風俗嬢を妊娠させた?

龍玄

第1話 満足行為の向こう側

 欲望の交差する街、新宿・歌舞伎町。冷ややかな明かりに彩られた歓楽街の裏と表。表情の華やかさの裏で悪質ホストや売春なども毒牙が鳴りを潜めている。どこには、新宿を拠点として闇に揉まれ苦悩する者の傷を癒す弁護士の草薙翔がいた。

 男と女の欲望の果てには、後悔では済まされない悩み事も少なくない。風俗嬢と呼ばれる女性には避け辛い問題が付き纏う。出来てれば避けたかった現実が、彼女たちを苦悩の今と未来に向き合わせる。

 授かった命に対して、子育ての熱意にあふれた者がいる一方、諸般の事情から中絶を選ばざるを得ない者もいる。悪知恵を身に付けた曲者もいる。親子関係が確定すれば、中絶費用や永代供養代を負担するとの相手方の同意を得て、DNA鑑定の申し込みを行ったデリヘルに勤める女性がいた。

 鑑定を行うラボに細胞を送り、人工妊娠中絶の予定日も決まり、DNA鑑定の手続きも終えた。しかし、対象の男性に鑑定結果が中々知らされないでいた。彼女に電話を入れても出ない。店長にかけたも出なかった。知らされていたラボに確認すると鑑定結果は出ているが開示できないと告げられた。彼女は鑑定料の一部を振り込んでいなかったのだ。

 その日暮らしの感覚で働く者が少なくない夜の世界に関わる草薙翔にとっては、約束事が守られていないのは珍しいことではなかった。依頼者は嘘をつく。そう思えば、腹も立たない。


 状況を把握した草薙は、依頼者に連絡を入れ、鑑定料を振り込まない限り、結果はわからない。結果がわからなければ、父親と交渉もできず、中絶費用も永代供養代も回収できないとメッセージを送った。すると、その日のうちに彼女と店長がやって来た。私は予定が詰まっていたので断ったが、しつこく言うので深夜に事務所を開けた。到着した時から彼女は「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いていた。泣いて解決するなら弁護士はいらない。

 ふと、草薙は思った。店長が来たのはなぜなのか?彼女は妊娠中もデリヘルで働いていた。それでも鑑定料が支払えないほど金に困っていた。


店長「店に借金もあるんです」

真弓「センセ……」


 真弓の声は消え入りそうだった。払わなかったのではなく、払えなかったのだ。

鑑定の結果を知るためには、残りの10万の金が必要だと聞かされた。真弓は店長に1週間だけ立て替えてほしいと願い出るがそれは無理な相談だった。それでも真弓はどこで工面したのか何とか鑑定料全額を振り込み、結果を手に入れた。

 彼女のお腹に宿った小さな命の父親は対象者の客ではなかった。草薙は思った。人工妊娠中絶手術ができる期間が迫っていた。


 デリヘルの女性は堕ろすと言った。そして、法的な面で人工妊娠中絶を規定しているのが、母体保護法だ。この法律の解釈によって、人工妊娠中絶手術ができる期間は妊娠から21週と6日までと決められている。

 真弓はすでに妊娠18週目に入っていた。草薙はなぜ、真弓が赤ちゃんを堕ろすために私を必要としているのだろうかと思った。真弓が言う相手は該当しなかった。

間違いであっても男性は理解を示していた。真弓の思い当たる蜘蛛の糸を手繰り寄せたかった。それで私の協力を求めてきたのか、と。

 草薙は、弱い立場に漬け込んで欲望を満たした男がいる。たまたまヒットしなかっただけだ。ヒットしていれば申し分ないが、該当しないだけで行為は同じだ、と割り切って真弓を助けることに全力を注ぐことにした。


真弓「私、法律でダメだってわかっているから、本番は絶対やっていません。お客さ

   んから色々誘われても、お金をいっぱいあげるって言われても、絶対やってき

   ませんでした」


 草薙は思った。弁解の前のいい訳か。つまり父親はデリヘルの客ってことだ。


 真弓「1人だけ……いつもは絶対やらないんですけど、ちょっと、そういうことに

    なってしまった人がいて…」


  沈黙する真弓に「よし、喋ろうか」と草薙は冷静に対応した。


草薙「本番行為は違法だというのは、とりあえず今は脇において、そのお客さんとの

   間で起きてしまった本番は、合意の上での行為ですか?」

真弓「……」


 真弓はチラリと卓上のスマホを見た。彼女自身の申し出により、このスマホは勤め先のデリヘルの店長とスピーカーフォンを通して繋がっていた。


店長「合意というか、けっこう強引に押し切られちゃった感じです。でも、無理や

   り、というわけではないみたいですが…」

草薙「「妊娠の可能性がある期間に、本番行為をした相手は、この男性1人だけです

   か? 他に、例えば今付き合っている人とのセックスは?」

真弓「今、付き合っている人はいません」

草薙「男友達とのワンナイトみたいなものは?」

真弓「してないです」

草薙「この男性だけ?」

真弓「はい」

 

合意の上と判断される躊躇さと客と揉める面倒さの狭間に店長はいた。最初に行為に該当すると目される客に連絡を取ると「恐喝するのか!」と激高して、切られたが、美人局や恐喝されているのではないかと疑うのも理解できた。店長の冷静な対応をあって客も話を聞く耳を持ってくれていた。


草薙「その本番行為があった後、お店としての対応は?」

店長「その日のうちに、彼女から報告があったので、うちから相手さんに電話を入

   れて性感染症の検査をしなければならないので、その費用と、あと検査の結

   果待ちの間の休業補償を求めました」

草薙「先方は払ったのですか?」

店長「30万円、受け取りました」

草薙「では、先方も本番行為を認めているわけですね」

店長「まあ、そうなんですが、うちの子はゴム付けてって言ったと。ですが、先方は

   そんなことは言われていないと」


 母体保護法は「人工妊娠中絶」に関して、妊娠の第一の当事者たる女性だけでなく、「配偶者」の同意も求めている。この配偶者には、事実婚の相手も含まれる。一方、相手の男性が事実婚も含め配偶者ではない場合は同意は不要だ。このような場合、女性は、ただ1人の決断において人工妊娠中絶を行うことができる。


 相談に来たデリヘルで働く真弓と客の男性は、当然ながら事実婚も含めた婚姻関係にはないので、彼女の人工妊娠中絶を阻む人はいないわけだが、では「すぐに堕ろします」ともいかない事情が真弓にはあった。彼女には、堕胎をするお金がなかったのだ。


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