その型の解決屋:奇妙な血筋と世界の理(ことわり)

ヨルヘイ

第1話:色の消えし世の理

この世には、人の目には映らぬものが存在する。

人の心をむしばむ病、ことわりよりほかれたる怪異かいい——。

そして、それらをつめ、時に紐解ひもとく者たちがいた。

これは、自身の「普通」が世の「異質」であると気づいた青年、卯月うづきの物語なり。


卯月が産れし家は、外界そとより隔絶てられし山間の奥にひっそりと佇む一族の家。


朝餉あさげの献立が寸分すんぶんたがわず定められ、家中の塵芥ちりあくたひとつ残さぬ清潔さが保たれ、人の言葉の端々より感情の機微きびを読み取ること、そして、家族が名にて互を呼び交わすこと——それら全てが、至極当然なる「普通」であった。


だが、かつて外界そとの子供と泥まみれで遊んだ折、卯月は気づいた。

自らの「普通」が、外の世界では「異質」とされることを。

まるで血に刻まれた規律のように厳密に守られている。

几帳面すぎるほどの秩序、それでいて人知れず神経をすり減らす気質。 これも例のその型の血筋ゆえか。


一族は、皆が『その型』の血を引く。

微細なる変化を見抜く洞察力、人の心に深く寄り添う共感力、常識に囚われぬ天然の発想——。

一見、矛盾したように見えるそれらの性質が同居しているのも、あの型らしい。

それこそが、この世のことわりより外れし奇妙なる現象を紐解く、唯一無二の鍵となる。


その朝。卯月の部屋では、細く灯る蝋燭ろうそくの火が、静かに影を揺れていた。

机に広げられた緋色の絹糸。昨夜預かったそれは、真新しいはずなのに、わずかにその彩度を失っているように見えた。

卯月は微細な筆を執り、羊皮紙ようひしに気温、湿度、糸の張り、己の体温までも克明に記していく。

それは一族特有の「へき」。

あらゆる事象を徹底的に記録し、分類する性分。

卯月が物心ついた頃から自然と身についていた。


紗綾さやは、まだ、この世界の営みに身を置かれていませんか?」

卯月が尋ねると、祖母のあやが答えた。

「紗綾なら、とっくに目覚めているわ。朝食の完璧な配置を整えるために、一番鶏が鳴く前から支度をしているはずよ」


確かに、台所からは既に香ばしい匂いが微かに漂ってきている。完璧主義で、一切の妥協を許さぬ長姉ちょうし紗綾さやのことだ。今頃、朝食の献立から盛り付け、器の配置に至るまで、寸分違たがわず計画し、実行しているに違いない。


朝食の席では、妹の小梅こうめが姉の紗綾さやおそれるように、食卓の隅でこっそりパンをちぎっていた。小梅こうめは天然なところがあるが、どこかずり賢い。


そして、末弟まってい深雪みゆきは、卯月の袖を引っ張りながら、きらきらした目で布の色の変化を不思議そうに眺めていた。純粋な瞳が、卯月の胸に妙なる使命感を与える。卯月は、この奇妙な現象のことわりを解き明かし、失われゆく色を取り戻さねばならぬ。


