浜島原発

青月 日日

浜島原発



     第一章 静かなる判断


 海が、ざわついていた。


 2025年7月5日

 浜島原子力発電所・第5号機中央制御室。

 モニターに映るデータの一つが、静かに異常を告げていた。

 P波、続いてS波。地震計の針が明確に揺れる。プレート境界型の兆候。

 遠く南方沖で発生した地震の、ただならぬ規模を示していた。


「所長、緊急地震速報です。南海トラフ、マグニチュード…8.6を超える可能性」


 運転員の声が震える。


「津波の予測は?」


「静岡県沿岸、最大22.5メートル…! 到達まで、およそ26分――」


 結賀 正(ゆいが ただし)は、黙って非常操作盤に歩を進めた。

 全炉スクラムを可能にするパネルが、緊急信号に応じて赤く点滅している。


「全炉SCRAM。ディーゼル起動、RCIC(アールシック)とHPCI(ハイピーシーアイ)系をスタンバイ」


「所長…手順書には、まずは原子力規制庁への連絡を――」


「時間がない。ベントまでは私が行う。退避を開始しろ」


 即断だった。


 制御室に一瞬、沈黙が落ちる。

 その場の誰もが、今の命令が“手順”を踏んでいないことを理解していた。

 SCRAM操作の前に、電力会社本社・規制庁・防災オフサイトセンターと連携を取るのが定石だ。

 だが、結賀はそれを無視した。


「全炉、SCRAM確認。制御棒、全挿入」


「炉心熱出力、ゼロに向けて減衰中」


「ECCS、起動準備完了」


 職員たちは命令通り、炉心緊急停止(SCRAM)と退避プロセスに入っていった。

 やがて発電所の構内に非常サイレンが鳴り響き、オレンジ色の回転灯が空に向かって回転を始める。

 津波に備えて、作業員たちは標準装備の耐火防水服とライフジャケットを着用し、高台へと向かっていった。




     第二章 ひとりの所長


 約20分後、所内には結賀だけが残っていた。


 電源は非常用ディーゼル発電装置により維持されていた。

 スクラム後の残留熱除去(RHR)は順調、RCIC系は自動で作動を続けている。

 計器には、わずかに上昇する格納容器内圧力が表示されていた。


 ベント弁の遠隔操作装置は生きていた。


「格納容器圧力、450kPa。S/Cベントライン解放準備――確認完了」


 結賀は独り、制御室の操作台に立つ。

 ベント弁の操作スイッチ。通常なら操作責任者と補佐員の2人で、交互確認を取りながら操作する装置。

 しかし今、彼は手順を逸脱している。

 誰も立ち会わず、報告もなし。

 ベント操作は、格納容器という最後の密封を破り、放射性物質の排出を許容する行為。

 だが、彼の目は一点の曇りもなかった。


 指がスイッチに触れる。

「S/Cウェットベント、一次弁開放――」


「……圧力、低下開始」


 配管のどこかで、唸るような圧力音が響いた。

 水封の向こう側で、格納容器の内圧が解放されていく。

 わずかな蒸気が上昇する様子が、敷地内カメラに映った。




     第三章 波の刻


 高台の避難所は、ざわめきに満ちていた。


 崖の上にある旧小学校の校庭。原発から退避した数十人の職員が、非常用毛布に包まりながら海の方角を見下ろしていた。

 眼下の防潮堤は濁流に洗われ、敷地内に黒い海が侵入した形跡が見えた。


「……やっぱり、来たか」

 誰かが呟いた。


 津波の第一波は、警報どおりだった。計器で見た数値ともおおむね一致し、原子炉建屋は健在で既にベントが済んでいた。

 職員の多くは、現場を離れたことで少しずつ張り詰めた糸が緩んでいた。


「これで……収まってくれればな」

 灰色の空の下、紙コップに注いだぬるい水を口に含みながら、若い技術職の一人が言った。


「第一波があれくらいなら、最悪の事態は避けられたかもしれない」

 誰かが続けた。


 その瞬間、地鳴りのような低音が地の底から響いた。


 一人の職員が身を乗り出して叫んだ。

「……あれ、何だ……波か……!? でかすぎる……!」


 志摩半島で反射した第一波が、再び御前崎沿岸を襲ったのは、その第一波の到達からから二十分後だった。


 そのとき、ちょうど第二波が沖から迫っていた。

 志摩で反射した波が御前崎の第二波とぶつかった瞬間、海は牙を剥いた。


 観測史上最大級とされた津波は、防潮堤を悠々と越え、海岸線を飲み込んだ。


 モニターに映るライブ映像が、次々と途切れていく。


 制御建屋、非常用発電建屋、変圧器、タービンフロア……

 津波は、あらゆるものを呑み込んだ。


 記録された津波高は、局所的に28.6メートル――“想定外”という言葉が、あまりに軽かった。




     第四章 静寂の中で


 翌朝。

 沿岸を捜索する海上保安庁のヘリが、海面に漂う人影を発見した。


 白の耐火服。ライフジャケット。胸には「浜島原子力発電所 所長」のワッペン。

 ヘリのロープが降り、レスキュー隊員が彼を回収する。


 結賀正は、生きていた。


 顔には擦り傷と塩に焼けた肌。

 だが、その目だけは濁っていなかった。




     第五章 放射性物質の拡散


――風が変わったのは、明け方だった。


 大気は目に見えない粒子を含んで重く淀み、海沿いの町々は不気味な静けさに包まれていた。テレビやラジオは「放射性物質の拡散の可 能性がある」とだけ繰り返し、具体的な数値も避難指示も曖昧なままに人々を宙吊りにした。


