ハーツの欠片
light forest
リンダリンダ
俺は、ただボールを追いかけてる。それだけが、俺のすべてだ。
真新しいスパイクの紐をキュッと結び直す。土の匂いが鼻腔をくすぐり、頬を撫でる風が心地いい。
グラウンドの隅っこ、誰も見てない場所で、
俺は何度だって呟く。
「もっと速く、もっと高く」。試合前のざわめきも、高鳴る胸の音も、今の俺には最高のBGMだ。
ボールを蹴るたびに、世界が広がっていく気がする。このグラウンドが、宇宙の中心みたいに。
何もかもが、リンダ リンダって、心の中で叫びたくなるほど真っ直ぐで、輝いて見える。
ドブネズミみたいに美しくなりたい。
俺は、本気でそう思ってる。
サッカーの練習はちょっとしんどいけど、
もっと上手になれば、もっともっと、
いろんなことが思い通りになるはずだって。
そう信じて疑わない。放課後の教室で、未来の自分を想像してはニヤけてしまう。
憧れのJリーガーみたいに、満員のスタジアムで
ヒーローになる。もしも僕がいつか君と出会い、
この夢を語り合う日が来るなら、その時はきっと、この眩しい気持ちをそのまま伝えたい。そんな風に、俺の心の中で響き続けている。
微かな予兆
グラウンドの喧騒が遠ざかり、放課後の教室には、鉛筆が紙を擦る音と、時折聞こえる友達の話し声だけが響いている。俺は、窓から差し込む夕焼けをぼんやりと眺めていた。今日の練習も、いつも通り、いや、いつも以上に汗をかいた気がする。
真新しいスパイクの土を払いながら、
今日の自分のプレーを頭の中で反芻する。ドリブルはもっとキレが出せるはずだし、シュートもまだ甘い。そう、俺にはもっとできることがある。そう信じて疑わない。
「おい、悠斗、今日のパス、すげぇ良かったな!」
不意に声をかけられ、振り返ると、クラスメイトでサッカー部のチームメイトでもある健太が、
にっこり笑っていた。健太は、いつも俺の一歩後ろを走っているようなタイプだが、正確なパスセンスはチーム随一だ。
「そうか? 健太のセンタリングも絶妙だったぜ。あれで俺、シュート打てたんだから」
俺がそう言うと、健太は照れたように頭をかいた。
「いやいや、悠斗のシュートがあったからだよ。俺もさ、お前みたいなストライカーになりたいんだ」
健太の言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
俺は、本気でJリーガーになりたいと思っている。
満員のスタジアムで、歓声の中、ゴールを決める自分を想像するたびに、体中に電気が走るような感覚に陥る。その夢を、健太のような友達と共有できることが、何よりも嬉しかった。
「なれるさ。お前だって、やればできる」
俺はそう言って、健太の肩を軽く叩いた。健太は少し驚いたような顔をして、それから嬉しそうに
笑った。
そんな日常が、俺のすべてだった。サッカーが
中心で、学校生活も、友達との時間も、
すべてがサッカーに繋がっているような気がした。両親も、俺の夢を応援してくれている。父さんは、昔サッカーをやっていたらしく、たまに俺の練習に付き合ってくれる。母さんは、いつも栄養バランスの取れた食事を作ってくれる。すべてが、俺の夢を後押ししてくれているように感じた。
重なる違和感
しかし、そんな充実した日々の中に、微かな、
しかし確かな違和感が芽生え始めていた。
それは、本当に些細なことだった。
例えば、今日の練習でも、全力でダッシュ
した後に、以前よりも息が上がるのが早い気がした。他のチームメイトが平然と走り続けている中で、俺だけが、肺が締め付けられるような感覚に襲われることが増えたのだ。
