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  • 前話の「澄む秋や鍾乳洞にみづのこゑ」の続きになります。

    「澄む秋や」とした場合、後に続く「鍾乳洞」も似たイメージがあります。詠嘆の「や」で、空から地へのカット変えの効果はあるのですが、イメージが近いと残像効果は弱くなります。その場合に「や」を「の」に置き換える事があります。「の」は切れの強い助詞になるので、他の助詞と比べると強調される効果があります。

    次に「鍾乳洞」と「水」の関係性ですが、想像しやすく近い存在です。「鍾乳洞に水」としてしまうと、最初から鍾乳洞内にある水のイメージになります。
    「鍾乳洞は水」とすると、これも当たり前の想像出来る話になります。ただ「鍾乳洞」ではなく「澄む秋の頃の鍾乳洞」です。炎天でもなく、冴ゆる夜でもなく、「澄む秋の鍾乳洞」と限定する「は」です。
    普通ではなく特別な力を持った水が、鍾乳石をいつもより大きくしているのかもしれません。また、いつもよりも水が多くしみ出ているのかも。そうなると、固定されている水ではなく、動きがでます。そして下五は「水」ではなく「みづのこゑ」です。水に視覚な動きと、神秘的な聴覚が加わります。

    長い年月をかけて成長する鍾乳石は、目で見ても分からない。しかし澄む秋の水の声がする鍾乳洞では、鍾乳石の成長を感じたような気がする。そんな感じで解釈しました。

    作者からの返信

    返信ありがとうございます。

    三河三可氏の解釈はとても分かり易く腑に落ちました。言葉の距離感をとても大切にしているのですね。
    確かに鍾乳洞と水は想像し易く、とても近いですが、「澄む秋の鍾乳洞」となればその距離が適度に離れる、その為の「の」であると、納得です。
    切れ字の使い方はこれからの参考にさせて貰います。
    「鍾乳石の成長を感じたような気がする」はとても素敵な読みです。
    自分のイメージ構築の甘さを思い知らされました。
    僕は助詞「は」をまだ使いこなせないので、強い言葉にどうしても違和感が拭えないのです。こちらも勉強中です。

  • 助詞で大きく変わる句ですね。個人的には「澄む秋の鍾乳洞はみづのこゑ」が合っていると思います。

    作者からの返信

    上句の助詞「の」で空と地の空間を繋げるが良いですね。一語で舞台が集約し、結句への期待が高まります。
    この句は切れ字で場面転換することに固執し過ぎたかもしれません。
    新しい視点が流石です。
    三河三可氏は俳句を高度理解されている方なので、敢えて指摘しますが中七の助詞「は」は活きているでしょうか。
    ここでの「は」は澄む秋と鍾乳洞の両方を指しますが、結句の「みづのこゑ」の抽象的な比喩を断定することで余韻を引き出しています。ですが、「みづ」は鍾乳洞と親和性がありますが、澄む秋(晴れ)とは違和感が生じます。
    この点を撰者は見逃してくれないでしょう。
    僕自身が助詞「は」を使いこなせず、センシティブなっているせいかもしれません。
    この様なやり取りは大歓迎です。続けて三河三可氏の見解を頂ければ幸いです。

  • 高野ムツオ先生は、兼題が季語ならば「季語または傍題」の入った句。季語ではない兼題の「自転車」の時には、特選句は基本的に「自転車」の文字が入った句を選ぶ。ペダルなどの自転車を想像させる句は、自由題扱いで評価は下がると解説されていました。

    作者からの返信

    兼題の「自転車」は昨年の五月に放送していたとネットで調べました。
    恥ずかしいながら、その頃はNHK俳句を観ていなかったのです。まだ、慢心している真っ最中で、今よりも投稿俳句が分かっていなかったのです。
    季語と向き合うことの本当の意味に気づくのはもっと後になってからです。
    昔の自分が恥ずかしい。

  • 時を隔てても変わらぬ友。
    そうした感覚はもう幻となってしまったのですね。
    無精であったからこその、悔恨も滲むような句に読めたのですが……ちょっとショックな評価ですね。
    コメントしてよかったのでしょうか……お邪魔しました。

    作者からの返信

    コメントをとても嬉しく思います。
    遠慮なくコメントしてくれると励みになります。

    >時を隔てても変わらぬ友

    当にそんな気持ちだったのですが、無精にも程度があるのでしょう。
    近くに住んでいる時なら気軽に会えたのですがね……時間を置きすぎると変な遠慮が出てきます。
    こんな無精者を反面教師にしてくださいね。

  • 彼女の白く細い手から透けて見える静脈に思わず見とれてしまう。そんな男性の慕情を感じさせる良い句だなと思いました。

    作者からの返信

    結構、辛口の考察だったのですが、気に入ってくれて何よりです。
    見せたい映像は仰る通りで、慕情はぴったりの言葉ですね。
    では、この句の主役は何でしょう。
    それも慕情になると思います。
    季語の蛍は背景になっています。
    俳句、特に有季俳句は季語が主役でなければ評価されません。
    季語があってのドラマであり、季語があっての抒情なのです。これが俳句と短歌の一番の違いだなと、一年経ってようやく気付くことが出来ました。