第20話:絶望の中の小さな希望

 古代兵器の鉄槌が、空気を切り裂きながらエリーゼへと迫る。

 死を覚悟し、彼女が固く目を閉じた、その刹那。


「――希望は、ここにある」


 凛とした声が、絶望に満ちた戦場に響き渡った。

 エリーゼがはっと目を開けると、自分の目の前に、アッシュの背中があった。彼は、振り下ろされる鉄槌を、その身一つで受け止めるかのように立ちはだかっている。

 その手に握られているのは、焼きあがったばかりの一つの丸いパン。

 黄金色に輝き、温かい湯気と共に、不思議な光の粒子を放っている。そのパンから放たれる聖なる気配は、戦場の血と硝煙の匂いを、わずかに和らげているかのようだった。


「パン…だと…? 狂ったか、貴様!」

 高台から見ていたヴァルケンハイン将軍が、嘲りの声を上げた。

 鉄槌は、無慈悲に二人へと振り下ろされる。

 だが、アッシュは動じない。彼は、持っていた「希望のパン」を、自らの胸に強く押し当てた。

 その瞬間、パンから眩い光が溢れ出し、アッシュの全身を包み込んだ。

 光は、アッシュの魔力と共鳴し、彼の身体能力を極限まで引き上げる。

 彼は地を蹴った。

 その速度は、もはや人間の目では追えない。

 鉄槌が地面を砕くよりも早く、彼はエリーゼの体を抱きかかえ、その場から離脱していた。


 ズウウウウンッ!!


 凄まじい轟音と共に、先程まで二人がいた場所が、巨大なクレーターへと変わる。

「なっ…!?」

 将軍も、副官レオンハルトも、その信じがたい光景に目を見開いた。

 アッシュは、瓦礫の山の上に音もなく着地すると、抱きかかえていたエリーゼをそっと下ろした。

「すまない、遅くなった」

「アッシュさん…」

 エリーゼは、意識朦朧としながらも、彼の顔を見上げた。彼の身体を包む光は、温かく、そして優しかった。

「そのパンは…?」

「俺たちの、最後の希望だ」

 アッシュはそう言うと、パンを半分にちぎり、片方をエリーゼの口元へと運んだ。

「食べろ。少しは、魔力が回復するはずだ」

 エリーゼは、こくりと頷き、そのパンを口に含んだ。

 芳醇な小麦の香りと、優しい甘み。そして、今まで感じたことのない、清らかで強大な力が、彼女の身体を満たしていく。枯渇していた魔力が、泉のように湧き上がってくるのを感じた。


「無駄なことを…! 第二射、まだか!」

 将軍が苛立たしげに叫ぶ。

 古代兵器の胸部の水晶が、再び最大出力の光を放ち始めた。

 アッシュは、残りの半分のパンを力強く握りしめる。

「さあ、ここからが本番だ」

 彼の金色の瞳が、真っ直ぐに古代兵器を捉える。

 エリーゼも、アッシュの隣に立った。その瞳には、もはや絶望の色はない。アッシュから分け与えられた希望を胸に、彼女もまた、戦う覚悟を決めていた。

 

 将軍は、そんな二人を見て、忌々しげに吐き捨てた。

「愚かな者どもめ。パン一つで、この現実が変わるとでも思っているのか」

「変えてみせるさ」

 アッシュは静かに答えた。

「パンは、腹を満たすだけじゃない。時には、人の心を満たし、そして、奇跡を起こすこともある」

 彼は、かつて自分を救ってくれた、あの素朴なパンの香りを思い出していた。

 今度は、自分が奇跡を起こす番だ。

 

 古代兵器の魔力砲が、再び火を噴こうとしている。

 絶望的な光景。

 だが、その中で、パンの温かい香りを胸に、二人は静かに、しかし、力強く立っていた。

 それは、巨大な闇に立ち向かう、あまりにも小さな希望の光。

 しかし、その光は、何よりも強く、そして、気高く輝いていた。


「まだだ…」

 アッシュは、エリーゼの手を握った。

「まだ、俺たちの戦いは終わらせない」

 その言葉は、エリーゼに、そして、彼自身に言い聞かせる誓いだった。

 反撃の狼煙は、今、上がろうとしていた。

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