 午前九時、漁協の組合長が血相を変えて町役場に乗り込んだ。


「どういうことだ!」


 その直後に駆け込んできた農協の職員は、震える手で検査書を突きつけた。


「野菜もダメです。全部出荷停止。今朝の線量……ありえません。誰が、誰がこんなことを……」


 役場の会議室には、怒号と嗚咽が交錯した。


「ベントだ。ベントをやったからだ」


 誰かが呟くと、それが怒りの火種となり、瞬く間に燃え広がった。


「なぜ放射能を撒き散らした!」


「住民には何の説明もなかった!」


「自分たちだけ逃げて、あとは置き去りか!」


 声は濁流のように荒れ狂い、ついには

「責任者を出せ!」

「電力会社のトップは何してる!」

 と、矛先は明確に一人の男へと向かっていく。


 午後、浜島原発の正門前には数十人の住民が集まり、手作りのプラカードを掲げていた。


《子どもを返せ》《ベント反対》《結賀を出せ》


 風が強まり、スピーカーから流れる抗議の声が空に舞った。


 しかし、その中にいた誰一人として、『ベント』が何を意味するのかを正確に理解してはいなかった。

 ただ、放射能が撒かれ、海と大地 が死に、町が失われたという現実だけが、そこにあった。


 誰も答えを持っていなかった。ただ、怒りだけが渦巻いていた。




     第六章 報道の過熱


 報道の第一波は、地元局の昼ニュースから始まった。


「先ほど、浜島原発にてベント開放が行われたとの情報が入りました。」

「これにより放射性物質が周辺地域に拡散した可能性があります――」


 曖昧で抑制された口調。しかしその背後に、異常な緊張感が滲んでいた。


 翌日、全国ネットが一斉に動いた。

 民放各局は特番体制に切り替え、スタジオには原子力工学の専門家、危機管理評論家、そして元官僚たちが次々と呼び出される。


 巨大な画面には、フクシマの写真が映し出され、その横に今回の浜島原発の航空写真が並べられる。


「これは第二のフクシマではないのか?」


 コメンテーターの一人がそう言った瞬間、スタジオの空気が一気に変わった。

 静かだった画面が、煽情的なBGMとともに切り替わる。


《“暴走する所長”――ベント開放は独断だったのか?》


 キャスターが厳しい表情で読み上げる。


「所長の名は、結賀 正。関係者によれば、上層部への連絡なく、独断で全炉SCRAMとベント操作を行ったとのことです」

「これは常軌を逸した判断ではないでしょうか」


“常軌を逸した”――その言葉がテロップに映し出された瞬間、世論は静かに傾き始めた。


 週刊誌はさらに容赦がなかった。


《狂気のベント開放》《暴走する浜島原発所長の素顔》《政府無視の“原子力英雄”》


 発売日を前に、ネットにはセンセーショナルな見出しが踊る。

 ある雑誌は“浜島原発内の内部告発者”を名乗る人物の証言として、こう報じた。


「彼はベントのタイミングを“賭け”だと言っていました。神ではないのに、神のフリをしたんです」


 記事は事実かどうかを検証しない。証言があればいい。

 視聴者と読者が「読んだ」と言える材料だけが求められていた。


 駅前の売店に並んだ週刊誌は、どれも彼の名を大きく掲げていた。

 誰かが言った。


「ベントなんて言葉、前は誰も知らなかったのに」

「今じゃ、みんな呪文みたいに言ってるよな」


 報道はいつのまにか、情報ではなく、感情の装置に変わっていた。

 そこにあったのは、情報の伝達ではなく、一方的な断罪だった。




