第2話 百年の花嫁契約

 一体全体、どうしてこんなことになってしまったのか――

 白無垢をまとい、紅を引いた自分の姿が、まるで見知らぬ他人のようだった。頭も心も追いつかないまま、さくらはただ呆然と巨大な門の前で立ち尽くす。

 ほんの前日までは、確かに日常の中にいたはずだったのに。





「明日、お前は“あの屋敷”に渡る。百年に一度の…“花嫁”として」


「花嫁…、百年に一度の…? それ、どういうこと…?」


 
咄嗟に返した声はうわずっていた。
聞き慣れたはずの言葉が、繋がった途端に意味を失う。何度頭の中で繰り返しても、理解が追いつかなかった。

 父はいつになく真剣な表情で、低く呟く。

 


「村にはな、百年毎に一度、“妖”に花嫁を差し出す契約がある。……村に伝わる昔話を、知っているだろう」


 ──昔話。それはこの村の者なら誰もが幼いころに読み聞かされて育つもの。
さくらだって、嫌というほど知っている。けれど。


「知ってるけど、それがなんで私の結婚に繋がるの!? それに妖は封印されたんでしょ? もういないはずじゃない!?」


「封印された、“だけ”だ。今もそこにいる」


 父の声は静かに、重く響いた。


「……我々の家系は、妖をこの村に招いた責を負っている。その封印を維持するために、“守り手”を選出する。それが――“花嫁”だ」


「…つまり私を、生贄にしようってこと…?」


 自分が何を言われているのか、そして自分が何を言っているのかも分からなかった。


ただ一つ、はっきりしていたのは――


この空気が、演技でも冗談でもない、本物だということだけだった。


「妖───
 

その存在は、ある日突然この地に現れた。
 

曰く、自然を操る強大な魔力を持ち、その命には終わりがない。
 

曰く、人の心を持たず、その姿は“紅い異形”だという」


 沈黙を守っていた蒼真が、まるで独り言のように呟いた。

 


「村を襲った妖を封印したのは、当時の司祭だった。


封印は完成したはずだったけど――術者の死と共に霊力が弱まることが分かったんだ。


だから百年に一度、こうして“花嫁”の存在を、封印に継ぎ足さなきゃならない。


封印の所有権を僕に移すのと、同時にね」
「……じゃあ蒼真は初めから…全部分かっていたってこと…?」


 喉の奥が張りついて、うまく呼吸ができなかった。
乾いた口の奥で、言葉が砂のようにこぼれていく。

 蒼真はすぐには答えなかった。
ただ、ほんの少しだけ眉を動かして視線を外す。その仕草がどこか作りもののように見えて、胸がひどくざわついた。

 頭の奥がじんじん痺れる。
足元の世界が、泥のように崩れていく。


自分だけが、知らなかった。

自分だけが、蚊帳の外だった。


───私の人生は、最初から決まっていたのに。


「…僕だって、知ったのは最近なんだよ」

 
 

吐き出すような声音。けれど、それが妙に軽く感じたのは気のせいか。


「僕だって悲しい。でもさ、“生贄”なんて言い方はやめろよ。物騒すぎるだろ?」


 わざとらしく笑って、蒼真は首をすくめた。


「死ぬわけじゃない。ただ、“花嫁”として――妖の傍にいるだけの契約なんだ」


「……“いる”だけ……?」


 さくらが震える声で問い返すと、蒼真は優しく微笑んだ。
まるで、何か素晴らしい未来を語るかのように。


「そう。お前の霊力を、封印に混ぜるんだ。
 それで、奴の封印はまた百年保たれる。


簡単なことだろ? たったそれだけで、この村の未来が守られるんだ。


……みんなを犠牲にせずに済む。
これは、お前“にしか”できないことなんだよ」


 明るく言い放たれたその言葉に、さくらは思わず目を瞬かせた。
霊力の仕組みなど、司祭でもないさくらには分からない。


でも、“ただ一緒にいるだけ”で済むはずがない。
なにせ相手は、この村に伝わる恐ろしい妖だ。


(そんなの……すぐに八つ裂きにされるに決まってる)


