第6話「許可証のスタンプラリー」
五月二十五日、放課後。
桜峰中学校の正門前で、結衣と聖美は互いのリュックを背負い直していた。夕方に差しかかる日差しの下、真剣な表情で結衣が書類のチェックリストを読み上げる。
「よし、提出書類、全部持った。申請用の控えと、予備の印鑑、身分証、スケジュール表……。これで抜けはないと思う」
「うん。私は念のため、先生からもらった『青少年活動証明書』も持ってるよ」
「さすが」
聖美はにこっと笑いながらも、手にしていたクリアファイルの中身を指で確認していく。どの資料も角が揃っていて、紙一枚たりとも無駄がない。
「……緊張するね。役所とかって、いまだに苦手」
「それでも今日やらないと、今週中に“消防・保健・警備”の全部が間に合わなくなる」
結衣は地図を折り畳み、スマホで時刻を確認する。
「まずは市役所で“臨時使用許可”。それがないと、そもそも施設をイベントで使うこと自体、違法になっちゃうから」
「で、終わったら消防署だよね? 避難経路と点検義務……」
「そのあと保健所で、飲食販売の仮営業許可。アイスの時と同じ形式で申請すれば通るはず」
二人は深呼吸して、坂を下りる道を歩き始めた。
こうして、〈虹ヶ丘ランド復活作戦〉における“最重要書類提出ミッション”がスタートしたのだった。
午後四時。桜峰市役所。
玄関を入ると、薄い冷気と消毒液の匂いが出迎えた。平日にもかかわらず、高齢者と子連れの母親が並ぶ窓口は思ったより混んでいた。
「イベント使用許可は……こっちかな」
掲示された案内板を見ながら、二人は二階の「市民活動支援課」へと向かう。
ガラス窓の向こうに座っていたのは、眼鏡をかけた若い職員。だがその表情はやや険しい。
「ええと、遊園地跡地での一日イベントですね? まず、提出書類を……」
結衣が用意したバインダーから、一枚ずつ丁寧に資料を差し出す。職員は目を通しながら、細かく指で項目をなぞっていく。
「……うん、構成はしっかりしてます。ただ……この“安全管理責任者”の欄、記名だけで印が抜けてますね。あと、火気使用予定“なし”にチェックがありますが、夜間照明があるなら消防署に回す必要があります」
「はい、消防署にはこの後、直接行く予定です。火気は一切使用せず、LEDランタンのみで対応します」
「なるほど。では、仮受付はできます。正式には、他部署の承認後に“本受付”ですので、今日の時点ではまだ“申請中”の扱いになりますが……」
「はい、わかってます」
即答する結衣の口調に、職員の目がわずかに和らいだ。
「君たち、中学生? ……すごいね、こんなに細かい書類、自分たちで」
「はい、すべて自分たちでやってます。あと百三十日くらいしかないので、急いでます」
「百三十日……? スケジュール逆算してるの?」
「もちろん。遊具整備、告知、当日運営、全部日程に組み込んでます」
職員が笑った。
「大人でもそこまで計画的にやらないよ。応援したくなるな、こういうのは」
「ありがとうございます……!」
市役所を出た頃には、時刻はすでに午後五時を回っていた。日差しは弱まり始め、影が少し長くなってきていた。
結衣は地図アプリで現在地を確認すると、聖美に声をかけた。
「次、消防署。市役所から徒歩八分。ちょっと急ごう」
「うん、任せて。歩きながら提出書類、もう一回チェックするね」
二人は並んで歩きながら、リズムよく確認作業を続けた。歩幅も、テンポも、まるで何度もリハーサルをしてきたかのようにそろっている。
消防署は赤レンガの外壁が目印の建物だった。玄関の自動ドアをくぐると、すぐに受付のカウンターがあり、若い隊員が応対に出てきた。
「イベントの防火管理に関することで来ました。申請書類はこちらです」
結衣が資料を差し出すと、隊員は眉をひそめた。
「中学生?」
「はい。ですが、設計図と来場者想定数、避難経路、電源配置まで記載済みです」
受け取った隊員が目を通すと、表情が徐々に変わっていった。
「えっ……来場者三千人想定? 中学生で?」
「最大です。保守的に見積もっての数字です。実際にはもう少し下回ると思いますが、万一に備えて警備・誘導人員も別途配置予定です」
「うわ、ちゃんとしてる……。ええと……この“避難経路マップ”って、誰が作ったの?」
「仲間の蘭です。現地調査と施設図面を元に作成しました」
