と聖美が回してる。俺は屋台ゾーンの見回り後、チラシ配りの班に回るよ」

「分かった。あと、露店の通路幅が基準超えてるって消防さんが心配してたから、ロープで仕切っておいて」

「把握」

 流れるようなやり取りだった。

 二人の間には、もう先週までの“決裂”の名残は見えない。

 その空気に、結衣は気づいていた。

 ──ちゃんと、ぶつかってよかった。

 自分が正しいと信じていた“安全優先”も、仲間の“夢を見せたい”という気持ちと一度ぶつけ合って、今こうして一緒に走っている。やっぱり、あの言い合いは必要だったのだ。

 ステージ裏では、聖美がボランティアの小学生に笑顔で説明していた。

「お客さんが道に迷わないように、赤いのぼりは“屋台エリア”、青は“ゲームエリア”、緑は“ステージ”って覚えてね。配るときも“これで見つけやすくなるよ”って一言添えてあげて」

 聖美の言葉はやわらかいが、動きはテキパキしていた。背中のリュックには予備の案内カード、汗ふきタオル、緊急時の氷嚢、そして団扇まで入っている。

「聖美さん、まじで移動型冷蔵庫……」と呟いたのは裕介だ。

 彼はステージ横に設置されたテーブルで、通行人アンケートを集計していた。

「“遊園地が復活するなら行ってみたい”に〇が90%……上々だね。QRコードのスキャン率も高い」

 集計しながら、印刷されたアンケート用紙の端に一言添えた。

「この声が、最後の一押しになるかもな」

 陽が傾き、提灯に灯りがともりはじめた。

 屋台の列を流れるように、洋輔がチラシ配りをしていた。

「はいはい! このクイズに正解すると、超レアな遊園地アクセがもらえるよ〜! 問題! 桜峰市にあった遊園地の名前は!?」

「に、にじ……?」「ヒントは、空にかかる7色のアレだよ〜!」

 子どもたちはチラシを手にして、「にじがおか!」と叫ぶ。正解。

「おお、正解! ほい、これ持ってって!」

 彼の渡すアクセは、実希の手作り。

 光に反射して、まるでほんとうに虹色に見えた。




「よしっ、残りはあと……千枚くらい?」

 実希が汗を拭いながらつぶやいた。

 ステージ裏の簡易机には、どんどん減っていくチラシの束。箱の底が見えはじめていた。

「てか、五千配るとか無謀じゃなかった?」

 洋輔が言うと、実希は肩で息をしながら笑った。

「無謀なのがうちらの通常運転でしょ?」

「いや、ほんとそれなんだよな……」

 彼が振り返ると、アーケードの中央で一翔が手を振っていた。

「おーい、あと30分で盆踊りタイムだって! ステージ照明、点灯準備しとこう!」

 その声に応えて、幸平が声を張り上げた。

「照明班、動け! コードに引っかかるな! ケーブル処理したやつ、俺がチェックしてやる!」

「はいっ!」とボランティアたちが動き出す。

 ――筋トレだけじゃない。

 みんなの中で、幸平はちゃんと“頼れる指導者”になっていた。

 蘭はその様子を見ながら、周囲に目を配っていた。露店の裏でバランスを崩しそうな机を見つけ、すぐに係員を呼ぶ。

「すみません、このテーブル、脚が緩んでます。応急で固定材ありますか?」

「え? 気づきませんでした……ちょっと倉庫から取ってきます!」

「じゃ、私ここで押さえてますね」

 蘭の判断は、誰よりも早かった。慎重で、的確。派手ではないが、“事故ゼロ”に一番貢献しているのは間違いなく彼女だ。

 日が沈む頃、アーケードのど真ん中、特設ステージに灯が入った。

 チラチラと回るミラーボール。光の粒が子どもたちの笑顔を照らす。

「いよいよ、最後のプログラム、盆踊りです!」

 司会者がマイクで呼びかけると、拍手が起こる。

 その音を合図に、結衣がステージ袖から一翔へ顔を向けた。

「……じゃあ、いってきて」

「おう」

 一翔は、袖に隠していたチラシの最後の一束を取り出した。

 そして、ステージ中央へ。

 照明の中心に立ち、深く息を吸い──

「みんなー! 聞いてくれっ!」

 一瞬、ざわつく空気。

 けれど、一翔の声ははっきりと、真っ直ぐだった。

「オレたち、桜峰中の有志メンバーで、半年後に閉鎖される虹ヶ丘ランドを、たった1日だけ復活させようとしてます!」

 どよめきが広がった。

 けれど、一翔はそのまま続ける。

「今日配ったチラシ、見てくれた人もいると思う。遊園地はなくなる。でも、その前に、もう一度、子どもたちに夢を見せたいって思った。だから──」

 チラシを、ステージから高く掲げた。

「10月4日、最後の開園日! 絶対に、みんなを笑顔にする遊園地を、俺たちが作る!」

 静まり返った空気に、ぽつりと拍手が起きた。

 一つ、また一つ。

 気づけば、アーケード中に、拍手の波が広がっていた。

 結衣は、それをステージ袖で見ていた。

 まっすぐで、無謀で、でも決してあきらめない少年の言葉が──

 町を動かしはじめているのを、感じていた。

 盆踊りの音楽が流れ、太鼓が鳴る。

 その輪の中に、子どもたちが笑いながら加わり、大人も、観光客も、みんなが踊り出す。

 踊りの輪の端に、裕介が立っていた。

 スマホで動画を撮影しながら、ぽつりと呟く。

「……この景色、虹ヶ丘ランドに持っていこう」

 その背中に、実希がアクセサリーの箱を持って走り寄ってきた。

「裕介! あんたそれ録るだけじゃなくて踊る側でしょ!」

「えっ、俺も!? ……まあ、いいけど!」

 二人が笑って踊りに加わるその隣で、洋輔が盆踊りのステップに苦戦していた。

「なにこれ足むずい! なに、右右左左って誰が決めた!?」

「洋輔、リズム感ないにも程があるって!」

 笑い声が、アーケードの屋根に跳ね返った。

 五千枚のチラシはすべて配り終えた。

 屋台の光、踊りの輪、笑い声と、拍手と──そして。

 たった一日の遊園地復活に向けて、“町の鼓動”が、確かに動き出していた。

 【第14話 了】

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