その型の解決屋:奇妙な血筋と世界の理(ことわり)
ヨルヘイ
第1話:色の消えし世の理
この世には、人の目には映らぬものが存在する。
人の心を
そして、それらを
これは、自身の「普通」が世の「異質」であると気づいた青年、
卯月が産れし家は、
だが、かつて
自らの「普通」が、外の世界では「異質」とされることを。
まるで血に刻まれた規律のように厳密に守られている。
几帳面すぎるほどの秩序、それでいて人知れず神経をすり減らす気質。 これも例のその型の血筋ゆえか。
一族は、皆が『その型』の血を引く。
微細なる変化を見抜く洞察力、人の心に深く寄り添う共感力、常識に囚われぬ天然の発想——。
一見、矛盾したように見えるそれらの性質が同居しているのも、あの型らしい。
それこそが、この世の
その朝。卯月の部屋では、細く灯る
机に広げられた緋色の絹糸。昨夜預かったそれは、真新しいはずなのに、わずかにその彩度を失っているように見えた。
卯月は微細な筆を執り、
それは一族特有の「
あらゆる事象を徹底的に記録し、分類する性分。
卯月が物心ついた頃から自然と身についていた。
「
卯月が尋ねると、祖母の
「紗綾なら、とっくに目覚めているわ。朝食の完璧な配置を整えるために、一番鶏が鳴く前から支度をしているはずよ」
確かに、台所からは既に香ばしい匂いが微かに漂ってきている。完璧主義で、一切の妥協を許さぬ
朝食の席では、妹の
そして、
「卯月、まだ、あちらの世界と繋がっているのかい?」
障子越しに、父・
酒と煙草の匂いをまといながらも、どこか
卯月は顔を上げず、平坦な声で応えた。
「ええ、繋がっております。この緋色の色褪せ、やはり昨日より深まっています。私が捉えた感覚は、間違いではないようです」
泰助はけらけらと笑った。
「ははは、相変わらずじゃの。ま、泰助の息子らしいっちゃね」
どこか世を達観したような、それでいてお調子者な声を聞きながら、卯月は心の中で首を傾げた。
「泰助の息子らしい」とは、果たしてこの奇妙な現象を捉える「目」のことだろうか、それともこの「目」が引き起こす、はた迷惑なまでの「執着」のことだろうか。
泰助は、知識を完璧に記憶するほど優秀だが、時折、その完璧な思考が突拍子もない方向へ飛ぶことがある。
縁側に出ると、祖母なる
泰助が陽に向かって豪快に声を上げ伸びをし、
「泰助、声が大きいですよ。せっかくの
「
泰助はそう言い笑い、
一族は皆、己の名で呼び合い、常にあるべき型を守り続ける。
この一族に脈々と流れる「血の理」として、ごく自然なる「普通」であった。
されど、一度
その時初めて、己が「普通」は、世間の認識する「普通」とは位相が異なることを知ったのだ。
そして、この家には、正しさが、息苦しいほどに満ちている。
「ところで卯月。この怪異、染物屋の
庭から入ってきたのは、祖父の
「はい、源十郎。あの布、本当にその『色』が薄れるのです」
卯月が言うと、源十郎は身を乗り出した。
「ほう、それは面白い!昔、わしが若い頃にも、似たような兆候を見たことがあるぞ。確か、あれは……」
源十郎は語り始めたが、その言葉はすぐさま「祭りの
「この布の色褪せ、その真の姿を必ずや突き止めます。そして、源兵衛の困り事を解決してみせます」
卯月は、固く決意した。たとえ、その解決方法が世間から見て「異質」と見なされようとも。
「これは、尋常ではございませんね」
独り言ちる卯月の声に、背後から泰助がひょいと顔を覗かせた。卯月の手元にある糸を
「ああ、あの源兵衛の怪異かい。彼の工房では、以前にも似たような話を聞いたことがあるぞ。ただ、これほどまでに色が深く沈むのは、
泰助は言葉の端々に思わせぶりな含みを持たせたが、それ以上は語ろうとしない。泰助の完璧な知識は、時に肝心な部分をわざと伏せる嫌いがあった。