「卯月、まだ、あちらの世界と繋がっているのかい?」


障子越しに、父・泰助たいすけの声が届いた。

酒と煙草の匂いをまといながらも、どこか飄々ひょうひょうとした声音。


卯月は顔を上げず、平坦な声で応えた。

「ええ、繋がっております。この緋色の色褪せ、やはり昨日より深まっています。私が捉えた感覚は、間違いではないようです」


泰助はけらけらと笑った。

「ははは、相変わらずじゃの。ま、泰助の息子らしいっちゃね」


どこか世を達観したような、それでいてお調子者な声を聞きながら、卯月は心の中で首を傾げた。


「泰助の息子らしい」とは、果たしてこの奇妙な現象を捉える「目」のことだろうか、それともこの「目」が引き起こす、はた迷惑なまでの「執着」のことだろうか。

泰助は、知識を完璧に記憶するほど優秀だが、時折、その完璧な思考が突拍子もない方向へ飛ぶことがある。


縁側に出ると、祖母なるあやが姿勢良く座し、音もなく茶をてている。常に絵画のように完璧で、上品すぎるほどの人だ。

泰助が陽に向かって豪快に声を上げ伸びをし、あやがそれをたしなめる。


「泰助、声が大きいですよ。せっかくの静謐せいひつときが、濁ってしまうではないか」

あやの、水面に波紋を広げないような、上品すぎるほどの静かな声が響く。あやの思考の流れがどこへ向かっているのか、卯月にはいつも掴みきれなかった。


あやも、そう堅いこと言うなかれよ。たまには朝から豪快におのれを解放するのも悪くねぇぞ」

泰助はそう言い笑い、あやは何も言わずにすっと立ち上がると、まるで空気と一体化したかのように茶を運んだ。


一族は皆、己の名で呼び合い、常にあるべき型を守り続ける。

この一族に脈々と流れる「血の理」として、ごく自然なる「普通」であった。


されど、一度外界そとの友人に「お前の家は変わっているな」と言われしことがあった。

その時初めて、己が「普通」は、世間の認識する「普通」とは位相が異なることを知ったのだ。

そして、この家には、正しさが、息苦しいほどに満ちている。


「ところで卯月。この怪異、染物屋の源兵衛げんべえの件かい?」

庭から入ってきたのは、祖父の源十郎げんじゅうろうであった。手には、夜中に微かに鳴らしていたらしい、古びた小さな太鼓を持っている。源十郎は太鼓と祭りをこよなく愛し、お調子者でしつこいほどの情熱家だ。


「はい、源十郎。あの布、本当にその『色』が薄れるのです」

卯月が言うと、源十郎は身を乗り出した。


「ほう、それは面白い!昔、わしが若い頃にも、似たような兆候を見たことがあるぞ。確か、あれは……」

源十郎は語り始めたが、その言葉はすぐさま「祭りの音律ねいろ」や「太鼓の響き」へと逸れていき、卯月は慌てて本題へ引き戻した。


「この布の色褪せ、その真の姿を必ずや突き止めます。そして、源兵衛の困り事を解決してみせます」


卯月は、固く決意した。たとえ、その解決方法が世間から見て「異質」と見なされようとも。



卯月うづきは、朝食を終えるとすぐに、染物職人の源兵衛げんべえから預かった緋色の絹糸と、自身が克明に記した記録を広げた。糸の艶は昨夜よりもさらに褪せ、まるで陽の当たらぬ場所に長く置かれたかのように、生気を失っている。


「これは、尋常ではございませんね」


独り言ちる卯月の声に、背後から泰助がひょいと顔を覗かせた。卯月の手元にある糸を一瞥いちべつすると、何かを思い出すように遠い目をした。


「ああ、あの源兵衛の怪異かい。彼の工房では、以前にも似たような話を聞いたことがあるぞ。ただ、これほどまでに色が深く沈むのは、わしも久方ぶりに見た。その型の目に映る、怪異の理も深いということじゃろうて」

泰助は言葉の端々に思わせぶりな含みを持たせたが、それ以上は語ろうとしない。泰助の完璧な知識は、時に肝心な部分をわざと伏せる嫌いがあった。


「ところで卯月。あの依頼人の染物屋、源兵衛げんべえの件、この『色をかい』ではないかい?」

源十郎が、解いた。


卯月は、工房の様子をもう一度詳しく聞くため、源兵衛に面会することを決める。泰助が用意してくれた、何かの縁を辿って手に入れたらしい、古い茶の葉を懐に入れ、家を出た。


源兵衛の染物工房は、この山奥の一族の家からは少し離れた、町外れにひっそりと佇んでいた。暖簾のれんをくぐると、染料と水の混じった、独特の匂いが鼻を突く。奥から現れた源兵衛は、その顔に疲労の色を濃く浮かべていた。


