第6話 アンナの思い

「ご主人様、朝ですよ。起きて下さいませ。今日は何の日だか分かっているのですか?」


 毎朝決まった時間に我が家の侍女メイドに起こされているんだが今朝は少し……いや、かなり早くないか?

 先日ラミアを倒した俺は暫くはゆっくり過ごそうと思っていた。

 最近は大物を仕留める機会にも恵まれていたから我が家の財政状態もかなり良いし、何よりも新しく就任した小さな財務大臣に任せておけば何の問題もねぇからな。


 帰宅した日の夜にライリから近くの山に連れて行って欲しいと頼まれていたが、そう言えば今日がその約束の日だったな。

 何でも美味い山葡萄がなっている場所があると誰かに聞いたらしい。

 珍しいライリからのお願いだから叶えてやりてぇと思うのは自然の流れだった。

 どうも仲良くなった友達も連れて行きたいと話していたから子供を連れた引率者みたいになっちまうが仕方がねぇか。



***********************



「おい、何でお前がライリの友達なんだよ……」


 ライリの友達を家で待っていた俺の前に現れたのは昔パーティを組んでいた事もあるアンナだったからだ。

 今は冒険者ギルドの受付嬢として働いている。


「あら、おかしいかしら?ライリちゃんを放ったらかして中々帰って来ない誰かさんの心配をして、彼女が毎日ギルドに顔を出しているんだもの。仲良くもなるのも当然よ」


 相変わらず痛い所を突きやがるなコイツは……

 俺はコイツには口じゃ敵わねぇ事を、遠い昔に経験済みだ。


「おはようございます、アンナ様!今日は天気にも恵まれた冒険日和ですね」


 冒険だと?あの山に登るのがかよ。

それにアンナ様かよ、フッ、似合わねぇ。


「何よ……ご主人様って呼ばれてニヤけてるアナタに私が笑えるのかしら?」


 確かに笑えんな……だがニヤけてなんかねぇからな。


「ご主人様にアンナ様。夫婦喧嘩はそのくらいにして、そろそろ出発致しましょう!」


「「誰がこんな奴と!」」


 ライリの言葉に見事に息の合うハーモニーを披露する俺とアンナ。

 "ほぉ〜ら、やっぱり"って感じの笑みを浮かべているライリ。

 アンナも黙ってないで何か言いやがれ……

 ……って、おい!何でお前が頬を赤らめてやがるんだよ、こんな子供に揶揄われやがって、調子が狂うだろうが。


 元々軽いピクニック気分でいるライリとは違って俺は思う所もあり、依頼を受けた際に使っている革鎧を身に付けて大剣を背負っている。

 あの時みてぇな事だけは絶対にゴメンだからな。

 良く言う若気の至りってヤツだろうが自分の実力を過信した結果、取り返しのつかねぇ後悔をする事になっちまったんだからな。


「あらあら、自慢の大剣を持って行くの?そんなに気合い入れなくても良いのに……あの近くの山でしょ?」


 アンナの視線が町の近くにある山に向けられている。

 確かにそうなんだが、俺はもう絶対にあんな後悔だけはしたくねぇんだよ。

 

