第7話「幸平式トレーニング」
六月三日、早朝五時四十五分。
桜峰市郊外にある、虹ヶ丘ランドのメインステージ前。うっすらと朝靄の残る中、ジャージ姿の中学生たちが続々と集まっていた。見渡す限り、まだ完全に草を刈りきれていない広場に、十数人の影。
「――よし、全員集合。これより、第一回“スタッフ体力選抜試験”を開始する!」
澄み切った声が響いた。
発声主は、幸平。深緑のウィンドブレーカーのジッパーを首元まで閉め、仁王立ちしていた。その後ろに、補佐として控えていた蘭と実希が立っている。
参加者は計十五名。チラシや口コミで集まった同級生や後輩たちが、自発的にこの早朝の試験に名乗りを上げたのだ。
「まず確認だが、今回のスタッフには“荷運び・誘導・清掃・設営・撤収”など、多岐にわたる肉体労働が課される。中途半端な覚悟では、かえって事故を誘発するだけだ」
幸平の声には一切の冗談がなかった。
「そこで――おれが責任を持って、合格ラインを決める」
ざわ……とさざめく参加者たち。
幸平は、前に用意していたマットを地面に敷くと、その上に片脚で立ち上がった。
「――まず、“片脚スクワット”。これが合格の最低基準だ。片脚でしゃがみ、ヒザがつかずに再び立ち上がる。これができなければ、筋力不足とみなす」
「えっ、無理無理! 女子に厳しくないそれ!?」
「大丈夫、補助ありでいいよ!」
と、横から実希が明るくフォローを入れる。
「スクワットに自信ない子は、柔軟と姿勢保持で別メニューもあるし、最終的にはバランスで見ていくから安心して!」
「私からは、準備運動を指導します」
蘭が静かに、手本を見せながら体を伸ばし始める。深い前屈、肩甲骨の開閉、足首まわし――その動きには、無駄がなかった。
その場の空気が少しずつ引き締まっていくのを、幸平は肌で感じていた。
(そう。これはただの“遊び”じゃない)
(もしひとつでも不備があれば、最悪、怪我をするのは子どもたちだ。絶対に、それだけは避けなきゃならない)
「じゃあ、実演――いくぞ」
幸平はぐっと踏み込み、右脚一本で体を支えながら、深くしゃがみこみ、すっと元の位置に戻る。
「はいっ!」
その滑らかな動作に、周囲からどよめきが上がる。
次々に参加者が前に出て、見よう見まねで挑戦していく。
失敗する者、バランスを崩す者、あと少しで成功しそうな者――様々だったが、どの顔にも真剣さがあった。
やがて一人、次に一人と、成功者が出はじめる。
歓声が上がる。拍手が沸く。
その中心に、幸平はいた。
「よし、次は“反復横跳び”。」
幸平の合図とともに、園内のスペースに並べられたカラーコーンの間に参加者たちが並んだ。
「三十秒間で何回移動できるか。これも運営中の“反応速度と俊敏性”を見るための基礎だ。荷物を運びながらお客さんを避ける、迷子対応、突発的な誘導変更……体が先に動くくらいじゃないと現場では役に立たん!」
幸平の言葉は厳しかったが、言っていることは理にかなっていた。
そして何より、彼自身が見本として先陣を切って走ったことで、現場には自然な緊張感と集中が生まれていた。
腕を振り、靴の裏でしっかり地面を蹴る音が、広場にリズムを刻む。
「いけいけー!」「もうちょい!」「ナイス反転!」
見学していた実希や蘭も、自然と声を上げていた。失敗した子を責める空気はない。全員が“同じ目標に向かっている”という前提のもとで、少しずつ笑顔と真剣が交ざり合っていく。
「――最後の試験項目、救護想定」
そう言って幸平が持ち出したのは、約5kgほどの模擬人形と、模擬担架(キャンプ用ストレッチャーだった)。
「これは“イベント中、熱中症や転倒者が出た場合、正しく搬送できるか”のシミュレーションだ。腕力と、もう一つ。“声かけ”。本人の状態を確認し、周囲に援助を求めながら、落ち着いて行動できるか」
