局所的正義(ロング版)

高州

第一章

第一話

俺は今、人を殺した。


祭りの帰り。大量の蝉どもが発情していた。いつもより大きな声で喋らないと何も届かなかった。あの悲鳴は誰かに届いたのだろうか。

直射日光を婆ちゃんが作ってくれた麦わら帽で、蒸し暑さをタンクトップ一枚で凌ぐ。

気を紛らわすために寄り道をした。爺ちゃんが甘いぞと言って塩をかけて渡してくれたすいかはちっとも甘くはなかったが、おいしい。と呟くと爺ちゃんはとても喜び、来年もまた作るからなと言ってくれた。来年か。

健気に笑う爺ちゃん。

俺に会うだけが生きがいと語っていた爺ちゃん。

いつまでも僕が純粋だと勘違いする爺ちゃん。ごめん。

太陽を雲が覆い少し影が差し涼しくなった。

心がある場所がわかった気がした。

爺ちゃん家からの帰り道。

爺ちゃんの笑った顔と罪悪感を交互に掘り起こした。




 学校から帰ると、ポストから新聞が図々しく顔を出していた。

新聞を引っこ抜く。

植木の影に移動して、ある記事がないか探す。いつからだろうかこの自分自身の特性について気付いた、あ。あった。『尾久待合のグロ殺人 阿部定遂に逮捕。』体の中心点に段々と血液が集まりだして、先ほどまで隠れていた陰部の形が自分の中で知覚できるほど身体中の血を吸い上げていた。その記事を女性器を舐め回すように読む。俺は殺人事件の記事を見たり、想像したりするとゾクゾクする。身体中を鳥肌が伝播し、ブルっという身震いが背中や肩を伝いすぅと消えていく。

