端っこの話

よもぎ団子

マンホールの蓋


『マンホールの蓋が無くなっている。危ないのでどうにかしてほしい。』


そう連絡があり、水道局員のAは急いで現場に車を走らせた。

そこでは近隣住民らしき老人が側に立って中をのぞき込んでおり、慌てて声をかけた。


「こんにちわ、水道局の者ですが……」

「ん?水道局?」

「はい、これから少し作業をさせていただきます。10分程度で終わりますので」

「え、こん中に入るのかい?大変だねぇ」


会話を交わすと老人は会釈をしてすぐ側の門扉の中へと消えていく。

同乗していた仲間のFは道具を持ってAの側へ来て、車通りのない住宅街の片隅にあるぽっかり空いた穴を見つめた。

近くの林から小鳥の軽やかな囀りが響く中、Fは手にした資料をAに見せて怪訝そうに眉を寄せた。


「一応遡って調べたんだが、6年前の地図にも載ってない。何回かこのあたりに来たけど、こんな穴無かったぞ」

「とりあえず中見ないとな……」


Fはカラーコーンを四方に置き、Aはライトでマンホールの中を照らした。赤錆のついたハシゴ、汚れが垂れた壁、平素なら照らせば水の通っている管渠が見える筈だが、ライトは宙を舞って落ちる石や埃を捉えるだけで、底を照らさなかった。

考えているよりずっと深い穴にAは混乱した。

そして、ここに入っていいものかと、普段は考えないことも思い浮かんだ。

不意に肩を叩かれ、少しおっかなびっくり振り返る。


「交通整備の方頼む。俺がサクッと見て上に報告しよう」

「入るのか?」


Fは目を丸くし、何言ってんだと笑ってライト付きのヘルメットを装着した。

交通整備を、と頼まれていたAだが、どうしても気になりマンホールの中を覗き込んでもう見えなくなっているFを呼んだ。


「おいF!大丈夫か?」

「……おー、大丈夫だ。登りがキツいかもな〜」


少し間を置いて呑気な声が聞こえてきてホッとしていると、近くからギィと金属の擦れる音が聞こえてきた。


「あー、おったおった。どうもお疲れさん」

「どうもすみません、ご迷惑おかけしております」


先程家に帰ったと思った老人が門扉を開けた音だった。

居住まいを正し、帽子を取って頭を下げるTに老人は微笑みながら汗をかいたペットボトルを差し出した。


「いやいや、こんな暑い中大変でしょう。どうぞ、休憩の時に飲んでください」

「あぁ、ありがとうございます」


老人からペットボトルを受け取り、優しい人もいるものだと思い……自然と背後に目が向いた。


マンホールを中心に四角を囲んだカラーコーン。

その真ん中にたった今まであったはずの穴が、どこにもない。


「えっ?」


何度か瞬きをして、やはり理解できなくて、嫌な汗が全身に滲んだ。

混乱と焦りで、のっぺりとしたコンクリートを見る目が勝手に震える。

老人は鳥の声がする方を見ながら穏やかに言った。


「そういや、さっき私が見とった穴があるでしょう?どーにもウチの横にあったか思い出せなくてねぇ……小さい頃1回穴が空いとった以来で。とうとう私もボケが来たのかもしれませんね」


あはは、と軽い笑いがひどく遠くに感じた。

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