滴るマネキン

@Bonjoul

滴るマネキン

私は、耳を塞いで、からだをまるくちぢめ、

低くうめいていた。

草木がしげる、橋の付近で

覆いかぶさったダンボールの上にうずくまり、

息をあらげた。


──マネキンにして


肺からおとが漏れないように、精一杯、ちぢこまっていると

遠くで、救急車のサイレンが鳴った。


保険証を、持たない私には、関係ない。


どうして、私はこんなにも、無力なんだろう。


抑えきれない破壊衝動が、内側からわいて出た時、

悔しくて、虚しくて、マネキンになりたいと

叫んだ。

──いっそ、入水しようか。

その時、暗闇からかさかさと、音がした。

男かもしれない。集中する、警戒する


「お嬢さん、あぶないわよ」



何食わぬ顔で、草むらから出てきたのは、女だった。

咄嗟に、紫色の傘を差し出して私の体温をかばう。


「わたしの傘は、君を探していたのかしら」


斉藤芙美子は、ヒキガエルを探しに、

雨の夜の河川敷へ、足を運んでいた。

目の前に、ヒキガエルよりも生気のある、

壊れかけた生き物が視界に入った時、静かに興奮した。


「なんか、楽しいの…」

若い女は、つめたく、あしらった。

放っておいて欲しい。そんな風に背を向けたのに、

芙美子は引かなかった。


ふと足元を見つめると、足袋がぬれている。

作り物みたいにつめたい唇が、動く。


芙美子「なあんにも楽しくないわ」


おかしな女だと思って眺める。親子程も年が離れているのに、恥じらう顔をしている。

───そう、じゃあ行って。


女の意図を計りかねて、視界が、くらくらした。

それ以上の追求は諦めてもう一度低くうめく。


──マネキンにして


雨も空気も、草木さえも、黙り込んでいた。



雨はさらに、激しく降り始めた。

マネキンみたいに美しい女は、優しい声色で、

「あなた怪我してる」と囁いた。


女は、私の腕に触れ、眉をひそめた。

「勝手に、触らないで」

芙美子「でも、治療しなくちゃ」


私は、耳があまつぶで塞がれ

聞こえなくなって行くような、気がした。

芙美子「ほら、ここも」額を撫でた。


私は、叫ぶ。

「マネキンになりたい…とうめいに」

女は、私ではなく傘を撫でた。

指が濡れそぼったのが見える。


芙美子「あなたから落ちた、涙みたい」


驚く事に女はとつぜん、

傘を草むらへ放り出して私のからだを引っ張った。

「痛っ」



芙美子「わたしのマネキンになりなさい」


からだが冷え、眠く、低体温症を起こしかけていた私は、抵抗する気力もなかった。

しようがなく、マネキンのように冷たい瞳で

からだを起こす。女が笑って手を貸した。熱がある。

人間で、あんしんした。

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