     第七章 SNS第一波:怒りと糾弾


 ベント開放の報道が全国に流れてから数時間後、X(旧Twitter)のトレンド欄が激しく動き始めた。


「#結賀辞任しろ」

「#ベント犯罪」

「#所長の暴走を許すな」


 瞬く間に数十万件の投稿が集まり、画面は怒りに満ちた言葉で埋め尽くされていった。


「独断で放射能ばら撒いたって正気か?」

「こいつのせいで俺の町が終わった。農業も漁業も壊滅だぞ」

「被曝した子どもたちにどう責任取るんだ、所長さんよ」


 ある投稿には、浜島原発周辺で撮影された海岸の写真が添えられていた。

 放射線量の簡易測定器が高い数値を示しており、『結賀の判断でこの海は死んだ』と書かれていた。


 そこから怒りは連鎖した。


 TikTokには、被災地近くの高校生が『ベント音が聞こえた夜』と題した動画を投稿。

 蒸気の音、警報のサイレン、遠くから響く怒鳴り声。

 編集されたその一本の動画は数百万回再生を記録し、コメント欄には『ホラー映画みたい』『地獄の音』と書かれた。


 Instagramでは、汚染された田畑や、泣き崩れる酪農家の姿が次々にアップされた。

 その一つ一つに、#結賀のせい というタグが貼られ、人々の怒りを増幅させた。


 YouTubeでは“市民ジャーナリスト”を名乗る若い配信者が動画を投稿した。

 サムネイルにはこう書かれていた。


《独占告発!ベントは殺人だ》


 内容は過激そのもので、専門的な裏付けは一切なかったが、再生数は100万を超えた。


 SNSは事実の検証を求めなかった。

 ただ『怒れる材料』さえあれば、それでよかった。

 証拠も、背景も、検討も必要ない。


 結賀の顔写真が加工され、『死神』『放射能マン』と揶揄される画像が出回った。

 怒りは正義となり、正義は暴力となっていった。


 そして誰もが投稿するようになった。

 怒りを、痛みを、叫びを。


「自分の町に、あんな爆弾を落とされたような気分だ」

「ベントで救われたって? 俺たちは何も知らされずに被曝したんだぞ」


 だがそのとき、誰も知らなかった。


 あの判断がなければ、取り返しのつかない惨事が起きていたのだということを――




     第八章 起訴と裁判


 冷たい雨が降っていたある朝、東京地方検察庁の建物前に報道陣が詰めかけていた。

 カメラ、マイク、傘の群れがアスファルトの上に密集している。


 その日、検察が発表したのは、かねてより世論を騒がせていたあの名の起訴だった。


「結賀正、業務上過失致死傷および環境汚染防止法違反の疑いにより起訴」


 テレビのニュース速報がテロップで報じ、アナウンサーは『歴史的ともいえる起訴です』と口をそろえた。


 起訴状にはこうあった。


「上位命令を無視し、法定手続きを経ずに原子炉をSCRAM停止させ、かつ事前通報なしにベント開放を実施」

「これにより放射性物質が外部に拡散し、周辺地域に壊滅的な農業・漁業被害、また人体被曝が発生した疑い」


 記者会見で、検察官は冷淡な口調で語った。


「所長としての権限を逸脱し、社会的影響を顧みずに独断で行動した」

「結果、地域に取り返しのつかない被害を与えた。厳しく責任を問わねばならない」


 この報道に、SNSは再び爆発的な反応を見せた。

「やはり犯罪だった」

「初動からおかしかった」

「ようやく裁かれる」

 と、糾弾の声が再燃した。


 そして数週間後。東京地裁にて第一回公判が始まった。


 法廷内は異様な緊張に包まれていた。