「ライリは用意した驢馬に乗ってくれ。アンナじゃ驢馬には乗れんよな……」


 てっきりライリの友達だと言うから子供を想定して二頭の驢馬を昨日の内に借りておいたんだが……

 女性だが背も高く程良く豊満な身体つきをしているアンナを乗せて山道を行けば驢馬も悲鳴をあげる事だろう。

 ムッとした表情で俺を睨むアンナだが事実なのだから文句は言えないようだ。


「私は歩くわよ。最近は身体も鈍って来てるしちょうどいい機会だわ」


 軽くストレッチをしながらアンナが答える。

 取り敢えず、一頭は庭の木にでも繋いでおくか。


 アンナも昔着ていた懐かしい革鎧を着込んで来たって事は行き先が近場でも一応は用心してるって証拠だろうな。

 受付嬢になってからも革鎧の手入れはしていたって事か?流石に以前愛用していたブロードソードは扱えず小剣を一振り腰に差していた。

 何かあれば腱の切れた右腕では無く左腕で使うつもりか、そうなると俺の知らねぇ間に稽古をしてたって事になる。

 俺がそんな機会を作るつもりは毛頭ねぇけどな。


「私だけ驢馬に乗るなんて……良いのでしょうか?」


 正直言って幼い少女が大人と同じように歩ける筈もねぇからな。


「気にしねぇでいいぜ」

「気にしないでいいわ」


 またしても絶妙なタイミングでセリフが被る俺達を見てライリがクスクスと笑い出す。

 俺とアンナも苦笑いを浮かべていた。


 ポックポックと歩みながら進む驢馬の手綱を握って俺が先頭を歩き、その後ろに驢馬に乗ったライリの横にアンナが並ぶ。

 ライリも見るもの全てが珍しいと言った感じて辺りをキョロキョロと見渡している。

 たまたま擦れ違った農夫から「ご家族でお出掛けですか?」と問われ、「違う」と言いかけた俺の言葉を遮って「はい、そうなんですよ。ちょっと山まで葡萄狩りに」とアンナが答えやがった。

 それを見たライリも何やら楽しそうに笑ってるし、まぁ……今日の所は許しておいてやるか。


 やがて山裾に到着した俺達は少しの休憩を取り、ライリを乗せてぬかるんだ坂道を歩かせるのは危ねぇと思い、驢馬は木に繋いでおく。

 そして山を登り始めてから色々と不自然な事に気付く。

 ぬかるんだ坂道で転ばぬようにと所々に手で掴むための真新しいロープが張られ、急斜面にはご丁寧に木材を使って階段まで作られてやがる。

 こんな物、前には無かったぞ?

 しかも誰だよ……【山葡萄 ←】とか順路を書いた看板を何箇所も立てた奴は?

 

 ライリの事を心配した冒険者ギルドの奴らが俺達よりも先に山へと向かい予め危険な獣とかを排除してた事を俺は後で知る事になるが、それはまた別の話だ。

 更に順調に山道を登って俺達は漸く山葡萄のなっている場所へと辿り着く。

 辺り一面たわわに実った山葡萄を見たライリは籠を手に走り出す。

 よっぽど嬉しかったんだろう。

 俺とアンナはその後ろ姿を見送っていた。


「ねぇ……私も来るって知ってたらライリちゃんのお願いを承知してくれたかしら?」


「さぁな……」


 何でコイツがそんな事を急に言い出したかと不思議に思う。


「私はいつかまたアナタに冒険に誘われると思って装備だって欠かさず手入れして待っていたのよ。右腕が使えなくなっても左腕があるわ。ちゃんと左腕で小剣を扱えるまでになったんだから」


 だからって何が言いたいんだアンナ。

 俺にあの時の事を思い出させないでくれ。


「もう前みたいなドジは踏まないから……今度こそアナタの背中だって、立派に守ってみせるわ」


 俺の背中にコツンと額を当てて呟くアンナ。


「また私を冒険に連れて行ってよ……」


「……気が向いたらな」


 済まねぇな、アンナ。

 今の俺には……そう答えるのが精一杯なんだよ。


「でもね……私はライリちゃんには本当に感謝しているのよ。ギスギスして抜き身の刃みたいだったアナタが最近は以前のような感じに戻って来てる気がするの」


 確かにライリが俺の家にやって来てから色々と変わった事は多いかも知れねぇな。


「それに今日こうしてアナタの横にまた並ぶ事が出来たのは彼女が誘ってくれたお陰よ。本当に可愛らしくて良い子よね、アナタには勿体無いくらいだわ」


 それは言えてるな。

 敢えて答えずに笑って返す。


「ご主人様ぁ!アンナ様!早くいらして下さい。もうこんなに山葡萄が採れましたよ!」


 侍女メイド服を着た小さな少女が籠一杯の山葡萄を高く持ち上げてみせる。


「おいおい、まるで木から葡萄を狩り尽くす勢いだな……」


「さぁ、私達も負けていられないわよ!」


 どうやらアンナも俄然やる気になったらしい。

 俺も少しは楽しんでみるかね。

 山葡萄の入った籠を囲み笑顔を浮かべるライリとアンナを見た俺は今まで知る事の無かった暖かくまるで家族のような幸せを感じるのだった。

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