#37 現実を超える現実の中で

 視界が白く、ゆっくりと開けていく。

 見慣れたようで、どこか現実より鮮やかな河川敷。草の緑が風に揺れ、遠くの橋脚が淡く滲む。

 流れる川の音さえも、鼓膜ではなく身体の奥で響くように感じられた。


 ——GSE【Guns Survive Everyday】

 巧翔とちゆきの、初めてのフルダイブ訓練が始まった。


「わぁ……すごい。空の色まで本物みたいです」

 

 ちゆきが歓声を上げる。

 彼女のアバターは、先ほど事務所で作ったばかり。

 

 本格的にトルトラへの参戦が決まった際には、ちゆきにはアングラTVで、アバター作成のための採寸が行われることになるのだと、唐沢桐生からの通達も届いている。

 

 参加用アバターができたら次に、参加者は体力測定も行われるのだという。視力や聴力といったものから、筋力、柔軟性。そして瞬発力から持久力まで、ありとあらゆる測定を行い、それをデータとして反映させるのだとか。

 

 みな十代から二十代前半といった若い子たちなので、体力測定は四半期毎のトルトラが行われた直後に行うことになっているらしい。

 なので巧翔の元には唐沢桐生から、一刻も早い参加表明を促す通知が毎日のように届いていたのだった。

 

 今は、GSEというゲームの世界と、フルダイブに慣れるため。というのもあるので、そこまで詳細なデータである必要はない。

 

 傍で世界の全てを目に焼き付けているちゆきは、現実の彼女とほとんど変わらない姿で、陽光を受けて髪がきらめいていた。


「慣れるまでは、身体を動かすのは大変かもしれないから、慎重に行動するんだぞ?」


 言った巧翔は、少しぎこちなく足を踏み出す。

 ——違和感が強い。

 すぐに躓いて、転倒するのをどうにか堪える。

 身長を170cmに設定しているせいか、体感の重心が低く、歩幅を合わせるたびに脳が微妙なズレを感知する。

 

 例えるなら、そこに何もないのに、一歩踏み出すと踏み台に足を乗せたような感覚があった。

 

「……くそ、足の感覚がズレる。頭では分かってるのに」

「社長、大丈夫スか? 身体スキャンなしで合わせたぶん、少し慣れが必要っスね」

 

 モニター越しに声をかけるのは、事務所の地下で見守る武琉だ。

 彼はGSE本体とPC、そして大型モニターを同期させ、二人の行動をリアルタイムで確認している。


「まあ、すぐ慣れてみせるさ。俺はこのサイズでずっと戦っていかなきゃならないからな」

 

 巧翔は強がって軽く笑ってみせるも、内心「厄介だな」と感じていた。


「武琉くん、この後は?」

「ちょっと待ってくださいス。えっと…… 河川敷を南にしばらく行くと、倉庫街が見えてくるんで、そこに射撃場があるスね」

 

 武琉の指示に従い、南を目指す。堤防に上がると、住宅街が広がっていた。

 

「四百メートルほど行くと、見つかるスね」

「ありがとう。じゃあ、身体を慣らすのも含めて、散歩と行こうか、ちゆき」

 

 振り返ったちゆきが大きくうなづいた。

 

「うん! お散歩」

 

 違和感のない様子のちゆきは、初めてのゲームをなのか、それとも街並みをなのかわからないが、大はしゃぎで堪能している。

 そんなちゆきと、河川敷を並んで歩く。

 風が頬を撫で、光が水面を走る。


 向こうから、小さな犬を連れた老人が歩いてくる。NPCだった。

 今は訓練モードなので、敵対NPCの集団がいないため街中には一般市民NPCがたくさん配置されているはずだ。

 

 犬がちゆきの足もとに駆け寄り、尻尾を振った。


「わぁ、ワンちゃんだ! かわいい!」

 

 ちゆきがしゃがみ込み、犬の頭を撫でる。

 毛並みの温かさに目を丸くする。


「触れる…… 本当に、触れるんですね。本物みたいです」

「すごいな。……ここまで再現されてるとはな」

 

 巧翔が感心半分で呟く。

 犬が老人の元へ戻ると、まるで現実のように小さく吠え、堤防を歩いていった。


「GSEの表現力はやばいスね」

「同感だ。今のも完全に人だったし、シベリアンハスキーだった」


 あまりのリアルさに、巧翔は、果たしてちゆきがこのゲーム世界の表現に慣れることができるのか? という不安が浮かんでいた。

 

 ゲームとはいえ、銃器を使って人を撃つのだ。さすがにド派手に血が吹き出したりする描写はないし、身体に欠損が生じたりという表現もない。

 

 とはいえ、人(の姿をした者)を果たして撃てるのか。

 痛覚に関しても、至近距離でカラーボールを子供にぶつけられたくらい。とされているが、撃たれた。という恐怖を克服できるのか。

 

 そんなことを考えていると、武琉がさらにGSEの凄さを提示する。

 

