第6話 花嫁、火を吹く
「……何もないじゃないの……」
台所に立ったさくらは、棚を開けてはため息を吐き、戸を閉めては首をかしげる。
壺の中からは干からびた芋がひとつ、ころりと転がり落ちてきた。
せっかく気合を入れたのに、食材がなければどうにもならない。
粉になりかけた穀物袋をそっとつついてみると、米粒大の白い虫がもぞもぞと這い出した。
さくらと生駒は同時に小さく悲鳴をあげ、思わず顔を見合わせる。
「これでどうやって人間が生きろっていうのよ……!」
「まさか食生活にここまでの違いがあるとは、微塵も思っておりませんでした…」
半泣きになりながらも、台所の戸口に腰かけていると、ひょこっと木の精が顔を出した。花を咲かせた、あの精霊だ。
「ハナヨメ」
「…あ、萩の子ね。花嫁じゃなくて、さくら、って呼んでね」
「サクラ…?」
「そうそう、上手!そしてこっちが生駒ね」
「よろしくお願いします」
「…イ、ゴマ」
「いこま です」
「イコメ!」
「いこま、です……」
「…?」
きょとんとする萩の精に、さくらは苦笑した。
「生駒の名前は難しいのかもね」
「まあ、なんと呼ばれても構いませんが……」
「あなたは…そうね、オハギちゃんにしよう!」
「オハギチャン…?」
「そう!たくさんいて呼びづらいでしょ!
あなたは萩の花が咲いてるから萩ちゃん!
でも『お』がついてる方が可愛いでしょ、だからオハギちゃん!」
「…オハギチャン!」
くるくると小さく跳ねながら、オハギちゃんが嬉しそうに花びらを散らした。
「あはは、喜んでくれた?」
「オハギチャン、ゴハン、ツクッタ」
「え…あー、あのご飯、オハギちゃんが作ってくれたのかぁ」
さくらと生駒は顔を見合わせ、気まずさに小さく笑ってごまかした。
「えーっと、そうね……せっかくなら、私たちも皆に美味しいものを食べてほしいの!」
「え、ええ……あれは、その……どうぞ皆さんで召し上がってください」
「だからオハギちゃんたちも手伝って!一緒に美味しいもの作ろうね!」
オハギちゃんは一瞬きょとんとしたまま、その場で小さく首をかしげた。
けれどすぐに、花びらをひとつ散らして、ぱあっと顔を明るくする。
「オハギチャン、ツクル!ミンナ、ヨブ!」
再びくるりと弾むような足取りで、戸口に向かってぴょんと飛んでいく。
「オハギチャン、ミンナ、ヨブーー!」
廊下の奥に響く無邪気な声に、さくらと生駒は思わず顔を見合わせて小さく笑った。
*
ぱたぱたと廊下を駆けていったオハギちゃんが、ほどなくして仲間たちを引き連れて戻ってきた。
小さな足音が弾むように近づいてくる。
「ハナヨメ!」
「ゴハン!」
扉の向こうから現れたのは、頭や肩に葉をまとった小さな木の精たち。
さくらの前で並ぶと、オハギちゃんを先頭に、きちんと一列に整列してみせた。
皆、どんぐりのような瞳を丸くして、さくらをじっと見上げている。
「わ……整列してる……可愛い……」
さくらは思わず声を漏らしたが、横で生駒が小さく肩をすくめる。
「……可愛いですが、これで本当に料理ができるのか……」
「やるの!できるの!……多分!」
木の精たちは、まだ集められた意味もわからないまま、落ち着きなく辺りを見回している。
「さぁて、さくら精霊部隊の皆さん!」
さくらは腰に手を当てると、こほん、とひとつ咳払いをした。
まるで自分が隊の教官にでもなったつもりで、前に並んだ木の精たちをぐるりと見渡す。
「これからこの屋敷の食を、人間がちゃんと生きられるものに変えます!いいですね!」
ぱちぱち、と小さな拍手が返ってくる。
意味がわかっているのかは怪しいが、やる気だけはあるらしい。
「よし!まずは外に行って食材を集めます!
虫とかじゃなくて!できれば野菜とか!