そして、ほおが重量に逆らい、口と目は線となり恍惚な表情を浮かべ鼻息が荒くなる。

人の死でたくさんの生を生み出した。

これは俺の性欲だった。

いつからか殺人事件というものに興奮を覚えるようになってしまったらしい。

居間に行くと胡座をかいた親父が今朝の朝刊を読んでいた。

「おう。キヨシ。阿部定、捕まったか?」

どうやら父も僕と同じで殺人事件が好きらしい。

「うん」

吐きたくなるような言葉が食道を超え喉仏のあたりまで来ているのを必死に飲み込んだ。

僕が異常だということは承知しているつもりだった。

机の上に夕刊を置く。もう用はない。

「はい。あなた、キヨシ、ご飯ですよ」

ちゃぶ台の木と茶碗の陶器がぶつかる。

窓からは下が橙色になり、ポタポタと垂れてきてしまいそうな雲が見えた。



 朝刊には局所的豪雨が起こると書いてあった。五限終わりの月曜日。

傘を差し、泥濘の上を歩く。

雨の中歩くのは嫌いだった。

「歩く」という同じ行為をしているのに、晴れの日の歩きと雨の日の歩きは違った。

なぜ同じ行為なのに晴れの日の歩きは喜び、雨の日の歩きは嫌になるのだろうか。

そういう錯視をどこかの本で見た気がする。

雨は依然として降り続け、空はズンと黒かった。

殺人事件をまとめた本が濡れないように、見つからないように自分の隅に追いやった。

そしてある家の中に少女が入るのを確認して、新聞でいっていた、暗い局所的な豪雨たいの道を進んだ。

千代子ちゃんは家に間違いなくいつもこの時間帯に帰る。

傘を忘れたのだろうか。カバンを抱え家の中に入っていった。

暗い局所的豪雨の中一人で家に帰る。強い雨が音を遮断し、分厚い雲が太陽の光を遮断してより一層「僕」を浮き彫りにした。


 みんな自慰行為だけじゃ飽きて足らなくなってしまい、セックスをしたがる。

それを何千年と続けてきたわけだ。

無論俺もそうだった。

異常者はほんのどこか一部がすぐ隣の人と違ったから「隣の一般人」としたい人と対比され、異常者、キチガイとして扱われる。

自分は間違いじゃない、自分は正しい側にいると思いたい奴らによって間違いが作り出されている。

差別反対!と言っている奴らの心の深海には差別が不法投棄され堂々と佇んでおり、周りには目につかないようになっている気がする。

僕もおおよそ人類がたどってきた道のりを歩むのだろう。

 千代子が帰り道を辿る。あ。いた。そっと千代子の足跡をなぞる。

誰だって好きな女の子の後をつけたがるものだ。

今更だが、俺は殺人事件でも興奮するが、普通の生きている人間も好きだ。

前者さえなければ、俺も何ら変わらない隣人でる。

側から見たら、何の変哲もない隣人である。

「あ!千代子今度の祭り行かない?」

「うん、いいよ」

足音が四つ。地面をふみつけていく。

千代子にとって俺は隣人であり、幼馴染だ。

そして仲が良い。完璧だった。人類の生産ラインにようやく乗り直すことができる。

「七月のお祭りだよね?」

「そう」

斜め上から見る横顔は少しふっくらしていて可愛かった。ほっぺも胸みたいに柔らかそうだ。いつか千代子に白いワンピースとお揃いの麦わら帽を着せて、ひまわり畑に連れて行ってやりたい。

蝉どもの声が聞こえないおかげで、自分が蝉のように思えた。けどそれでいいのだ。

燕が俺たちの横を通り過ぎる。蟻どもが巣に戻っていく。



 外からは祭囃子が聞こえてきた。神社にたくさんの人々が集まる。

母はあの山では熊が出るかもしれないから早く帰ってきなさいと言った。

待ち合わせは昼過ぎ。千代子の家の前だ。朝から何者かが体の奥底で膨らみ続けていた。それは期待だろうか。

千代子は青色の着物と茶色いブーツを履いていた。上を見ると白い髪飾りで艶やかな長い髪が一つにまとめられていた。

まとまらなかった産毛さえも愛おしかった。

 神社に向かう山中、ふと目があった。千代子が笑った。愛おしすぎて、抱きしめたい。そのまま首に手を伸ばしてしまいたい。

その瞬間何かが弾け飛び、薄い倫理観の膜が破られた。

咄嗟に手を掴んで千代子と共に駆け出す。何か言っていたが、蝉と祭囃子の前、小さな、か弱い少女の声など、無いのと同義だった。

いくらか走った。泣きそうだった。

俺じゃない。千代子が。何発か殴られたように顔をぐちゃぐちゃにし、泣いている。

もう今までの「僕」には戻れなくなっていた。

泣いているその顔も可愛かった。

恐怖が様々な血管を通り身体中に行き渡っていた。足には水が滴り地面に落ちていた。

抱きしめた。鼻と目を赤くして泣いていた。大丈夫だよ。と言って抱きしめた。

嫌も嫌よも好きのうちだった。

祭囃子や蝉の鳴き声なんてなくても千代子の声はもうすでに届かなかった。無意味だった。

千代子を押し倒すと、高い声の後に鈍い音が聞こえた。

木の根か何かに当たってしまったのかもしれない。可哀想で、胸の中心がパカっと割れて裏返ってしまいそうだった。

しかし誰にとっても自分の欲を満たすことは正義なはずだ。

千代子のお腹は意外にも柔らかかった。近くにあった石を握りしめた。

鈍い声が聞こえた。

恐怖の次は苦しみが血液を介し、身体中に充満し始めた。段々と顔に悶えが表れていくのが堪らなかった。

それに呼応して俺の体にも動脈や毛細血管を通り背徳感が行き渡り、思わず恍惚な表情を浮かべてしまう。

太ももが熱くなっていくのを感じる。

普段は何も存在感がないものが体の中心から頭角を徐々にあらわにしていくのがわかった。そこだけ異常に熱く苦しい。

このままでは胸を張って堂々と歩けないだろう。

また鈍い声が聞こえた。

かん高い声で助けを呼んでいた。

先生、父ちゃん、母ちゃん、幸子、進。何で俺以外の名前を呼ぶんだろう?この俺がいるのに?助けてあげられるのに?また鈍い声が聞こえた。

腹式呼吸が途絶えるのと同時に、絶頂が腹の奥底からものすごい勢いで駆け上がり、命の素が溢れ出した。

俺は今、人を殺した。


初めてなんてこんなもんか。

血がついた服と熱気を脱ぎ捨てると、タンクトップだけになった。

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