 傍聴席には報道陣、事故被害者の関係者、そして抽選に当たった一般市民がぎっしりと詰め込まれている。

 テレビでは生中継され、全国で数百万人がその審理の開始を見守った。


 検察側の主張は一貫していた。


「結賀被告は、原子力災害におけるルールを意図的に無視した」

「結果として起きた放射性物質の拡散は、単なる判断ミスではなく、手続き違反と職権乱用の結果である」

「個人による越権行為が、国家規模の環境災害を引き起こしたのである」


 弁護側は黙っていた。というより、被告本人が一切を黙秘している以上、弁護方針も語る術がなかった。


 法廷では、放射線量の測定データや、ベント開放前後の映像、現場職員の証言、緊急時の記録などが次々と提出された。


「ベントの判断が正しかったか否か」

「本当に独断だったのか」

「他に手段はなかったのか」


 法廷の空気は日を追うごとに殺気立ち、外では被災者団体の怒声が飛び交った。


 さらに、結賀の家族へのバッシングも深刻化していた。

 学校で子どもが『被曝させた家の子』と呼ばれ、教室で机に落書きされた。

 妻はスーパーで陰口を叩かれ、買い物途中で追い返されたという。


 そんな中でも、結賀は一言も語らなかった。

 取調室でも、証言台でも、目を伏せ、ただ沈黙を貫いた。


 誰もが彼の言葉を待っていた。擁護する者も、責める者も。

 だが彼は語らなかった。語れば、全てが変わると知っていながら。


――そしてその静けさが、最も人々を苛立たせた。




     第九章 SNS第二波:陰謀論・過激化


 裁判のテレビ中継が始まってから、数日も経たないうちに、ネット空間の空気が変わっていった。


 世論の熱狂は、糾弾の声から徐々に、別のベクトルへと傾きはじめていた。


 最初に火をつけたのは、とあるYouTubeチャンネルだった。

 登録者数15万人。政治系配信者を名乗る男が、動画タイトルでこう煽った。


「原子力マフィアとベント利権――結賀正は操られていたのか?」


 再生回数は初日で30万を超え、二日後には100万を突破した。

「ベント開放によって利益を得た企業がある」

「電力会社とIAEAが裏で結賀を英雄に仕立てようとしている」

「原子炉事故は意図された実験だった」


 憶測と編集で塗り固められた“真実”が、視聴者の不安と憤りを吸い上げていく。


 コメント欄には罵倒と共感が交錯し、さらに類似の動画が雨後の筍のように登場した。


「ベントの前日に某大手企業の株が売買されていた」

「自衛隊が避難命令を事前に受けていた証拠」

「結賀の家族は事故当日に高台にいたという未確認情報」


 それらは誰も裏付けを取らずに共有され、引用され、切り抜かれた。

 拡散するスピードは、事実を遥かに上回っていた。


 ポッドキャストの世界でも、騒動は過熱していた。

 著名な科学ジャーナリストが出演した配信番組では、

『倫理と科学はどこで対立するのか』『技術者が国家を超える判断をしてよいのか』

 といった哲学的問いが交わされた。


 議論は知的に見えて、その実、結賀の人格や家族にまで踏み込んでいく。


「彼は神の役割を演じたのではないか?」


 そして決定打となったのは、ネットメディアの一つ、独立系ジャーナル『Civic Voice』が掲載した連載だった。


《英雄気取りの加害者――結賀正という名の幻想》と題されたその記事群は、長文かつ調査報道風の形式を取りながら、強い断定で締めくくられていた。