その説明に、何人かがごくりと喉を鳴らした。
「搬送役は最低2人。持ち方、声のかけ方、置き場所まで、1セットで判定する」
模擬試験の組が始まる。うまく運べるチームもあれば、途中でバランスを崩す者もいた。
「……失敗してもいい。けどな、“人を運んでいる”っていう意識だけは絶対に切らすな!」
幸平の言葉には、どこか切実な響きがあった。
その声を聞いていた蘭がふとつぶやく。
「――あの子、きっと本当に誰かを“守った”経験があるんだね」
実希は、うんと小さく頷いた。
テストは午前七時まで続き、全体で二時間弱。
全項目をクリアした者には、手書きの“STAFF PASS認定書”が配られた。もちろん正式な証明書ではないが、それは何より“認められた”という証拠だった。
そしてそのパスの裏には、手書きの一言が添えられていた。
「安全は、行動で守るものだ。君になら、任せられる」——幸平
手渡された中学生たちの顔が、少しずつ誇らしげに変わっていく。
朝八時すぎ。訓練を終えた参加者たちは、ランドの端にある古いベンチに腰を下ろし、配られた紙コップのスポーツドリンクを手に、静かに呼吸を整えていた。
汗まみれの顔、真っ赤になった手のひら、膝に残る土埃。
けれど誰ひとり、「もうやりたくない」と言う者はいなかった。
「……この“STAFF PASS”、すっげぇ嬉しい……」
「うちの部活よりきついけど、なんか“意味ある”って感じがするよね」
「“助ける”って、こんなに体力使うんだな……」
そんな声が広がるなか、幸平は一人、少し離れた場所で立っていた。空を見上げる横顔は、どこか硬く、言葉にできない何かを押し込めているようだった。
「幸平」
後ろから実希が近づき、声をかけた。
「お疲れさま。……ほんとに、ありがとう。今日のトレーニング、みんな満足そうだった」
「……あいつら、思ったよりずっとマジだった」
幸平は短く言った。
「何人かは落ちるだろって思ってた。でも、落ちても落ちても挑戦してきた。そういう奴には……」
彼は、言葉を探すように一拍置いてから言った。
「ちゃんと“責任”を任せてやりたいって思った」
その言葉を聞いて、実希は少しだけ目を細めた。
「ねえ、幸平。もしかして――誰か、昔、怪我させちゃったことあるの?」
「……」
沈黙。
実希はそれを“肯定”と受け取り、無理に続きを聞こうとはしなかった。
そのかわり、そっと小さな声で言った。
「でもね、きっと今日参加した子たち、幸平の指導で“守れる自信”を持てたと思うよ。誰かのために動くって、口で言うのは簡単だけど、本気で伝えてくれる人がいないとできないから」
「……俺さ、“力だけじゃどうにもならないこと”知ってる。だから、こういう形でなら、少しでも手伝えるかもしれないって思った」
「うん。それで十分」
二人の背後では、結衣が最後の点呼を終え、一翔が参加者たちに向けて言った。
「これで君たちは、俺たちの“仲間”です。あの遊園地を、絶対に安全な場所にするために、全力でお願いしたい!」
その言葉に、全員が一斉にうなずいた。
拍手が起こるでもなく、ただ静かに、けれど確実に、一体感が生まれていた。
幸平はそれを見届けながら、ふと空を見上げた。
まだ梅雨前の青空。雲ひとつない。
かつての失敗を、過去のものとして終わらせるのではなく、次に活かす。
そう思えたのは、今日がはじめてだった。
トレーニングは終わった。だが、それは始まりでもあった。
スタッフの認定を受けた仲間たちは、この日から、それぞれの役割と責任を抱え、行動し始める。
そして――彼らの動きが、少しずつ、ランドの鼓動を甦らせていく。
―――第7話「幸平式トレーニング」完(END)
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