わかる人ー!」
「オハギチャン!」
オハギちゃんが勢いよく両手を上げた。
後ろの精霊たちもつられて次々に手を挙げる。
「よろしーい!では、解散!!」
ぱちぱちと拍手の余韻もそこそこに、木の精たちは「オハギチャン!」の掛け声とともにわらわらと散っていった。
「……ほんとに大丈夫でしょうか……」
「だいじょーぶ!多分!」
*
しばらくして──
「ハナヨメ!」
「サクラ!」
ぱたぱたと戻ってきた精霊たちの手には、思い思いの“戦利品”が抱えられていた。
「えーっと……これは……?」
さくらの前に差し出されたのは、苔の塊、よくわからない赤い実、どんぐり、蔦でぐるぐる巻かれた枯れ枝……。
「野菜は……どこ……?」
「オハギチャン、コレ、オイシイ」
オハギちゃんは満面の笑みで、苔をさくらに押しつける。
「こ、苔は……うん、ありがとね……でもこれじゃお腹は……」
「ハナヨメ、コレ!」
別の木の精が誇らしげに地面に何かを置くと、それはモゾモゾと動いた。
丸々と太った大きな虫だった。
「ぎゃああああ!虫はダメって言ったでしょ!!」
さくらが飛び退く横で、生駒が静かに頭を抱える。
「……これでどうやって料理を……」
「仕方ない……私達も行くしかなさそうね!!」
屋敷の裏の森の中で、さくらは叫び続けていた。
木の精たちは嬉しそうに木の実をぽりぽりとかじり、虫を追いかけてはキャッキャと笑い、時には茎だけの草をむしっては『コレ?』と首をかしげながら差し出した。
そのたびにさくらは走り回り、木の枝に髪を引っ掛け、足元の蔦に躓いて転びそうになる。
「何とかなる…はず、なる…!」
必死に山菜を探し、果実を摘み、ようやく袋いっぱいの収穫を抱えて屋敷へ戻った頃には、さくらの髪には小枝が絡まり、袖は土にまみれていた。くしゃくしゃになった袖を払いながら、さくらは小さく息を吐いた。
疲れたはずなのに、胸の奥がほんの少しあたたかかった。
*
「ふふん……これだけあれば、立派なご飯が作れるんだから!」
袋いっぱいの山菜や果実を台所の床に広げると、さくらは満足げに鼻を鳴らした。
木の精たちはその後ろで、まるで自分たちの手柄のように胸を張っている。
「さて、と……問題はこれよね」
振り返った先にあるのは、煤で黒ずんだ土竃と、そこに据えられた大きめの土鍋がひとつ。火床は崩れかけで、薪は少し湿気ている。 棚には埃をかぶった小鍋がいくつか、錆びた包丁が斜めに突っ込まれていた。
さくらは膝をつき、竃の土をそっと撫でた。 手に黒い粉がついて、指先がざらりと鳴った。
「……うちの村じゃ、竈は石でちゃんと囲ってあったのに」
小さく呟いて、天井を仰ぐ。
湿った煤とカビの匂いが、遠い時間の気配を運んできた。
村では、石を積んだ竈も囲炉裏もあって、火起こしに苦労などなかった。
薪は乾き、竹筒から水が絶えず流れ、弟と火吹き竹を奪い合った日のことが脳裏をかすめる。
ここでは、火をつけるだけでさえ骨が折れそうだ。
「……仕方ない。とりあえずやってみるしかないよね」
さくらは頭に布を巻き、湿った薪を抱えてかまどに突っ込んだ。
慣れない手つきで火打石を打つ。火花が散っては消え、煙ばかりがくすぶった。
「……ちょっと!全然燃えないんだけど……!」
「お嬢様、焦らずに。火は急いで起こすものではありませんよ」
木の精たちが不安げに見つめる中、さくらは泣きそうな思いで薪に息を吹きかけた。
ようやく火がつくと、喜んだのも束の間だった。
「やった!!」
「流石です、お嬢様!」
「よ〜し……ちょっと強めにしちゃえ……!」
「あっ、お嬢様!」
火がついたのが嬉しくて、さくらは薪をどんどん突っ込んでいった。
湿気ていた割にはバチバチと火の粉がはぜ、大釜の底でくすぶっていた煤が一気に燃え上がる。
「え、ちょっと……待って待って……!」
大きな火が上がり、木の精たちが一斉に「ハナヨメ!」と叫んで散った。
煤混じりの煙がみるみる天井に這い上がり、古い梁の隙間に引っかかって逃げ場を失ったまま、台所中にどんよりと滞留する。
「あつっ……!」
「大丈夫ですか!?」
「げほっ……!火ってどうやって弱めるの……!?」
咳き込むさくらの後ろで、生駒がすかさず障子戸を勢いよく開け放った。
煙に巻かれた木の精たちは慌てたり、逆に飛び跳ねて拍手したりと大騒ぎ。
「拍手してる場合じゃないでしょー!!」
「危ないです、お嬢様!」
「だれかー!だれか消してぇぇぇ!」
熱気の中で、ふっと背筋を撫でるように冷たい声が通り抜けた。煙の向こうに、黒い影が立っている。