「彼の沈黙は反省ではなく、誇りだ」

「結賀は自己正当化のために何百人もの生活を破壊した」


 市民の代弁者を名乗るこのサイトは、SNSと連動し、『#結賀を忘れるな』『#ベント犯罪を許すな』といったハッシュタグをキャンペーンのように展開した。


 SNS上では、結賀の家族の住所や子どもの学校を“特定”する動きすら見られた。

 警察が水面下で動き始めたのは、その翌日のことだった。


 ネットの暴力は、匿名であるがゆえに、止まることなどなかった。

 反転した世論の中で、結賀の沈黙は今や『傲慢』とされ、

 彼の行為は『国家と市民への背信』と断じられていた。


 だが結賀は何も語らなかった。

 否定もせず、怒りもせず、ただ沈黙のなかにいた。


――それが、燃料だった。




     第十章 IAEA査察団


 空港に姿を見せたのは、世界中の原子力事故調査を担ってきた男たちだった。

 国際原子力機関――IAEA査察団の来日が、内外のメディアにとってどれほどの意味を持つか、誰もが知っていた。


 黒いスーツ、鋭い眼差し。

 言葉少なに成田から車列を組んで浜島原発跡地へと向かう彼らを、テレビカメラと、SNSを通じたライブ配信がその動向を追った。


 彼らの訪問は、『真実』の最終判定であるかのように扱われていた。


 数週間にわたる現地調査、関係者ヒアリング、制御記録の解析――。

 過熱した世論の裏側で、彼らは静かに、精密に、冷徹にデータを積み上げていった。


 そして、報告書の概要が公表された。


「所長・結賀正によるSCRAM、及び非常用冷却系の操作判断、並びにベント開放の決定は、あらゆる手段を検討した上での最適解と認定する。」


「ベント操作が数分でも遅れていれば、全炉においてメルトダウンが進行していた可能性が高い。」


「人的被害を最小限に食い止めた責任は、明らかに彼の即応的判断に依存していた。」


 記者会見場は一瞬沈黙し、その後、騒然となった。

 フラッシュの嵐の中で、IAEA副査察官の女性が静かに言った。


「規則と命令を守ることは、原子力の世界において重要です」

「しかし、それ以上に大切なのは、人命と環境を守る即時の判断です」

「結賀氏は、それをやった。」


 国内メディアの論調は、急激に軌道を変え始めた。

『国際機関が“最適解”と評価』『ベントの遅れが招いたフクシマの教訓が活きた』

 各紙が一斉に見出しを打ち、SNSでは『#結賀を再評価せよ』がトレンド入りした。


 ネット上では陰謀論の波が一時引き、専門家による冷静な解説が再び共有され始めた。

 皮肉なことに、沈黙を貫いてきた結賀の判断が、最も雄弁な証拠として国際社会に認定されたのだった。


 それでも、結賀は語らなかった。

 いかに評価されようと、いかに正当化されようと、彼の沈黙は揺らぐことはなかった。


 彼にとって『正しかったかどうか』は、誰かが決めることではなかったのだ。




     第十一章 判決


 かつて『狂気のベント』と書き立てた週刊誌は、今や別の見出しを掲げていた。

『正義は沈黙の中にあったのか?』


 テレビのコメンテーターたちの口ぶりも変わっていた。

「この国の非常時マニュアルは、彼ほどの決断を許していなかったんです」

「本来なら評価されるべき判断だったのではないか」

 誰もが少しずつ、少しずつ、責任の矛先を政府と電力会社に移しはじめていた。


 SNSでは『#結賀辞任しろ』ではなく、『#結賀に謝れ』がトレンドの上位に入るようになっていた。