また、グラウンドを何周か走った後、足がもつれるように感じることもあった。一瞬、バランスを崩して転びそうになる。そのたびに、「あれ?」と首を傾げるのだが、すぐに「気のせいか」と片付けてしまう。まだ体が成長途中だから、一時的にバランスが悪くなっているだけだろう、と。
ある日のこと、放課後、健太と二人で帰り道を歩いている時だった。いつもなら軽快に駆け上がれるはずの坂道で、急に足が重くなった。まるで、鉛でも入っているかのように、一歩一歩が辛い。
「どうした、悠斗? なんか今日、元気ないな」
健太が心配そうに声をかけてきた。
「いや、なんでもねぇよ。ちょっと走りすぎたかな」
俺は平然を装って答えたが、内心では焦っていた。健太よりも先に坂道を登り切り、何食わぬ顔で待っていると、健太が少し息を切らしながら追いついてきた。
「なんだよ、先に行くなよー。悠斗、やっぱり足速いな」
健太はそう言って笑ったが、俺の胸にはチクリとした痛みが走った。健太に追いつかれたら、きっと今の俺の体調に気づかれてしまう。そんな予感がした。
プレーへの影響
そんな違和感は、サッカーのプレーにも影響を及ぼし始めていた。
これまでなら難なくこなせていたドリブルが、時折、思い通りにいかないことがある。ボールが足に吸い付かないような、不思議な感覚。パスを出すタイミングが、わずかにずれることもある。
「悠斗、今のパス、ちょっとずれたぞ!」
監督の声が、グラウンドに響き渡る。
俺は「すみません!」と反射的に謝ったが、
内心では「なぜだろう」と首を傾げていた。
集中力が足りないのか、それとも、
ただの気の緩みか。
チームメイトとの練習試合中も、これまでなら軽々と抜き去ることができた相手ディフェンダーに、苦戦する場面が増えた。スピードに乗ったと思った瞬間、体が重くなり、相手に追いつかれてしまう。
「くそっ!」
思わず舌打ちをしてしまう。そんな自分に、戸惑いを覚えた。俺は、もっとできるはずなのに。
もっと速く、もっと強く、ボールを追いかけられる
はずなのに。
ある日の部活動後、ロッカールームで着替えていると、健太が隣にやってきた。
「悠斗、最近、なんか無理してないか?」
健太のまっすぐな瞳が、俺を見つめる。ドキリとした。もしかして、健太も俺の変化に気づいているのか?
「無理なんてしてねぇよ。なんでだよ?」
俺はできるだけ平静を装って答えた。
「いや、なんとなく。最近、たまに動きが硬い時があるっていうか……ちょっと疲れてるように見えるんだ。あんまり無理するなよ」
健太はそう言って、俺の肩をポンと叩いた。
その優しさが、かえって俺の胸を締め付けた。
心配をかけたくない。俺は、みんなの期待に応えたい。このまま、何事もなかったかのように、
サッカーを続けたい。そんな思いが、
募っていった。
日常の異変
家での生活でも、些細な変化があった。
食欲が、以前よりも少し落ちた気がする。大好きな母さんのハンバーグも、以前のようにがっつくことができなくなっていた。
「悠斗、今日はあまり食べないの? 調子悪いの?」
母さんが心配そうに声をかけてくる。
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと、練習で疲れただけ」
俺はそう言って、無理に箸を進めた。心配をかけたくなかった。俺は、元気な俺でいたかった。
夜、自分の部屋で、宿題を広げながら、ふと自分の腕を見つめた。以前よりも、少しだけ細くなったような気がする。気のせいだろうか? 気のせいだと思いたい。
鏡に映る自分を見つめる。顔色は、普段通り。
だけど、心の奥底で、何かが少しずつ、確実に変わっていっているような、漠然とした不安が
広がっていた。
俺は、ベッドに仰向けになり、
天井を見つめた。小学校の頃、父さんと初めて
サッカーボールを蹴った日のことを思い出した。
あの時の、ボールを蹴る喜び。
