#12 アングラ世界へようこそ

 チーズケーキを乗せた皿を手に、ちゆきが戻ってきた。応接用のテーブルとソファは男三人で埋まっている。それを見るなり、ちゆきは迷いなく、いわゆる“組長席”(と、勝手に名付けた)に腰を下ろした。


 お行儀よくチーズケーキを頬張るその姿を見て、どうしても信じがたかった。こんな小さな子が、たとえゲームとはいえ、銃を手に立ち回れるなど——。


 だからこそ、自分に白羽の矢が立ったのだろう。ゲームの経験もあり、サバゲーに明け暮れた日々もあった自分に。


「どうだい? 引き受けちゃもらえないか?」


 そう尋ねられ、紀壱郎へ視線を戻す。すでに腹は決まっていた。だからこそ、大きくうなずいて返した。


「ええ。どこまでできるかはわかりませんが、やらせていただきます」


「そうかそうか、引き受けてくれるか! ありがとうよ、タクト」


 それは、テレビでも見たことがないほどの、大岩根豪一のとびきりの笑顔だった。きっと、ひ孫が絡んだことでこぼれた、おじいちゃんとしての素の笑顔なのだろう。


「それじゃあ……」


 そう言って席を立つと、紀壱郎は組長デスクに据え付けられた固定電話の受話器を取り、ピッとワンタッチでどこかにかけ始めた。


 なんとなく、それを眺めていると——。


「ああ、俺だ。忙しいとこ悪いな。了解を得られたんでな、これからそっちに向かわせる。よろしく頼む」


「え?」


 それは明らかに、自分のことを指している。何があるかはわからないが、どうやらこれから、確実にどこかへ向かわなければならないらしい。


 今この瞬間に、さらに誰かと会うことになるとは。いくらなんでも展開が早すぎる。


 受話器を置いた紀壱郎が、こちらに顔を向ける。口元には、ニヤリと悪戯めいた笑み。


「あの……今の話は」


「そうだ。これから、巧翔に会ってもらいたい人物がいるんだわ」


 そう言って、組長デスクの引き出しから何かを取り出し、手渡してくる。


 受け取ってみると、2枚の名刺がホチキスで留められたものだった。表面には紀壱郎の名前。そして裏返すと、2枚目の裏に手書きの地図。


「その場所に行ってくれ。とても重要な案件だからよ、くれぐれも粗相のないようにな」


「おう、そうだぞタクト。お前さんは、これからこの千堂事務所の“かしら”って立場になるんだからよ!」


 完全に面白がっている。これは、豪一の悪ノリに違いない。


「いや、言い方!」


 巧翔は、書店に停めておいた自転車にまたがり、地図に示された場所へと向かうことにした。


 目的地は、宇都宮駅を越えて田川を渡った先。交差点沿いの大通り近くだ。自転車なら10分もあれば着くだろう。


 颯爽とペダルをこぎながら、駅南の地下連絡通路を抜けて西口へ。そのまま駅前通りに出て橋を渡ると、すぐ目と鼻の先だった。


 指定された場所に着くと、中規模のテナントビルが見えた。


 入り口のプレートを見て、ここが何の施設なのかがようやく理解できた。


【UGTV - Underground TV -】


「……ここ、テレビ局? 地元局って、ひとつしかないと思ってたけど」


 自転車を停め、改めてビルを見上げる。


「しかし……Underground TVって、大丈夫なのか?」


 ぽろりとこぼれた本音に、思わず自分で口をふさぐ。あれほど“粗相のないように”と念を押されたばかりなのに、いきなりエントランスでこれでは示しがつかない。

 幸い周りに人はおらず、ことなきを得る。


「……まあいい。とりあえず、ここでの要件を済ませるのが先決だな」

 

 これまでの人生で、テレビ局という場所に足を運ぶ機会などなかった。

 だからだろう、ビルに足を踏み入れた瞬間、わずかな緊張が全身を走った。


 ロビーにはいくつかのポスターや立て看板が並んでいる。

 番組の宣伝用だろうが、思ったほどの賑わいも、華やかさもない。


 まあ、それも当然か。

 バラエティ番組で見た在京キー局と比べてしまっていたが、ここは地方局。比べるのが酷というものだ。


 パーテーションのそばには、警備員が一人だけ。

 その脇を通り抜けて、受付に向かう。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でございますか?」


 受付嬢は二人。揃って笑顔で応対してくれた。

 だが、こちらはというと——呼び出された側で、何の事情も聞かされていない。


(ご用件と言われましても……)


 一瞬、言葉に詰まるが、すぐに懐から名刺を取り出す。


「千堂事務所の関係者です。こちらへ伺うようにと、言いつかって参りました」


 受付嬢が名刺を受け取り、内線を取って何やら確認を始める。


 ふと入口のほうに目を向ける。

 人の出入りは思ったより少ない。

 テレビ局というものはもっとバタバタしてるものかと勝手に想像していたが、見渡す限り誰の姿もない。


(地元の芸人くらい見られるかもって思ってたけど……拍子抜けだな)


「すみません、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


「あっ、失礼しました。貴志巧翔と申します」


 不意に問われて焦る。名乗り忘れとは、社会人としていかがなものか。

 内心、苦笑する。少し浮かれていたのは否定できない。


「……はい、ではそのように」


 電話を切った受付嬢が、微笑を崩さぬまま言った。


「貴志様、そちらのエレベーターで4階までお上がりください。左手奥の部屋に、社長の唐沢がおりますので」


「……はい? 社長?」


「はい、社長です」


(——待て待て待て)


 てっきり、敏腕プロデューサーか制作の誰かだろうと思っていた。

 まさかいきなり社長が出てくるとは、あまりに予想外が過ぎる。


 (こちとら業界に足を踏み入れて、まだ数十分の人間だぞ。そんな奴が会って良いような相手ではないだろ)


 盛大にツッコミたくなるが、受付で騒げば警備員が飛んでくるのは目に見えている。

 我慢して、言われるがままエレベーターへ向かった。


 4階に着く。案内プレートには控え室と、メイク・衣装室の文字がある。

 もしかすると、今度こそ誰かタレントに…… などという心の余裕は、すでにどこかに吹っ飛んで行ってしまっていた。

 案内の通り、左手奥へ進むと「社長室」のプレートが掲げられた扉がある。

 前に立ち、ひとつ大きく深呼吸をする。


(紀壱郎の紹介ってことは、きっと年配の人物だろうな……)


 地方とはいえ、放送局の社長となれば、芸能事務所のそれとは重みが違う。

 バリバリ仕事をこなす、威厳と風格に満ちた人物に違いない——

 できれば、紀壱郎や豪一のような“異次元の威圧感”ではないことを願いたい。


 巧翔は意を決して、社長室の扉をノックした。


「はい」


 扉が開く。姿を現したのは、二十代後半くらいだろうか、きっちりとした身なりの女性だった。


「貴志巧翔と申します」


「伺っております。どうぞ、こちらへ」


 促されて中へ入ると、室内は応接室の造りだった。

 奥にもう一枚扉があり、そちらが本来の社長室なのだろう。


「こちらに掛けてお待ちください」


 ソファに腰を下ろすと、彼女——おそらく秘書だろう——が社長室の扉の前に立ち、


「貴志様がお見えになられました」


 とだけ告げた。


 社長の返事は聞こえてこなかったが、きっとすぐ現れるのだろう。


 徐々に高まる緊張の中、巧翔は背筋を正したまま、ただ静かにその瞬間を待っていた。

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