 かつて彼の家族を糾弾していた匿名ユーザーのアカウントは、そっと沈黙した。


 しかし、裁判は淡々と続いていた。

 検察は、法の手続きを無視して行われたSCRAMとベント操作を、越権行為と位置付けた。

「彼の行動が、放射性物質を拡散させ、地域社会に壊滅的な被害をもたらしたことは、動かしがたい事実です」


 それに対して弁護側は、IAEAの報告書と、関係技術者たちの証言を基に、結賀の判断が『唯一の選択肢』だったことを強調した。

 だが――結賀本人は一貫して、何も語らなかった。

 法廷でも、尋問でも、弁護士にすらほとんど口を開かず、ただ証言台に座っているだけだった。


 やがて、判決の日が来た。

 報道陣で埋め尽くされた裁判所前。

 テレビでは生中継が行われ、実況コメントが画面を覆った。


「被告・結賀正。上位命令の不履行および法令違反による機器操作等の責任を問う」

「よって、本件は有罪と認定する。ただし、本件の特殊性を鑑み、刑の執行は猶予とする――」


 傍聴席から、安堵とも落胆ともつかない声が漏れた。

 一部では拍手も起こった。

 だが、結賀の表情は微動だにしなかった。


 裁判所を出た彼を、誰も待っていなかった。

 報道陣が声を張り上げ、マイクを突き出しても、彼は黙って歩き続けた。


 沈黙のまま正義を問われ、

 沈黙のまま罪を認められ、

 沈黙のまま赦された男。


 人々は初めて、その『沈黙』こそが、彼の最後の証言だったのではないかと、気づき始めていた。




     第十二章 声なき者の帰還


 判決が下りてから数日が過ぎた。

 世間は次のニュースへと移りつつあり、結賀正という男の名前も、トレンドから消えかけていた。


 灰色の空が垂れこめるある午後。

 小雨が降り始めた頃、ひとりの男が玄関先に立った。

 風に揺れるコートの裾からは、裁判所を出たときと同じ黒い靴がのぞいている。

 今日だけは重たい扉の前で、男は一呼吸おいてから、ゆっくりとドアノブを握った。


「……ただいま」


 小さな声だった。

 それでも、その家で久しく聞かれなかった響きだった。

 数秒の静寂のあと、奥から足音が近づいてくる。


 ドアの向こうで、誰かが言った。


「……おかえり」





     【主要専門用語と簡易解説】


 SCRAM(スクラム)

   原子炉の緊急停止。制御棒を全挿入し核反応を即時停止。

 RCIC(アールシック)

   炉心隔離冷却系。電源喪失時にタービン駆動で炉心を冷やす。

 HPCI(ハイピーシーアイ)

   高圧注水系。高圧状態の炉心にも注水可能な非常用設備。

 ECCS(イーシーシーエス)

   非常用炉心冷却系。RCICやHPCIを含む冷却システムの総称。

 RHR(アールエイチアール)

   残留熱除去系。SCRAM後に燃料から出る残熱を冷却する装置。

 S/C(サプレッションチェンバー)

   格納容器の一部で、蒸気を水に通して圧力を逃す構造。

 ベント

   圧力を下げるため、格納容器内のガスや蒸気を外部に逃がす操作。

 SBO(Station Blackout)

   全電源喪失状態。冷却系の喪失とメルトダウンに直結する。

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浜島原発 青月 日日 @aotuki_hibi

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