「毎日何かしらのパッチが入っているとも言われてますね。パッチが入るたびに現実との境目が曖昧になってる。“よりリアルな世界構築のためのアップデート”ってやつっスよ」

 

「毎日そんな勢いで変わるのか?」

 

「ええ、水の流れ、風の乱流パターン、季節演算まで全部AI調整っス。

 ちなみに—— つい一週間前に実装された“ゲリラ豪雨パッチ”は、やばいって評判スよ。

 短時間で住宅街がくるぶしまで冠水したらしいス。NPCが家の前で傘さして立ち往生してたとか」

 

「……運営、何を目指してるんだ」

「“現実を超える現実”って言ってるスね」


 ちゆきは、風に揺れる草を見つめながら呟いた。

 

「……夢の中の世界みたい。でも、ちゃんと現実みたいに生きてる……」

「だからこそ、気を抜けない。現実みたいに“事故る”こともあるんだろうな」

 

 しばしの散歩を楽しんだ二人。

 住宅街の外れに、鉄扉の閉まった古びた倉庫が見えた。

  

「目的地、到着スね。そこが射撃訓練場っス」


 扉を開けると、金属と油の匂いが漂う。

 並んだターゲットと装備ラック、淡いライトに照らされた床。

 射撃訓練場と呼ぶにふさわしい光景だった。

 

「よう、いらっしゃい」

 

 たっぷりの髭を蓄えた小太りの男が、ずらりと銃器の並んだラックを前に、カウンターに立っていた。洋画で良く見かけるタイプの親父だ。

 

 巧翔は内心、日本人じゃないのかよ。と思ったが、雰囲気的には、それが正解だな。とも思うのだった。

 


「ここが、トルトラで戦う人たちの基本ステージ? なんですね」

「いや、ここはただの訓練場だからな。トルトラの舞台は、さっき見た住宅街みたいなところだよ。そのフィールドが三つほどランダムで組み合わされる」

 

 ちゆきは言葉を無くして驚いている。

 もっと込み入ったフィールドで戦う、水鉄砲バトルゲーム。みたいなものを想像していたのかな? と思った。

 

「確か、一つのフィールドは、ディズニーランドと同等の広さがあると聞いた。それが、地形や天候も全部変化するとなると、かなり奥の深い戦闘になるな」

「そうスね。ちゆきちゃんのために、一度ルールを説明しましょうか?」

「頼む」

 

 武琉がPCを操作すると、訓練場にある巨大モニターに映し出された。

 それを使って、ちゆきに説明する。


「トルトラには三つの基本ルールがある。

 一つ目は“殲滅戦”—— 全滅したら負け。

 二つ目は“リーダーダウン戦”。リーダーを倒された時点で即敗北。

 そして三つ目が“占領戦”。特定の地点を一定時間、チームで維持できれば勝ちだ」


 ちゆきは真剣な顔でモニターを見つめる。

 

「リーダーダウン戦…… 守るのが苦手な人だと、厳しそうですね」

「そうだな。逆に、守りを支えるタイプはチームで一番重宝される」


「わたしは、どれをやることになるんですか?」

「今の段階じゃ、まだ分からないな。それはちゆきの動きを見てから決めようと思ってる」


 巧翔はラックの前に立ち、並ぶ銃器を示した。

 アサルトライフル、サブマシンガン、スナイパーライフル、ショットガン——

 それぞれが細かな質感まで再現されている。


「銃器の重さは、実際より軽く設定されてる。

 反動も最初は軽減モードだから、扱いは難しくない。何を選んでも大丈夫だろう」


 そう言ってから、巧翔はちゆきに視線を向けた。

 

「ちゆき、ちゆきの得意なことってなんだ?」


 ちゆきは少し考えてから、得意気に言う。

 

「……かくれんぼです」

「かくれんぼ?」

「はい。見つかったこと、ほとんどないです。どこに隠れたら見えないか、すぐ分かるんです」


 巧翔は思わず笑ってしまった。

 

「かくれんぼか。最後にやったのいつだったかなぁ。いいね。いい特技だよ」

 

 小柄なちゆき…… かくれんぼが得意……

 奇襲型か、スナイパーか。

 

 巧翔が親父に何かを言うと、親父は銃架の中から、細身のライフルを二丁取り出した。

 それを受け取ると、巧翔は。

 

「これから二つ、試してみよう。隠密と狙撃。どちらが“しっくりくる”か、自分で感じてみて」


 親父はちゆきの手元を見て、目を細めた。

 ごつい手でタオルを肩にかけながら、ぽつりと呟く。


「嬢ちゃん、銃は歌より正直だ。嘘をつくと、ちゃんと外れる」


 ちゆきが一瞬きょとんとする。

 その意味を理解しきれずにいる彼女に、親父は軽く笑いを返した。


「怖がらんでええ。撃ったら、分かる」


 ちゆきはこくりとうなずき、ライフルを両手で受け取ると、それをまじまじと見つめた。

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