風を切って走る爽快感。すべてが、
俺の原点だ。あの頃の自分は、ただひたすらに、
ボールを追いかけることだけが楽しかった。
今はどうだろう? もちろん、今もサッカーは楽しい。だけど、あの頃のような、ただ純粋な
楽しさとは、少し違うような気がする。あの頃は、未来のことに何の不安もなかった。ただ、
夢に向かって、真っ直ぐに突き進むことだけを
考えていた。
優しさの痛み
ある週末、サッカー部の練習が休みの日。
俺は、健太と近所の公園で遊んでいた。サッカーボールを蹴り合いながら、他愛もない話をする。
「なぁ、悠斗。もしもさ、お前がJリーガーになったら、俺のこと覚えてるか?」
健太が冗談めかして言った。
「当たり前だろ! 健太が俺にパス出してくれなきゃ、俺はゴール決められないんだから」
俺はそう言って笑った。健太も嬉しそうに笑った。
そんな健太の笑顔を見ていると、心の奥底に沈んでいた不安が、一瞬だけ消え去るような気がした。俺は、健太の優しさに触れて、少しだけ強くなれたような気がした。
「悠斗、そろそろ帰るか」
健太の声に、俺はうなずいた。公園を出て、帰り道を歩いていると、小さな子供たちが、楽しそうに走り回っているのが見えた。無邪気にボールを追いかけるその姿は、まるで昔の自分を見ているようだった。
その時、突然、足がぐらついた。視界が、一瞬だけ歪んだような気がした。
「悠斗、大丈夫か!?」
健太が慌てて俺の腕を掴んでくれた。俺は、健太の腕に支えられながら、なんとか体勢を立て直した。
「あ、ああ、大丈夫だ。ちょっと、つまずいただけ」
俺は無理に笑顔を作って答えたが、心臓はバクバクと音を立てていた。今のは、ただのつまずきではなかった。体が、言うことを聞かなかったのだ。
健太は、俺の顔をじっと見つめていた。その瞳には、心配の色が深く宿っていた。
「悠斗、やっぱりなんかおかしいよ。顔色も良くないし、最近、無理しすぎなんじゃないのか?」
健太の言葉が、俺の胸に突き刺さった。嘘をつくのは、もう限界かもしれない。だけど、どう説明すればいいのか、俺にはわからなかった。
募る不安
その夜、ベッドに入っても、俺はなかなか眠れなかった。今日公園で起きたことが、頭の中で何度も繰り返される。足がぐらついたあの感覚。視界が歪んだあの瞬間。気のせいだと、もう言い張ることはできなかった。
「俺の体、一体どうしちゃったんだろう……」
誰にも聞かれないように、小さな声で呟いた。
これまで、俺の人生は、まるで一直線のレールの上を走る列車のように、順調に進んできた。サッカーという目的地に向かって、ただひたすらに走り続けてきた。だけど、今、そのレールに、ひびが入ったような気がした。
両親に話すべきだろうか? だけど、
心配をかけたくない。サッカーを、これ以上
休むなんて考えられない。俺は、Jリーガーになるという夢を、諦めたくなかった。
翌日、学校で、俺は少しだけ、周囲の人々に優しく接しようと決めた。健太には、昨日のことを
心配してくれたお礼を言った。
他のチームメイトにも、積極的に声をかけた。
みんなが、俺の夢を応援してくれている。
みんなが、俺にとって大切な存在だ。
自分が少しずつ変わっていくことに不安を感じながらも、俺は、周囲の人々の優しさに触れることで、なんとか自分を保っていた。この微かな違和感は、きっと一時的なものだ。体が成長する過程で、
誰にでも起こることだ。そう、
自分に言い聞かせていた。
父の背中
ある日の夕食時、父さんが突然、
俺に声をかけてきた。
「悠斗、最近、どうだ? 練習は順調か?」
父さんは、いつもは口数が少ない。こんな風に、
改めて俺の練習について尋ねてくるのは珍しいことだった。俺は、ドキリとした。父さんも、俺の異変に気づいているのだろうか?