 行きたくない、その言葉が喉までこみ上げたとき、ふと視界に映った父の顔に、さくらは言葉を飲み込んだ。


「将太には、この家を継いでもらわねばならない。……さくら、わかって欲しい……」


 震えた声で、父が呟く。
その声は、決して鬼でも悪人でもない、“家族”の声だった。
だからこそ、胸の奥が痛んだ。


「そっか……将太が、いるもんね」


 ぎこちない笑みを浮かべながら、さくらは声が震えそうになるのを、奥歯を噛みしめて堪える。


もう自分には選択肢がないこと――逃げ場も、抗う術もないことを、頭では理解していた。


それでも、心の奥で言いようのない何かが、踏ん切りを拒んでいるようだった。


 ───その時、
静かながらもしっかりとした音を立て、部屋の戸が開いた。


「私は、お嬢様と参ります」


 澄んだ声が、凛とした空気を連れて部屋に満ちた。
振り返ると、そこには生駒が立っている。
まっすぐにこちらを見据えるその瞳に、静かな覚悟が宿っていた。


「生駒……」

「可能ですか、司祭様」


 蒼真は少し眉をひそめ、思案するように宙を見つめた。小さく肩をすくめるようにして、蒼真は苦笑を漏らす。



「うーん、そうだな。まあ、出来ると思うよ」

「では、お願いします」


 短いやりとりを終えると、生駒はさくらの隣に寄り添った。
その仕草は静かで、けれど揺るがぬものだった。
まっすぐにさくらの顔を見つめ、柔らかな微笑みをたたえる。


「お嬢様。生駒は、いつでもお傍におりますからね」

「生駒……でも、そんなことをしたら、生駒まで」

「本望です」


 こともなげに言い放ったその一言には、ひとひらの躊躇いも感じられない。
重ねられた手から、確かな熱が伝わってくる。



「どんなときも、生駒がお嬢様をお守りします」


 その言葉に、押し潰されそうだった不安が、少しだけ緩んでいく。
冷えていた指先が、ほんの少し、あたたかくなるのを感じた。


「ありがとう、生駒……」


 さくらが小さくそう囁くと、生駒はにっこりと微笑み、何も言わずに一歩、下がった。

 静かな緊張が空間を満たす中、さくらは深く息を吸い込んだ。
目を閉じて、ゆっくりと整えるように吐き出す。
そして顔を上げ、立ち上がった。

 父のもとへと歩を進める。足取りはまだおぼつかないが、確かだった。


「父さん……私、お嫁に行きます」





(お嫁に…)

 来たは、いいものの。


 門の向こうに見えるその屋敷には、祝いの雰囲気もなければ、出迎える人すらいなかった。契約で決まった結婚なのだから、祝福を期待する方が間違いなのかもしれないが、それにしても肩透かしを食らった気分になった。

 屋敷は、その空気も冷たさも幼い頃に見たあのときのままだ。

変わらないというより、変える気すらないような佇まいで、そこに在り続けている。


さくらは、前を歩く蒼真に聞こえないよう、小さな声で生駒に話しかけた。


「……これ、本当に今日で合ってるよね?」
「はい。司祭様もご同行ですし、日時に誤りはないかと」


 表情ひとつ変えずに答える生駒だったが、よく見ると、その額はぐっしょりと汗で濡れ、膝がかすかに笑っている。


「……生駒、めちゃくちゃ緊張してない?」
「い、いえ。私は常に平常心を保っております。これは、そう、風のせいです」


「風、吹いてないけどね」


 思わず笑みがこぼれた。
父の前であれだけ格好よく啖呵を切った生駒が、実は震えている。
いつも凛としている彼女のそんな姿に、さくらは少しだけ肩の力を抜くことができた。