「おお、卯月さんか。ようこそおいでくださった。わしの布が、まさかあのようなことに……」

源兵衛の声は震え、その手は小刻みに震えている。表情は、疲労と迷いが滲んでいた。


卯月は、源兵衛の工房を隅々まで観察した。染め釜の周りには使い古された道具が整然と並び、作業場は掃き清められている。しかし、妙な違和感があった。そこには、染物を生業とする者の「熱気」のようなものが、薄れて見えるのだ。


「源兵衛殿、差し支えなければ、最近の心の内をお聞かせ願えますか」

卯月は、静かに尋ねた。


源兵衛は驚いた顔をした。

「わしの心の内、でございますか……」


源兵衛は語り始めた。数年前に妻を亡くし、一人息子が家業を継がず都会へ出てしまったこと。

それから、染物への情熱が次第に薄れていったこと。

最近は、注文の数も減り、未来への不安が募っているのだと。


卯月の目には、源兵衛の背後に、ゆらゆらと揺らめく黒い影が見えていた。それは、不安と諦め、

そして失われた情熱の念が凝り固まった、「心のかげり」であった。


この「心のかげり」が、源兵衛の染め上げた布の「彩り」を吸い取っているのだ。


「なるほど……源兵衛殿の心に、色をむしばむ怪異が巣食すくっているようです」

卯月は、泰然と告げた。


源兵衛は目を見開いた。

「色を蝕む怪異、と……?」


卯月は懐から、泰助が持たせた古い茶の葉を取り出した。それは、何の変哲もない、ただの古の茶葉——。


「これは、昔から伝わる、心を鎮めるための茶です。

ゆっくり淹れて、その香りを深く吸い込んでみてください。

そして、今一度、あなたが染物に抱いた、最初の情熱を思い出してください」


源兵衛は半信半疑の顔で茶葉を受け取った。


その夜、源兵衛は卯月の言葉に従い、丁寧にその茶を淹れた。

湯気と共に立ち上る香りは、乾ききった源兵衛の心に、かすかな潤いをもたらした。

源兵衛は目を閉じ、ひたすら染物への情熱、妻が笑った藍色、息子と共に工房で過ごした日々を思い出した。


そして、夜が明け、工房に朝の光が満ちる頃。

卯月が訪れると、源兵衛は昨日とは打って変わって、どこか吹っ切れたような表情をしていた。


「卯月さん……。昨夜、茶を淹れ、思い返しました。あの布に込めた、息子との夢を。妻が褒めてくれた、あの鮮やかな藍色を……」


源兵衛の言葉と共に、工房の隅に積み上げられていた、色褪せていたはずの布が、徐々に、しかし確かにその鮮やかさを取り戻していくのが、卯月の目には映った。


そして、源兵衛の背後に見えていた「心のかげり」は、まるで陽光に溶ける氷のように、みるみるうちに薄れ、消えていったのだ。


「ああ、色が……!戻った……!」


源兵衛は驚きと喜びの声を上げた。


卯月の目には、布の彩りが完全に復元され、工房に再び活気が満ちていくのが見えた。


「源兵衛殿の情熱が、怪異を退けたのですね。

おめでとうございます」

卯月は静かに微笑んだ。


源兵衛は深く頭を下げた。

「心より感謝いたします。

この恩義、生涯忘れませぬ」


卯月は、自身の「普通」が外界そとことわりを紐解く力となり、誰かの心の彩りを救い出したことに、ささやかな充足感を覚えていた。


卯月は、源兵衛の工房の扉を閉めようとしたその時、一人の女が駆け寄ってくるのが目に入った。

その顔には、源兵衛と同じ、あるいはそれ以上の深いかげりが宿っている。

女の背後には、微かに、しかし確かに、新たな怪異の気配が揺らいでいた。


この世には、人の目には見えぬことわりがある。

そして、それを視る者たちがいる。

卯月は、これからも人知れず、心に巣食すくう怪異を解決していく。


さて——次なる怪異も、既にそのかげりをはらんでいる。

次の依頼人もまた、心に深い影を抱えているようだ……。

その耳元には、音もなく震える“声なき悲鳴”が——。

それはまた、次の頁にて。



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