「うん、順調だよ。もう少しで、レギュラーになれそうなんだ」
俺は、精一杯の笑顔で答えた。父さんの顔に、
わずかに安堵の色が浮かんだように見えた。
食後、父さんがリビングで新聞を読んでいた。
その背中を、俺はぼんやりと見ていた。父さんは、昔、高校でサッカーをしていたと聞いたことがある。俺がサッカーを始めたのも、父さんの
影響が大きい。あの頃、父さんの蹴るボールは、
まるで魔法のようだった。俺は、
いつか父さんのように、
いや、父さん以上に上手くなりたいと、心
から願っていた。
「父さん……」
思わず、声が出た。父さんが、新聞から顔を上げて、俺の方を見た。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
俺は、結局、何も言えなかった。父さんに、
今の自分の状況を話すのが怖かった。父さんの期待を裏切りたくなかった。父さんに、
心配をかけたくなかった。
母の温もり
夜遅く、母さんが俺の部屋にやってきた。手に、温かいミルクの入ったマグカップを持っている。
「悠斗、まだ起きてたの?」
母さんは、俺の額にそっと手を当てた。
「ちょっと熱があるみたいね。無理しすぎちゃダメよ」
母さんの手が、とても優しくて、温かくて、
俺は思わず、その手に頬を寄せた。母さんは、
いつも俺の体のことを気にかけてくれる。
俺の小さな変化にも、すぐに気づいてくれる。
「お母さん……俺、最近、なんか、体が変なんだ」
気づけば、俺は、母さんに自分の違和感を
打ち明けていた。走ると息が切れること、足がもつれること、食欲がないこと。すべてを話すと、
母さんは黙って、ただ俺の頭を撫でてくれた。
母さんの瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。その時、俺は、母さんの優しさの奥に、深い悲しみが隠されているような気がした。
「大丈夫よ、悠斗。お母さんが、ちゃんと見ててあげるから」
母さんの声は、震えていた。その言葉に、俺は、
どうしようもなく不安になった。大丈夫じゃない。何かが、きっと、大丈夫じゃないのだ。
孤独な練習
翌日から、俺は、誰にも気づかれないように、
自分の体と向き合い始めた。
練習中、他のチームメイトが休憩している間も、
俺は一人でランニングを続けた。以前は軽々こなせた距離も、今は途中で息が上がる。足は、鉛のように重い。だが、俺は立ち止まらなかった。
「もっと速く、もっと高く」。
心の中で、何度もあの言葉を繰り返す。
監督やチームメイトの視線を避けるように、
俺はグラウンドの隅で、地味な基礎練習を
繰り返した。ドリブル練習。シュート練習。
どれも、以前のようなキレがない。ボールが、
足に吸い付かない。思うように
コントロールできない。
焦りだけが募っていく。このままでは、
レギュラーどころか、ベンチ入りすら危ういかもしれない。Jリーガーになるという夢が、
少しずつ遠ざかっていくような気がした。
練習が終わると、健太が心配そうに
声をかけてくる。
「悠斗、今日も一人で練習してたのか? あんまり無理するなよ。疲労は敵だぞ」
健太の言葉に、俺はただ曖昧に笑うしかなかった。俺が抱えている不安を、健太には話せなかった。
心配をかけたくなかった。そして何より、健太に、俺の弱さを見せたくなかった。
忍び寄る影
そんな日々が続く中で、俺の体調は、
明らかに悪化していった。
夜、寝ていると、突然、足がつることが増えた。
激しい痛みに、思わず声を上げてしまう。
両親が慌てて部屋に駆けつけてくるが、
原因はわからない。
朝、起き上がろうとすると、体が重くて、
なかなか動けない日も増えた。頭がぼーっとする。微熱が続くこともあった。
学校の授業中も、集中力が続かなくなった。
教科書を読んでも、内容が頭に入ってこない。
板書を写す手が、震えることもあった。
ある日、体育の授業で持久走があった。俺は、
これまでなら常にトップを走っていた。しかし、
その日は、スタートから体が重く、すぐに息が上がった。周りのみんなが、俺を追い抜いていく。
「悠斗、どうしたんだ? らしくないぞ!」
体育の先生の声が、遠くで聞こえる。俺は、必死に足を動かしたが、思うように前に進まない。