「すごいな……正直、俺たちが見慣れてる申請よりよくできてるかも」
そうつぶやく隊員に、別の年配の職員が近づいてきた。書類に目を通すと、軽く頷いた。
「この内容なら、防火上の問題はないと思う。あとは……」
職員は結衣の目を見て、しっかりと問うた。
「当日、火気使用がないこと、必ず守れるかい?」
「はい、絶対に守ります。電源はすべてバッテリー式照明、調理行為はゼロ、発電機も使用しません」
「よし。それなら“消防署審査済”のハンコを押しておく。正式許可は保健所と警察の確認後だけど、少なくともウチは通して大丈夫だ」
「ありがとうございます!」
結衣が深く頭を下げた横で、聖美もぺこりとお辞儀した。
建物を出ると、聖美がふうっと息を吐いた。
「よかった、ちゃんと通ったね」
「うん……でも、思った以上に緊張した。あの目、真剣だったから」
「でも、ちゃんと伝わったと思う。中学生だって、“やるべきこと”をやれば、ちゃんと大人は向き合ってくれるってことだよね」
言葉を交わすふたりの足取りは、どこか少し軽くなっていた。
ただ、次に向かう保健所だけは、簡単にはいかなかった。
午後五時三十五分、保健所。
館内に入ると、受付の女性が「飲食関係の相談は17時半まで」と紙を差し出した。時間ぎりぎり。
それでも結衣と聖美は、ほぼ駆け込みで相談ブースに案内された。対応に出てきたのは、白衣を着た中年の保健師だった。
「仮設店舗での食品提供希望……中学生? これは……イベントってこと?」
結衣がうなずいて申請書類を差し出すと、保健師は眉をひそめた。
「加熱調理はない、提供品はパック詰めされた冷凍菓子と清涼飲料のみ……ふむ。ただし、“臨時販売所”という扱いにしてもらわないと、保健法上の条件を満たせません」
「はい。『臨時』の定義については、別紙で確認済みです。販売予定時間、保存方法、管理責任者も記入済みです」
「……ほう。責任者は“広報班・南実希さん”? 中学生が?」
「はい。食品衛生講習を受けさせるつもりです」
その言葉に、保健師の表情がわずかに変わった。
「……えらいねぇ。自分が高校生だった頃、こんなこと考えたこともなかったな」
「応援してくださる方が、冷たいアイスを食べながら笑顔になってくれて、それがまた応援になって……。そんな循環が、ちゃんと形になるようにしたくて」
聖美の言葉は穏やかだったが、深く芯のある声だった。
保健師はうなずきながら、印鑑を手に取り、一枚ずつ確認していく。
そして最後の一枚に、ぽん、と朱色の印を押した。
「仮受付完了。販売者講習を受けて、検査に問題なければ正式許可となります。……頑張って」
「ありがとうございます!」
二人は深く頭を下げ、許可証仮受理の印が押された書類を手に、保健所のドアを後にした。
外に出ると、空には薄い雲が流れ、もうすぐ陽が落ちるころだった。
聖美がクリアファイルを胸に抱えたまま、ぽつりと言った。
「……終わった、ね」
「うん。全部、揃った」
市役所、消防署、保健所――たった一日で三か所をまわって、すべての仮許可を獲得した。
「でも、これはまだスタート地点。正式な“営業許可証”がもらえるまで、油断できない」
「うん。でもね、私、今日少しだけ自信ついた気がするよ」
「え?」
「結衣が言ってた、“冷静に状況を把握して、行動する”っていうの、少しだけ真似してみた。そしたら、相手の話をちゃんと聞く余裕ができた」
結衣は少しだけ目を丸くし、それから微笑んだ。
「私こそ、聖美が一緒で助かったよ。話し方が柔らかくて、相手の緊張を解いてくれるんだもん」
「えへへ……ありがと」
そのとき、スマホにメッセージが届いた。
「一翔:みんな、許可どうだった!? 今、実希と洋輔が屋台作戦でアイス追加仕入れしてる! ネジ交渉もうまくいった! 作戦、進行中だぞ!!」
二人は思わず顔を見合わせて、くすっと笑った。
「これで、あとは準備を加速するだけだね」
「うん。虹ヶ丘ランド、ぜったいに笑顔で開けよう」
冷たい役所の廊下でスタンプを集め続けた一日。
けれどその足取りは、誰よりも温かい未来へと、確かに進んでいた。
―――第6話「許可証のスタンプラリー」完(END)
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