「ところで卯月。あの依頼人の染物屋、
源十郎が、解いた。
卯月は、工房の様子をもう一度詳しく聞くため、源兵衛に面会することを決める。泰助が用意してくれた、何かの縁を辿って手に入れたらしい、古い茶の葉を懐に入れ、家を出た。
源兵衛の染物工房は、この山奥の一族の家からは少し離れた、町外れにひっそりと佇んでいた。
「おお、卯月さんか。ようこそおいでくださった。わしの布が、まさかあのようなことに……」
源兵衛の声は震え、その手は小刻みに震えている。表情は、疲労と迷いが滲んでいた。
卯月は、源兵衛の工房を隅々まで観察した。染め釜の周りには使い古された道具が整然と並び、作業場は掃き清められている。しかし、妙な違和感があった。そこには、染物を生業とする者の「熱気」のようなものが、薄れて見えるのだ。
「源兵衛殿、差し支えなければ、最近の心の内をお聞かせ願えますか」
卯月は、静かに尋ねた。
源兵衛は驚いた顔をした。
「わしの心の内、でございますか……」
源兵衛は語り始めた。数年前に妻を亡くし、一人息子が家業を継がず都会へ出てしまったこと。
それから、染物への情熱が次第に薄れていったこと。
最近は、注文の数も減り、未来への不安が募っているのだと。
卯月の目には、源兵衛の背後に、ゆらゆらと揺らめく黒い影が見えていた。それは、不安と諦め、
そして失われた情熱の念が凝り固まった、「心の
この「心の
「なるほど……源兵衛殿の心に、色を
卯月は、泰然と告げた。
源兵衛は目を見開いた。
「色を蝕む怪異、と……?」
卯月は懐から、泰助が持たせた古い茶の葉を取り出した。それは、何の変哲もない、ただの古の茶葉——。
「これは、昔から伝わる、心を鎮めるための茶です。
ゆっくり淹れて、その香りを深く吸い込んでみてください。
そして、今一度、あなたが染物に抱いた、最初の情熱を思い出してください」
源兵衛は半信半疑の顔で茶葉を受け取った。
その夜、源兵衛は卯月の言葉に従い、丁寧にその茶を淹れた。
湯気と共に立ち上る香りは、乾ききった源兵衛の心に、かすかな潤いをもたらした。
源兵衛は目を閉じ、ひたすら染物への情熱、妻が笑った藍色、息子と共に工房で過ごした日々を思い出した。
そして、夜が明け、工房に朝の光が満ちる頃。
卯月が訪れると、源兵衛は昨日とは打って変わって、どこか吹っ切れたような表情をしていた。
「卯月さん……。昨夜、茶を淹れ、思い返しました。あの布に込めた、息子との夢を。妻が褒めてくれた、あの鮮やかな藍色を……」
源兵衛の言葉と共に、工房の隅に積み上げられていた、色褪せていたはずの布が、徐々に、しかし確かにその鮮やかさを取り戻していくのが、卯月の目には映った。
そして、源兵衛の背後に見えていた「心の
「ああ、色が……!戻った……!」
源兵衛は驚きと喜びの声を上げた。
卯月の目には、布の彩りが完全に復元され、工房に再び活気が満ちていくのが見えた。
「源兵衛殿の情熱が、怪異を退けたのですね。
おめでとうございます」
卯月は静かに微笑んだ。
源兵衛は深く頭を下げた。
「心より感謝いたします。
この恩義、生涯忘れませぬ」
卯月は、自身の「普通」が
卯月は、源兵衛の工房の扉を閉めようとしたその時、一人の女が駆け寄ってくるのが目に入った。
その顔には、源兵衛と同じ、あるいはそれ以上の深い
女の背後には、微かに、しかし確かに、新たな怪異の気配が揺らいでいた。
この世には、人の目には見えぬ
そして、それを視る者たちがいる。
卯月は、これからも人知れず、心に
さて——次なる怪異も、既にその
次の依頼人もまた、心に深い影を抱えているようだ……。
その耳元には、音もなく震える“声なき悲鳴”が——。
それはまた、次の頁にて。
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