結局、俺は最下位でゴールした。息は切れ、体は鉛のように重い。視界はぼやけて、地面が揺れているように見えた。
その瞬間、俺は確信した。これは、ただの気のせいじゃない。ただの成長痛でもない。
俺の体に、何かが起きている。
募る焦燥
焦燥感が、俺の心を支配するようになった。
このままでは、俺の夢が、遠い幻になってしまう。サッカーが、できなくなってしまう。
放課後、俺は図書館にこもり、体の不調について書かれている本を読み漁った。インターネットでも、自分の症状に似た病気を検索した。
検索すればするほど、不安は増していく
ばかりだった。筋肉の衰え、疲労感、息切れ、
足のもつれ……どの症状も、俺の体に起きていることと、あまりにも一致していた。
しかし、どの病気も、俺には関係ないはずだ。
俺は、まだ中学生。健康そのものだ。そう、
自分に言い聞かせるが、一度芽生えた不安は、
決して消えることはなかった。
世界の終わりはそこまで来てるって。誰もいない図書館で、俺は小さな声で呟いた。かつて、心の中で叫びたくなるほど輝いて見えたあの言葉が、今は、まるで遠い過去の残響のように響いた。
俺の「今」は、もう、輝いてはいないの
かもしれない。
家族の決断
ある夜、両親が、俺をリビングに呼んだ。
二人の顔は、いつも以上に真剣な表情をしていた。
「悠斗、お父さんとお母さん、決めたことがあるんだ」
父さんが、ゆっくりと口を開いた。
「悠斗の体調、やっぱりおかしい。一度、ちゃんと病院で診てもらうべきだと思う」
母さんの目には、涙が浮かんでいた。俺は、何も言えなかった。病院。その言葉が、俺の頭の中で、
重く響いた。
「でも、サッカーは……」
俺は、思わず声に出した。
「心配しないで、悠斗。今は、まず体のことを一番に考えよう。サッカーは、またいつでもできる」
母さんが、優しく俺の頭を撫でてくれた。しかし、その言葉は、俺の心に届かなかった。
サッカーができない。その事実が、俺にとって、
何よりも耐え難いことだった。
俺は、抵抗した。病院には行きたくない。
俺は大丈夫だ。ただの疲れだ。そう言い張った。
しかし、両親は、頑として譲らなかった。
「悠斗、お願いだから、私たちを信じて。これ以上、悠斗が苦しむ姿を見るのは辛いんだ」
母さんの言葉に、俺は、初めて自分の状況の深刻さを痛感した。俺は、一人で抱え込みすぎていたのかもしれない。両親に、どれだけの心配をかけていたのだろうか。
検査の日々
翌週、俺は病院に行った。初めて足を踏み入れる
病院の廊下は、消毒液の匂いが充満していて、
俺は思わず鼻をつまんだ。
診察室で、俺は医者に、自分の症状を
詳しく話した。走ると息が切れること、
足がもつれること、食欲がないこと、
体がだるいこと。医者は、真剣な表情で
俺の話を聞いていた。
そして、俺は、たくさんの検査を受けた。
採血、尿検査、レントゲン、心電図、そして、MRI。慣れない検査の連続に、
俺は次第に疲弊していった。
検査結果を待つ間、俺は、ただただ不安だった。
一体、自分の体に何が起きているのだろう。もし、サッカーができなくなったら、俺の人生はどうなってしまうのだろう。
健太は、毎日、俺の体調を気遣う
メッセージをくれた。
「早く良くなるといいな」
「また一緒にサッカーしようぜ」。
そのメッセージが、俺の心の支えだった。
だけど、返信するたびに、俺の心は深く
沈んでいった。僕には言いたいことがある。
そう心の中で叫んでも、喉の奥に言葉が詰まって、誰にも伝えられない。いつになったら、
また健太と一緒にボールを追いかけることが
できるのだろうか。
診断
数日後、両親と一緒に、再び病院を訪れた。診察室の扉を開ける瞬間、俺の心臓は、これまで経験したことのないほど激しく脈打った。
医者は、俺たちの前に座り、静かに話し始めた。
「悠斗くんの検査結果が出ました。いくつかの症状から、詳しく調べてみたところ……」
医者の言葉が、まるでスローモーションのように聞こえた。俺は、息をすることさえ忘れていた。
「悠斗くんの病名は、ミトコンドリア病の疑いです」
医者の口から出た言葉は、俺にとって、全く聞いたことのないものだった。ミトコンドリア病?