(……そうだよね。怖いのは、私だけじゃないよね)


 だが次の瞬間、生駒はぴしりと背筋を伸ばし、さくらにだけ聞こえる小声で耳打ちした。


「……お嬢様の大事なご婚礼です。私のような未熟者が場を乱してしまったらと思うと……ああ、少々、緊張が……」


「え、そこ?」


「当然でございます! 衣装、礼法、動線──そのどれか一つでも乱れれば、お家の名に関わります。腹を切っても詫びきれません!」


 そのあまりにも真剣で切実な表情に、さくらはつい吹き出してしまった。
どうやら生駒の緊張の種は、妖ではなく“仕事”だったらしい。

 おかげでほんの少し、張りつめていた気持ちが和らぐ。


けれど、それも束の間──。


「始めるぞ、さくら。」

 
 前を歩いていた蒼真が立ち止まり、低く呟いた。

 その声に呼応するように、空気がひやりと冷たくなる。
蒼真がさらに数歩、前に進み出る。
 固く閉じた門の前で両の掌を掲げ、静かに目を閉じた。


「――魂を繋ぐ理よ。いま此処に、契約の継承を願い奉る。

縁を結びし花嫁を媒として、封印の縁、新たに結び直さん。」


 その言葉が空へと放たれた刹那、周囲の空気がわななくように震えた。
目に見えぬ“何か”が、蒼真の呼びかけに応じたかのように。

 直後、さくらは首元に、じんわりと広がる熱を感じた。
思わず手をあてる。


触れた感触こそなかったが、何かが焼きついたという確信だけが残った。


焼きつくような疼きが、じわじわと強まっていく。


「……っ、これ……!」


 それに呼応するかのように、門が軋んだ。ゆっくりと、重々しい音を立てて開いていく。

 さくらは思わず息をのんだ。


──出てくる?

──この奥から、“夫になる相手”が?



……けれど、門の向こうには、やはり誰の姿もなかった。


 開いたその奥から、嵐のような風が吹きつける。それは重く、鋭く、肌を刺すような“気配”と“圧”を伴っていた。

 髪が乱れ、裾が大きくはためく。

 視界が霞むほどの風に、さくらは目を細め、やがてぎゅっと瞼を閉じた。身体が後ろへとあおられそうになる。


「生駒!」

「お手を……!離さぬように!」


 さくらは咄嗟に、生駒の手を強く握った。指先に込めた力は、何か確かなものを求めるかのように。

二人は、ただその温もりにすがるようにして、手を離さなかった。


「あと、少しだ……あと少しで僕の──」


蒼真の呟きが、轟音にかき消された。

直後、足元の感覚がふっと抜け落ちる。


「……待ってろよ。必ず、迎えに来るからな」


 その言葉が届いた瞬間、さくらは反射的に目を開けた。

風の向こうに、どこか寂しげに微笑む蒼真の姿が見えた。


「蒼真──っ」


咄嗟に、もう一方の手を伸ばす。

だが、その手が届くことはなかった。


途端に、風がぴたりと止む。


「いつの間に……っ」


 気づけば、自分と生駒は門の内側に立っていた。

足元には白く冷たい石畳が続いている。

門の外に、もう蒼真の姿はなかった。


掴んだ手の中には、なにもない。

ただ、彼の残した言葉だけが、さくらの中に静かに響き続ける。


──必ず迎えに来る。


それが本気なのか、それともただの慰めだったのかは分からない。

だがこの知らぬ場所で、隣にいる生駒の存在とその言葉だけが、唯一身を預けられるような気がして。


「……行こう、生駒」


 心細さを押し隠すように、さくらは小さく息を吸い込み、強く握った生駒の手を確かめてから、一歩踏み出す。


踏みしめた石畳は、不思議なほどに静かで、冷たかった。



その背後で、門は静かに、しかし確かに閉ざされた。

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