「……何をやっている」
声と同時に、影がすっとさくらの前に歩み寄る。
煙をまといながらも、その歩みだけが不思議と空気を裂いて澄んでいくようだった。
「危ない!こっち来ないで!水持ってきて!火、煙が……!」
さくらが手を振って制止するよりも早く、妖はすっと指をかざす。
次の瞬間、燃え盛っていた火が吸い込まれるようにぱたりと鎮まり、煤と煙が渦を巻いて小さく縮んでいった。
木の精たちが「オオ……」と声を漏らし、ぱちぱちと小さな手で拍手をはじめた。
「す、すごい」
「……騒ぐなと言ったはずだが」
「…ごめんなさい」
さくらは息を整えながら、煤まみれの顔で妖の背に声をかけた。
「……あの! ちょっと待って!」
くるりと踵を返そうとした黒い影に、思わず手を伸ばす。
「とりあえず、ねえ、後で一緒にご飯──」
言い終わる前に、煙の奥でふっと気配がほどけた。 そこにいたはずの妖は、もうどこにもいない。
「……いないし……」
*
どうにか煮物と山菜の和え物を粗末な盆に載せた頃には、すっかり日は傾いていた。
それでも、さくらは誇らしげに胸を張った。
「お嬢様、だいぶ頑張りましたね」
「うん……でも、まだまだだね。火もままならなかったし、みんなもまだ慣れてないし」
「それでも、ここまで作れたのはすごいことですよ!」
さくらは顔を上げて、にこっと微笑んだ。
「ありがとう、生駒。生駒が居なきゃ無理だったよ」
その時、ふと思い出したようにさくらが手を止めて言う。
「……あっ、お礼、言い忘れてた!」
「お礼、ですか?」
「そ。ねえオハギちゃん、妖のところまで案内してくれる?」
「オハギチャン、ワカッタ」
にっこりと手を差し出すオハギちゃんの小さな手をぎゅっと握りしめ、その可愛らしい感触に少しだけ心が和んだ。
廊下の薄暗い壁に沿って、さくらたちはゆっくりと歩を進めた。
部屋の前でさくらがそっと息を呑み、障子戸の前で小声で呟く。
「あの…入ってもいい、ですか?」
答えはなく、ただ沈黙が返ってきた。
ためらいながらも、さくらはそっと障子戸を引く。振り向いた妖の冷たい視線は、精霊と手を繋ぐさくらを訝しげに見つめていた。
「何をしに来た」
その声にさくらは少し躊躇いながらも、盆を差し出して言った。
「その…さっきはありがとう。ご飯、作ったから食べてみて。まあ、自分で言うのもなんだけど…」
「……いらん」
「結構美味しくできたから…ってええ!?」
その言葉だけで背を向き、さくらの差し出す盆を一瞥もしない。
さくらは思わずぽかんとその背中を見つめた。
「……いらないって、何よ!」
「そうです!お嬢様がせっかくお作りになったというのに無礼な!」
「頼んでないな」
「そりゃ、そうだけど……せっかくなら一緒に食べたいなと思って」
「必要ない」
短く冷たい声が、全てを断ち切った。
「……必要、ない……?せっかく、作ったのに…?」
すっと目を細めたかと思うと、さくらは盆をどん、と床に置いた。精霊たちが驚いて飛び上がる。
「……わかりました!じゃあもういいです!私、里に帰らせてもらいます!!」
「…えっ!お、お嬢様!?」
さくらはぷいっと妖に背を向けると、そのまま勢いよく駆けだした。
廊下をばたばたと走り抜け、必死に追いかける生駒の足音が後ろから迫る。
「お嬢様!どちらへ……っ、ま、待ってください!」
「帰るのっ!お家に帰るの!!」
生駒とさくらは息を切らしながら、この地へやってきた時に通った門の前まで走りついた。さくらは大きく息を吸って門をぐい、と押す。 だが門はびくともしない。もう一度、肩で押しても、蹴っても、軋む音ひとつ立てない。
「……開きなさいよっ!」
「……お嬢様、封印の結界が……」
「そんなの知ってるっ!!
……ああもうっ、誰があんな奴のご飯なんて作るもんですか!……作るもんですかー!!」
さくらは諦めきれずにもう一度門に体当たりしたが、硬い木の扉は冷たく無情に跳ね返すだけだった。
どん、と鈍い音だけが森に響く。
背を向けてぷるぷる肩を震わせていたさくらが、勢いよく振り返った。
「……いいわよ!そこまで言うなら!
食べないって言うなら、食べたくなるまで作ってやるんだから!!」
「え、は、はいっ…!」
固く拳を握りしめたさくらの背後で、オハギちゃんがぱちぱちと拍手し、「サクラ!ツクル!」と元気よく跳ね回っていた。
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