それは、一体何なのだ。
医者は、ゆっくりと、しかし丁寧に、ミトコンドリア病について説明してくれた。
ミトコンドリアは、細胞の中でエネルギーを作り出す働きをしていること。そのミトコンドリアに
異常があると、体に必要なエネルギーが作られなくなり、様々な症状が出ること。筋肉の弱さ、疲労感、息切れ、運動能力の低下。そして、病気の進行は、個人差が大きいこと。
俺の頭の中は、真っ白になった。ミトコンドリア病。それは、聞いたことのない、恐ろしい病名だった。
「……治療法は、まだ確立されていません。対症療法が中心になります」
医者の言葉が、俺の胸に突き刺さった。
治療法がない。つまり、治らないという
ことなのか。
「しかし、早期に診断し、適切なケアを行うことで、症状の進行を遅らせ、日常生活の質を維持していくことは可能です」
医者は、俺の目をじっと見て、そう言った。
俺は、目の前が真っ暗になった。サッカーは。
俺の夢は。
絶望と光
診察室を出ると、俺は、まるで体の力が抜けて
しまったかのように、その場に崩れ
落ちそうになった。両親が、俺の体を
支えてくれた。
「悠斗……」
母さんが、俺の名前を呼ぶ声が、遠くで聞こえた。俺は、ただ、涙が止まらなかった。
俺の人生は、終わった。サッカーは、
もうできない。Jリーガーになるという夢は、
叶わない。
その日から、俺の日常は、一変した。
サッカーの練習には行けなくなった。学校も、
休みがちになった。友達からの連絡にも、
返事をしなくなった。
毎日、ベッドの中で、ただ天井を見つめていた。
何のために生きているのか、わからなくなった。
そんな俺を、両親は、根気強く支えてくれた。
母さんは、毎日、俺の好きな料理を作ってくれた。父さんは、黙って、俺の部屋に寄り添ってくれた。
ある日、健太が、俺の家にやってきた。インターホンが鳴り、母さんが出ると、健太の声が聞こえた。
「悠斗いますか? プリント届けに来ました」
俺は、健太に会うのが怖かった。今の俺を見せたくなかった。
しかし、母さんが、健太をリビングに通してしまった。俺は、仕方なく、リビングに向かった。
健太は、俺の顔を見ると、一瞬、驚いたような顔をした。そして、すぐに、いつものように、
にっこり笑った。
「悠斗! 体調どうだ? これ、今日のプリント。先生が、早く良くなって学校に来いって言ってたぞ」
健太は、何も聞かなかった。俺の目の下のクマも、やつれた顔も、何も気にしないように振る舞ってくれた。ただ、俺に、学校のプリントを渡しに来ただけだ、というように。
「ありがとう、健太」
俺は、震える声で、そう言った。健太は、そんな俺の肩をポンと叩いてくれた。
「またな! 早く良くなれよ!」
健太は、そう言って、笑顔で帰っていった。
健太の優しさが、俺の心に、温かい光を灯してくれた。人にやさしくされたい。そんな思いが、
ふと心に浮かんだ。俺は、一人じゃない。俺には、健太がいる。両親がいる。
再び、リンダリンダ
その夜、俺は、久しぶりに自分の部屋の窓を開けた。夜空には、満月が輝いていた。
あの頃の俺は、リンダ リンダと叫びたくなるほど、真っ直ぐで、輝いていた。
今の俺は、あの頃の俺とは違う。
病気を抱えている。サッカーが、
以前のようにできないかもしれない。
夢が、遠いものになってしまうかもしれない。
だけど、俺は、諦めたくなかった。
俺には、まだ、できることがあるはずだ。サッカーは、できなくても、何か、他のことで、誰かの役に立てることがあるかもしれない。
ミトコンドリア病。この病気と、俺は、これからずっと、付き合っていくことになる。それは、とても辛いことかもしれない。だけど、俺は、
この病気から逃げない。
俺は、再び、自分の夢を探す旅に出るのだ。
形は変わっても、きっと、俺にしかできない
「何か」があるはずだ。
俺は、ベッドから起き上がり、机に向かった。そして、真っ白なノートに、大きく書き込んだ。
「リンダ リンダ」
この言葉は、俺の心の奥底で、今も響き続けている。それは、過去の輝かしい日々の思い出だけじゃない。未来へ向かう、俺の決意の歌だ。
グラウンドの太陽が、永遠に俺たちを照らし続けてくれるって、俺はそう信じてる。このハーツの
欠片が、少しずつ、形を変えようとしている
なんて、今はまだ、知る由もない。
俺は今日も、ボールを追いかける。
たとえ、グラウンドの真ん中でなくても。
たとえ、Jリーガーになれなくても。
もしも僕がいつか君と出会い、この病気と向き合う中で見つけた新しい夢を語り合う日が来るなら、
その時はきっと、この眩しい気持ちを
そのまま伝えたい。
俺は、俺の人生の、主人公であり続ける。
そして、いつか、この経験が、誰かの光となるように。
「リンダ リンダ」
俺は、今日も、この言葉を胸に、
未来へ向かって歩き始める。
足元には、まだ微かな違和感がある。だけど、
もう、不安だけじゃない。
一歩一歩、確かに、前へ。
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